ファルコネッティ Renée Jeanne Falconetti (1892 – 1946)

「フランス [France]」より

Falconetti late-1920s / early-1930s Autographed Postcard

サインを求めてくる者たちを毎晩のようにす相手した後、ファルコネッティがスタッフ用入口から出てくるといつも同じ青年とすれ違った。

『ファルコネッティ伝』
(エレーヌ・ファルコネッティ著、93頁)

実子エレーヌさんによる伝記では1923年頃の女優が毎日のようにサイン攻めにあっていた話が触れられていました。

こちらは1920年代後半~30年代初と思われる直筆サイン入りの絵葉書。パリのマニュエル兄弟写真社の撮影で右下に同社ロゴがエンボス仕様で刻まれています。

『ソムリヴ伯爵夫人』(La Comtesse de Somerive, 1917年)
GPアーカイヴスより

上の写真は女優キャリアの初期(デビューから2年後)の1917年に出演した短編映画の一コマ。下積み期ながら懊悩の表現が10年後の『裁かるゝジャンヌ』を予告しています。

[IMDb]
Maria Falconetti

[Movie Walker]
ルネ・ファルコネッティ

[出身地]
フランス(パンタン)

[誕生日]
7月21日

エルミール・ヴォーティエ Elmire Vautier (1897 –1954)仏

「フランス [France]」より

Elmire Vautier 1920s Autographed Postcard

仏シネ・プル・トゥス誌1923年通巻110号より

『私の子』(Sa Gosse、1919年) GPアーカイヴより

『ベルフェゴール』(1927年)より

エルミール・ヴォーティエ夫人は30年程昔ウール県のベルネーで生を受けた。

パリの音楽高等師範学校に入学、ジュール・トルフィエに師事するが程なく演技の勉強を離れ、1918年に映画初出演となる2作『他人の妻』『殺したのは誰だ』撮影に参加した。

翌年アンドレ・ルグラン映画社と契約を結び、アンリ・デフォンテーヌ監督の下で『奇妙な盗人』『私の子』に、次いでリアベル監督による『不死之血』『海辺の花』『愛なき島』に出演した。

その次の作品は『巨手』は戦争プロパガンダ映画だった。アンドレ・ユゴン監督の『証拠』に、ジェラール・ブルジョワ監督物の連続冒険活劇『夜の息子』と続いていく。1921年には新たな連続活劇『三つの仮面の男』で一人二役を演じ、ロジェ・ド・シャトルの『他人』でも再度二役に挑戦している。

パテ・コンソルティウム社と一年契約を結び、最初に撮ったのが『カマルグの王』であった。原作ジャン・エカール、監督はアンドレ・ユゴン。次いでジョルジュ・モンカが監督したJ・J・ルノー原作物『ジュディト』、トゥリエ原作で監督やはりモンカによる『避難』に出演。アルトゥール・ベルネード原作でジャン・ケム監督の『ヴィドック』が最新作である。


Elmire Vautier est née, il y a une trentaine d’années, à Bernay, dans l’Eure.

Admise au Conservatoire de Paris, dans la classe de Truffier, elle quitte bientôt ses études théâtrales pour tourner, en 1918, ses deux premiers films, Les Femmes des autres et Qui a tué? sous la direction de Pierre Marodon.

Engagée en 1919 par les Films André Legrand, Elmire Vautier a tourné ensuite : Un vol étrange et Sa Gosse, réalisé par H. Desfontaines; puis Le Sang des Immortemmes, Des Fleurs sur la mer et L’Ile sans amour, réalisé par L. Liabel.

Vinrent ensuite un film de propagande : Les Mains géantes, puis La Preuve, sous la direction d’André Hugon, et un ciné-fuielleton d’aventures : Le Fils de la Nuit, réalisé par Gérard Bourgeois. En 1921, un autre ciné-roman : L’Homme aux trois masques, où elle interprétait un double rôles; puis de nouveau dans un double rôle : L’Autre de Roger de Chateleux.

