1917-22 忘れじの独り花(21)ロリ・ロイクス Lori Leux (1896 – 1964)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Lori Leux c1920 Autographed Postcard
Lori Leux c1920 Autographed Postcard

彫刻家の父親、オペラ歌手の母という芸術家一家に生まれ育ち、早くから舞台で活躍。「ロリ」という芸名は本名のエレオノーレの愛称から。映画デビューは1914年でしばらくは舞台と映画を同時進行で進めていきます。1920年に制作された7話構成の大作活劇『無名の快傑』に準ヒロインとして登場。同作は日本でも公開されていました。
Lori Leux from doctor Fritz Mendel's Scrapbook
1910年代中盤、舞台で活躍していた頃の雑誌記事より(Fritz Mendel博士旧蔵のスクラップブックより)
Lori Leux in Die Hand der Nemesis (Der Kinobesitzer, 1918-10-05)
1918年の主演作『復讐の女神の手』(Die Hand der Nemesis)紹介記事。リヒャルト・アイヒベルク監督でカール・オーエンと共演。キノ・ベジッツァー誌1918年10月15日付

その後は映画界と距離を置き始め1925年に出演記録が途切れます。戦後、晩年になった1950年代に端役として復帰し6作に出演しました。

[IMDB]
Lori Leux

[Movie Walker]
Lori Leux

[誕生日]
6月23日

[出身]
ドイツ(ベルリン)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Photochemie, Berlin. K.128. Bildnis von A. Binder, Berlin

1917-22 忘れじの独り花(20)リア・レイ Lya Ley (1899 – 1992) 墺

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Lya Ley c1920 Autographed Postcard
Lya Ley c1920 Autographed Postcard

幼いころから女優に憧れ、15歳でベルリンの劇場の舞台に立ちます。俳優パウル・ハイデマンの勧誘で映画に参入、戦中の1916年、フランツ・ホーファーの軽喜劇の娘役として女優業のスタートを切りました。多数のホファー作品に出演を続ける傍ら、1917~18年にかけてエイコ映画社でミステリー作品にも挑戦し芸風と人気を広げていきます。

Lya Ley in H. Moest's Die Goldprinzessin (1918-04)
独エイコ社による『黄金姫』紹介記事。ニック・カーター探偵物をドイツ舞台で翻案したミステリー作品です。1918年4月8日キノベジッツァー誌より

終戦前後の人気は高かったようでKOWO映画社が彼女の名を冠した「リア・レイ軽喜劇シリーズ」を企画、『結婚済の独身者』等を含む8作で主演を果たしています。

1919年を最後に長らくフランツ・ホーファー監督の元を離れ、その後僅か数作を撮ったのみで1922年に映画界を離れています。1919年に出版された『映画の女たち』インタビューでは女優業を楽しんでいる様子が伝わってきていたため唐突なキャリアの終焉ではありました。

[IMDB]
Lya Ley
[Movie Walker]

[誕生日]
10月19日

[出身]
オーストリア・ハンガリー/チェコ (オパヴァ)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Film-Sterne 179/2. Becker & Maass. Berlin-W.9. phot.

1917-22 忘れじの独り花(19)ヒルデ・ウォルテル Hilde Wolter (1898 – ?)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Hilde Wolter c1920 Inscribed Postcard
Hilde Wolter c1920 Inscribed Postcard

1918年、ハンス・ハインツ・エーヴェルス原作の怪奇小説『アルラウネ(妖花アラウネ)』が初めて映画化されています。魔草マンドラゴラを通じて生を受けた人造人間アルラウネを主人公としたSF仕立ての物語で、ヒロインを演じていたのがヒルデ・ウォルテルでした。初期ハンガリー映画界名匠オイゲン・イッレーシュ監督による大作は評判を呼びました。

