1917-22 忘れじの独り花(26)マリア・ヴィダル Maria Widal (生没年不詳) デンマーク


「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Maria Widal Autographed Postcard
Maria Widal Autographed Postcard
1910年のアスタ・ニールセン銀幕デビューはデンマーク国内のみならず全世界的な話題を呼び、同嬢は1912年に拠点をドイツへと移し個性的な活動を展開していくこととなりました。この展開を支えたのが夫でもあったウアバン・ガーズ監督です。

同監督は1916年までニールセン短編シリーズを手掛けておりましたが、夫婦仲の悪化に伴い共同作業を解消、1917年からサチュルヌ映画社で再出発を図ります。新シリーズのヒロインとして抜擢されたのがマリア・ヴィダルという無名の新人女優でした。

Maria Widal in Die Gespensterstunde (1917)
『丑三つ時』 (Die Gespensterstunde、1917年)
現存する『丑三つ時』 Die Gespensterstundeではニルス・クリサンダーと共演。しかしニールセン程の成功を収めることは出来ず、1918年頃までサチュルヌ社に作品を残し大戦終了後に姿を消していきました。
Luzzy Werne01
1914年デンマーク『フィルメン』誌より
現代のメッサリナ』広告での「Luzzy Werne」
Maria Widal in Ned med våbnene (1915)
『武器を捨てよ!』(1915年公開、
ノルディスク社、ホルガー=マドセン監督作品)
主人公の友人である男爵夫人役として登場
(左から二番目のティアラ姿の女性)
1917年より前に「マリア・ヴィダル」が活動していた記録はありません。ドイツ的な要素を強調していたにも関わらず、その正体はデンマーク初期映画でLuzzy Werren(或いはWerne)として活躍していた女優さんでした。ガーズ監督がニールセンとの関係解消後、同郷の知己だった中堅女優を「ロンダリング」してドイツで再デビューさせたのが実際だったようです。

[IMDb]
Maria Widal

[Movie Walker]

[出身地]
不詳(推定デンマーク)

[誕生日]
未詳

[サイズ]
8.6 × 13.5cm

[データ]
Film-Sterne 112/3 phot. Nicola Perscheld Berlin W. 9

1917-22 忘れじの独り花(25)クララ・ヴィート Clara Wieth (1883 – 1975) デンマーク

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Clara Wieth 1910s Autographed Postcard
Clara Wieth (Clara Pontoppidan) c1920 Autographed Postcard

1910年に映画デビュー。当初はレジア芸術映画社を拠点とし『ドリアン・グレイの肖像』や 『大都会の誘惑』(いずれも1911年)にヒロイン役で登場、若き美青年俳優W・スィランダのデビューに立ち合いました。すぐにノルディスク社に移りオーガスト・ブロム監督(『血を吸う踊り子』1912年)やホルガー・マドセン監督作品で重用され、同時期にスウェーデンでもスティッレルやシェストレム初期作でヒロインを務めます。

1920年前後にかけ出演ペースが落ちていくものの、カール・テオドア・ドライヤーの初期作『むかし、むかし』(1922年)の美しく傲慢な姫君役など北欧映画史の希少な瞬間を演じました。

Clara Pontoppidan in Der var engang (1922)
『むかし、むかし』(1922年、カール・テオドア・ドライヤー)

1920年に再婚で名字が変わります。以後はクララ・ポントピダンとして活動。20年代半ばに映画界を離れ舞台に移りますが、二次大戦後に復帰、主演作を挟み70年代までデンマーク映画を支え続けていきました。

クララ・ヴィート名義のサインは名字変更前の1910年代と断定して良さそうです。

Clara Wieth in Filmen (1915)
デンマークの映画誌『フィルメン』
1915年度第10号の紹介記事

[IMDb]
Clara Pontoppidan

[Movie Walker]

[出身地]
デンマーク(コペンハーゲン)

[誕生日]
4月23日

[サイズ]
8.6 × 13.5cm

[データ]
K.136. (Photochemie, Berlin)

1917-22 忘れじの独り花(24)リア・ヴィット Ria Witt (1896 – ?) 独

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Ria Witt c1919 Autographed Postcard
Ria Witt c1919 Autographed Postcard

