1917-22 忘れじの独り花(10)イーフェン・アンデルゼン Iven Andersen (生没年不明)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Iven Andersen c1920 Autographed Postrcard
Iven Andersen c1920 Autographed Postrcard

かつて「蛇身の舞」に於て妖艶万人を悩殺し去ったイーフェン・アンデルゼン嬢の主演映画 […]。

『恋に死ぬまで』(公開年不明)
キネマ旬報映画データベース

松竹がドイツ映画を多数輸入した第一回公開映画である。無声。

『蛇身の舞』(1919年公開)
キネマ旬報映画データベース

キネマ旬報映画データベースには1919年に「松竹がドイツ映画を多数輸入した」の記述がふくまれています。今回「忘れじの独り花」で紹介している流れに対応するもので、この時に第一弾公開『蛇身の舞』に主演していたのがイーフェン・アンデルゼンでした(Jven表記もあり)。

第一次大戦でドイツ映画の紹介が一時途絶えていたこともあり、同作の公開は歓迎され一部からの評価が高かった様子もうかがえます。

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ノイエ・キノ・ルントショウ誌1919年10月11日号より、『蛇身の舞(Indische Nächte)』公開告知

しかしドイツ語圏でそこまで話題となっていた訳ではないようです。1919年10月17日にウィーンで封切りされた記録はあるものの作品評などは出ていませんでした。

主演のイーフェン・アンデルゼンもこの後数作で映画界から消え忘れられていきます。詳しい消息は不明ながら数年後、英国のリトルシアターで踊りを披露した記録(バラエティー誌1923年9月号)は見つかっています。映画の役柄でも踊り子役が多くこちらが本職だったのでしょう。

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英バラエティー誌1923年9月号より。リトルシアターで行われたパフォーマンスの紹介記事。

[IMDB]
nm1949675

[Movie Walker]
イーフェン・アンデルゼン

[誕生日]
不詳

[出身]
不明

[サイズ]
8.8 × 13.7cm

[データ]
Photochemie, Berlin. K.2866. phot. Atelier MacWallen, Berlin.

1917-22 忘れじの独り花(9)レオンティーン・キューンベルク Leontine Kühnberg (1890 – ?)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Leontine Kühnberg 1921 Autographed Postcard
Leontine Kühnberg 1921 Autographed Postcard

第一次大戦以前(1912年)から活動を始めており、比較的長いキャリアを持った女優さんです。

貴族風とも呼べる華奢な容貌と感情豊かな大きな眼を生まれながらに兼ね備え、外見もまた彼女の芸術を完成させるに申し分ない働きをしている。店の売り子から洗練された貴婦人まで人の多彩な感情を演じ分けることができる。[…]

これまでの実績で最も際立っているのが『ジュディット・トランヒテンベルク(ユダヤの娘)』であるのに異存はないであろう。本作での彼女は自身の民の娘たちが辿りがちな運命を体現してみせた。あれほどまでの心の動き、心の折れ方はとても強烈で、情け心を備えた者は二度と忘れえぬほどであった。この役にせよ数多ある他の役にせよ、レオンティーン・キューンベルクが最高位の表現者であると示しているのである。

「今月の表紙」、フィルムヴェルト誌、1921年25号

Sie vermag alle Nuancen menschlicher Leidenschaft vom kleinen Ladenmädchen bis zur mondänen Weltdame zu interpretieren. […] Ihre wertvollste Leistung was bisher entschieden die « Judith Trachtenberg », in der sie das tzpische Schicksal einer der Töchter ihres Volkes mit soviel seelischem Miterleben, so starkem innerlichen Hingegebensein darstellt, dass keinem künstlerisch unempfindsamen Zuschauer diese Leistung jemals wird vergessarbar sein können. Diese und noch viele andere Rollen zeigen, dass Leontine Kühnberg eine Darstellerin vonhohem Grade ist.(« Zu unserem Titlebilde », Die Filmwelt, 1921, Heft 25)

