スタシア・ナピエルコウスカ Stacia Napierkowska (1886 – 1945) 仏

サイン館・フランス & ナピエルコウスカより

Stacia Napierkowska Mid 1910s Inscribed Cabinet Photo

君はスタシア、ナピエルコウスカ(Mlle. Stacia Napierkowska)を知つてゐるだらふ?パテーの畫に度々出たからね、あれもポーランド種だ、コンスタンチノープルで生れた、そして後に巴里のオペラ、コミツクで可成鳴らしたもんだ、マツクスなんとかと一しよに出たのは氣にくはなかつたが、”鳥のパン屑”(Le pain des petits oiseaux)といふパテーの劇は良かつたねえ、彼女はその後アメリカに渡つて去年はニユー、ヨークでダンスを演じてゐた、僕はあの踏が好きだつた、”浮世の荒波”(The greed for gold)の東洋趣味の踏りも氣に入つた […]。

「夕日の沈む頃」 水澤 武彦
『キネマ・レコード』 第3期16号(1914年10月15日付、キネマ・レコード社)


曾て「亂菊の舞」に於て其の妖艶極りなき藝風を示して人々を惱殺した。先年ジヤツク・フエイデル氏の監督した「ラトランテイド」に主演して歐洲に普く其名を知らる。近作品はその姉妹篇ともいふべき「アン・シヤ・ラア」である。「コルシカの兄弟」にも出演してゐる。

De Napierocowska, Stacia [sic] スタシア・ドウ・ナピエルコウスカ(佛)(女)
『映画大観』(大阪毎日新聞社, 活動写真研究会編、春草堂、1924年)

ナピエルコウスカは第一次大戦の勃興前後、1910年代中頃の日本で良く知られていました。とりわけ舞踏のセンスを高く評価されており『浮世の荒波(La fièvre de l’or, 1912)』や『亂菊の舞(La misteriosa, 1916)』といった作品がしばしば代表作に挙げられています。

キャリアのピークが1910年代中盤だったこともあり当時物の紙資料が手に入りにくい女優さんでもあります。サイン物を探し始めてからかれこれ10年が経過。正直諦めかけていたのですが先日、戦前の仏コレクターの私蔵品がばらされた中に直筆メッセージ入りの写真を見つけました。アンリ・マニュエル写真館による撮影で1910年代中盤と思われます。

愛しの君に/スタシア
A toi que j’aime / Stacia

経年で流れている個所が目立つものの文字自体ははっきりと読み取ることができます。メッセージには「je t’aime(貴方を愛しています)」が間接的に含まれており、彼女にとって身近な、親交の深い人物(交際相手だった可能性も有り)に宛てて送られた特別な一枚になっています。

ちなみにこのコレクターは他にもナピエルコウスカ関連の写真、ロビーカード、35ミリフィルム断片を多数所蔵していました。メッセージ入り写真の他に舞踏風のポーズを取った銀塩写真2種を今回プライベート・コレクションに加えています。

[IMDB]
Stacia Napierkowska

[Movie Walker]
スタシア・ドウ・ナピエルコウスカ


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