大正10年(1921年)『活動花形改題 活動之世界 7月号:海の美人號』

表紙
映画雑誌の先駆けとして知られる『活動之世界』は1919年に廃刊となっています。大正10年(1921年)7月号の文字を見つけた時は二度見しました。「活動花形改題」?

この年、『活動花形』誌の編集体制が変わります。同誌を立ち上げた富田孝久氏が経営を退き、友人の齋藤芳太郎氏が社長に就任。

曾て大正五年一月より「活動之世界」を發刊せられたる井出正一氏と、井出氏の逝去の後井出夫人鈴木百合子氏に依りて繼續せられた活動之世界が、幾何もなくして廢刊の悲運に遇ひ、其後鈴木氏は映畫説明者の第一人者生駒雷遊氏に嫁したる爲め、再び活動之世界の出現を見る能はざるを遺憾とし、此處に活動之世界と改題した次第であります。

(「花形改題大發展に就きて」齋藤芳太郎)

井出氏元夫人で、すでに業界を離れていた鈴木百合子氏に許可を取った上での改題だったようです。意地悪な見方をするとブランド価値が残っている時点で名を乗っ取った展開ですよね。生駒雷遊との再婚話も含め、当時の映画雑誌業界の裏舞台が透けて見える興味深い内容です。

雑誌は「海の美人號」と題され水着姿を中心としたグラビアが前半1/3程を占めています。ミルドレッド・デイヴィスやノーマ・タルマッジ、マリー・プレヴォストなど現在でも名前が知られている女優たちが登場。ダグラス・フェアバンクスとの共演で知名度を上げていったアイルランド系のアイリーン・パーシーの顔も見えます。

記事では齋藤芳太郎氏による決意表明「花形改題大發展に就きて」、ヴァイタグラフ社の沿革紹介、ドイツ映画界の注目すべき女優紹介「正直なレンズ」、井上正夫主演『寒椿』作品評、読者による人気投票の中間発表が目を引きます。

映画を読み物化したコーナーには『陸軍のパール』『喘ぐ靈魂(ボディ&ソウル)』『寒椿』『甲賀伊賀守』の4作を収録。1921年はパール・ホワイト人気に陰りが見え始め、連続活劇から離れていた時期に当たります。愛好家が物足りなさを覚えているタイミングで唯一日本未公開だった『陸軍のパール』が封切られ盛り上がったようです。『甲賀伊賀守』は松之助の後期作で脇を固めるのは片岡松燕、長正、嵐瑠珀、大谷鬼若ら馴染みの役者たち。

呪文を稱へると二人の體は宙を飛んで今しも渡船を上つて意氣揚々として來かゝる團野逸平の行手を擁し忍術の極意を見せて奇々怪々の現象を演じ出し散々に逸平等を惱ました。

(『甲賀伊賀守』)

個人的な収穫は鈴木笛人氏による「独逸映畫界の今日此頃」でした。ハリー・ピール監督活劇『天馬』への言及を見つけました。

『天馬(てんば)』(ヴァイタスコープ社の作ルドウイツヒ・トロウトマンの演じたブラウン、探偵劇の中で最も成功したものです。戰前独逸探偵活劇の隆盛は此の映画の出現に依つて初まりました。)此の映畫程客を呼んだ映畫はありません。餘り頭腦の明晰でない-と云つては失礼かも知れませんが事實だから仕方ありません-活動屋さんも、此の『天馬』のことだけは末に記憶して居ます。そのブラウン探偵事トラウトマン氏は現在自社を設けて居ます。

『天馬』は『松竹8mmライブラリー 日本映画史 前編』に抜粋が収められていました。『ジゴマ』から数年遅れて人気を博した作品ながら、『活動之世界』や『キネマ旬報』創刊前の公開作のためリアルタイム評がなく原題すら分からないままでした。鈴木氏の記述を元にすると1914年の「ブラウン・ビースト(Die braune Bestie)」でほぼ間違いないかな、と。