Engagé par Pathé-Consortium pour une année, Elmire Vautier a tourné par la suite : Le Roi de Camargue, réalisé d’après Jean Aicard par André Hugon : Judith, de J. J. Renaud, réalisé par Monca; Le Refuge, d’après A. Theuriet, réalisé par le même. Puis, tout dernièrement, Vidocq, composé par Arthur Bernède et réalisé par Jean Kemm.


1910年代末にデビューした個性派の女優さん。

初期作の『私の子』では純情な田舎娘が男にたぶらかされ未婚の母となり、生活費を稼ぐためパリに上京し歌手として生計を立て始めます。パリ篇では蓮っ葉な現代っ子の側面が強調されていて、地元篇との雰囲気の違いに驚かされます。

綺麗目のヒロインと暗黒面を抱えた女性を演じ分ける力は高く評価されていたようで、特に活劇系の設定で重宝されるようになりました。

『三つの仮面の男』での二役を皮切りとし、フイヤードの『ファントマ』でファントマ役を演じたルネ・ナヴァールの出演作品に(しばしば裏の顔を持つ)ヒロインとしてクレジットされる機会が増えていきます。『ヴィドック』(Vidocq、1923年)、『正義を成す女』(1925年)、『沈黙の壁』(1925年)、『ベルフェゴール』(Belphégor、1927年)はいずれもナヴァールとの共同主演作品。

クレステと共演した『正義を成す女』(La Justicière、1925年)のポスター


しかしこういった作品以上に女優の力量を引き出したのは『カマルグの王』(Le roi de Camargue、1922年)でした。エルミール・ヴォーティエは流浪の民に呪いをかけられ最後は沼地で溺れ死ぬ悲運のヒロイン役で、幸福だった私生活が崩れて落ちていく不安感を上手く表現していました。

出演作では『カマルグの王』『ベルフェゴール』の2作が9.5ミリフィルム化されています。


[IMDb]
Elmire Vautier

[Movie Walker]
エルミール・ヴォーティエ

<[出身地]
フランス(グランシェン)

[誕生日]
8月28日

キャスリン・ウィリアムス Kathlyn Williams (1888-1960) 米

「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

Kathlyn Williams 1910s Autographed Photo

かつての銀幕花形で、初恋相手である活動写真に戻つてきた一人がキャスリン・ウィリアムス孃である。モンタナ州の町ビュートに生れ、ウェズリアン大学とニューヨーク演劇学校で学んだ。舞台では『21歳なりし頃』『デイン夫人の擁護』などに出演した。嬢はパラマウント社やアートクラフト映画社の映画に多く出演しており、『ビッグ・ティンバー』『遭難脱出』『囁きの合唱』『すべてが手に入る訳ではなし』。近作に『愛と芸術』があり、トーマス・ミーアンの相手を務めてゐる。丈は5尺5寸、體重は16貫700匁、金髪に灰色がかった青の瞳を有する。

『銀幕名鑑』(ロス出版社、1920年)

One of the old favorites of the screen to return to her first love — motion pictures — is Kathlyn Williams. Miss Williams was born in Butte, Montana, and educated at Wesleyan University and the New York School of Dramatic Art. On the stage she appeared in « When We Were Twenty One, » « Mrs. Dane’s Defence » and others. Miss Williams has appeared in many Paramount and Artcraft pictures, including « Big Timber, » « Out of the Wreck, » « The Whispering Chorus » and « We Can’t Have Everything. » One of her latest pictures is « The Prince Chap, » in which she plays opposite Thomas Meighan. Miss Williams is five feet five inches high, weighs a hundred and thirty-eight pounds and has blonde hair and grey-blue eyes.

Who’s Who on the Screen (New York: Ross Publishing Co., 1920.)

