1974 – 『サムライ – ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生』(Le Cinéma selon Merville、ルイ・ノゲイラ著、セゲルス社) 仏語版初版

« Le Cinéma selon Melville » (1974, Rui Nogueira, First Edition, Ed. Seghers, Paris)

ノゲイラ:この頃すでに9.5ミリの映画を何本か撮られていたんですか。

メルヴィル:初めて手に入れた動画カメラが手回し式のパテーベビーで1924年の1月、私は6才でした。当時パリ9区のショセ・ダンタン通りに住んでいて、初めて撮ったフィルムは自宅の窓から通りを映したものでした。建物の屋根にかかった子供向け石鹸の大きな看板、通りを抜けていく車、小舞踏病にかかった小犬…あの犬は通り向かいに住んでいた素敵な婦人の飼い犬だったかな。[…] 逆にパテーベビー映写機は手離せなくてね。あれ一台あると世界中の映画を自宅で見ることができたので。各作品の粗筋と写真一枚が掲載されていたパテーベビーのレンタル用カタログは世界で一番美しい物でした。西部劇あり、キートン、ロイド、ラングドンにチャップリンのフィルムをサルトーニ写真館で借りたものです。こんな感じで2〜4巻組のフィルムを毎週4、5本見るのが常になっていました。あの熱中ぶりは完全に常軌を逸していたのですが、私の映画の素養の根っこでもあります。

Nogueira: A cette époque, vous avez déjà tourné plusieurs films en 9 mm 5?

Merville: J’ai eu ma première caméra, une Pathé Baby à manivelle, en janvier 1924. J’avais donc six ans. J’habitais alors la Chaussée d’Antin et mon premier film je l’ai fait sur cette rue, de ma fenêtre. On pouvait voir le Bébé Cadum, les voitures qui passaient, un petit chien qui avait la danse de saint Guy, lequel appartenant à une dame charmante, de l’autre côté de la rue. […] je ne me suis jamais lassé de mon Pathé Baby projecteur, puisque je pouvais voir chez moi tous les films du monde. Le catalogue de films de location Pathé Baby, un catalogue énorme avec la résumé et une photo de chaque film, était la chose la plus belle du monde. Il y avait des westerns, tous les Keaton, les Harold Lloyd, les Harry Langdon, les Chaplin, etc. que l’on louait chez un photographe, Sartoni. Ainsi, toutes les semaines je pouvais voir quatre ou cinq films nouveaux de 2, 3 ou 4 bobines. C’était l’amour fou, complètement. La base de ma culture cinématographique.

(Le Cinéma selon Melville, Rui Nogueira, p.18, Ed. Seghers, 1974)

仏フィルム・ノワール界の重鎮(『サムライ』『仁義』『いぬ』)として知られるジャン・ピエール・メルヴィル監督が自身のキャリアを辿りなおしたインタビュー集。2003年に晶文社から邦訳が出ています。同監督が幼い頃パテベビー映写機/撮影機と出会ったエピソードが含まれているのでその部分をご紹介。

入手したのは15年以上昔の話。「メルヴィルの選ぶ戦前ハリウッド監督63傑」のリスト目当てで学生時代に数年かけて見つけ出しました。

リスト以上に印象深かったのが動画カメラと映写機のエピソードでした。フランスではトリュフォー監督も少年時代にパテベビーのカメラを使っていました。お気に入りの監督が二人も「パテーベビー」を経由して映画世界に入ってきている、一体どんなものなのだろう…気になりつつもいきなり戦前の映写機を使う発想には至らず数年が経過。頭の片隅にひっかった疑問は消えず、上手く動かなくてもいいからひとまず一台手に入れてみよう、と中古のパテベビーを購入したのがかれこれ10年前。

当初は失敗ばかりでしたが経験値を上げていけばどうにかなるもので、9.5ミリの実写やデジタル化は今の自分の生活に溶けこんでいます。第一歩を後押ししたのはこのインタビュー集で、その意味で人生を変えた一冊になるのかな、と。

