1917-22 忘れじの独り花(33)ベルント・アルドー Bernd Aldor (1881 – 1950) 独

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Bernd Aldor c1920 Autographed Postcard
Bernd Aldor c1920 Autographed Postcard

1910年代後半に頭角を現してきたドイツ男優さんで、1916~18年頃のリヒャルト・オズヴァルト監督作品常連となりレオンティーン・キューンベルクリタ・クレルモントマンヤ・ツァッツェーワと共演、『ドリアン・グレイの肖像』などで主演を務めました。その後レックス映画社ではルプ・ピック監督の作品に出演、リア・イエンデ等のパートナーとして銀幕に登場しています。

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スイス『キネマ』誌1919年第16号より『世界の鏡』(ルプ・ピック監督)広告

[IMDb]
Bernd Aldor

[Movie Walker]

[出身地]
オスマン帝国(コンスタンチノープル)

[誕生日]
3月23日

[データ]
Photochemie, Berlin. K.121. phot. von A. Binder, Berlin
8.6 × 13.5cm

1917-22 忘れじの独り花(32)マグナス・スティフター Magnus Stifter (1878 – 1943) 墺

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Magnus Stifter c1920 Autographed Postcard
Magnus Stifter c1920 Autographed Postcard

1910年代から父親役などで活躍していたオーストリア俳優。キャリア初期にはアスタ・ニールセン主演で監督作を2本残しており、そのひとつ『恋のいろは(Das Liebes-ABC)』がDVD化されています。

Magnus Stifter and Asta Nielsen in Das Liebes-ABC
『恋のいろは(Das Liebes-ABC)』でのスティフターとニールセン

他にもルビッチの『カルメン』(1918年)やムルナウの『ジェキル博士とハイド氏』(1920年、現存せず)などドイツ映画の重要作に脇役で多く登場してきます。

[IMDb]
Magnus Stifter

[Movie Walker]
マグナス・スティフター

[出身地]
オーストリア(ウィーン)

[誕生日]
1月23日

[データ]
Photochemie, Berlin. K.2230. phot. Mac Walten, Berlin
8.5 × 13.5cm

1917-22 忘れじの独り花(31)ヴィオレッタ・ナピエルスカ Violetta Napierska (生没年不詳)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

VIoletta Napierska 1921 Autographed Postcard
VIoletta Napierska 1921 Autographed Postcard

フェルン・アンドラに通じる硬質で神経質な雰囲気を漂わせていたのがこちらのヴィオレッタ・ナピエルスカでした。主にリヒャルト・アイヒベルク監督作品に出演し、同監督夫人でもあるリー・パリーの脇に回る形で活動を続けていました。

ある時期のアイヒベルク監督作品には、後にドラキュラ伯爵役で名を上げるベラ・ルゴシも参加しています。リー・パリー主演、ルゴシ&ナピエルスカス助演作『夜の娘』(Der Fluch der Menschheit、1921年)が短縮版で現存しています。

VIoletta Napierska in Der Fluch der Menschheit (1921)
『夜の娘』(Der Fluch der Menschheit、1921年)より

[IMDB]
Violetta Napierska

[Movie Walker]
ヴァイオレッタ・ナピエルスカ

[誕生日]
不明

[出身]
不明

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Verl. Herm. Leiser, Berlin Wilm. 7223. Phot. H.W. Mager, Berlin.
「1921年12月 ミュンヘンにて」

1917-22 忘れじの独り花(30)リィ・ノイマン Ly Neumann (生没年不詳)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Ly Neumann 1921 Autographed Postcard
Ly Neumann 1921 Autographed Postcard

1910年代前半にハリー・ピール作品の常連として人気のあったルートヴィヒ・トラウトマンが10年代後半に自身のトラウトマン映画社を立ち上げた際、同社の花形として抜擢された女優さん。

