日本・女優 より
父と母と、兄と妹二人に私、家族は六人で、私の十五歳になるまでは、その富岡町にずつと住んでをりました。私は大正十年七月二十三日生れですから昭和十一年まで住んでゐた譯で御座います。[…]
父は何んとかして私の志を樹てさせたいと思つたのか、その頃では踊りよりも芝居の方により多くの關心を持ち出した私には内證で日活の男女優募集に應募して呉れてゐました。父からはじめて打ち明けられて、私は驚きの中にも父の心持を知り、勇んで日活本社の門をくゞりました。
幸ひにも多くの應募者の中から私は選び出され、藝名も當時近衛首相の良パアトナーとして野人翰長の譽れも高き風見章氏にあやかるようと『風見章子』と名付けられました。さうして淸瀨監督の『時代の霧』でデビユー致すことになつたのですがあのときの喜びと感激は私の一生を通じて忘れることの出來ない貴いもので御座いませう。
「一頁自叙傳 一つの道を一筋に -幸福でありすぎる私- 風見章子」
『映畫情報』七月号(国際情報社、1939年)
大正十年七月、北川ふさ子を本名として群馬縣に出る。昭和十年富岡高女二年の在學中、家庭の都合上中退し、自活の路を求めて上京、ピエル・ブリアントに入座して女優生活の第一歩を踏み出し、エノケン一座に加入、多年希望の映畫入りをPCLの入社に見出したが「時代の霧」の女優募集に應じて日活入社。☆「土」「若い花」「汐風の乙女」「姉さんのお嫁入り」「若き感情」
風見 章子(日活多摩川)
『新映畫年鑑 2600年度版』(今村三四夫編、豊國社、1940年)
[JMDb]
風見章子
[IMDb]
Akiko Kazami