「9.5ミリ 個人撮影動画・日本」より
昭和6年11月21日、夫婦塚の畑の中に発見された亀裂は、日を追って両側に伸びるとともに、その間隙を増し、西方では仏生堂の東麓・馬ノ背を通り29日には亀の瀬トンネル内西口付近に亀裂・変形が現われ、ついに大和川にまで達した。[…]
同時に大和川河床も1月下旬より隆起し出し、2月中旬一部で2m、3月中旬には5~6m、6月末には9mもの隆起をみ,加うるに移動地塊のため、大和川は閉塞され、おりからの出水期と重なって、水位は高まり、上流部では約5mもせき上げられ橋は水中に没し、田畑は冠水し、民家は多数浸水するなど大きい被害を出した。[…]
2月中旬にはトンネル中央部に陥没穴が生じるなど、トンネルの再使用は不可能となり、鉄道は地すべり地をさけて、対岸に路線を移し、現在の状況となっている。したがって、永い間、旅客は、地すべり地の両側、亀の瀬東口と亀の瀬西口の両駅1.3kmの間を徒歩連絡していた。
「亀の瀬地域の地すべりについて」高田理夫
(『地すべり』 第1巻第2号、1964年、地すべり総合研究会)
昭和6年(1931年)終わりから翌年の初頭にかけ、大阪府柏原市に位置する亀の瀬で発生した大規模な地滑りの様子を記録した個人撮影動画。
「寒霞渓/動物園/地スベリ」と題された100メートルフィルムの後半約40メートル程に当たり、コマ数で言うと5000程度、字幕を含めて6分の内容になっています。
奈良県との県境にほど近い亀の瀬は地形や地質などから地すべりが起こりやすい場所として知られており、明治期、昭和初期、昭和中期と3度の被災が確認されています。中でも昭和6年の地すべりは最大規模のもので、住宅や井戸、橋や路線など様々な生活インフラに大きな影響を与えました。



動画は地すべりが最初に確認された夫婦塚付近の亀裂から始まります。崩落した斜面、川底の隆起した大和川などが映し出されていきます。



地盤のずれで建造物に被害が及んでいる様子。自然の力をまざまざと感じさせる映像です


トンネルを迂回する形で作られた徒歩連絡路の案内図。「約13町」は1.4キロメートル相当、冒頭に引用した高田論文の「地すべり地の両側、亀の瀬東口と亀の瀬西口の両駅1.3kmの間を徒歩連絡していた」と対応します。





動画の後半は汽車に乗って移動しながら撮影された映像です。トンネルが被災し使用できなくなったため、川の南側に迂回ルートを設置して亀の瀬の東口と西口を結んだそうです。動画では撮影者が実際に汽車に乗車し、川沿いの風景を記録した映像が含まれています。
現在この一角では最新の地すべり対策が施され、地盤の変動は最低限に抑えられています。亀の瀬地すべり歴史資料室には当時の様々な資料が保存されており、見学会なども開催されています。オンラインでも当時の地すべりの様子を伝える資料がまとめてありました。

昭和7年1月から3月、多い日には一日2万人の見物客が亀の瀬地すべりを観ようと押し寄せました。亀の瀬では紅白幕をめぐらした”野天カフェ”が出現し、地すべり寫眞の絵ハガキも販売されるなど、地すべり見物ブームが起こりました。
「亀の瀬地すべり対策事業」紹介パンフレット
(国土交通省近畿地方整備局大和川河川事務所)


国土交通省に属する大和川河川事務所が作成した資料にこんなエピソードが紹介されていました。転んでもただでは起きぬ、自然災害をビジネスチャンスに変えてしまうたくましさが伝わってきます。動画でも列をなして通路を渡っていく見物人や駅方向に歩いていく観光客を見て取ることができました。またこの記述から撮影時期は災害発生直後の1931年末ではなく、翌1932年初頭と考えて良いのだろうと思われます。