それ以前に一作、ローザ・ポルテン(ヘンニ・ポルテンの妹)が共同監督した1918年作品に名前がクレジットされています。1918~20年の数作しか出演が確認されていませんが、クレジットされていないだけで他にも出ていると思われます。

[IMDb]
Ly Neumann

[Movie Walker]

[出身地]
不明

[誕生日]
不詳

[データ]
Verlag Berliner Känstlerbilder, N6645. Photo Kuzelowsky, Berlin W., Kurfürstendamm 216
8.2 × 13.3cm

1917-22 忘れじの独り花(29)ハンナ・リルケ Hanna Lierke (生没年不詳)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Hanna Lierke Autographed Postcard
Hanna Lierke Autographed Postcard

戦前ポーランド映画に功のあったダニー・カーデン(1884-1942)が最初に自身の映画社を立ち上げた際、その監督作で1918年頃デビューしたと思われる女優さん。

その後リヒャルト・オズヴァルトの映画社を経て、1920年からミュンヘンに拠点をおくバヴァリア映画社で大きな役を振られるようになっていきます。同社作品ではマンフレッド・ノア監督『賢者ナータン』(1922年)が良く知られていますが、ノア監督がその直前に撮った2部作『恐しき新婚旅行(Der heilige Hass)』でヒロイン役を演じていたのがハンナ・リルケさんでした。

Hanna Lierke in Der heilige Hass
『恐しき新婚旅行(Der heilige Hass)』でのハンナ・リルケ嬢

その後も小さなプロダクションに幾つか出演記録があるものの派手なスポットライトを浴びることはなく20年代中旬にフェイドアウトしていきました。

[IMDb]
Hanna Lierke

[Movie Walker]
ハンナ・リルケ

[出身地]
不明

[誕生日]
不詳

[データ]
Photochemie, Berlin. K.2494. phot. Atelier Walten, Berlin
8.7 × 13.6cm

1917-22 忘れじの独り花(28)ミア・パンコー Mia Pankau (1891 – 1974) 独


「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Mia Pankau Autographed Postcard
Mia Pankau Autographed Postcard
オランダ出身の映画監督ヤープ・シュパイアー(Jaap Speyer)氏を夫に持ち、1910年代に同氏作品に多く主演していた女優さん。

世に聞こえたオランダ出身監督ヤープ・シユパイアー氏の夫人でもあるミア・パウコー嬢は西プルシアの小さな町フリートラントにて生を受けた。同嬢の才能を最初に見出したのはオイゲン・イッレーシュ氏で、同氏は孃と契約を交わし『最新報告』(1917年)の女主人公役を委ねた。次いで嬢はグルウンバウム社、アルトフ社と契約、ミア・パンコー映画シリーズで名を上げる。最初のヒット作となったのはアルトフ社で撮られた『リリィとその良人』であつた。

世界映画辞典・1932年度版(フランク・アルノー編)
Universal Filmlexikon 1932 (Europa),
Frank Arnau (Hg.), Berlin: Universal Filmlexikon GmbH, 1932

1924年、独歴史映画の秀作『ヘルマンの戦い』ではヒロインの一人グントヒルトを好演。

Mia Pankau in Die Hermannschlacht (1924)
1924年公開『ヘルマンの戦い』(Die Hermannschlacht)より

また1928年の『妖花アラウネ』にも出演。同作は科学者(パウル・ヴェゲナー)が死刑囚の精子と売春婦の卵子を使って人工生命(ブリギッテ・ヘルム)を作り出す設定でした。冒頭で科学者に騙され、卵子目的で命を奪われる哀れな娼婦を演じていたのがミアさんでした。

Mia Pankau in Arlaune (1928)
1927年公開『妖花アラウネ』(Arlaune)より

1930年代となり、良人が監督した『南米向け踊り子募集』(Tänzerinnen für Süd-Amerika gesucht、1931年)でトーキーデビューを飾るも同作が引退作となりました。20~30年代だけ見ていると正直パッとしませんが女優業の本体は1910年代にあり、その実態は多くの失われたフィルムの先に見えなくなってしまっています。

[IMDb]
Mia Pankau

[Movie Walker]
ミア・パンコー

[出身地]
東プロイセン(フリートラント)

[誕生日]
2月14日

[サイズ]
8.7 × 13.4cm

[データ]
Verl. Herm. Leiser, Berlin-Wilm. 4356. Photogr. Max Lutze.