また同氏は1914年の帝國館でスチュワート・ウェブス探偵劇を見ています。

丁度、ブラウン探偵の全盛期、ブラウン探偵の向こうを張つて、ウエツブ探偵といふのが現はれました。『地下室』と云ふ題で大正三年の夏頃帝國館で見た記憶がありますが、此のウエツブ探偵劇は『ヴエリタス』の作者ヨーエ・マイ氏コンチネンタル・クンストといふ會社-勿論、現在は此の會社はありません-に居た時書いたもので、主人公ウエツブ探偵は其の頃フランクフルトの新劇場に居たエルンスト・ライヤー氏でした。

此のウエツブ探偵は現在でも大活躍をやつて居ます。そしてライヤー氏は自らスチアート・ウエツブ映畫社を起し、最近では『大盗賊』六巻を完成しました。

(「独逸映畫界の今日此頃」鈴木笛人)

アスタ・ニールセンの『女ハムレット』が高く評価され、注目すべき新進女優にエルナ・モレナが挙がっています。第一次大戦によって独映画の輸入が途絶え情報がなくなっていたところに戦後、ドイツ映画再発見の動きがチラホラと。ウーファ社大作路線や表現主義でドイツの存在感が増していく前の段階ながら、すでに鋭い愛好家は「次に来るのはドイツ映画」と予感していたのでしょう。

他にも『カマルグ王』で触れた仏パテ社作品『戀のスルタン』寸評が含まれているなど、国籍を問わず良い作品が次々と紹介されていく勢い、活気が雑誌に漂っています。いつ頃まで続いたのか定かではないものの、新生第一号は『活動之世界』の名に相応しい充実した内容となっています。

1928 -『續水戸黄門』(池田富保)10枚綴り絵葉書セット

「池田富保 関連コレクション [Ikeda Tomiyasu Related Items]」 より

袋01
昭和3年(1928年)に公開された日活オールスター作時代劇の販促品。

フィルムは一部現存していてDVD版も市販されています。二回見ていて、最初に見た時はよく分からなかったが正直な感想でした。面白い・面白くない、出来が良い・悪い以前の問題で、何をポイントに見ていいのか掴めないまま終わってしまった感じでした。

戦後TVドラマ版であれば水戸の御老公、助さん格さん等お馴染みのキャラを中心に勧善懲悪の予定調和を楽しむパターンが出来ています。同じ感覚で昭和3年版を見てしまうと外すのかなと思います。

絵葉書は10枚綴り。黄門一行(山本嘉一、河部五郎、尾上多見太郎)を中心としつつ他の役者も大きく扱われています。楠公の場面では久米譲と三枡豊が登場、海賊姿で啖呵を切る傅次郎の隣に梅村蓉子さんの姿があります。チンピラに絡まれているのは伏見直江さんで、酒井米子さんも町娘役で登場。黄門一行に難癖をつけてくる山賊には新妻四郎が扮しています。

当時の観衆もお気に入りの俳優の登場場面を心待ちにしていて一挙一動に盛り上がっていたのだと思います。その意味で典型的な日活オールスター時代劇。今の時点で完全版を見たら最初から最後まで楽しめる自信はあるのですが、この監督ならもっと高いレベルの映画を作る力があったのに、の複雑な思いも混じっています。

エルンスト・ライヒャー Ernst Reicher (1885 – 1936) 独

「ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]」 より

Ernst Reicher Autographed Postcard
2018年末、独サイン収集家のコレクションが大量にオークション市場に放出され一部を入手できました。「忘れじの独り花」のタイトルの下に紹介させていただいたのがそれに当たります。現在自国でも名を知られていない俳優達の直筆も含まれていて、1910年代後半のドイツ映画の風景を再考していく上で興味深い資料です。

このコレクションについて調べていく途中でエルンスト・ライヒャーの名が繰り返し出てきました。1910年代中頃からスチュワート・ウェブス探偵物シリーズの主演を務め人気を博した俳優です。初期作品では『リヒャルト・ワグナーの生涯』(1913)が現存、ライヒャーは狂王ルートヴィヒ役で出演。背の高い美青年振りで当時の人気も納得という感じです。

Ernst Reicher in Richard Wagner (1913)
1913年『リヒャルト・ワグナーの生涯』より

ウェブス探偵物は1914年から29年にかけて製作された一話完結型のミステリー連作でした。総作品数は50に上ると言われています。ヨーエ・マイ監督主導で作られていたのですが、監督(マイ)と主演(ライヒャー)に対立が生じてスタッフが分裂、ヨーエ・マイが同シリーズから手を引きライヒャー自身が監督する形で製作が続けられていきました。

