1929年頃 映画と演藝展覧会 松井千枝子/浜口富士子/瀧花久子ほか

先日、珍しい形の寄せ書きを見つけました。写真面は松井千枝子さんで直筆サインあり。裏面には「映画と演藝展覧会記念」の円いスタンプが押されています。同じ面に俳優3名のサイン、その内二つは浜口富士子さんと瀧花久子さんでした。

この御三方はすでに直筆物を紹介していて新しい発見はないのですが、浜口富士子さんと瀧花久子さんの間に今迄見たことのないサインが含まれています。

初見では誰のサインか分からなかったです。こういう時はサインを指先で撫ぞって繰り返しトレースしていくと漢字が浮かび上がってきます。

光岡龍三郎氏でした(右の写真は1927年東亞作品『逆轉』より)。


本名は中澤喜一、明治三十四年三月廿五日出生す。北海道凾館尋常小學校を經て寶高等小學校を卒業の後爾後自修す。實兄葛木香一俳優生活をなせるに見倣ひ自己も俳優生活に志し、十七歳の時初舞臺を踏む。久しく森操に師事し約二ヶ年修行、後地方巡業に應ず。大正十三年等持院撮影所に入りて映畫俳優に轉じて今日に至る。目下等持院撮影所は東亞キネマ京都撮影所と改稱され、同所幹部俳優となり時代劇第一部の立役で主演を勤む。主演映畫「劍難女難」「劍難悲記」「黎明の大江戸」「森の石松」「鳴門秘帖」(全七篇)「中山安兵衛」「一心太助」「王政復古」「阪東侠客陣」「大岡政談」「礫」「宮本武勇傳」等々列記したら數知れずの程ある。身長は五尺五寸、體重は十七貫五百匁。趣味は讀書、劍術、野球、角力。嗜好物は菓子、酒、果物。抱負として語る「映畫俳優として僅かに數年をすごせるのみにて主演俳優となりしも未だ自己の抱負の萬分の一をつくす能はず、眞の活動は今後に在りとい信ず」現住所は京都市上京區一條町三十四。


『日本映畫俳優名鑑』(1928年7月、映畫世界社)


『キネマ・スターの素顔と表情』(1928年)では「百姓の樣な顏」と散々な言われ様でした。野性味のあるゴツゴツしたシルエットは時代劇にとても映えますし一定数の支持者がいたのは容易に予想できます。東亞を初期から支えた印象が強いのですが1920年代末に日活に転社、浜口富士子・瀧花久子さんの同僚になっているためその時期の一枚ではないでしょうか。

[JMDb]
光岡竜三郎

[IMDb]
Ryûzaburô Mitsuoka