「モーション・ピクチャー・マガジン」1916年11月号表紙

1910年代初頭ビオグラフ社で女優デビューを果たし、ゼリグ社に移って製作された「キャスリンの冒険(The Adventures of Kathlyn)」活劇シリーズで人気を得ていました。会社での序列が上がるにつれて脚本などにも携わるようになり、ゼリグ社で数本自作を監督した記録が残っています。その後はドラマへと比重を移し、パラマウント系列の映画会社を拠点に活動を続けていきました。

映画製作にも関与したパイオニアの一人に位置づけられることもありWFPP(映画業界女性先駆者プロジェクト)でも大きく扱われています。ゼリグ社時代のプリントをEYE映画博物館が保存しており現在YouTubeでも閲覧できます。

『キャスリンの冒険』(1913年、ゼリグ映画社) EYE映画博物館所蔵プリント

[IMDb]
Kathlyn Williams

[Movie Walker]
キャスリン・ウィリアムス

[出身地]
合衆国(モンタナ)

[誕生日]
5月31日

1912年 『ジゴマ後編(ポーリンの殉職とニック・カーターの復讐)』(イポリット・ヴィクトラン・ジャッセ、エクレール社)EYE映画博物館収蔵プリントと日本語版あらすじ

「『ジゴマ』/ヴィクトラン・ジャッセ [Zigomar / Hippolyte-Victorin Jasset]」 より

オランダのEYE映画博物館が保存しているJean Desmetコレクションのひとつで2019年8月に同博物館YouTubeチャンネルで公開されたもの。字幕はオランダ語で最後に幾つかフランス語が混じっていました。フランス公開時の原題は Zigomar contre Nick Carter (ジゴマ対ニック・カーター)。日本公開時の邦題は『ジゴマ後編』

ヴィクトラン・ジャッセによるジゴマ連作としては1911年の『ジゴマ』に次ぐ作品ですが、サジイ小説版には探偵ニック・カーターが登場するエピソードはなく脚本は映画版の完全オリジナル。EYE映画博物館だけではなくフランスのパテ/ジェローム・セイドゥ基金にも35ミリプリントが保存されており、2018年に特集企画の一環として上映された記録が残っています。

Zigomar contre Nick Carter (Ciné-Journal n.185, mars 1912)
シネ・ジュルナル誌1912年3月9日号の広告

シネ・ジュルナル誌では1912年3月9日号(第185号)と16日号(第186号)の2回に分け講評と第1部〜第4部あらすじが掲載されていました。オランダ語字幕では人間関係や展開が追いにくいためシネ・ジュルナル版のあらすじをさらに要約してみました:

物語は前作にも登場していた探偵ポーリンが自宅で爆破テロに遭う場面から始まります。辛くも一命を取り留めたものの重傷を負ったポーリン探偵。その知らせを受けた探偵ニック・カーターはポーリンを見舞いジゴマの捕縛に乗り出していきます。ニックが捜査を始めるとすぐにジゴマの手下たちが階段の踊り場で事故に見せかけた暗殺を謀ります。危難を逃れたカーターは手下たちの一人である女性オルガを味方に付けることに成功しました。(第一部)

ジゴマは部下の一人を自分そっくりに変装させ身代わりにします。ニック・カーターは一旦はジゴマ逮捕に成功するのですが捕まえたのは影武者でした。ジゴマは金庫破り、旅行者の誘拐など悪行の限りを尽くしていきます。探偵はマルセイユでの秘密会議に潜りこむことに成功、しかし変装を見破られ危うく処刑されそうになります。巨石で圧死しかけていたニックを救ったのはオルガでした。(第二部)

トゥーロンの酒場の地下に阿片窟があり、ニック・カーターはジゴマ捕縛のため変装して潜入捜査を行っています。しかしオルガと共に逆に追われる立場となり、自動車の追跡劇の末、再び悪党の手に落ちるのでした。(第三部)

