2023年1月4~5日 – 『珈琲時光』(2004年、侯孝賢監督)再訪

正月休みを使って久しぶりに東京を歩いてきました。昨年、国立映画アーカイヴの『二人静』を見に来てはいるものの日帰りの強行軍で、時間をかけて滞在するのはほぼ5年ぶりになります。

折角なので東京でしかできない遊び方を、と侯孝賢監督の2004年作品『珈琲時光』のロケ地巡りをしてきました。


川本 山手線の車庫って、どこにありましたっけ。
大崎と池袋ですよ。
川本 すごい!監督のほうがお詳しい。
車掌さんと運転手さんが交代するのがこのふたつの駅ですね。交代するところを見たかったので、大崎と池袋には何度も良きました。
 敬礼したり、交代のやり方がきちんと決まっているんですね、観察していると、本当に正確に電車を運行しているんだなとよくわかります。

「映画『東京時光』の東京を歩く。」 対談:侯孝賢 × 川本三郎
『東京人』 通巻207号(2004年10月、都市出版株式会社)


東京という街を流れている時間、そして(親子、男女、友人そして他人との距離感を含めた)都市空間を眩い光に封じこめた作品で世代や性別を問わず根強い人気を誇っている作品です。公開から20年近い歳月が経過、陽子、そして肇が訪れたあの場所は今どうなっているのでしょうか。オールドレンズ(テッサーF2.8 50mmとフレクトゴンF2.8 35mm)を手にいざ出発です。

1:お茶の水~神田近辺

聖橋

人々の動線、軌跡そして運命が折を見て重なりあっては別れていく場所。でもそこに暮らす人々、通勤や通学で普段使いしている人々には見慣れたいつもの風景…聖橋は東京の象徴として作中に何度か登場してきます。

護岸改修の工事が施され、幾つかの建物が塗り替えられてはいても景観に大きな変化はありません。列車が世代交代しているのが一番大きな印象の違いでしょうか。


昌平橋~紅梅河岸高架橋

聖橋からほど近い昌平橋からも撮影が行われています。

レンガ造りの紅梅河岸高架橋は瀟洒な飲食店街に生まれ変わっていますが、映画には再開発以前の姿が記録されていました。カメラは中央線を追って仰ぎ見るように移動、その視線の先に神田郵便局が写りこんできます。背後に住友不動産の神田ビルが出来た(2009年)ため構図が大きく変化しています。


2:鬼子母神前~大塚近辺

鬼子母神前駅周辺

作中でヒロイン・陽子(一青窈)は鬼子母神前駅の近くに住んでいる設定でした。都電荒川線に乗って大塚に向かう流れで駅が2度登場。両親と共に出前の寿司を食べた後、陽子が桶を返しがてら駅に向かう場面。街の雰囲気は大きくは変わっておらず、映画に登場していたランタン型の街灯がそのままの姿で残っています。

踏切を渡り鬼子母神前駅が写りこんだ場面。陽子が桶を返しに行った若葉寿司は周辺工事に伴い場所を変えており(雑司が谷3丁目→1丁目)、現在は線路の逆側に店を構えていました。

陽子が電車を待っている場面で右下に屋根が見えています。2004年当時、早稲田方面行のプラットホームは踏切を挟んだはす向かいに位置していました。現在では正面に移設されており当時と同じ構図では撮れなくなっています。


大塚駅前

大塚駅前駅はJRの高架下に位置しており、交差点を曲がって駅に入ってくる構図が映画でも印象的に描かれていました。現在でも駅そのものはほとんど変わっていませんでした。駅前広場に地下駐輪場が作られており、スロープとエレベーター乗り場が出来たことで現在は左折してくる電車とその先の建物が見えにくくなっています。

映画の冒頭、大塚駅前駅で降りた陽子は徒歩で隣接するJR大塚駅へと向かいます。映画版では白い壁や手すりに汚れが目立ち、駅前に多くの自転車が止まっていました。この一帯は綺麗に改装されていました。大塚駅に辿りつく手前にあった花屋さんも今はなくなってしまっています。

駅前の様子。現在の大塚駅がバリアフリー化されているのが良く分かります。


3:有楽町~銀座近辺

有楽町駅周辺

物語中盤、陽子は肇(浅野忠信)の助力を得ながら作曲家・江文也の足跡を尋ねていきます。この時に登場するのが有楽町駅の周辺でした。オリンピックを見据えた再構築が進められたこともあり一角は大きく様変わりしていました。

陽子と肇が古地図を手に古い喫茶店を探そうとしています。二人で作戦を練るのが雰囲気のある喫茶店ももやでした。2007年に閉店したそうで跡地周辺には大型のパチンコ店UNOができています。2014年の大規模な沿線火災によって同店は半焼、改修後系列店のDUOに姿を変え現在に至っています。

ももやを出た後、二人は高速下を抜けて銀座マロニエ通りへと向かっていきます。二人が辿りついた場所には大きなビル(三幸ビル)になっていました。大倉三幸(現・新生紙パルプ商事)の持ちビルで2000~07年にかけて一階がショールーム「紙百科」として使用されていたそうです。