1917-22 忘れじの独り花(27)リタ・クレルモント Rita Clermont (1894 – 1969) 独


「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Rita Clermont 1910s Autographed Postcard
Rita Clermont Autographed Postcard

1910年代初頭から地方の劇場で女優として訓練を積み、第一次大戦中に上京、映画女優としてのキャリアを踏み出しました。娘役として人気があり、当初の軽喜劇路線から次第にジャンルを広げ始めミステリー物やメロドラマ、ホラー作品にも進出していきました。デビュー当初はオスカー・メスター社と契約、その後ノイトラール社を拠点としていきますが、デクラ社やリヒャルト・オスヴァルト社など多くの映画社に出演記録があります。

Ririta Clermont 1917 Neutral Film Ad
1917年スイスの映画誌『キネマ』掲載のノイトラール社広告。
アスタ・ニールセンやレオンティーヌ・キューンベルグと並ぶ
稼ぎ頭だった様子が伝わってきます。
1921年頃を境に人気は下り坂となり、以後は脇役に回って1924年映画界を離れました。現在思い出される機会の少ない女優さんながらもヘッダ・ヴェルノンと並びドイツ映画が花開き始めた時期を支えた先駆者の一人でもあります。

[IMDb]
Rita Clermont

[Movie Walker]

[出身地]
ドイツ(レーゲンスブルク)

[誕生日]
3月4日

[データ]
Photochemie, Berlin. K.161. Bildnis von A. Binder, Berlin

[データ]
8.5 × 13.5cm

1917-22 忘れじの独り花(26)マリア・ヴィダル Maria Widal (生没年不詳) デンマーク


「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Maria Widal Autographed Postcard
Maria Widal Autographed Postcard
1910年のアスタ・ニールセン銀幕デビューはデンマーク国内のみならず全世界的な話題を呼び、同嬢は1912年に拠点をドイツへと移し個性的な活動を展開していくこととなりました。この展開を支えたのが夫でもあったウアバン・ガーズ監督です。

同監督は1916年までニールセン短編シリーズを手掛けておりましたが、夫婦仲の悪化に伴い共同作業を解消、1917年からサチュルヌ映画社で再出発を図ります。新シリーズのヒロインとして抜擢されたのがマリア・ヴィダルという無名の新人女優でした。

Maria Widal in Die Gespensterstunde (1917)
『丑三つ時』 (Die Gespensterstunde、1917年)
現存する『丑三つ時』 Die Gespensterstundeではニルス・クリサンダーと共演。しかしニールセン程の成功を収めることは出来ず、1918年頃までサチュルヌ社に作品を残し大戦終了後に姿を消していきました。
Luzzy Werne01
1914年デンマーク『フィルメン』誌より
現代のメッサリナ』広告での「Luzzy Werne」
Maria Widal in Ned med våbnene (1915)
『武器を捨てよ!』(1915年公開、
ノルディスク社、ホルガー=マドセン監督作品)
主人公の友人である男爵夫人役として登場
(左から二番目のティアラ姿の女性)
1917年より前に「マリア・ヴィダル」が活動していた記録はありません。ドイツ的な要素を強調していたにも関わらず、その正体はデンマーク初期映画でLuzzy Werren(或いはWerne)として活躍していた女優さんでした。ガーズ監督がニールセンとの関係解消後、同郷の知己だった中堅女優を「ロンダリング」してドイツで再デビューさせたのが実際だったようです。

[IMDb]
Maria Widal

[Movie Walker]

[出身地]
不詳(推定デンマーク)

