国立映画アーカイブ (NFAJ)

GW旅行も最終日、この春に近代美術館から独立したばかりの国立映画アーカイブ(NFAJ)での上映イベントに参戦。

見たのは以下の作品でした。

『明治の日本』(1897-1899)
紅葉狩[デジタル復元版]』(1899)
『明治二十八年の両國大相撲』(1900)
『第一篇 日露戰役 追懷ノ巻』(1933)
小林富次郎葬儀[デジタル復元版]』(1910)
『明治四十五年四月四日 藤田男爵 葬式の實况[デジタル復元版]』(1912)
『明治天皇 御大葬餘影』(1912)
『嗚呼乃木將軍』(c1912)
『三月十日』(1933)
『郵便物語 遞信シリーズ・第一扁』(1936)

『三月十日』を除いて無音状態での映写で相当の集中を強いられる流れになりました。その中では『両國大相撲』に動きがあり、笑い声が漏れ聞こえる面白さでした。

個人的には『小林富次郎葬儀』を興味深く鑑賞しました。この時期、日本に関わらず葬列を題材とした記録フィルムが多く残されています。行列や式典を記録した映像が大半ですし、好んで見るものでもないと思っていたのですが、社会・経済・文化に貢献した人々の死を悼むという「葬列映画」が一ジャンルとして存在していた事実を実感することができたのです。

2018年4月30日 栗島すみ子墓参 [東京・池上本門寺]

東京旅行の初日に池上本門寺にお邪魔してきました。

栗島すみ子さんのお墓参りは2度目となります。五重塔にほど近い一角、伴侶であった池田監督のお墓と向かい合うように栗島家の墓が立っています。やや風の強い一日でしたが、気持ちよく晴れあがった空の下、若葉が静かに揺れていました。

香を焚き、両手を合わせていると通りかかった地元の方から声をかけられました。墓石の裏面に刻まれた「栗島澄子」を指して「本名は漢字なんだよ」と仰られていました。

血縁の方はすでに東京を離れておりお参りに来る機会も少ない、とのこと。それでもこの2018年に自分以外に彼女を覚えている人がいると分かって少し嬉しい気持ちになりました。

また何年後かに顔出しますね。

2017年4月30日 伊藤大輔・熱眼熱手 [京都・蓮華寺]

仁和寺の東に位置する蓮華寺。木戸を抜けて墓地に入っていくと南側の一角に大正期から活躍した映画監督、伊藤大輔氏(1898 – 1981)のお墓があります。

五輪塔の墓碑は上から「空」「風」「火」「地」「水」の五大元素を表し、それぞれに「キャ」「カ」「ラ」「バ」「ア」の梵語が刻まれています。向かって手前右側に「伊藤家墓所」、左には「熱眼熱手」の碑が配されていました。

伊藤監督は1920年代以降、時代劇の新たな見せ方を次々と編み出していった人物です。銘である「熱眼熱手」も良いですね。「眼」はカメラの眼であり、「手」は刀を握る手であったのでしょう。

2017年4月30日 柳さく子地蔵 [京都・吟松寺]

2017年4月30日、京都市の北西に位置する吟松寺を訪れ、柳さく子地蔵のお参りをしてきました。

GW中だったため朝早くでも金閣寺の周辺は賑わっていました。それでも混雑を抜け、寺脇の道を北上していくと人だかりは消え、静かな住宅地となっています。たまにすれ違う地元の人がこんな一角まで何をしに来ているのだろうの訝し気な顔をしていました。

川のせせらぎの音が聞こえてきます。木立の影にきらめいている紙屋川を左手に進んでいくと次第に道が細くなり、やがて苔むした石垣とお寺が見えてきます。

京の紅葉の裏名所として知られている浄土宗のお寺です。この季節には訪れる人もいないようでした。

墓地の奥に柳さく子地蔵がありました。1920年代半ばに松竹でトップクラスの人気を誇った女優さんが、身よりもなくひっそりと亡くなり、危うく無縁仏となりかけたところを旧友の武井龍三氏に救われこのお寺へと流れ着いたものです。

2年前に一度訪れた際、手ぶらではあれなのでと古い舶来のネックレスを持参しました。今回訪れた時、雨風にさらされた首飾りは鈍く錆びついていて辺りの風景に馴染んでいました。

10年以上京都に住んでいたのでお気に入りの場所はたくさんあるのですが、今一番落ち着くのはこの一角かなという気もします。焚かれた線香が頭を垂れている中、持ってきた古銭と絵銭を土産代わりに置くと最後にもう一度手を合わし、吟松寺を後にしました。

2017年4月30日 尾上松之助胸像 [京都・下鴨葵公園]

20170430-尾上松之助胸像01

鴨川の有名な三角州(通称デルタ)は同志社圏と京大圏の境でもあり、休みの日になると学生と家族連れでにぎわっています。

通りを挟んだ北側、糺の森に入っていく手前に尾上松之助の胸像が立っています。地元民は見慣れ過ぎて意識しないくらいかも。

2016年5月1日 栗島すみ子墓参 [東京・池上本門寺]

新宿到着。あまりに久しぶりすぎて土地勘がない。人の流れに乗ってそのまま移動。朝は肌寒いくらいでまだスプリングコートの人も多かった。山手線始発で五反田へ、メトロに乗り換え西馬込まで。坂の多い閑静な住宅街。

池上本門寺でお墓の見当をつけたもののなかなか見つからず一苦労。栗島家の墓は池田家の墓と向かうように並んでいた。池田家の墓の手前には黒い碑が一つ。

「栗島すみ子 ここに 眠る」

昭和63年、池田義信氏と栗島すみ子の長男に当る義一氏が建立したもので、碑に刻まれた文字は9代目松本幸四郎のものだそうである。香華を手向けて墓地を離れた。

2015年11月1日 川田芳子墓参 [新潟市・超願寺]

昼前から日が差し始めたため新潟行きを強行。新潟駅に着いたのが1時過ぎ、信濃川を抜けて古町方面へ。

お寺は白山公園に近い一角に位置していた。看板などは無く、ネットで見つけた一枚の写真を頼りに進んでいくと突き当たり手前、左手に川田家の墓石を発見。

途中でシネウィンドにも立ち寄っておく。パンフレットなど色々を確保。