Die Neue Kino Rundschau 1919-02-09-45
ノイエ・キノ・ルントシャウ誌1919年2月1日付
『アルラウネ』宣伝
同作の成功を受けて独ミュートスコープ&ビオスコープ社が契約に乗り出し、1919年には早くも女優自身の名を冠した映画シリーズが製作されています。しかし大きな成功を収めることはできぬまま1920年代初頭に契約を解消してオルプリート映画社に転籍。1922年にフレート・ザウエル監督作品で再起を図りますがこちらでも結果が出ないまま、ニルス・クリサンダー監督&主演作、『燃え上がる世界』(Die Welt in Flammen、1923年)を最後に姿を消していきました。
Die-Neue-Kino-Rundscha-1919-08-23-28-hilde-wolter
「ヒルデ・ウォルテル主演映画シリーズ」告知。ノイエ・キノ・ルントシャウ誌1919年8月23日付

[IMDB]
Hilde Wolter

[Movie Walker]

[誕生日]
6月19日

[出身]
ドイツ(ベルリン)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Verlag « Ross » Berlin S.W. 68. 359/1 Deutsch Mutoskop u. Biograph Film. Becker & Maass. phot.

1930 – スーパー8 市川右太衛門主演 『旗本退屈男』 (古海卓二監督)

「8ミリ 劇映画」より


右太衛門終生の当たり役『旗本退屈男』の第一回作品。

完全版は現存していないとされ、マツダ映画社が前半15分程のプリントを所有。8ミリサイレント版はこのマツダ映画社ライブラリー版を元にしています。タイトル、クレジット、エンドロールは後年にカラーフィルムで撮影されたものです。

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物語は佐々木味津三『続旗本退屈男』を元にしたもので、右太衛門演じる主水之介が江戸で頻発している婦女子拉致事件を解決していきます。妹の菊路を小夜文子さん、その恋人である美男小姓の京弥を初代・大江美智子さんが演じていました。

冒頭の説明に「共演の大江美智子は宝塚からの映画界入り第一号で、彼女の霧島京弥役は後に同役をやった多くの女優達の誰よりも適役で殺陣のうまさは正に抜群であった」とあります。前半に籠に乗った主水之介が襲撃された際に下手人を手裏剣で仕留める場面、後半、女装姿で拉致グループをおびき寄せ乱闘になだれこんでいく場面と二度の殺陣を披露。下のスキャンはわずか5コマ(24fpsのため約0.2秒相当)での動きです。

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大江美智子の短刀使い
(Michiko Oe in her battle scene)

原作ではこの場面で主水之介らが登場、悪人の素性を暴いて一件落着となります。映画版はまだ物語が終わらず主人公が黒幕の屋敷に侵入、豪快な立ち回りを披露した後に地下秘密牢に辿りつきます。拘束されていた女性たちを解放しようとしたところ悪人がからくり仕掛けで部屋の天井を落とそうとして…この場面で映像が切れます。

右太衛門の殺陣は破天荒さや奇抜さはありませんが、スタイリッシュで流れの綺麗なものでした。敵を斃してから、スッと自然体に戻る動きも素敵です。

右太衛門の乱闘場面

冒頭で右太衛門と衝突しつつ後半の捕物で活躍する同心の杉浦にも疾走感があります。配役を確認すると武井龍三氏でした。

武井龍三
武井龍三
(Ryuzo Takei as Sugiura)

監督とカメラマンの連携が上手くいっており、対角線を上手く生かした動的な構図と水平線を活用した静的な構図をバランス良く組みあわせ飽きさせない流れを作っています。右太衛門自身が気に入った原作の第一回作品でもあり、製作陣全体が緊張感をもって仕上げていった完成度の高い一作です。

[Movie Walker]
旗本退屈男

[IMDb]
Hatamoto taikutsu otoko

[フォーマット]
スーパー8 無声 90m 24fps (約15分)

[参考リンク]
青空文庫版『旗本退屈男 第二話 続旗本退屈男』(佐々木味津三 作)

大正6年 (1917年) 仏連続活劇『ジュデックス』小説版

「ルイ・フイヤード関連コレクション」より

1917 Judex (Arthur Bernède & Louis Feuillade)
1917 Judex (Arthur Bernède & Louis Feuillade)

第一次大戦中の1917年に公開されて人気を博した連続活劇『ジュデックス』の小説版。

映画の各エピソード公開と同時進行で小冊子として売られていたもので、映画の完結後にハードカバー版が作られていました。こちらはそのハードカバー版で全12章、288頁あります。