1930 – 『パテーの自家現像』(吉川新形式寫眞叢書・第一篇、吉川速男著、アルス社)

今回9.5ミリ動画カメラを実使用するに当たってまず参考にしたのは歸山教正氏の『シネ・ハンドブック』(1930年)でした。もう一冊9.5ミリ専用の書籍が欲しいな…と見つけ出したのがこちらの『パテーの自家現像』。某古書店ブログで触れられているように直線をベースにした素敵なデザイン(フォントやその配列を含む)にはバウハウス等の影響を見ることができます。

第五章と第七章だけを御覧下さるだけでも、獨りで容易に好結果を擧げる事が出來ます。

冒頭にある通り現像の具体的な流れを詳述したのが第5章(薬品の配合)と第7章(現像の手順)。吉川氏本人の自筆イラストが多くあしらわれ9.5ミリフィルム現像の実際を視覚的に追うことができます。

現像用薬品(現像液/反転液)の配合については『シネ・ハンドブック』とほぼ同じ。ただし『パテーの自家現像』には9.5ミリ用の作業時間配分の一覧が掲載されていて参考になりました。

1930年頃に撮影された9.5ミリの個人撮影動画では時々画面に液体が流れたような跡を見ることができます。長期保管による褪色や変色だと思っていたのですが、現像液や反転液の洗浄不足による現像ムラなのだと気づきました。撮影者・現像者視点からフィルムを見てみるとまた違った発見があるものですね。

自家現像時の現像ムラの一例
(『池掃除』、1929年頃、個人コレクションより)

[出版年]
1930年

[発行所]
アルス

[定価]
壹円

[ページ数]
150

[フォーマット]
13.0 × 19.5 cm、函入

1938 – 『パテータイムス 第三巻第二號』 「救國の乙女ジャンヌ・ダーク(『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』)」紹介

『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』より

Pathe Times 1938 February Issue
« Presents La Merveilleuse Vie de Jeanne D’Arc »

戦前に9.5ミリ小型映画の愛好家向けに発売されていた冊子では『パテベビー月報』、『ベビーシネマ』、『日本パテーシネ』、『パテータイムス』などが知られています。このうち『パテータイムス』昭和13年(1938年)の2月号で、「救國の乙女ジヤンヌ・ダーク」が取り上げられていました。

本文中に「パテスコープ提供」「特大二巻」「タイトル [間字幕] は英文」とあるように、英パテスコープ社が『聖ジャンヌ(St Joan the Maid)』として発売していた2巻物の英縮約版を輸入販売したものです。

齢二十に満たぬ一介の乙女が祖國フランスを救ひ世界の奇蹟として今尚人口に膾炙する聖少女ジヤンヌ・ダルクの悲壮な行為を史實に依り、叙事詩的に描いた雄篇。しかも九ミリ半愛好者に手頃な特大2巻に壓縮され乍ら些かも無理な感じのない近来の傑作です。學校用としては歴史科、修身科教材として應用でき、御家庭、アマチユアの集會には觀賞用として洋畫飢饉の昨今必ずや皆様を堪能せしめませう。

時は今純戦時状態に入り國民精神總動員愈々徹底されて居りますが、斯る崇高な祖國愛の事蹟に接するは絶對必要ではありますまいか。その意味に於ても本映畫を御觀賞されることを敢えてお奨めいたします。

以上の2段落の紹介文があった後、フィルム前半に当たる第一巻の字幕の日本語訳が丸々掲載されています。

『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』は日本で劇場公開されておらず、戦前に日本語で言及された文章を見たことはありませんでした。戦時下の「祖國愛」を鼓舞する形ではあるものの、9.5ミリフィルム経由で紹介が行われていたのを確認できたのは収穫でした。