1896年、ドイツ西部のドルトムントにほど近い町ヴァッテンシャイト生れ。本名はマリア・ヴィトリッヒ(Maria Wittlich)。食料品店を営んでいた両親を幼い時から手伝っていましたが、18歳の時首都ベルリンに出て女優として自活を目指します。

1915~16年頃の動向は不明。1917年から本名を縮めた「リア・ヴィット」名義での映画出演記録が残っています。この後アトランティック映画社と契約、1919年に「リア・ヴィット・シリーズ」の形で主演作品が次々と公開されていきました。

Ria Witt in Kinema (Zurich, 1919) No15
スイスの映画雑誌キネマ1919年4月12日付 第15号より、アトランティック映画社広告

彼女の出身地ヴァッテンシャイトにも映画館があり、公開時には町をあげて盛り上がっていたそうです。しかしこの主演シリーズのみで女優業を引退、20年代以降名を忘れられていく形となりました。総出演作品数が10作程度とされており、現存作品は確認されておりません。それでも2014年に地元ヴァッテンシャイトの郷土博物館で小規模の回顧イベントが開かれていた話が独紙で伝えられています

[IMDb]
Ria Witt

[Movie Walker]

[出身]
ドイツ(ヴァッテンシャイト)

[データ]
1522. Bildnis von Anny Eberth, Berlin.

1917-22 忘れじの独り花(23)テア・ザンドテン Thea Sandten (1884 – 1943) 独

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Thea Sandten 1919 Autographed Postcard
Thea Sandten 1919 Autographed Postcard

1912年に女優デビュー、独ミュートスコープ、独ビオスコープ、独ヴィタグラフ社、伊ミラノ社、エイコ映画社など多くの映画会社で主演、助演のキャリアを積み重ねていきました。現存作品の一つが『ホフマン物語』(1916年、リヒャルト・オズヴァルト監督)で、三部構成の第二部でヒロインのジュリエッタを演じています。

Thea Sandten in Hoffmanns Erzählungen  (1916)
1916年『ホフマン物語』(Hoffmanns Erzählungen)より

また2017年に発売された4枚組DVDセット『カフカ、映画に行く(Kafka geht ins Kino)』で『テオドール・ケルナー』(1914年)を見ることができるようになりました。『カフカ、映画に行く』は古くから有名な研究書で、作家の手紙や日記から当時見ていた映画を特定し、カフカ小説への影響を論じた書籍です。DVDはカフカが見た映画で現存作品を集めた内容です。

テアさんは『テオドール・ケルナー』で主人公の詩人の妻となる女性を演じていました。格別演技が上手い訳ではないのですが、大きな目鼻立ちを一杯に使ってみずみずしい感情表現に成功しています。

Thea Sandten in Theodor Körner
1914年の『テオドール・ケルナー』(Theodor Körner)より

その後自身の映画会社を設立するも大きな話題となることはなく20年代になって忘れられていきます。1930年代末、3度目の結婚の相手は自身と同じユダヤの血が流れた男性でした。ベルリンにとどまり続けた夫婦は迫害の対象となり、1942年末にアウシュビッツに送られ翌年冒頭に殺害されています。

[IMDb]
Thea Sandten

[Movie Walker]

[出身地]
ヴロツワフ(現ポーランド)

[誕生日]
6月30日

[データ]
Photochemie, Berlin. K.1456. phot. Willinger, Berlin.

1917-22 忘れじの独り花(22)マルギット・バルナイ Margit Barnay (1896 – 1974)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Margit Barnay c1920 Autographed Postcard
Margit Barnay c1920 Autographed Postcard
母親が画家、祖父が歌手という芸術家一家の環境に育ち、本人も早くから絵画や音楽の世界を志しています。1919年、当時人気のあった監督ジークフリート・デサウァーの目に留まり『愛の子』で女優デビュー、映画スタジオを立ち上げたばかりのムルナウが監督デビュー作『青衣の少年』と次作『サタン』でヒロインに起用して名前が知られるようになりました。