ビルの建て替え後に一階にはモンクレールが入店。並木と横断歩道が一致していますがそれ以外に面影は残っておらず、通勤で毎日この辺を歩いている人が見ても気がつかないのではないかという気がします。


4:洗足池駅周辺

映画後半、陽子が江文也の未亡人のぶ女史から当時の話を聞いたのが洗足池駅前のイタリア料理店テラス・ジュレでした。2011年6月に閉店。現在でも飾りを取り去った建物が残っており地元の社団法人(洗足風致協会)が会館として使用しています。

二人でお茶をしていた空間が残っているのを確認。イスとテーブルは簡素に差し替えられています、

夏の光の中、店から出た陽子は歩道橋を渡って洗足池駅に戻っていきます。ジグザグしたキアロスタミ的動線を歩んでいく『珈琲時光』屈指の美しい場面。歩道橋は2016年に撤去され新たに横断歩道が設置されています。

駅は撮影時の面影を多くとどめていました。横断歩道の新設に伴いガードレールが作り直されたのが確認できます。


5:高円寺駅周辺

作品の半ば、陽子は江文也がかつて足を運んだ都丸書店を訪れて店主の話に耳を傾けます。高円寺駅北口を出てすぐ西側にあった古本屋さんで2020年末に閉店となりました。ガード下の路地と繁華街側の道に挟まれた細い一画に位置していて入り口が二つあります。映画ではガード側の入り口(蘭丸亭看板が見える方)から入店、話を聞き終えてから繁華街側の入り口を抜け駅広場~駅に移動していました。

書店を出た後、陽子が手持ちのカメラで書店を撮影しているところ。背後に和風の引き戸と竹作りの飾りが写りこんでいます。この場所は現在立ち飲み屋さんに変わっています。

カメラが書店の看板へと視点を移動。その途中に高架と中通りの入り口付近を仰ぐように捉えています。電柱と不動産屋の看板が当時のまま残っています。

カメラが切り替わり中通り入口から繁華街を写していきます。アングルを揃えたのですが店の入れ替わりが多く印象が大きく変わっています。

駅前広場に抜ける直前、カメラと被写体の間にATMが入りこんできます。ATMの南側にカメラが置かれ、北側の道を歩いていく陽子の姿をガラス越しに撮影。通りの構造を上手く利用したショットになっていました。

駅前広場に抜けた一瞬、広場北側に位置する薬局(サンドラッグ)の看板が写りこんでいます。

6:神保町


肇の経営する古書店の設定で登場していたのが神保町の誠心堂でした。現在でも場所を変えず営業を続けており、当時のままの落ち着いた雰囲気を漂わせています。今回訪れた時には正月休み中でした。同店の公式サイトで撮影時のエピソードが紹介されておりロケ時の写真を見ることが出来ます。

誠心堂書店と並び陽子の居場所となっていたのが喫茶店エリカです。神保町交差点の北側に2店舗を構えていて、撮影で使用されたのは北西、西神田エリカでした。2006年頃から休業となりその後も再開されぬまま現在に至っています。建物は姿を変えず残っており、ひまわり館への案内表示や電柱を含めた構図を再現することができました。

エリカを出た後、陽子が白山通りを南下して誠心堂に向かう場面。今回撮影した写真は冬の光で冷たさを帯びているものの、南(写真では左側)から差しこんでくる陽射しの感触は映画と同じでした。


それにしても良く歩いたなと。

2004年は日本経済のデフレが長期化し始めた時期に当たっています。同時期にオンライン環境が整い始め、ECコマースの成長とともに古くからの個人経営のお店が姿を消していきました。映画に登場してきた風景が時代の流れに沿って大きく変貌を遂げていたのは予想できる範囲でした。

また線路や横断歩道、電柱といったインフラに関わる部分は往時の面影が色濃く残されていました。テクノロジー(デジタル化、スマホ)や価値観(アフターコロナのマスク姿、バリアフリー)に応じて変化していくのは目に見える出方(上部構造)であって、それを底で支えている流れは20年位だと変わらないのだな、と。

変わらずに留まり続けるものと移ろいゆくもの。人と人の距離感についても同じことが言えるのでしょう。

例えば乗車時やエスカレーターでの移動の際、背にしていたリュックや鞄を胸の前に回すマナーが言われるようになったのはこの6~7年だったと思います。今住んでいる地方都市では気にしている人すら見かけないのですが、東京でそれなりに定着しているのを見ると素直に感心します。混雑時に出来るかぎりの空間を確保し、当たった当たらないの無用なトラブルを避ける。『珈琲時光』に含まれてはいない風景です。他にも中央快速線の先頭車両が女性専用化(平日通勤時間帯限定)されていたり点字表示が増えていたり、公共スペースでの他者・異者への距離感が大きく変容したのを実感する瞬間が幾つもありました。