また今年のNHK連続テレビ小説『エール』にパテベビー撮影機が登場した話は御存じかと思われます。本号のパテータイムスでは古関裕而氏を「この天才作曲家古關氏が熱心を通り越したとも評さるべき九ミリ半アマチユアであることを御承知の人はあまり多くはない。氏はコンテスト等には殆ど出品せぬが默々として素晴らしい九ミリ半映畫をつくつてゐる」と紹介しています。

時は1938年。戦時下となった緊張感や不安感が見え隠れする一冊でもあります。それでもまだ「供給に餘裕ある九ミリ半フヰルム」の見通しが述べられていました。いかに楽観的だったかを翌年思い知らされるわけで、日本における9.5ミリ文化が潰えようとするギリギリの瞬間が記録されています。

1931 ‐ 『活動寫眞撮影術』(歸山教正&原田三夫共著、日本教材映画 [小型映画講座1])

Katsudou Shashin Satsueijutsu [Filming Moving Pictures] – Kaeriyama Norimasa (1931)

初期日本映画の発展に大きな影響を与えた映画理論家、歸山教正氏の残した概説書シリーズの一冊。「小型映画講座」の枠組みで、9.5ミリと16ミリを中心に動画カメラの原理、フィルムの種類、映画光学の基礎、照明、間字幕の作り方などについてまとめています。

技術面に特化した書籍ながら、巻頭に置かれた48頁の写真群は歸山氏の趣味やこだわり、人脈が反映されたものとなっています。洋画では現在でも無声映画の代表作とされる諸作(『裁かるるジャンヌ』『ニーベルンゲン』『戦艦ポチョムキン』)のスチルを収録。他にも独ウーファ社の作品が目立ちます。

国産映画の珍しい画像(撮影中のショット含む)が多く含まれていました。

「或映畫場面のコンポジション(映畫藝術協會)」と題された一枚。さらっと紛れこんでいますがもしかして『深山の乙女』(歸山教正監督、花柳はるみ主演)ではないですか。

「「撮影と照明(1)松竹蒲田映畫」と題された一枚。八雲恵美子さんの姿が見えます。

「實物の室内撮影と照明(日活映畫)」。写真上、左から峰吟子、夏川静江、一人置いて中央に村田實監督でしょうか。そうだとすると『この太陽』(1930年)の撮影風景になります。

初期の日活向島が有していたグラスハウス型スタジオ。

『活動寫眞撮影術』は「小型映画講座」と題された6冊物の第1巻に当たります。他の巻も歸山氏が絡んでおり共著に村田實、夏川静江、徳川夢聲氏の名が挙がっています。

1930年頃 米パテックス社・モトカメラ 9.5mm動画カメラ(テッサー f:2.7 F=20mm)ターレット型フィルター付

US Pathex 9.5mm Motocamera with Filter Turret (c1930)

1920年代中盤の手回し式パテベビーカメラ〜「モトリクス」の後継機として27年頃から市販開始され、30年代を通じて9.5ミリ撮影のスタンダードとなっていった機種。高級機仕様「ド・リュクス」や廉価版「モンディアルB」など様々なヴァリエーションが展開されていました。

当初ドイツ製レンズ(ツァイスのテッサーf:2.7)を採用。その後仏エルマジ社製に変更されています。今回入手したのは初期型のテッサー付。シリアル番号からすると1930年に製造されたレンズです。

普及機で中古市場(日本含む)にも多く出回っており、カメラ自体を見つけるのは難しくないと思います。この機体が面白いのはターレット型のフィルターアタッチメントが付いている所。メーカー名の記載はなく、1930年頃のパテ社カタログに該当商品がないことから日本で独自開発されたオプション製品と思われます。

[メーカー]
米パテックス社(英語仕様)

[シリアル番号]
V50274

[レンズ]
カール・ツァイス社 テッサー f1:2.7 F=20mm
シリアル:1040858

昭和11年(1936年)-『パテーベビー月報 第73号』

Pathé Baby Monthly No.73 (1936 March Issue)