1919年3月30日付ノイエ・キノ・ルントシャウ誌よりスチュワート・ウェッブス社広告
1919年3月30日付ノイエ・キノ・ルントシャウ誌よりスチュワート・ウェブス社広告

ウェブス探偵劇は作品毎にヒロインの代わる形を取っています。登場した女優にはステラ・ハルフ(後にライヒャーと結婚)、テア・ザンドテンマリア・レイコマリア・ミンツェンティエステル・カレナシャルロッテ・ベックリンアリス・ヘシーエヴァ・マイ、マルガレーテ・シュレーゲル、ヘレナ・マコウスカ、グレーテ・ラインヴァルトらの名前があり、新人~中堅女優にとって登竜門的な役割を果たしていました。「忘れじの独り花」で紹介した女優も多くフィアさんだけではなく当時の映画愛好家がこのシリーズを通じて新たな才能を発見していたと思われます。

ライヒャーの人気は20年代から陰りを見せ、30年代トーキーに適応できず表舞台から消えていきました。ユダヤ系だったためナチスが政権を握ると程なくドイツを離れ、滞在先のプラハで1936年に客死。フリッツ・ラングが初めて脚本を書いた作品がウェブス物で、他にも独サイレント黄金期にはウェブス物と接点を持っていた者が少なくありません。ドイツ映画史の起源に興味のある方なら記憶の片隅に留めておいて良い名前かなと思います。

[IMDb]
Ernst Reicher

[Movie Walker]
エルンスト・ライヒャー

[出身地]
ドイツ(ベルリン)

[誕生日]
9月19日

トルーデ・ヘステルベルク Gertrud (Trude) Hesterberg (1892–1967) 独

「ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]」
& エルンスト・ルビッチ関連 [Ernst Lubitsch Related Items]より

Gertrud (Trude) Hesterberg 1917 Autographed Postcard
1910年代初頭から60年代にかけて半世紀の出演キャリアを持つ女優さん。歌や踊りを得意とし舞台出演と映画女優の二足のわらじを履いていました。

キャリア初期にアイドル的人気を得ていた訳ではないものの、俊敏で快活、パワフルなキャラクターが一定の支持を得ていました。その才能に目を付けたのがエルンスト・ルビッチで、探偵劇パロディとして制作・主演した『ローゼントフ事件』(Der Fall Rosentopf、1918年)ヒロインに彼女を抜擢しています。

Der Fall Rosentopf (1918)
フィルムは遺失しており詳細は不明ながら、ポスターに登場するルビッチの手のひらの上で踊る女性の一人(黄色スカート)がトルーデさんをイメージしたとされています。ウーファ・ポスター展の開催時に研究者が指摘していたように1910年代後半ドイツには探偵劇の一大ブームが来ていて、ルビッチもその流れに便乗していた訳です。

サインは1917年のベルリンで書かれたもの。後年のトルーデ(Trude)名義ではなく初期に使用していた本名のゲルトルード(Gertrud)になっています。

[IMDb]
Trude Hesterberg

[Movie Walker]
トルーデ・ヘステルベルク

[出身地]
ドイツ(ベルリン)

大正5年 (1916年) パール・ホワイト主演『陸軍のパール』&エラ・ホール主演『マスター・キイ』仏語小説版

「パール・ホワイト関連 [Pearl White Related Items]」より

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1916年末に公開された連続活劇『陸軍のパール』の仏語小説版。1914年公開『マスター・キイ』と2in1の形で出版されたものです。10冊発売された冊子を合本にしたハードカバー特装版。

パール・ホワイトの連続活劇の流れは1914年『ポーリンの危難』に始まり、同年末から15年の『拳骨』、16年『鉄の爪』、17年『運命の指輪』、18年『家の呪い』へと続いていきます。本作品『陸軍のパール』は『鉄の爪』と『運命の指輪』の間に位置、公開時はかなり話題を呼んだようで、フランスだけではなく日本でも法令館キネマ文庫から小説版(1921年)が出ていました。

