1920年(大正9年) – ロンドン・ドゥルリー・レーン劇場のアンナ・パヴロワ団

Charles Thorp 1919 – 1928 Autograph Book
Anna Pavlova 1920 Autograph (at Drury Lane, London)

英国在住のチャールズ・トープ氏 (Charles Thorp)について詳しい情報は知られておりません。1910年代末から20年代にかけて舞台の照明技師をされていたようです。当時の大衆芸術の花舞台だったドルーリー・レーン王立劇場やコベント・ガーデン王立歌劇場で勤務を続け、合間に出演アーティストのサインを集めていました。

サイン帳は縦10.5㎝×横13.0㎝、80ページに渡っています。表紙に損傷が目立ち、本体も色あせや染みが多くあります。ページ剥落などはなく、百年近い時間の経過を考えるとまずまずの保存状態と言えます。

表紙をめくると見返しにオーナー名の記載があります。青みがかった万年筆で「チャールズ・トープ 照明技師」「TRDL (ドルーリー・レーン王立劇場 Theatre Royal Drury Lane)」「1920」と書かれ、その後ペンを変え黒インクで年号と「CGOH (コベントガーデン歌劇場 Covent Garden Opera House)」が追加されています。

また、裏表紙の見返しにはイベント名、場所、日時の一覧がまとめられていました。

サインが収録された主なイベント配下の通り。

『シンデレラ』 パントマイム ドルーリー・レーン 1919-1920
『パヴロワ夫人のロシアバレエ団』 ドルーリー・レーン 1920
『アラーの庭』 ドルーリー・レーン 1920-1921
『シンデレラ』 パントマイム コベントガーデン 1920-1921
『リーグ・オブ・ノーションズ』 オックスフォード劇場 1922
『シャクルトンのニムロド遠征』 南極
『チヴォリ』 ケープタウン
オペラ座 シーズン1928
コベントガーデン オペラ座

1920年、アンナ・パヴロワがロンドン公演を行った際の主要メンバーのサインを多く収録しています。


Anna Pavlova Ballet Compaby
1920 Drury Lane Program

パヴロワ夫人によるドゥルリー・レーン劇場のバレイ公演は至りつくせりであつた。演目は毎週のように更新され、普段なかなか上演されない題目まで披露されていた。またこの優れたバレリイナの技藝をうかがわせるに十分な内容でもあった。チャイコフスキーの「眠れる森の美女」、昨今あまり目にかける機会が無くなつたシャルル・グノーの歌劇『ファウスト』から「ヴァルプルギスの夜」の舞踏が含まれている。かつて、ムーディ・マナー一座が地方でのオペラ上演後、愛好家向けによく披露していたのがこの「ヴァルプルギスの夜」であつたが、ロンドン公演では外されるのが常であつた。パヴロワ夫人は「眠れる森の美女」、カラーリィ嬢が「ヴァルプルギス」に出演。喜劇性を漂わせた舞踏、「魔笛」もまた野心的な試みで。同作ではバツォヴァ嬢が優れたパフォーマンスを見せている。續いてショパンの幾つかの楽曲に踊りを加えた「枯葉」が披露された。パヴロワ夫人による際立つて優美な舞と、枯葉をモチーフにした衣装の美しさは特筆に値する。

「ドゥルリー・レーン劇場のパヴロワ・バレエ団」
ミュージカル・タイムズ紙 1920年6月1日付

Madame Pavlova’s season of ballet at Drury Lane has been well-supported. The Programmes have been varied each week, and had made known several unfamiliar examples. They have also afforded a very fine insight into the art of this delightful dancer. Among the numbers have been part of Tchaikovsky’s “Sleeping Beauty,” and the “Walpurgis Night” ballet from Gounod’s “Faust,” now so rarely seen. It was to the benefit of provincial opera-goers that at one time it was regularly performed after the opera by the Moody-Manners Company, though in London it is equally regularly omitted. Madame Pavlova appeared in the Tchaikovsky and Mlle. Karalli in the Gounod. The next challenge introduced a comic ballet, entitled “The Magic flute”, in which Mlle. Butsova excelled. It was followed by an illustration of some Chopin numbers entitled “Autumn Leaves,” notable for some particularly elegant dancing by Madame Pavlova and for some remarkably beautiful dresses represanting the autumn leaves.