同作は先行する『レ・ヴァンピール(Les Vampires)』の成功を受け、ほぼ同一キャストで作られた活劇でした。『レ・ヴァンピール』が活劇の伝統を受け継ぎ、一話一話の完結性が高く、目まぐるしいアクションを繰り出していく手法を採用していたのに対し、『ジュデックス』はより静かな復讐譚の形式を取っています。

物語はかつて冷酷な銀行家(ルイ・ルーバ)に騙されて父親を失ってしまった兄弟(ルネ・クレステとエドゥアール・マテ)による復讐物語として始まります。クレステ演じる義士「ジュデックス」は銀行家を単純に成敗はせず、とことんまで苦しめようと城の一角に軟禁。しかし銀行家の娘ジャクリーヌ(イヴェット・アンドレヨール)への恋愛感情が芽生えてくる中で自分の行為に疑問を抱くようになり始めました。一方銀行家の資産を狙い暗躍する一派(ミュジドラ)がジュデックスとジャクリーヌ双方を狙い始め、物語は南仏での死闘へなだれこんでいきます。

仏ゴーモン社にとっても大きな企画だったようで、小説版は当時人気の高かった大衆作家アルチュール・ベルネード(『ルーヴルの怪人』原作者)に依頼、けだし名文家ではないものの、こなれた筆致で映画世界を小説に落としこんでいきます。

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[出版年]
1917年

[出版者]
ルネサンス・ドュ・リーヴル

[ページ数]
288頁

[サイズ]
16.5 x 24.5 cm

大正8年(1919年)公開 『ぶどう月』 (ルイ・フイヤード監督) 撮影風景写真3枚

「ルイ・フイヤード関連コレクション」より

1919 - Vendémiaire (Louis Feuillade)
1919 – Vendémiaire (Louis Feuillade) 3 photos de tournage

第一次大戦終戦の大正7年(1918年)に撮影され、翌8年(1919年)に公開された劇作品『ぶどう月』撮影中の写真三点。販促用スチルではなく、撮影関係者が内々のやりとりで保管していたもので、ここにある以外現存していない貴重な資料と思われます。

フイヤード監督の作品は1)初期習作(1913年まで)、2)前期活劇(1914~17年)、3)後期活劇と逝去(1922年まで)の大きく三つに分けることができます。

『ファントマ』『レ・ヴァンピール』『ジュデックス』『後のジュデックス』など大戦中の作品で仏活劇に旋風を巻き起こした後、戦後からやや作風に変化が見られるようになってきます。『ティーミン』や『バラバス』といった後期作品は、アクションの要素を抑えドラマの流れや一貫性を重視し、さらに幻想色を加えたものに変わっていくのです。

前期から後期への橋渡しとなった作品が『ぶどう月(Vendémiaire)』でした。

この監督は「フイヤード組」と呼ばれた固定メンバーを軸に作品作りを進めるのが常だったのですが、終戦の前後に大きな入れ替えがありました。『レ・ヴァンピール』『ジュデックス』で存在感を見せたミュジドラ、喜劇の要素を加えていたマルセル・ルヴェスクの二人が一座を離れるのです。その代わりにアジア風の繊細さを持つ女優マリ・アラルドが加入、ルヴェスクの代わりに若い喜劇俳優ビスコが参加します。また『ジュデックス』主役を演じたルネ・クレステもこの後しばらくして『ティーミン』製作後に離脱しています。

『ぶどう月』はマリ・アラルドやビスコが初めて登場したフイヤード作品となります。

『ぶどう月』の物語は、軍隊を離れ、新たな生活を始めようと南仏にやってきた退役軍人(ルネ・クレステ)を軸に進んでいきます。盲目の貴族(エドゥアール・マテ)が所有するワイン園で雇われるのですが、ジプシーと間違われ追い払われそうになっていた貧しい未亡人(マリ・アラルド)を助け、次第にロマンスが生まれてきます。一方では敗走したドイツ兵(ルイ・ルーバ)が身分を偽ってワイン園に潜りこみ、盗みを重ねながらその罪を貧しい未亡人に押しつけようとしていく。未亡人の濡れ衣を晴らすため主人公は…という展開を持つ映画です。

