映画史の館・合衆国 より
1990年代初頭、蓮實重彦氏を中心に映画プロデューサーのサミュエル・ゴールドウィンを再評価する動きがありました(92年刊の『映画に目が眩んで』に優れたゴールドウィン論を収録)。当時、この流れに対応する上映企画も行われていて、『木に攀る女』(1937年、ミリアム・ホプキンス主演)などをスクリーンで見たのを覚えています。
数年前(2016年冬)、ゴールドウィンが直筆署名を残した書類が数点売りに出されているのを見つけた時、一つは手元に置いておいても良いか、と取り寄せたのがこちらです。同氏がプロデュースした作品を紹介する際併せて記事に出来ればと思いつつ6年程寝かせたままになっていました。
物としては1948年2月に発生したサミュエル・ゴールドウィン映画社の内部資料。
米国での会社運営は日本とは異なった様々な法律や運用規則で縛られていて、例えば取締役会があるたびにその通知を役員に対して行うことが義務付けられています。とはいえ役員たちが皆その時間、場所での都合をあわせられる訳ではないため、状況によっては会議の通知は必要ない意思を書面にて表明しなければなりません。これを「通知受領権の放棄(Waiver of notice)」と呼びます。
1948年2月25日、ニューヨークでゴールドウィン映画社の特別取締役会が開催された際、ゴールドウィンを筆頭とする5名の役員が通知受領権を放棄した、という内容が一枚にまとめられています。会社運営の流れで事務的に発生してくる書類であり、それ自体が特別な意味を持っている訳ではありません。
それでも見ていると色々な発見が出てきます。
例えばゴールドウィンの下にジェームズ・マルヴェイ(James A. Mulvey)の名を見ることが出来ます。ゴールドウィンの古くからの腹心であると同時に自身資産家でもあって、一時期は米メジャーリーグのドジャースの共同所有者だった人物。
映画製作会社がどのような作品を作っていくかには市場のニーズや時代の流れなど様々な要素が絡んでいます。それでも最終決定を行う審級を構成していた、最上位でゴーサインを出していたのはこういった方々(文化産業、スポーツ産業などをひっくるめた経済界の有力者たち)だったんですよね。コンテンツを消費しているだけでは見えてこない風景だとは思います。
[Movie Walker]
サミュエル・ゴールドウィン
[IMDb]
Samuel Goldwyn