[誕生日]
未詳

[サイズ]
8.6 × 13.5cm

[データ]
Film-Sterne 112/3 phot. Nicola Perscheld Berlin W. 9

1917-22 忘れじの独り花(25)クララ・ヴィート Clara Wieth (1883 – 1975) デンマーク

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Clara Wieth 1910s Autographed Postcard
Clara Wieth (Clara Pontoppidan) c1920 Autographed Postcard

1910年に映画デビュー。当初はレジア芸術映画社を拠点とし『ドリアン・グレイの肖像』や 『大都会の誘惑』(いずれも1911年)にヒロイン役で登場、若き美青年俳優W・スィランダのデビューに立ち合いました。すぐにノルディスク社に移りオーガスト・ブロム監督(『血を吸う踊り子』1912年)やホルガー・マドセン監督作品で重用され、同時期にスウェーデンでもスティッレルやシェストレム初期作でヒロインを務めます。

1920年前後にかけ出演ペースが落ちていくものの、カール・テオドア・ドライヤーの初期作『むかし、むかし』(1922年)の美しく傲慢な姫君役など北欧映画史の希少な瞬間を演じました。

Clara Pontoppidan in Der var engang (1922)
『むかし、むかし』(1922年、カール・テオドア・ドライヤー)

1920年に再婚で名字が変わります。以後はクララ・ポントピダンとして活動。20年代半ばに映画界を離れ舞台に移りますが、二次大戦後に復帰、主演作を挟み70年代までデンマーク映画を支え続けていきました。

クララ・ヴィート名義のサインは名字変更前の1910年代と断定して良さそうです。

Clara Wieth in Filmen (1915)
デンマークの映画誌『フィルメン』
1915年度第10号の紹介記事

[IMDb]
Clara Pontoppidan

[Movie Walker]

[出身地]
デンマーク(コペンハーゲン)

[誕生日]
4月23日

[サイズ]
8.6 × 13.5cm

[データ]
K.136. (Photochemie, Berlin)

1917-22 忘れじの独り花(24)リア・ヴィット Ria Witt (1896 – ?) 独

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Ria Witt c1919 Autographed Postcard
Ria Witt c1919 Autographed Postcard

1896年、ドイツ西部のドルトムントにほど近い町ヴァッテンシャイト生れ。本名はマリア・ヴィトリッヒ(Maria Wittlich)。食料品店を営んでいた両親を幼い時から手伝っていましたが、18歳の時首都ベルリンに出て女優として自活を目指します。

1915~16年頃の動向は不明。1917年から本名を縮めた「リア・ヴィット」名義での映画出演記録が残っています。この後アトランティック映画社と契約、1919年に「リア・ヴィット・シリーズ」の形で主演作品が次々と公開されていきました。

Ria Witt in Kinema (Zurich, 1919) No15
スイスの映画雑誌キネマ1919年4月12日付 第15号より、アトランティック映画社広告

彼女の出身地ヴァッテンシャイトにも映画館があり、公開時には町をあげて盛り上がっていたそうです。しかしこの主演シリーズのみで女優業を引退、20年代以降名を忘れられていく形となりました。総出演作品数が10作程度とされており、現存作品は確認されておりません。それでも2014年に地元ヴァッテンシャイトの郷土博物館で小規模の回顧イベントが開かれていた話が独紙で伝えられています

[IMDb]
Ria Witt

[Movie Walker]

[出身]
ドイツ(ヴァッテンシャイト)

[データ]
1522. Bildnis von Anny Eberth, Berlin.