Pavlova Ballet at Drury Lane
The Musical Times (June 1 1920)

ロンドン公演はドゥルリー・レーンで8週間(4月12日~6月第3週)続き、その後新王子劇場(現シャフツベリー劇場)に場所を変える形で4週間(6月第4週~7月第3週)行われました。

パブロヴァのレパートリーは二十三のバレーと八十の幕間の余興だった。その一つ一つに、異なった舞台装置が必要だった。

『白鳥の湖』 マルヴェルン
三笠書房(1965年)

豊かなレーパトリーを有しているパヴロワ団は演目を変えながら公演を進めていきます。公園開始当初は『眠れる森の美女』『アマリラ』『雪片』『タイス』を中心とした構成で、その後『フローラの目覚め』『ヴァルプルギスの夜』『魔笛』を加え、5月になると『枯葉』や『ジゼル』等を含んだプログラムに変わっていきます。

公演に参加したのは当時のパヴロワ・バレイ団の主要メンバーです。相手役にアレクサンドル(サッシャ)・ヴォリーニン、バレイ・マスターにイワン・クリュスティン、アシスタントにピアノワスキー、音楽指揮者としてセオドア・スタイアーを配していました。ヒルダ・ブツォヴァ、ミューリエル・スチュワート、リンダ・リンドウスカ等の花形バレリーナを含む約50名のダンサーが帯同します。

女の踊り手では、金持ちの娘だと云ふ、小柄なヒルダ・ブツツォーヴ孃が次席だつた。日本では、背の高い美しいスチユワート孃に人氣があつた。

「逝けるパブロワ夫人の想ひ出」園池公功
『星雲』1931年3月号所収

1920年のロンドン公演の特徴として、モルドキン等と共演歴があり当時モスクワ帝国劇場のプリマドンナとして活動していたヴェーラ・カラーリィを招聘。『ヴァルプルギスの夜』や『王の娘たち』は彼女を中心とした編成となっていました。

パブロワは1910年代半ばにはロンドン郊外の「きづたの家(Ivy House)」を生活拠点としていましたが、現地での大規模な公演は長らく行っておらず地元では久々のパフォーマンスに盛り上がっていました。キャリアの中~後期に当たる円熟期に当たり、見る側もロシアン・バレイの経験値を高めた上での観覧となった(同時期にコヴェント・ガーデン劇場では)ため芸能史の批評や感想もしっかりした内容が多いです。

チャールズ・トープ氏はこの当時電気技師としてドゥルリー・レーン劇場に勤務しており、仕事の合間にパヴロワ・バレイ団の中心メンバーのサインを集めていきます。現時点で以下の14名を確認できました。

パヴロワは国際的な知名度を持ち、精力的にフアンサービスを行っていたため直筆サイン物は結構な数残っているのですが、他のスタッフ、団員を含め一公演のまとまったサインがこれだけまとまっている例は珍しいです。ロシア舞踏史や英国舞台芸能史の観点からだけでなく、初期映画にゆかりのあった人物(パヴロワ、カラーリィ、ストーウィッツ)を含んでいる点でも興味深い資料です。


参考文献 [邦文]

アンナ・パヴロワ/二見孝平編訳
アルス(1922年)

逝けるパブロワ夫人の想ひ出 / 園池公功
『星雲』1931年3月号所収

瀕死の白鳥:アンナ・パヴロヴァ自伝/アンナ・パヴロヴァ著
丹青書房(1943年)

白鳥の湖/マルヴェルン 著
三笠書房(1965年)

参考文献 [国外]

『白鳥翔ぶ:アンナ・パヴロワの思い出』 アンドレ・オリヴェロフ著(1932年)
Flight of the swan : a memory of Anna Pavlova / André Olivéroff

『アンナ・パヴロワ』ヴァレリアン・スヴェトロフ著 (1930年)
Anna Pavlova / Valerian Svetloff

『白鳥の湖』 グラディス・マルヴェルン著(1942年、邦訳1965年)
Dancing Star – the Story of Anna Pavlova / Gladys Malvern

『パヴロワと世界一周』 セオドア・スタイアー著(1927年)
With Pavlova round the world / Theodore Stier

『ロンドンの舞台:1920~29年』 J・P・ウエアリング著(1984年)
The London Stage 1920-1929: A Calendar of Productions, Performers, and Personnel / J. P. Wearing

『舞踏界を生きのびる』 ジョイ・カムデン著 (2005年)
Survival in the Dance World / Joy Camden

『真説ラスプーチン』 エドワード・ラジンスキー著 (2001年、邦訳2004年)
The Rasputin File / Edvard Radzinsky