大阪(南区安堂寺橋通り)に拠点を置いていたパテーベビー月報社が発行していた9.5ミリ小型映画専門冊子。16頁で年間購読料は24銭となっています。

以前に紹介した同年5月第75号は『メトロポリス』や『ハンガリー狂想曲』を中心とした構成でドイツ映画色が強い内容でした。紙面で触れられているように本号は3月10日の陸軍記念日を意識した軍事色の濃いものとなっています。

メイン企画は寶塚キネマ製作の『孝子五郎正宗』(S-403、特大鑵4巻)。紹介1頁に次いで3頁を費やして全字幕を掲載しています。

第二特集は「三月十日の陸軍記念日には」。
・『日露戰争回顧錄』(S-420、特大鑵3巻)
・『草に祈る』(G-256、特大鑵3巻)
・『戰友』(S-389、特大鑵1巻)
・『吉岡大佐』 (S-444、特大鑵1巻)
・『橘中佐』(S-446、特大鑵1巻)

それ以外の紙面は広告となっています。アルマ映写機、エクラA型映写機、コロネット撮影機など1936年のトレンドが伝わってくるラインナップでした。

1920年代後半 パテベビー × ツァイス・イコン「ディアフォト」(消失型露出計)

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Diaphot (lates 1920s extinction light meter , Pathé Baby × Zeiss Ikon)
1920年代後半にパテベビーブランドと独ツァイス・イコン社のコラボアイテムとして発売された露出計。1920年代前半に独Ica社とコラボした同名機器の後継で、パテ社&ツァイス社のコラボとして確認できている唯一のものです。
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円形の硝子の縁に細い金属製のフレームがあり、裏側ののぞき窓を覗きながらフレームを回していくとどこかの段階で風景が見えなくなります。その時に表面に書かれている数値を露出として撮影していく形です。「Extinction Light Meter(消失型露出計)」と呼ばれるタイプで目視による精度は低く、より高性能な露出計がカメラに内蔵されていく流れで使われなくなっていきました。

革ケースには説明書が入っていました。使用時のイメージ図などが掲載されています。

1930年代初頭 日本 パテベビー映写機 チラシ

二つ折り見開き4ページ、出版社名明記なし。パテベビー映写機、キッド、リュクスの3台を中心としたラインナップで1932年前後と思われます。ベビー映写機75円、キッド映写機が29円、リュクス映写機が165円、手回し式カメラ(レンズF=3.5)45円、モトカメラ115円の価格設定となっています。

1950年代末 仏パテ社 パテ・ウェボ M型9.5mm 動画カメラ(アンジェ二ュー/ベルティオ)

1940年代末、動画カメラの大型化とハイスペック化が進んでいく中で本家仏パテ社が発表したのがターレット型の本機でした。

今回入手したのは「9236」のシリアル番号が付された一台です。1950年代が4桁、60年代に5桁シリアルとなっているようで、レンズの組みあわせ等を含め1950年代末頃に市販/使用されていたものとおもわれます。

本体は灰色仕上げのダイキャスト。ファインダーを二種類搭載(下側がリフレックス型でレンズの捉えている像をリアルタイムで確認できます)、撮影速度は毎秒8~80コマまでの6速対応。30メートル(100フィート)のフィルムまで装填可能な仕様でした。

対応レンズの多さが売りでもあり、ソン・ベルティオ社とアンジェニユー社の広角、標準、望遠、ズームレンズを様々に組みあわせユーザーのニーズに対応できる態勢を取っていました。本機は:

・アンジェニユー R4 (F12.5 1:2.2)
・ベルティオ Cinor (F20 1:1.9) フィルター付
・ベルティオ Cinor (F50 1:3.5)