1917-22 忘れじの独り花(23)テア・ザンドテン Thea Sandten (1884 – 1943) 独

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Thea Sandten 1919 Autographed Postcard
Thea Sandten 1919 Autographed Postcard

1912年に女優デビュー、独ミュートスコープ、独ビオスコープ、独ヴィタグラフ社、伊ミラノ社、エイコ映画社など多くの映画会社で主演、助演のキャリアを積み重ねていきました。現存作品の一つが『ホフマン物語』(1916年、リヒャルト・オズヴァルト監督)で、三部構成の第二部でヒロインのジュリエッタを演じています。

Thea Sandten in Hoffmanns Erzählungen  (1916)
1916年『ホフマン物語』(Hoffmanns Erzählungen)より

また2017年に発売された4枚組DVDセット『カフカ、映画に行く(Kafka geht ins Kino)』で『テオドール・ケルナー』(1914年)を見ることができるようになりました。『カフカ、映画に行く』は古くから有名な研究書で、作家の手紙や日記から当時見ていた映画を特定し、カフカ小説への影響を論じた書籍です。DVDはカフカが見た映画で現存作品を集めた内容です。

テアさんは『テオドール・ケルナー』で主人公の詩人の妻となる女性を演じていました。格別演技が上手い訳ではないのですが、大きな目鼻立ちを一杯に使ってみずみずしい感情表現に成功しています。

Thea Sandten in Theodor Körner
1914年の『テオドール・ケルナー』(Theodor Körner)より

その後自身の映画会社を設立するも大きな話題となることはなく20年代になって忘れられていきます。1930年代末、3度目の結婚の相手は自身と同じユダヤの血が流れた男性でした。ベルリンにとどまり続けた夫婦は迫害の対象となり、1942年末にアウシュビッツに送られ翌年冒頭に殺害されています。

[IMDb]
Thea Sandten

[Movie Walker]

[出身地]
ヴロツワフ(現ポーランド)

[誕生日]
6月30日

[データ]
Photochemie, Berlin. K.1456. phot. Willinger, Berlin.

1917-22 忘れじの独り花(22)マルギット・バルナイ Margit Barnay (1896 – 1974)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Margit Barnay c1920 Autographed Postcard
Margit Barnay c1920 Autographed Postcard
母親が画家、祖父が歌手という芸術家一家の環境に育ち、本人も早くから絵画や音楽の世界を志しています。1919年、当時人気のあった監督ジークフリート・デサウァーの目に留まり『愛の子』で女優デビュー、映画スタジオを立ち上げたばかりのムルナウが監督デビュー作『青衣の少年』と次作『サタン』でヒロインに起用して名前が知られるようになりました。

1920~22年がキャリアのピークでディミトリー・ブコエツキーやウアバン・ガーズ、フランツ・ホーファ作品の主演を歴任していきました。この頃の作品でオランダの映画社で撮った『アレクサンドラ』(1922年)が現存しており、同国の映像資料館オンライン・アーカイヴEYEで公開されています。

Margit Barnay in Alexandra (1922)
1922年の『アレクサンドラ』より

20年代中盤に出演作が減っていき27年を最後に映画界を引退。家系にユダヤの血が多く流れていたため目立った活動が出来なくなりました。旦那さんがナチスお抱えの建築家だったため、収容所などには送られず済んだようです。

絵葉書には「エーマンス嬢へ、マルギット・バルナイより親愛をこめて」の宛名入りメッセージが付されています。

[IMDB]
Margit Barnay

[Movie Walker]
マルギット・バルナイ

[誕生日]
4月5日

[出身]
ドイツ(ベルリン)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Verl. Herm. Leiser, Berlin Wilm. 6628. Phot. Becker & Maass. Berlin-W.

1917-22 忘れじの独り花(21)ロリ・ロイクス Lori Leux (1896 – 1964)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Lori Leux c1920 Autographed Postcard
Lori Leux c1920 Autographed Postcard