冒頭、主人公はブドウ園の管理人に身分証明書を見せ、雇ってもらうことに成功します。この時ジプシーと勘違いされ雇用を断られた女性に話を聞くと、大戦で夫を亡くしたばかりとのこと、クレステはブドウ園の管理人に話をし、「ジプシーではなく英雄の妻だ」と誤解を解いてあげました。

ゴーモン社所有のプリントでは以下のような映像が続いていきます。

主人公を演じたクレステを中心に、未亡人を演じたマリ・アラルド、管理人を演じたエミール・アンドレを左右に配して撮影されたのが一枚目の写真。作中でマリ・アラルドは頭に布を巻いていましたが、こちらでは首の後ろに下ろしています。

この後悪役ドイツ人が登場、国籍を偽って農園に入りこみ、窃盗を繰り返していきます。途中にベルギー人の同僚が内緒話をしているのを見つけ、小耳を立てる場面がありました。

悪漢を演じたルイ・ルーバを撮影したのが二枚目の写真です。映画では正面と真横からのアングルでしたが、写真は斜め前からのアングルになっています。

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最後の一枚はカメラマン。『ぶどう月(Vendémiaire)』撮影時に実使用された内の一台と思われます。

いずれの写真も裏側に手書きの説明が付されています。

別投稿で紹介したルネ・クレステ直筆の年賀メッセージ葉書と同じ出所で、1919年頃にクレステと親交のあった関係者が保管していた資料の一つです。

『ぶどう月』は長きに渡る対立を背景とした反独感情や、ロマ民族への差別意識を含みこんでおり、またフイヤード監督が王党派の国粋主義者だった痕跡も見て取れる作品でした。その是非はともかくとして、フイヤード作品史上で重要な位置を占めている作品ですので再評価の機運が高まってほしいと願わずにいられまん。

[IMDb]
Vendémiaire (1918)

林 千歳 (1892 – 1962)

「日本 [Japan]」より

Hayashi Chitose 1920s Autographed Postcard
Hayashi Chitose 1920s Autographed Postcard

本名河野千歳。明治廿三年八月芝琴平町に生る。女子大學卒業後坪内氏の文藝協會に入り舞臺に立ち、舞臺協會文藝座等に出演せし事あり。映畫としては最初國活に入り寒椿其他に現はる。十一年松竹に轉じ現在に至る。深刻なる女性を出すを以て知らる。

『大正名優鑑 「劇と映画」臨時増刊』
(国際情報社、1924年)

映畫女優としてよりも、文藝協會、舞臺協會、文藝座等、過去の新劇の女優として其名が高い。映畫の處女出演は、舊國での「短夜物語」りで、松竹に入つてからは井上正夫と共演の「海の人」外多數の作あり。近時側役として重きをなす。女子大學出身の能辯家、容貌も藝も立派である。

『映畫と劇』「林千歳嬢」
(國際情報社、1925年3月号)

大阪堂島の高等女學校を卒へてから目白の女子大學の英文科をも卒へた – というだけでも映畫女優中第一の學者である。東儀鐵笛氏の引きゆる文藝協會の「マクベス」を初舞臺に舞臺協會及び文藝座と劇壇の人として相當の人氣を博したものである。大正九年國活創立と共に入社して五味一派と共に「短夜物語」などを撮影して一新天地を開拓したものである。

明治二十五年八月二十一日、東京市芝區琴平町に生る。本名を河野千歳と云ふ、身長が五尺一寸二分、體重が十二貫五十匁ある。現住所は東京市外青山原宿六十三番地。

『裸にした映画女優』
(日本映画研究会、1925年)

[JMDb]
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[IMDb]
Chitose Hayashi

[出身]
日本(東京・芝)

[誕生日]
8月22日

[サイズ]
8.5 × 13.6cm.