ビリー・ダヴ Billie Dove (エヴェリン・ホワイト嬢旧蔵サイン帖 07)

エヴェリン・ホワイト嬢旧蔵サイン帖 & サイン館・合衆国/カナダ/オーストラリアより

Billie Dove c1928 Autograph

ビリー・ダヴ孃は一九〇三年五月十四日紐育市で生れ、同市の私立学校にて教育課程を修了す。僅か十四才にして繪畫モデルの名を馳せ、十六才にしてジークフエルド・フオリーズ團の首腦となる。十九才で銀幕の名聲を求め聖林にやってくると、コンスタンス・タルマツジ主演の映畫『踊り子懐し』で助演を果たした。嬢は若くして人として完成されており、藝術を深く嗜み、手空きの時間には何時でも立派な馬を乗り回している。また水泳と舞踊にも秀でてゐる。一連のメトロ映畫社で助演を務めており、いつか自身でも主演を務めたいと望んでいる。小柄で體重は十四貫しかなく、身長は五尺四寸五分で鳶色(とびいろ)の髪と目を有する。

『銀幕著名人録』(ジョージ・H・ドーラン社、1925年)

BILLIE DOVE was born in New York City, on May 14th., 1903, and received her education in private schools in that city. When but 14 she won fame as an artist’s model and at 16 was prominently cast in the Ziegfeld Follies. When 19 she was headed for screen stardom and arrived in Hollywood to play a featured role in Constance Talmadge’s picture “Polly of the Follies”. She is an accomplished young woman with highly artistic tastes and can be seen cantering about on a magnificent horse whenever she is at leisure. Miss Dove also is a splendid swimmer and dancer. She has appeared as a featured player in a series of Metro pictures and bids fair one of these days to be starred in her own right. She is a dainty little miss weighing but 120 lbs., while she is 5 feet 3 inches in height and has brown hair and brown eyes.

Famous film folk; a gallery of life portraits and biographies(
(New York; George H. Doran company, 1925)


好かない男ジヤツク・ホルトの「放浪の砂漠」を見た人は殘らずビリー・ダヴの美しさを讃えた。ダグラスの例のテクニカラー映畫「黑海賊」に接した人は、いよいよダヴは美しいなと驚いた。それから昨年の夥しい數のダヴ主演の映畫の連發だ。曰く「紅草紙」曰く「感傷の秋」曰く何、曰く何、と見物はダヴの「美」には眩惑されたかの觀をさへ呈してしまつた。しかし「美」のみがダヴの身上では、少なくとも現在では、斷じてない。彼女には實は琢磨すれば燦然たる光輝を放つべき『藝の素質』があつたのだ。それが今發揮されたのだ!將来恐るべき美人女優。

『日本映画年鑑 昭和二年昭和三年 第四年版』
(朝日出版社、1928年4月)


私の役がビリー・ダヴ孃に愛慾を感じて飛付く場面です。其前に總督の殺される場面があつて、私が『人に言つては不可ない』と叫びながら迫ります。さうするとビリー・ダヴ孃が、總督を殺したナイフで私を突刺します。 […] 彼女に刺されるとドジに、身體に纏ひ付いた儘落ちるところです。だが前に机があるので、肩から巻いた腕がずるずる辷つて、彼女の細腰の邊りに巻きついた儘-相當長い時間、彼女の細腰に顏を押當てゝゐなければならなかつたのは、實に惱ましいものでした。 殊にあの女優は綺麗な點では世界一と云はれて居ますし、それを何度も何度も撮り直しをさせられたので、實際まいつてしまひました。

『素顔のハリウッド』 上山草人
(実業之日本社、1930年)


『放浪の砂漠』(1925年)

1910年代にジークフェルド・フォリーズで名をあげた後、1921年に映画デビュー。後に夫となるアーヴィン・ウィラット監督の一連の作品(『怒涛の裁き』『荒野の放浪者』)で知名度を上げていきます。

『黒海賊』(1926年)

転換点となったのはフェアバンクス主演の大作『黒海賊』での姫君役への抜擢でした。カラー技術の試行錯誤の一環で行われていた2ストリップカラー方式で製作されたもので、ビリー・ダヴの名が国際的に認知される大きな第一歩となりました。その後エディ・カンターの初主演長編『猿飛カンター』でクララ・ボウ等と共演するなどトップ女優の位置を不動にしていきます。

『ブロンディ・オブ・ザ・フォリーズ』(1932年)

ウィラット監督との離婚(1929年)後、大物プロデューサーハワード・ヒューズが熱烈なアプローチを仕掛け、一時期は婚約までしたものの最終的に関係を解消、程なくして1932年の『ブロンディ・オブ・ザ・フォリーズ』を実質的な引退作として映画界を退いています。

サインは「エヴェリン・ホワイト嬢へ」の宛名が付されたもの。大文字「D」を一筆書きし最後右下から右上へと跳ね上げる手癖が特徴です。

[IMDb]
Billie Dove

[Movie Walker]
ビリー・ダヴ