彫刻家の父親、オペラ歌手の母という芸術家一家に生まれ育ち、早くから舞台で活躍。「ロリ」という芸名は本名のエレオノーレの愛称から。映画デビューは1914年でしばらくは舞台と映画を同時進行で進めていきます。1920年に制作された7話構成の大作活劇『無名の快傑』に準ヒロインとして登場。同作は日本でも公開されていました。
Lori Leux from doctor Fritz Mendel's Scrapbook
1910年代中盤、舞台で活躍していた頃の雑誌記事より(Fritz Mendel博士旧蔵のスクラップブックより)
Lori Leux in Die Hand der Nemesis (Der Kinobesitzer, 1918-10-05)
1918年の主演作『復讐の女神の手』(Die Hand der Nemesis)紹介記事。リヒャルト・アイヒベルク監督でカール・オーエンと共演。キノ・ベジッツァー誌1918年10月15日付

その後は映画界と距離を置き始め1925年に出演記録が途切れます。戦後、晩年になった1950年代に端役として復帰し6作に出演しました。

[IMDB]
Lori Leux

[Movie Walker]
Lori Leux

[誕生日]
6月23日

[出身]
ドイツ(ベルリン)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Photochemie, Berlin. K.128. Bildnis von A. Binder, Berlin

1917-22 忘れじの独り花(20)リア・レイ Lya Ley (1899 – 1992) 墺

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Lya Ley c1920 Autographed Postcard
Lya Ley c1920 Autographed Postcard

幼いころから女優に憧れ、15歳でベルリンの劇場の舞台に立ちます。俳優パウル・ハイデマンの勧誘で映画に参入、戦中の1916年、フランツ・ホーファーの軽喜劇の娘役として女優業のスタートを切りました。多数のホファー作品に出演を続ける傍ら、1917~18年にかけてエイコ映画社でミステリー作品にも挑戦し芸風と人気を広げていきます。

Lya Ley in H. Moest's Die Goldprinzessin (1918-04)
独エイコ社による『黄金姫』紹介記事。ニック・カーター探偵物をドイツ舞台で翻案したミステリー作品です。1918年4月8日キノベジッツァー誌より

終戦前後の人気は高かったようでKOWO映画社が彼女の名を冠した「リア・レイ軽喜劇シリーズ」を企画、『結婚済の独身者』等を含む8作で主演を果たしています。

1919年を最後に長らくフランツ・ホーファー監督の元を離れ、その後僅か数作を撮ったのみで1922年に映画界を離れています。1919年に出版された『映画の女たち』インタビューでは女優業を楽しんでいる様子が伝わってきていたため唐突なキャリアの終焉ではありました。

[IMDB]
Lya Ley
[Movie Walker]

[誕生日]
10月19日

[出身]
オーストリア・ハンガリー/チェコ (オパヴァ)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Film-Sterne 179/2. Becker & Maass. Berlin-W.9. phot.

1917-22 忘れじの独り花(19)ヒルデ・ウォルテル Hilde Wolter (1898 – ?)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Hilde Wolter c1920 Inscribed Postcard
Hilde Wolter c1920 Inscribed Postcard

1918年、ハンス・ハインツ・エーヴェルス原作の怪奇小説『アルラウネ(妖花アラウネ)』が初めて映画化されています。魔草マンドラゴラを通じて生を受けた人造人間アルラウネを主人公としたSF仕立ての物語で、ヒロインを演じていたのがヒルデ・ウォルテルでした。初期ハンガリー映画界名匠オイゲン・イッレーシュ監督による大作は評判を呼びました。

Die Neue Kino Rundschau 1919-02-09-45
ノイエ・キノ・ルントシャウ誌1919年2月1日付
『アルラウネ』宣伝
同作の成功を受けて独ミュートスコープ&ビオスコープ社が契約に乗り出し、1919年には早くも女優自身の名を冠した映画シリーズが製作されています。しかし大きな成功を収めることはできぬまま1920年代初頭に契約を解消してオルプリート映画社に転籍。1922年にフレート・ザウエル監督作品で再起を図りますがこちらでも結果が出ないまま、ニルス・クリサンダー監督&主演作、『燃え上がる世界』(Die Welt in Flammen、1923年)を最後に姿を消していきました。
Die-Neue-Kino-Rundscha-1919-08-23-28-hilde-wolter
「ヒルデ・ウォルテル主演映画シリーズ」告知。ノイエ・キノ・ルントシャウ誌1919年8月23日付

[IMDB]
Hilde Wolter

[Movie Walker]

[誕生日]
6月19日

[出身]
ドイツ(ベルリン)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Verlag « Ross » Berlin S.W. 68. 359/1 Deutsch Mutoskop u. Biograph Film. Becker & Maass. phot.

