

Mid-late 1910s Nikkatsu Nikoscope 35mm Projector Promotional Leaflet
日活がまだ日本活動寫眞株式会社として活動していた1910年代中盤~後半に製造・市販していた35ミリの家庭用および教育用映写機「ニコスコープ」の販促用チラシ。
折り畳んだ状態でのサイズは横9.5×縦19.5センチ。開くと6面の構成になっていて、左の2面が英字案内の表紙+本文それぞれ1頁、右の4面が日本語案内の表紙1頁+本文3頁となっていました。
スペック表は付されていませんが、本文の記述をまとめていくと:
- 大きさ:約38×38×24 センチ
- 重さ:11.3 キログラム
- 対応電圧:100 ボルト
- 対応電流:直流/交流両用
- 対応フィルム形式:35ミリ
- 対応フィルム長:300メートル/1000フィートまで
- 希望小売価格:65円
となっています。光学系は不詳ながら最大で巾1.8メートルまでの映写に対応している記述がありました。
日活が映写機を作っていたという話は初めて聞きました。日活の社史『日活五十年史』を紐解いてみても、映画の制作および配給を起点に成長を続け、その後不動産業やホテル業に業務拡大した流れが触れられているだけで初期に映写機の製造・市販を行っていた記述は見られません。
日本活動寫眞株式会社として会社が設立された時の登記を見ると、業務内容の一番目に「活動寫眞フイルム及映寫撮影機一式竝ニ附属品類一式製造販賣」とあります。早い段階で放棄されたもののソフト面だけではなくハード面を手掛けていく方向性は確かにあったようです。
チラシには映写機の発売時期を示すデータが載っていません。唯一のヒントが表紙に残された実用新案の表示。実用新案第35239番の技術が使用されています。
実用新案第35239番は「幻燈及活動寫眞用電燈筐」となっています。ランプハウスの改良でサイズの異なる金属製円筒二つを噛みあわせる構造になっており、排熱に考慮した工夫が凝らされています。
考案者の近藤輔宗氏は明治期~戦後に活動していた工業畑の実業家。1904年(明治40年)に日本製鋼所が設立された際の日本側の発起人および重役の一人でもありました。表立って名こそ出てはいなくとも同氏が一部開発に関わっており、日活が人脈や資金を駆使し開発に取り組んだ映写機であったと見ることができます。
実用新案の出願と登録が1915年前半、映写機そのものも戦中期の1915年~17年頃に市販されたと見て良いのではないでしょうか。現時点で何処にも所蔵記録はなく、文字や画像を含めて他に情報が一切見当たらない幻の映写機となっています。