肝心のフィルムの大半は遺失したとされており全体像を知ることはできなくなっています。ヒロインが潜水服をまとっているスチル写真が有名であるにも関わらずどのような文脈で登場してくるのか分からない謎多き作品。


連休中に『拳骨』を読んでいる最中でこちらまで目を通している時間はなさそうなのですが、写真やキャプションを追っていったところ:

・前半は『拳骨』と同様に謎の悪党一味(静かなる脅威団 ”Silent Menace”)が登場してヒロインを危地に陥れる
・中盤以降は軍隊との連携が強調されていく
・各章での派手な立ち回りで盛り上げるのではなく大団円に向けた息の長いストーリー感がある
・潜水服姿のパールは最後の決戦の場面で登場
・全体的に愛国主義色が強い

…という特徴は伝わってきました。最後の愛国主義色はアイリーン・カッスル主演の『パトリア』(1917年)と繋がってくる感じでもあります。
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以前から何度か紹介している『ゾーズ・オウフル・レビュー』は第10章のネガを見つけたようで英語で長いレビューを書いています。またアーカイブ・フィルムの名手ビル・モリスン監督によるドキュメンタリー映画『ドーソン・シティー:凍結された時間』で描かれていた「アラスカ国境近くで土の中から発見された大量の35ミリフィルム」に『陸軍のパール』の35ミリ版が含まれているそうです。
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[出版年]
1916年

[出版者]
ロマン・シネマ社(パリ)

[翻案]
マルセル・アラン

[ページ数]
240頁(陸軍のパール) + 288頁(マスター・キイ)

[サイズ]
16.5 x 23.5 cm

] 映画の郷 [ 電子工作部: 百年前の蛇腹カメラにMicro4/3用マウントを組みこんで初期テッサーをミラーレスで使う

この連休に3Dプリンターデビューしました。

設定のシビアさに初日は大苦戦。精神を削られながらも一通りアウトプットまで辿りつきました。連休二日目はCADを使ってデザインした小作品に挑戦。3Dプリンターが音を立て、白い樹脂を積み上げていくと…

一時間半ほどで完成したのがこちらのパーツ。元々1920年頃のICA社の蛇腹カメラのパーツを元にしています。元のパーツには赤窓があり、窓をふさぐための金属製の覆いがついていました。

このIcaretteは初期のやや特殊なモデルで、630判のフィルムとアトム版の乾板どちらでも撮影ができるようになっていました。ガラス乾板を使用する際は裏の蓋を引いて外し、乾板を差し入れて撮影する形になっています。今回はこの部分を3Dプリンタで差し替え、円い穴を開けてミラーレスに丸ごとマウントしていきます。

Icaretteの方は上手くはまったのですがミラーレス側(マイクロ4/3)が微妙にサイズがあわず一旦作り直し。

二回目の出力分は逆にやや甘くなってガタつく感じ。それでも光漏れなどなくマウントすることは出来ました。ミラーレスの電源をオンにすると百年前の初期テッサーレンズ(f=6.5、75mm、シリアル209080)が古風で繊細な画像を返してきます。買い物がてら試写をしてきました。良いレンズですが曇りでこの感じだとフードが必須?再度3Dプリンターの出番ですかね…

米ベル&ハウエル社 57型 16mmサイレント映写機

ベル&ハウエル社フィルモ映写機の初期機種。側面に特許の更新履歴が記録されていて1927年春が最後となっているため27~28年頃に生産された一台と思われます。

発売当初の初期モデルでは土台が円形で映写機が垂直に立っていたのに対し、後期モデルは楕円形の土台を採用し機体を傾けることで独特なフォルムに変わっています。また本体に差しこむ電源プラグの金具が通常の現在の日本と同じ「II」の平行型ではなく、直列「- -」型の規格を採用していました。

1928年に大幅なモデルチェンジが行われ「57-R」「57-ST」の枝番を与えられたフィルモ・マスターが発売、その役目を終えました。米16ミリ映写機のデザイン面ではこの57型と129D型、コダック社のコダスコープB型辺りが頂点ではないでしょうか。

[発売年]
1927~28年

[メーカー名]
米ベル&ハウエル社

[ランプ]
DAG(500W 120V, P46l)

[レンズ]
B&H 2 inch Projection Lens

[シリアルナンバー]
53410