ニック・カーターとオルガは紐で縛られ農家に監禁されていました。火に包まれた農家から脱出するも、退路を阻まれ別行動を余儀なくされます。ニックは無事逃れたものの海に飛びこんだオルガは力尽きジゴマの下に引き渡されるのでした。ジゴマは裏切者に報復すべく女を馬に括りつけ引き回しの刑にします。瀕死のオルガは農夫たちのおかげで一命を取り留めます。ニック・カーターは敵を油断させるため自分が死んだという偽りの死亡広告を出します。ジゴマ一団が祝杯を上げている最中にニックと警官一団が踏みこみ、遂に悪党を逮捕したのでした。(第四部)

この作品には監督ジャッセの映画史観が色濃く反映されています。同氏が1911年に発表した映画論「活動写真監督術考」日本語版の全訳を来週投稿の予定です。

[IMDb]
Zigomar contre Nick Carter

[Movie Walker]

[公開年]
1912年

[制作会社]
L’Eclair

[註]
EYE映画博物館「Jean Desmetコレクション」

大正6~10年(1917~21年) 春江堂の大活劇文庫

春江堂-大活劇文庫
大正10年の既刊書目録より

大正時代の中期、 1917~21年半ばにかけて40冊ほど出版されたのが「大活劇文庫」です。幸運なことに国立国会図書館がそのほとんどを所蔵しておりデジタル版を読むことができます。

この大活劇文庫はやや複雑な過程を経て成立・展開しています。

taisho-cinema-novelization01
大正中期〜昭和初頭の物語本・説明本文庫リスト

全体像を掴むため大正から昭和初期にかけて発売されていた文庫を出版社別にまとめてみました。以前に紹介した明文館の「映画文庫」瀧本時代堂の「説明本」「トーキー文庫」などもこれらの流れに含めることができます。

1917年に始まった「大活劇文庫」は、1916年の「探偵文庫」を母体にしています。上に掲載した「大正10年の既刊書目録」で言うと、実は左下の複数冊(『名金』から『呪の鍵』まで)は元々「探偵文庫」で発売された作品をカタログに統合したものです。

厄介なことに、「探偵文庫」というのは一つの出版社から出されたものではありませんでした。図表で示したように1)春江堂、2)キネマ書房、3)江東書院の3つの出版社が1916年に「探偵文庫」を公刊していたのです。どうしてこんな形になったのかきちんとした資料は残っていないのですが、現存するデータからおそらく次のような状況だったのだろうと考えられます。

3種類の「探偵文庫」は出版社こそ異なっていたものの、奥付に明記された「發行者」が同一人物になっています。「髙橋友太郎」なる人物で、探偵文庫の創設以前に春江堂から自著を出していた記録が残っています。

キネマ書房
1916年の探偵文庫『黒い箱』(キネマ書房)奥付
江東書院
1916年の探偵文庫『名金』(江東書院)奥付
春江堂
1916年の探偵文庫『青自働車』(春江堂書店)奥付

奥付によると髙橋氏の所在地は「本所區元町六番地」となっており、この住所はキネマ書房と江東書院の所在地と一致します。キネマ書房の「探偵文庫」と江東書院の同文庫は髙橋氏が自宅を拠点に編集していた作品だったと見ることができます。

同年、髙橋氏は接点のあった春江堂でも「探偵文庫」(基本120~150頁)を発刊、翌年には活劇ブームの追い風を受けて250頁程度の作品を扱う「大活劇文庫」に改名して旧文庫を統合していった訳です。

大正から昭和初頭に設立された大半の物語本文庫は短命で1~2年で姿を消していったのですが、「大活劇文庫」は未曽有の活劇流行を背景に4年を超える期間存続していました。フィルムそのものが失われてしまった作品も多いため、往時の賑わい、盛り上がりを追体験する貴重な資料群だと思います。