1920~22年がキャリアのピークでディミトリー・ブコエツキーやウアバン・ガーズ、フランツ・ホーファ作品の主演を歴任していきました。この頃の作品でオランダの映画社で撮った『アレクサンドラ』(1922年)が現存しており、同国の映像資料館オンライン・アーカイヴEYEで公開されています。

Margit Barnay in Alexandra (1922)
1922年の『アレクサンドラ』より

20年代中盤に出演作が減っていき27年を最後に映画界を引退。家系にユダヤの血が多く流れていたため目立った活動が出来なくなりました。旦那さんがナチスお抱えの建築家だったため、収容所などには送られず済んだようです。

絵葉書には「エーマンス嬢へ、マルギット・バルナイより親愛をこめて」の宛名入りメッセージが付されています。

[IMDB]
Margit Barnay

[Movie Walker]
マルギット・バルナイ

[誕生日]
4月5日

[出身]
ドイツ(ベルリン)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Verl. Herm. Leiser, Berlin Wilm. 6628. Phot. Becker & Maass. Berlin-W.

1917-22 忘れじの独り花(21)ロリ・ロイクス Lori Leux (1896 – 1964)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Lori Leux c1920 Autographed Postcard
Lori Leux c1920 Autographed Postcard

彫刻家の父親、オペラ歌手の母という芸術家一家に生まれ育ち、早くから舞台で活躍。「ロリ」という芸名は本名のエレオノーレの愛称から。映画デビューは1914年でしばらくは舞台と映画を同時進行で進めていきます。1920年に制作された7話構成の大作活劇『無名の快傑』に準ヒロインとして登場。同作は日本でも公開されていました。
Lori Leux from doctor Fritz Mendel's Scrapbook
1910年代中盤、舞台で活躍していた頃の雑誌記事より(Fritz Mendel博士旧蔵のスクラップブックより)
Lori Leux in Die Hand der Nemesis (Der Kinobesitzer, 1918-10-05)
1918年の主演作『復讐の女神の手』(Die Hand der Nemesis)紹介記事。リヒャルト・アイヒベルク監督でカール・オーエンと共演。キノ・ベジッツァー誌1918年10月15日付

その後は映画界と距離を置き始め1925年に出演記録が途切れます。戦後、晩年になった1950年代に端役として復帰し6作に出演しました。

[IMDB]
Lori Leux

[Movie Walker]
Lori Leux

[誕生日]
6月23日

[出身]
ドイツ(ベルリン)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Photochemie, Berlin. K.128. Bildnis von A. Binder, Berlin

1917-22 忘れじの独り花(20)リア・レイ Lya Ley (1899 – 1992) 墺

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Lya Ley c1920 Autographed Postcard
Lya Ley c1920 Autographed Postcard

幼いころから女優に憧れ、15歳でベルリンの劇場の舞台に立ちます。俳優パウル・ハイデマンの勧誘で映画に参入、戦中の1916年、フランツ・ホーファーの軽喜劇の娘役として女優業のスタートを切りました。多数のホファー作品に出演を続ける傍ら、1917~18年にかけてエイコ映画社でミステリー作品にも挑戦し芸風と人気を広げていきます。

Lya Ley in H. Moest's Die Goldprinzessin (1918-04)
独エイコ社による『黄金姫』紹介記事。ニック・カーター探偵物をドイツ舞台で翻案したミステリー作品です。1918年4月8日キノベジッツァー誌より

終戦前後の人気は高かったようでKOWO映画社が彼女の名を冠した「リア・レイ軽喜劇シリーズ」を企画、『結婚済の独身者』等を含む8作で主演を果たしています。

1919年を最後に長らくフランツ・ホーファー監督の元を離れ、その後僅か数作を撮ったのみで1922年に映画界を離れています。1919年に出版された『映画の女たち』インタビューでは女優業を楽しんでいる様子が伝わってきていたため唐突なキャリアの終焉ではありました。

[IMDB]
Lya Ley
[Movie Walker]

[誕生日]
10月19日

[出身]
オーストリア・ハンガリー/チェコ (オパヴァ)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Film-Sterne 179/2. Becker & Maass. Berlin-W.9. phot.