の3本が付属していました。

実使用されていたと思われ細かなペイントロスや傷、ファインダー内への埃の入りこみが見られます。メカニズム的には良好で、フィルムさえ入れたら今すぐにでも撮影できそうな感じでした。

昭和11年(1936年) – 『パテベビー月報 第75号』(『メトロポリス』『ハンガリー狂想曲』『撃滅』)

「フリッツ・ラング関連 [Fritz Lang Related Items]」より

Pathé Baby Monthly No.75 (1936 May Issue)
Pathé Baby Monthly No.75 (1936 May Issue)

[内容]
1)表紙:『メトロポリス』より
2)9.5mm版 『撃滅』(小笠原明峰監督、山本嘉一主演。120メートル2巻、定価48円)
4)9.5mm版 『メトロポリス』(フリッツ・ラング監督。120メートル5巻、定価60円)
5)9.5mm版 『ハンガリー狂想曲』(ハンス・シュヴァルツ監督。120メートル4巻、定価48円)
6)新型電燈點滅機 広告
7)ゲバルト社 広告
8)裏表紙:パテ社モトーカメラ広告

[発行者]
パテベビー月報社(大阪市南區安堂寺橋通)

[サイズ]
13.1 × 18.2cm

[定価]
年間購読料24銭

1940年代末~50年代前半 仏GIC社 9.5ミリ動画カメラ

「9.5ミリ動画カメラ」より

GIC 9.5mm Movie Camera
GIC 9.5mm Movie Camera
(w/ Som Berthiot Cinor B 1:1.19 F=20 C Mount)

戦前にパテ社動画カメラなどを手掛けたマルセル・ボリュー氏は戦後ETM(エレクトロ・テクニーク・メカニーク)社に籍を移し動画カメラ開発に関わっていました。市場での成功を収めた後、同社の筆頭株主となったボリュー氏は1949年に社名をGIC(グループマン・アンデュストリエル・シネマトグラフィーク)に変更、同社の第一弾商品として8/9.5/16ミリ動画カメラを発売しました。こちらは9.5ミリ用で一般的に「GIC 9.5」と呼ばれています。

ボリュー氏はやがてGIC社を離れ、自身の名を冠した会社を設立。同社が展開した8ミリ/16ミリカメラは現在の日本でも多くの愛好家から評価されています。

GIC9.5は堅牢な造りが特徴です。本体に栗色のシボ加工を施されており、レンズはソン・ベルティオ社のシノールBを標準搭載。速度は毎秒16フレーム固定で静止画撮影などの機能はありません。本機はシリアルナンバー21132で、側面にルーアンの写真機店ヌヴー社のシールが貼られています。

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ミラーレスでの試写

[メーカー]
仏GIC社

[シリアルナンバー]
21132

[時期]
1949~1953年

[レンズ]
ソン・ベルティオ シノールB 1:1.19 F=20 Cマウント

[本体]
5.4 × 10.0 × 15.5cm (レンズ、持ち手含まず)

1930年代後半 日本映画機社 エクセルL型 9.5ミリ動画カメラ

「9.5ミリ動画カメラ」より

late 1930s Nippon Eigaki & Co. Excel 9.5mm Movie Camera Model-L
late 1930s Nippon Eigaki & Co. Excel 9.5mm Movie Camera Model-L (with Excel Anastigmat f3.5 Lens)

1930年代の中盤~末に日本映画機社が発売していた9.5ミリ動画カメラ。

戦前の国産映写機は欧米(米英独墺仏)のコピーから始まっています。動画カメラも同様でエクセルは英コロネット社B型を参考にした外観となっています。手持ちのモトカメラ・アッシュと比較すると分かるように、高さと幅はほぼ同じながら奥行きが短くコンパクトな縦長デザインです。

独製モトカメラ・アッシュ(左)とのサイズ比較

上部に革製の持ち手がついており、少し上げると機種名とシリアルナンバー(9258)が見て取れます。正面部にスタートボタン、回りこむように金属製のプレートが留められています。レンズはエクセル・アナスティグマート。絞りはF3.5迄ですが、「f=20mm 2.9」の一段明るいレンズを備えた機体も見つかっています。