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1921年に映画誌の表紙を飾った際に残されていた文章の一部です。様々な映画に出演していたこともあり同時代の愛好家なら幾つかの役柄をパッと思い出せる女優さんだったと分かります。

また文中で引用されている『ジュディット・トランヒテンベルク(ユダヤの娘)』について、「自身の民の娘たち」というややぼかした表現で女優自身がユダヤ系であることも示されています。訳出した文章の少し前に「異国風の(エキゾチックな)印象」とあり、アーリア系女優と異なった雰囲気も評価されていたようです。

Leontine Kühnberg in So rächt sich die Sonne
『お天道様は忘れない』(So rächt sich die Sonne, 1915年)

1920年公開の『ジュディット・トランヒテンベル(ユダヤの娘)』、翌年公開の表現主義作品『月上の家』でヒロインを務めるなど、実力と経験値に相応しい活躍を見せていましたが、それでも時代の流れには抗えず1923年には映画界を離れています。

[IMDB]
nm0478147

[Movie Walker]
レオンティーン・キューンベルク

[誕生日]
未詳

[出身]
不明

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Aufnahme Karl Schenker. Verlag W.J. Morlins/Berlin W. 15. Vertrieb. Ross-Verlag/Berlin SW68 9008/2

1917-22 忘れじの独り花(8)マグダ・エルゲン Magda Elgen

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Magda Elgen c1920 Autographed Postcard
Magda Elgen c1920 Autographed Postcard

1910年代末のドイツ映画については数点の書籍資料が知られています。大半の入手が難しくなっている中で『フィルムの中の女(Die Frau im Film)』は個人による電子テキスト化が行われており、非常に貴重な情報源となっています。

同書は1919年にスイスで発行された書籍で、当時人気のあった独語圏の女優28名のインタビューを収めたものです。本サイトで紹介しているエルナ・モレナリリー・フロールらを筆頭に、現在忘れられてしまった女優も多く含まれていました。

マグダ・エルゲンについては同書のインタビューが唯一の情報源とされています。それによると、ウィーン滞在時に映画撮影に初めて遭遇、メイン女優が乗馬の場面を拒否したため代役で出演したのが女優になるきっかけだったそうです。

メルセデス映画社の映画監督であるオットー・リンス=モルシュタットと結婚して初めて、自分の仕事に満足できるようになりました。映画が発展していく可能性を理解し、再び芸術と足並みをあわせていけると思ったのです。メルセデス映画社から、私の主演する映画シリーズが製作されることになっています。

「マグダ・エルゲン・インタビュー」『フィルムの中の女』より

Erst nach meiner Verheiratung mit dem Regisseur der »Mer­cedes-Film-Gesellschaft«, Otto Lins-Morstadt, fand ich Befrie­digung in meinen Aufgaben. Ich sah die Entwicklungsmöglich­keit des Films und fand die Parallele zur Kunst wieder. Die »Mercedes-Film-Gesellschaft« stellt meine Serien her. (Die Frau im Film, 1919)

メルセデス映画社による主演作が公開されたという記録は残っておりません。その代りカール・ハインツ・ウォルフ監督が創設したKOWO映画社から、「マグダ・エルゲン主演ドラマシリーズ」として『墨西哥(メキシコ)の女』(1919年)が発表されています。

Magda Elgen in Die Mexicanerin
『墨西哥(メキシコ)の女』(1919年)のプロモ用スティル
マグダ・エルゲンとコンラート・ファイト

若きコンラート・ファイトとの共演作ながらフィルムは現存していません。その後は主演映画の企画そのものが途絶えており、脇に回る形で20年代の活動を続けていきました。1910年代の初期作ではアリィ・コルベルグシャルロッテ・ベックリンと共演していた記録も残っています。

[IMDB]
nm1507778

[Movie Walker]

[誕生日]
未詳

[出身]
不明

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Kunstvelag Juno, Chariottenburg. 139. Phot. E. Schneider

