























東亜キネマは大正の活況から生まれ、当初は日活・松竹の2トップに肉薄する勢いを持っていた会社でした。
しかし内部対立が目立ち、優れた監督や俳優の流出が続いて経営が悪化、30年代初頭には活動を停止しています。
今回入手したのはその東亜キネマの末期にまとめられた一帖のサイン帳です。計31名におよび、同社を代表する男女優(嵐寛寿郎、原駒子、羅門光三郎)から無名の俳優、監督やカメラマンが名を連ねています。現場に自由に出入りできる関係者がサインを所望したのだと思われます。
東亜キネマは大正の活況から生まれ、当初は日活・松竹の2トップに肉薄する勢いを持っていた会社でした。
しかし内部対立が目立ち、優れた監督や俳優の流出が続いて経営が悪化、30年代初頭には活動を停止しています。
今回入手したのはその東亜キネマの末期にまとめられた一帖のサイン帳です。計31名におよび、同社を代表する男女優(嵐寛寿郎、原駒子、羅門光三郎)から無名の俳優、監督やカメラマンが名を連ねています。現場に自由に出入りできる関係者がサインを所望したのだと思われます。