1917-22 忘れじの独り花(18)プリシラ・ディーン Priscilla Dean (1896 – 1987) 米

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Priscilla Dean c1920 Autographed Postcard
Priscilla Dean c1920 Autographed Postcard
フィア・エーマンスさん旧蔵品では数少ないハリウッド女優のサイン物。

第一次大戦中のドイツは経済制裁により(少なくとも表向きは)アメリカ製の映画の輸入が禁じられていました。終戦後、この時期のハリウッド作品が順次公開されていきます。

ハリウッドではビクトリア朝的な女優像からモダンな女性への転換が進められており、1910年代デビュー女優の多くが忘れられていきます。そんな中、コリーン・ムーアやプリシラ・ディーンは少年的な雰囲気もあって上手く時代に適応していきました。

『法の外』(1920年)より
『法の外』(1920年)より

プリシラ・ディーンはトッド・ブラウニング作品の常連として『法の外』(Outside the Law, 1920)など個性を生かした作品に次々と出演していきます。

[IMDB]
nm0212912

[Movie Walker]
プリシラ・ディーン

[誕生日]
11月25日

[出身]
合衆国(ニューヨーク)

[サイズ]
8.6 × 13.5cm

[データ]
Verlag Ross, Berlin SW 68. 519/3.

1917-22 忘れじの独り花(17)ガード・エゲーデ=ニッセン Gerd Egede-Nissen (1895 – 1988) ノルウェー

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Gerd Egede-Nissen Autographed Postcard
Gerd Egede-Nissen c1920 Autographed Postcard
今までにも数度名前が出てきている北欧の人気女優アウド・エゲーデ・ニッセンの妹に当たるガードさん。エゲーデ・ニッセン家は元々俳優一家で、アウドと妹弟含めて6名が劇の道に進んでいます。

1918年9月7日付ノイエ・キノ・ルントシャウ紙より 主演作『復讐の女神』の広告
1918年9月7日付ノイエ・キノ・ルントシャウ紙より 主演作『復讐の女神』の広告

姉アウドとは異なりガードさんはノルウェーの舞台を中心とした活動を続け、戦後までの長いキャリアを築いていきます。それでも折に触れて映画に出演、当初はデンマークでスィランダと共演を重ね、次いで1918年からは(姉アウドを中心とした)ドイツ拠点のエゲデ・ニッセン映画社作品に出演し始めました。地元ノルウェーに戻って制作された『パン』(1922年)は商業的な成功も収めています。

『パン』(1922年)より
『パン』(1922年)より

[IMDB]
nm0250791

[Movie Walker]

[誕生日]
4月21日

[出身]
ノルウェー(ベルゲン)

[サイズ]
8.5 × 13.4cm

[データ]
Verl. Herm. Leiser, Berlin Wilm. 7477.
メッセージ面に1916年11月21日に独ケルンでタイプ打ちされた文章有。

1917-22 忘れじの独り花(16)エディット・メラー Edith Meller (1897 – 1953)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Edith Meller c1920 Autographed Postcard
Edith Meller c1920 Autographed Postcard
第一次大戦中の1916年にデビューし1922年頃まで旺盛な活動を見せていたハンガリー出身の女優。

初期はナチオナール映画社やPAGU社作品に多く出演。このうち助演した1917年の « Der feldgraue Groschen »が現存しており、オンラインで動画が公開されています。

« Der feldgraue Groschen »でのエディット・メラー(右端)

