齣フィルムより
2021年に齣フィルムの最初の塊を入手した際は邦画の枚数が少なかったため特定作業までは行いませんでした。今回、追加した分に高尾光子さんだと分かる一枚が見つかったため、そちらを出発点に作品の同定を行っていきます。
まず第一の作業として厚紙の枠を崩して齣フィルム全体を裸にし、染色(調色)のパターンから同一作品と思われるフィルムをまとめていきました。その結果最初の一枚と同じタイプの齣が他に少なくとも三枚見つかりました。
この齣には3名の俳優が登場。右側に母親役と見られる年配の女優、左に少年と思われる子役俳優が見えます。また、やや分かりにくいのですが少年の向う側にもう一人いて髪の毛だけ見えています。
長い髪をお団子にまとめているもので、一枚目の高尾光子さんの髪型と一致。ふすまの作りを含め、同じ一連の流れに含まれているフィルムだと断定できます。
齣フィルム二枚目の右側、やや険しい表情を浮かべている母親役女優。1910年代後半の神田劇場で連鎖劇に出演し人気を博し、その後20年代前半に松竹で母親役を多く演じていた米津左喜子さんだと思われます。高尾光子さんとは1923年の『宮城野の孝女』『噫無情』『大東京の丑満時』『天を仰いで』から1924年初めの『子供の世界』『無花果』で共演した記録が残っています。
こちらも同じ作品からの一コマ。肩を寄せ合いながら畦道を歩いている女の子二人を背後から撮影したものです。背格好から判断すると左側、髪を背後に垂らしているのが高尾光子さん。もう一人、右側のおかっぱ少女は米津信子さんでなかろうか、と。先のフィルムに登場した米津左喜子さんの娘に当たり松竹でも短期間子役で活動していました。高尾光子さんとは1923年の『宮城野の孝女』『忍術ごっこ』『噫森訓導の死』『天を仰いで』で共演しています。
高尾光子、米津左喜子、米津信子の三者は『宮城野の孝女』『天を仰いで』(いずれも松竹蒲田・大久保忠素監督作)で共演。今回入手したフィルムはこのどちらかではないかと予測を立てました。
宮城縣名取郡六強村、針生辰五郎長女靜枝は、十二歳の時、同村小學校の五年生であつたが、乳癌に罹りし母まつの病氣囘復を祈る爲め、仙臺市東九番町向正寺に立籠り、酷寒の夜中に水垢離を取りつゝ、二週間の寒行をなし、尚ほ自宅より一里餘の觀音堂に丑の刻參りをした。
此の事村長の知る所となり、郡長に對して表彰の上申中であり、松竹キネマ會社は之を活動寫眞に撮影して一般に紹介するといふ事が、萬朝報の去る三月十日の記事に『宮城野の孝女』として掲載せられてゐた。
「幼女の篤孝」
『新井石禅全集 第10巻』(1930年、新井石禅全集刊行會)
3枚目の写真、二人の少女は学校帰りという感じではないんですよね。遊んでいる訳でもなければ畑作業をしているでもない。一体何をしているのかな、と。ヒロインの少女が家族関係に絡んだ特別な動きをする物語と見るなら『宮城野の孝女』の可能性が高そうです。
この仮説が正しかったとすると他の齣で幾つか対応するものが出てきます。上の字幕は現時点では元作品不明で浮いている一枚。「母」「孝行」といったテーマを見て取る事ができます。
もう一枚染色(調色)の感じが近い齣です。窓口の女性に男性二人が何やら話しかけている場面。窓口には「受附(受付)」の文字。これって病院の受付ではないでしょうか。「乳癌」にかかった母親を見舞いに行って…といった展開が考えられます。中央の女性が首元までピッチリ留めた白い制服姿で、ナースキャップをかぶっていると見れば色々と辻褄があってきます。
さて、ここまで絞りこんだところで仮説の検証に入ります。公開時(1923年秋)の劇場パンフレットが見つかったのでこれから取り寄せてみます。はてさて、答えあわせの結果や如何に。
【4月30日追記】
1923年9月12日付の「チトセ・ウィークリー」が届きました。先日お話しした『宮城野の孝女』が千歳劇場で上映(9月11~17日)された時のプログラムです。写真があれば…と期待していたのですが配役と粗筋のみ。それでも色々発見がありました。
先ず一点、配役予測を読み間違えていたと判明。『宮城野の孝女』の物語は上で触れた通りですがヒロインの「孝女すゞえ」を演じたのは高尾光子さんではなく米津信子さんで、すゞえの母まつの役に米津左喜子さんが配されている形です。
仮説の検証としては×に近く「同時期の別作品を当たってみよう」と思った所で何か引っかかりました。『宮城野の孝女』で高尾光子さんは「地主の娘」を演じています。その母親役(=地主の妻)を演じていたのが三浦茂子という女優さんでした。作中に高尾光子さんを含めた母子の場面はあるようです。
三浦茂子…どこかで聞き覚えがあるなと調べたところ、大正11年(1922年)の写真が見つかりました。


人の顔は角度や一瞬の表情で印象を大きく変えます。それでも顎から耳元にかけての曲線であるとか、目を細めた時の黒目の感じなど同一人物であってもおかしくない気はします。
高尾光子(すゞえ)と米津左喜子(まつの)が登場していると予測した当初の仮説が誤りで、高尾光子(地主の娘、あるいは別作品での子役)と三浦茂子(地主の妻あるいは別作品での母役)が写っている可能性もあるのかな、と。
ちなみに「三浦茂子」は1920年代新劇を支えた名女優、伊沢蘭奢さん(1889-1928)が松竹映画に脇役で出演した際の芸名。舞台化粧中の写真は死後出版となった『素裸な自画像 : 伊沢蘭奢遺稿』に収録されている一枚です。
こんな所で見かけるとは思ってもいなかった名前が出てきました。
1920年代前半の松竹を中心に活動していた映画女優「三浦茂子」と新劇女優として華やかな注目を浴びた「伊沢蘭奢」は必ずしもイコールではなくて、前者はあくまでも生計を立てていくための副業、そして舞台女優としての経験値を積む途上の一時的存在だったのだろうとは思います。『宮城野の孝女』についても現在の伊沢蘭奢の映画出演リストには含まれておらず、出演の事実そのものが忘れ去られた状態になっていました。
今回の高尾光子さんの出演映画に関しては齣フィルムの数が4~5枚しかなく、母親役が写っているのは1枚だけ。現時点ではまだ情報不足の感があります。高尾光子さんと三浦茂子/伊沢蘭奢さんが親子役で共演した記録があるとインプットしつつ、もう一度仮説を組み立て直していくことにします。何やら面白くなってきました。