手巻きのスプリングを一杯に巻いてスタートボタンを押すと最初の十数秒勢いよく回ります。でもすぐに息切れして速度が落ちてしまいます。一分ほど回しても速度が落ちないモトカメラ・アッシュと比べると連続撮影の能力不足は否めません。

ただ、海外のカメラになかった機能で、エクセルの独自性が出ている部分が二か所あります。1)フィルムカートリッジと連動し、フィルム使用量の見える化が行われている。2)スタートボタンを押した状態で十数度回転させるとロックがかかり、力をかけなくても押した状態が持続する。実使用時にはどちらも便利な機能です。

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Excel Model-L Film Meter
蓋部に設置されたフィルム使用量メーター(上)とカートリッジの対応パーツ

光学系、革の質、モーターの安定性など、スペック的に海外動画カメラにはまだ追いついていないものの、片手の手のひらサイズに実用的な能力を詰めこんだ優良機種と見ました。

戦前の国産9.5mm動画カメラについてまとまった文献・研究などは残されていないようです。オンラインでは「ゼンマイ式8㎜カメラ館」が唯一の紹介ページ。参考になりました。

[メーカー]
日本映画機社(Nippon Eigaki & Co.)

[シリアルナンバー]
9258

[時期]
1930年代後半

[レンズ]
Excel Anastigmat F 3.5~14

[本体]
ダイキャスト/革張り 7.5 × 4.5 × 10.5cm (レンズ、持ち手含まず)

仏シネジェル社 ライネット9.5mm動画カメラ (1940年代末~50年代)

フランスのル・マンに拠点を置くシネジェル社が1949年に市販を始めた動画用のカメラ。8mm用と9.5mm用の2種類が用意されていました。録画速度は16コマ/秒で、静止画撮影モードもついています。

戦前のフランスの動画カメラは黒基調で、ダイキャスト製のどっしりしたものが主流でした。ライネットはオリーヴ色をしていてより軽やかな印象を与えます。

[メーカー名] 仏シネジェル社

[レンズ] H Russel Kynor 1:2.5 f=20mm

仏パテ社 モトリクス 9.5mm動画カメラ

1926年、仏パテ社はねじ巻き式モーターを取り付けて自動化した第二世代型動画カメラ「モトリクス (Motrix)」を発売しています。

幅が倍になり重さもずっしり。フランスでは動画撮影の定番となり、若干の改良を加えながら30年代後半まで様々な風景を撮り続けていきます。

以前に一度手放していて、安く出ていた機体を買いなおし。革の部分、ちょうつがいの辺りにダメージが目立ちますが、機構部はスムーズに動いています。

蓋になった開くとカートリッジ交換ができます。カバー内側にシリアルナンバー42955有り(モーター側は別シリアル)。 今回購入した機体にはカートリッジが残っており、中に現像済みのフィルムが残されていました。

[メーカー名] 仏パテ社
[本体シリアルナンバー] 42955
[モーター シリアルナンバー]024094

[レンズ] Trianar Krauss f=2cm
[レンズ シリアルナンバー] 224775

独パテックス社 モトカメラ H型 9.5mm動画カメラ(1930年代)

1930年代半ば~後半に仏パテ社が発売していた廉価モデル。こちらは独パテックス社仕様、上に革製の持ち手がついていて「PATHEX」のロゴが刻印されています。

本体シリアルナンバーは「649 H」。レンズには自国産のLaack Pololyt F=20mm 1:2.8を使用。仏製は現存数が多く中古市場でも供給過多となっておりますが、ドイツ製は数が少ないようです。

[メーカー] 独パテックス社
[本体シリアルナンバー] 649 H
[レンズ] Laack Pololyt F=20mm 1:2.8