アニタ・スチュアート (1895 – 1961) 米

サイン館・合衆国/カナダ/オーストラリア より

Anita Stewart c1920 Inscribed Photo

生地獨逸ポツダム市、同地に於て高等教育を受けて後劇界に入り、間もなく歐洲戰爭に出征、平和克復の頃映畫界に志した、デクラ・ビオスコツプ會社に入り『カリガリ博士』『孟賈の一夜』等に出演、後カルル・ウイルヘルム映畫會社に入り、その後オスワルド映畫會社ゼレビイ映畫會社を經て目下フーザル映畫會社作品に出演す。劇『カリガリ博士』『孟賈の一夜』『世界の眼』(宛名目下不明)

『俳優名鑑 大正11年度』
(キネマ同好会、1922年)


映畫に於ける嬢はその天分を速かに示した點で、クリフォード嬢と比較される。全く嬢の名聲は矢のやうに早く擴がつた。それには、次のような機會があつたのである。ラルフ・インス氏といへば、ヴァイタグラフ會社の重役で且つ撮影監督である事は、誰でも知つてゐるが、そのインス氏は嬢の義兄になつている。氏の夫人が嬢の姉なのである。(一説に嬢は氏の姪だとも云ふが、何れにしても親族關係がある事は事實である)インス氏は常にこの天才的な義妹を持つていゐる事を友人たちに誇つてゐた。そして何時とはなしに、ヴァイタグラフ會社の舞臺で藝を仕込んだ。仕込まれると、嬢自身も一度カメラの前に立つて見たくなつた。そこで、先ず最初の六箇月間だけは端役を演じ、一千九百十二年十一月、その第一回の主演劇として「ウッド・ヴァイオレット」を撮影した。續いて數本の映畫を作つたが、同社の特作品たるブロードウェイ特作映畫が創作されるに當つて嬢は選ばれて主役を演じ、益々名聲を昂めるに至つた。「萬雷」「二人女」「大破壊」「呪の列車」「探偵の娘」「銀彈」などは本邦に輸入されたものゝ中でも、特に印象の深かつたものである。目下はファースト・ナショナル會社に勤めてゐる。

「アニタ・ステュワート孃」
『活動名優写真帖』(野村久太郎 編、玄文社、1919年)


エラスマスホールに教育を受けヴアイタグラフ社に入り米國斯界美人投票に勝利者となりたる程人氣を得多數の主演映畫を殘し第一國際社と映畫製作の契約をなし已に數本完成。本邦上場映畫『乙女フイリツパ』其他

「アニタ・ステワート孃(一八九六年ブルツクリン市生)」
『世界活動写真俳優名鑑』(森富太 編、活動評論社、1919年)


一八九六年紐育州ブロツクリン市生、エラスマス女學院出身、音樂の名手として知らる。映畫界はラルフ・インス氏に依つてヴ社に入り數年在社の後自社を起し第一國際社に轉じて今日に至る。劇『羊飼ふ乙女』『誓の白薔薇』『煉獄』『運命の人形』外數種。(髪光澤眼褐色、宛名 Anita Stewart Productions, 6 West 48th St., New York City.)

「アニタ・ステワート孃」
『俳優名鑑 大正11年度』(キネマ同好会、1922年)


1910年代中盤~後半にかけて米ヴァイアグラフ社の花形女優として人気を博したのがアニタ・スチュワートでした。

1915年から1916年にモーション・ピクチャーマガジンが実施した人気投票では150万票を獲得して全体で10位(女優のみでは5位)、また部門別の「美人若手女優」で1位となっています。3年後、1918年に同誌で開催された人気投票では7位に順位を上げていました。次々と若手女優がデビューし入れ替わっていく業界では異例の支持の高さで、メアリー・ピックフォード、パール・ホワイト、マーガリット・クラーク、セダ・バラと並ぶこの時期の女優五傑に位置付けることができます。

ヴァイタグラフ社の1913年喜劇短編『同級生の悪ふざけ(The Classmates Frolic)』
フローラ・フィンチ(一番左)が意地悪な年配女性教師に扮し
若手女優扮する女学生たちの悪戯に振り回される顛末を描いた一作。
一番右がアニタ・スチュワートでその左にリリアン・ウォーカー、中央にエディス・ストレイ

1915年『呪の列車』。アニタ・スチュワートは明治中頃(1890年代)の女性と
その娘、大正中期(1910年代)の女性の二役を好演

1919年『ヒューマン・デザイアー(人として欲す)』
ヴァイタグラフ社から独立、自身の名を冠したプロダクションを設立した頃の一作

1927年の連続活劇『沈没金の島』現存リールより。

1910年代末にヴァイタグラフ社との関係が悪化、自身の名を冠したプロダクションを立ち上げた辺りから人気に陰りが見え始めるように。20年代になると特筆すべき出演作を残せず流れに埋没してしまった感は否めません。

若くして人気のピークに達するも大人の女性を演じる女優へと脱皮できず忘れられていった例は古今東西あるもので、アニタ・スチュアートも例外ではありませんでした。ただ、彼女の女優キャリアはヴァイタグラフ社の躍進と連動しその原動力になっていたと思いますのでもっと評価されて良い気はします。

サイン物を入手するのは2回目、今回は短いメッセージが添えられています。同時に紹介しているユーラリー・ジェンセンと同一人物の旧蔵品で、一般のフアンではなく1910年代に縁があった顔見知り女性に送られた一枚です。

[IMDb]
Anita Stewart

[Movie Walker]
アニタ・スチュアート