1917-22 忘れじの独り花(7)イルンガルド・ベルン Irmgard Bern

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Irmgard Bern c1920 Autographed Postcard
Irmgard Bern c1920 Autographed Postcard

1920年、アスタ・ニールセンとコンラート・ファイトを主演にした映画『輪舞』(Der Reigen)が公開されました。一度は売春婦に身を崩しながらも人生を立て直そうと試みるヒロインをアスタ・ニールセンが演じ、そこに絡んでいく陰湿なヒモ男をファイトが演じた痴情物のメロドラマです。

物語の途中、アスタ・ニールセンは裕福な商人の家で子守の仕事を引き受けます。ところがこの商人がアスタに懸想し、無理矢理言い寄っていた所を奥さんに見つかり修羅場となっていきます。

Irmgrd Bern in Der Reigen
『輪舞』(Der Reigen、1920年)でのイルンガルド・ベルン
(有志による8ミリからのデジタル化)

夫に浮気され、発作を起こして急逝する奥さんの役で登場していたのがイルンガルド・ベルンでした。この前後(1919~21年)に映画出演の記録が多く『スフィンクスの謎』『愛の悲劇』など幾つかは日本でも公開されています。『スフィンクスの謎』でも主人公の許婚として登場しながら別な女性に奪われ病死する役どころでした。薄幸の麗人の位置づけでしょうか。

『輪舞』はスタッフの豪華さ(監督はリヒャルト・オズワルド)にも関わらず公開当時「並の出来映え」の評価。それでもニールセン/ファイトの共演作だったこともあり、戦後の西ドイツで8ミリ版が発売されていました。

[IMDB]
nm0075956

[Movie Walker]
イルンガルド・ベルン

[誕生日]
未詳

[出身]
不明

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Verl. Herm. Leiser, Berlin-Wilm. 1094. Atelier Eberth Berlin.

1917-22 忘れじの独り花(6)マルガ・キールスカ Marga Kierska

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Marga Kierska c1920 Autographed Postcard
Marga Kierska c1920 Autographed Postcard

1919年公開の『フィレンツェのペスト(Die Pest in Florenz)』は独デクラ社が海外市場を意識して製作した大作の第一弾でした。監督に連続劇『ホムンクルス』のオットー・リッペルト、脚本にフリッツ・ラングを配しています。

Marga Kierska in Die Pest in Florenz
『フィレンツェのペスト』(Die Pest in Florenz、1919年)より

ルネサンス期を舞台とした歴史パニック劇で実質的な主人公を演じていたのがマルガ・キールスカ(マルガ・フォン・キールスカ)。市中に広まっていく災禍に目を背け、贅沢と享楽に身を滅ぼしていく悪女の位置付けです。

とは言え「私の信じてる神は愛だけなの!」と言い放ち宗教者をたじろがせる場面や、地獄巡りの道中に自分の末路を重ねあわせ怯える場面など単純な善悪に収まらない多層的な性格付けを見ることもできます。セットや衣装に費用をかけるだけが大作ではない訳でリッペルトの演出、ラングの脚本共に一段高いレベルを目指している様子が伝わってきます。

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雑誌広告(ノイエ・キノ・ルントショウ誌1919年10月11日号)より。

ヒロインに抜擢されたマルガ・キールスカもまた来るべき新映画の要請に応えています。この後ポーラ・ネグリやアスタ・ニールセンの脇に回った作品数作でフェイドアウトしてしまったのが惜しく思われます。

[IMDB]
nm0902524

[Movie Walker]
マラガ・フォン・カイエルスカ

[誕生日]
未詳

[出身]
不明

[サイズ]
8.8 × 13.5 cm

[データ]
Photochemie, Berlin. K.3315 phot. Bildnis Karl Schenker, Berlin.

