映画史の館・日本 より


帝國キネマ演藝株式會社は大阪市南區町鹽町通四丁目四三にあつて、スタデイオは大阪市外小阪にある、撮影所としては舊るいがグラス・スタデイオはない、舊劇の方は嵐璃德、片岡仁引、澤村百々之助 [原文ママ] 、尾上紋十郎、阪東豊昇、嵐笑三、市川好之助、中村翫三、常盤松代、潮みどり、松枝鶴子、津守玉枝、衣笠みどり、三笠萬里子氏等、芦屋派と稱する新派には松本泰輔、小兒洋々 [原文ママ] 、高堂国典、五味國男、里見明、濱田格、横山隆二、歌川八重子、小池春枝、瀨川つる子、久世小夜子、柳まさ子、尾崎靜子、澤蘭子、鈴木信子氏等、俳優は出來るだけ多數に集めて置てその中から有望なのを選びだすのか、男女優の數の多いことでは松竹キネマに次ぐもので、出入も斷へ間がない。
『映画及映画劇』 寺川信 (大阪毎日新聞社&東京日日新聞社、1925年5月)
帝キネは個人的な鬼門に当たっています。当時物資料が入手しにくいのに加え、作品を実際に見た事がないため俳優の名前と顔が一対一対応しておらず随分と苦労している覚えがあるのです。
今回、同社が帝キネ騒動を経て三社に分裂する(1924年末~1925年初頭)以前の集合写真をあしらった絵葉書を2枚手に入れることができました。一枚は芦屋の現代劇部、もう一枚は小阪の時代劇部となっていて、澤蘭子さん入社(1924年5月)より少し前の帝キネ主要メンバーを見ることができます。
この内芦屋の現代劇部については関西大学文学部教授の笹川慶子氏によるオンラインサイト「帝キネ」で同一の写真(上下左右のトリミング幅が若干異なっています)が公開されています。東映太秦映画村が所蔵している資料の一部で、撮影年月日が1924年3月となっています。
同サイトによると、写真に写っているのは
上右より濱田格、高堂国典、松本泰輔、里見明、小島洋々の男優5名
下右より若葉みどり、花形日出子、玉置みち子、小池春枝、尾崎静子、桜あや子、歌川八重子、久世小夜子、鈴木信子、柳まさ子、芦辺高子の女優+子役の11名とされています。
このうち「花形日出子」についてはJMDbでは「花形百舎子」、1924年出版の『映画新研究十講と俳優名鑑』では「花形百合子」とされている女優さんです。また前列左端の老け役専門の女優は「芦辺高子」とされていますがこの名の女優が実在した記録はなく、伊藤大輔監督の『酒中日記』にも出演していた「岸邊富江」が正であると思われます。
小阪撮影所の時代劇・旧劇部については他に同一写真を扱っている所はありませんでした。自力で特定作業を行った所、以下の12名が写っていると判明しました。
後列左より片岡仁引、嵐笑三、阪東豊昇、嵐璃德、市川百々之助
前列左より二葉菊子、山下澄子、松島文子、衣笠みどり、潮みどり、松枝鶴子、椿恵美子
この内松島文子さんは1924年3月6日公開作「遠山桜・前篇」、山下澄子さんは同年3月20日公開作「お夏清十郎」でデビューしているのですがJMDb等にはクレジットされておりません。