1920年にPAGU社で製作された恋愛アドベンチャー『熱国の呪』(Indische Rache)は日本でも公開されています。

Edith Meller in Die wilde Ursula (1918)
キノベジッツァー誌 1918年5月13日付
初期主演作 « Die wilde Ursula » の紹介記事

[IMDB]
nm0577914

[Movie Walker]
エディット・メラー

[誕生日]
9月16日

[出身]
ハンガリー(ブダペスト)

[サイズ]
8.6 × 13.6cm

[データ]
Film-Sterne 133/4. J.Brass

1917-22 忘れじの独り花(15)ヒルデ・ヴェルネル Hilde Wörner (1895 – 1963)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Hilde Wörner c1920 Autographed Postcard
Hilde Wörner c1920 Autographed Postcard

多年の舞臺經歴を有するドイツ知名の名女優で、映画に出演することは頗る稀で僅に數種あるのみです。我國には「王城鬼ボルサモ」が紹介されたのみだが、容姿の端麗、演技の確實なことは優に群少女優を抜いてゐる。

『世界のキネマスター』(1925年)

Hilda-Worner02

カリオストロ侯爵を主役に据えた奇譚『王城鬼ボルサモ』(1920年)で初めて出演作が紹介され、その後『快傑ダントン』(1921年)で日本のスクリーンに再登場しました。

元々はリザ・ワイゼ(Lisa Weise)が抜けた穴埋めでベルリン劇場に雇われたのがきっかけで、すぐに映画社の目に留まり映画女優デビューにこぎつけます。

Hilde Wörner in Danton (1921)
『快傑ダントン』(1921年)より

『快傑ダントン』では仏革命期に権力を持った政治家エロー・ド・セシェルに拾われ、豪華な貴族生活にまぎれこんでいく少女バベットを演じていました。また、日本未公開ながらルビッチのドイツ期最終作として知られる『炎』(Die Flamme、断片のみ現存)でも準ヒロインの扱いで登場しています。

[IMDB]
nm0937339

[Movie Walker]
ヒルデ・ヴェルネル

[誕生日]
11月17日

[出身]
ドイツ(カッセル)

[サイズ]
8.7 × 13.5cm

[データ]
Verl. Herm. Leiser,Berlin-Wilm. Phot. Zander & Labisch 1219

1917-22 忘れじの独り花(14) エステル・カレナ Esther Carena (1898 – 1972)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Esther Carena c1920 Autographed Postcard
Esther Carena c1920 Autographed Postcard

女優としての活動は大正時代の後期(1916~24年)に集中しています。1916年に舞台の仕事を探しにイタリアからドイツへやってきたのですが、仕事はなく、当初は「乗り気ではなかったのだけれど」映画で生計を立て始めました。

経験を積むにつれ映画の可能性を実感していくようになり、自身の衣装デザインを手掛けるなど積極的な自己主張を見せるようになります。ケリー・ドイチュラント探偵物(ハリー・ピール主演)やウェッブス探偵物(エルンスト・ライヒャー)などミステリー作品に多く出演、イタリア時代に心得のあったアクロバットの経験も生かし、アクションや舞踏など活動派のセンスも見せています。

der kinobesitzer, 1918-06-01, seite 11-carena
キノ・ベジッツアー誌1918年6月1日号より、ハリー・ピール監督作品『彼奴の仇敵』(Sein Todfeind)紹介記事
Esther Carena in Ikarus, der fliegende Mensch (1918)
『鳥人イカルス』(1918年, Ikarus, der fliegende Mensch)より

初期作品の一つ、第一次大戦を背景にしたメロドマラマ『鳥人イカルス』はフィルムが現存しており、ドイツ映画協会のオンラインサイト、フィルムポータル.deにてデジタル版が公開されています。

[IMDB]
nm0136824

[Movie Walker]
Esther Carena

[誕生日]
8月24日

[出身]
ドイツ(ハノーファ)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Verl. Herm. Leiser, Berlin Wilm. 3035