1917-22 忘れじの独り花(5)マルガレーテ・ランネル Margarete Lanner (1896 – 1981)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

マルガレーテ・ランネル サイン入り絵葉書
Margarete Lanner 1925 Autographed Postcard

「1925年8月21日、ベルリン」の日付入り。

『メトロポリス』の冒頭、 永遠の園で主人公(グスタフ・フレーリッヒ)が華やかな女性陣と戯れている場面が描写されています。噴水のほとりで女性を抱きしめた際、地下世界からやってきたマリア(ブリギッテ・ヘルム)と子供たちに見つかる展開は良く知られています。

グスタフ・フレーリッヒ&マルガレーテ・ランネル
『メトロポリス』(Metropolis、1927)の永遠の園の場面より
グスタフ・フレーリッヒと並んで

この場面でフレーリッヒの抱擁を受けていたのがマルガレーテ・ランネルでした。1919年に女優デビュー後、ヴェラ映画作品社(Vera-Filmwerke GmbH)の中心女優として頭角を現し、ヒロイン〜準ヒロイン級のオファーを受けるようになっていきました。

20年台半ばに難易度の高い役柄にも挑戦し始め、トップ女優とは言えないまでも安定した知名度と人気を獲得していきます。『メトロポリス』では配役のクレジットがない小さな扱いでしたが当時それなりに知られていた女優さんでもありました。

1927年をキャリアの頂点とし無声映画の終焉と共に引退。短期間の復帰はあるものの以後舞台に転じていきます。

[IMDB]
nm0486938

[Movie Walker]
マルガレーテ・ランネル

[誕生日]
2月17日

[出身]
ドイツ(ハンブルグ)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Verlag Herm. Leiser, Berlin Wilm. 6013. photo. Rembrandt.

1917-22 忘れじの独り花(4)マリア・レイコ Marija Leiko (Мария Лейко 1887–1938) ラトビア

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

マリア・レイコ 1920年 サイン絵葉書
Marija Leiko 1920 Autographed Postcard

2017年8月から9月にかけて、リガ映画博物館で無声映画期の女優、マリア・レイコの回顧展が開催されていました。自国ラトビアでもほぼ忘れ去られていた女優だったため、この企画で初めて名前を知った人も多かったようです。

Marjia Leiko in Die Spelunke (mid 1910s)
1910年代中頃の舞台関連絵葉書
フリッツ・メンデル氏旧蔵スクラップ帖より)

1900年代末にドイツへと移り、演劇の下積みを重ねながら知名度を上げていきます。古典劇を得意とし『ハムレット』や『ファウスト』でヒロイン役を務める機会もあったそうです。1917年からラインハルト劇団に所属、同時期に映画にも出演し始めるようになります。当時ケンタウロス映画社を拠点としていたハンス・コーベ監督やヨハネス・グウター監督作品に多く出演していました。

『グリーンアレイ』(1928年)でのマリア・レイコ
『グリーンアレイ』(Die Rothausgass、1928年)でのマリア・レイコ
20年代末となり無声映画の終わりが近づくと映画界を離れ舞台の世界に戻っていきます。ナチスが政権に就くと母国ラトビアに帰国、そのまま自国で活動を続けていきました。

1935年、産褥で亡くなった娘の葬儀のためソビエトへと向かい、帰路、友人の勧めでソビエトで劇団に所属することになります。折しもスターリンによる敵対勢力の粛清が吹き荒れており、マリアさんは同僚らと共にスパイ容疑で逮捕され、1938年2月、型通りの裁判で有罪宣告され銃殺されました。享年51。大国の思惑に翻弄されたラトビアの20世紀史そのものの人生でした。

リガ映画博物館での回顧展は生誕130年を記念して開催されたものです。ラトビア出身女優は他にリア・マラ(Lya Mara)もいましたし、ドイツ無声映画が多国籍な環境で発展していった様子が伺えます。

[IMDB]
nm0500408

[Movie Walker]

[誕生日]
8月14日

[出身]
ラトヴィア(リガ)

[サイズ]
8.6 × 13.4cm

[データ]
Verl. Herm. Leiser, Berlin-Wilm. 1102. Atelier Nippold, Frankfurt a/M
1920年2月19日の日付入り