映画史の館・ドイツ & 8ミリより



Das Cabinet des Dr. Caligari : Mord in Hypnose &
Das Cabinet des Dr. Caligari : Das Ende des Mediums
(1970s East Germany DEFA super 8 Print)
東独DEFA社による『カリガリ博士』ダイジェスト版2巻物。カタログ番号246と248に当たるものでそれぞれ『催眠術の殺人(Mord in Hypnose)』『霊媒死す(Das Ende des Mediums)』と題されています。
『催眠術の殺人(Mord in Hypnose)』












『霊媒死す(Das Ende des Mediums)』












第1巻、第2巻ともにコントラスト、解像度のバランスの取れた良いプリント。若干左側のトリミング幅が大きいため、本来構図の中央にあるべき被写体が寄っていたり一部左端が見切れていますが内容理解に差し支えるほどではありませんでした。
あの映畫を凝視して居ると、ひとりでに自身の魂があの映畫に吸ひ込まれて狂的な舞踊を演じて居る。
「表現派藝術としてのカリガリ博士」 小生夢坊
(『活動倶樂部』 1921年7月号)
独逸表現派の映畫劇『カリガリ博士の筥(はこ)』は大正活映によつて提供された『マンクスマン』と共に一九二一年度に於いて特記さるべき映畫であると言へる。[中略] 威大なる作品が漸く上映されるに臻つたのは蓋し悦ぶべき現象である。
『マンクスマン』はその内容美に於て、『カリガリ博士の筥』はその映畫的樣式に革命的新窓を拓ける點に於て。
「童馬漫筆 新映畫徒然草」 泉春樹
(『活動倶樂部』 1921年7月号)
日本では1921年(大正10年)5月14日キネマ倶楽部にて初公開。『活動倶樂部』の7月号にリアルタイムの反応を幾つか見ることができます。皆がみな好意的な評を寄せている訳ではありませんし、言葉の選び方も手探りで的を外した感想も目立ちます。だからこそより一層、観る者たちの価値基盤が揺るがされていた当時の雰囲気が伝わってくるとも言えます。ハリウッド一強になりつつあった映画史に投じられた一石が美学、技法上の激震波をもたらし、様々な余波や地殻変動を引き起こしていった流れはご存じの通りです。
[IMDb]
Das Cabinet des Dr. Caligari
[Movie Walker]
カリガリ博士