確認できた作品の一覧をまとめてみました。 IMDbのリンクと併せてリスト化しています。

1917年
『ドラルー(吸血鬼蝙蝠団)』 泉清風 Les Vampires (Louis Feuillade, 1915, ゴーモン社) [IMDb]
『潜航艇の秘密』 櫻木紅涙 The Secret of the Submarine (George L. Sargent, 1915, クオリティー映画社/メトロ社) [IMDb]
『灰色の幽霊』 泉清風 The Gray Ghost (Stuart Paton, 1917, ユニヴァーサル) [IMDb]
『ミラの秘密』 桜木路紅 The Mysteries of Myra (Leopold and Theodore Wharton, 1916, ワートン社) [IMDb]

1918年
『海底の美人塔:女探偵パノプタ』 泉清風 Panopta (Kay Van der Aa Kühle, 1918, デンマーク映画社) [IMDb]
『七ツ真珠』 泉清風 The Seventh Pearl (Louis J. Gasnier & Donald MacKenzie, 1917, アストラ映画社) [IMDb]
『復讐の鬼 : ジュデックス』 阿野二夢 Judex (Louis Feuillade, 1916) [IMDb]
『大秘密』 泉清風 The Great Secret (Christy Cabanne, 1917, クオリティー映画社/メトロ社) [IMDb]
『秘密の王国』 泉清風 The Secret Kingdom (Charles Brabin & Theodore Marston, 1917, ヴァイタグラフ社) [IMDb]
『ダイヤの1』 泉清風 The Red Ace (Jacques Jaccard, 1917, ユニヴァーサル) [IMDb]
『赤い目と太い手』 泉清風 The Crimson Stain Mystery (T. Hayes Hunter, 1916, エルボグラフ社) [IMDb]
『ニコニコお笑ひ会』 (チャップリン初期短編の翻案)

1919年
『赤手袋』 根岸秋人 The Red Glove (J.P. McGowan, 1919, ユニヴァーサル) [IMDb]
『曲馬団の囮』 根岸秋人 The Lure of the Circus (J.P. McGowan, 1918, ユニヴァーサル) [IMDb]
『真鍮の砲弾』 浦峰雪 The Brass Ballet (Ben F. Wilson, 1918, ユニヴァーサル) [IMDb]
『伯林の狼』 浦峰雪 Wolves of Kultur (Joseph A. Golden, 1918, ウェスタン・フォトプレイ社) [IMDb]
『戦闘の跡』 阿野二夢 The Fighting Trail (William Duncan, 1917, ヴァイタグラフ社) [IMDb]
『的の黒星』 松浦雨山 The Bull’s Eye (James W. Horne, 1917, ユニヴァーサル) [IMDb]
『強力エルモ』 恩田雪雄 Elmo, the Mighty (Henry MacRae & J.P. McGowan, 1919, グレートウェスタン製作社) [IMDb]
『人間タンク』 浦峰雪 The Master Mystery (Harry Grossman, Burton L. King, 1918, ロルフェ映画社) [IMDb]
『佳人の復讐』 浦峰雪 Vengeance – and the Woman (William Duncan, 1917, ヴァイタグラフ社) [IMDb]
『ナムバァワン』 浦峰雪 Who Is Number One? (William Bertram, 1917, パラマウント) [IMDb]
『覆面の呪』 泉清風 The Neglected Wife (William Bertram, 1917, バルボア映画社) [IMDb]
『呪の家』 泉清風 The House of Hate (George B. Seitz, 1918, アストラ映画社) [IMDb]
『巴里の秘密』 泉清風 Les mystères de Paris (?, unconfirmed)
『地獄の王冠:イントレランス』 泉清風 Intokerance (D.W. Griffith, 1916, トライアングル映画社) [IMDb]

1920年
『幽霊騎手』 根岸秋人 Hands Up (Louis J. Gasnier & James W. Horne, 1919, アストラ社) [IMDb]
『鷲の目』 浦峰雪 The Eagle’s Eye (George Lessey & Wellington A. Playter, 1918, ワートン社) [IMDb]
『電光石火の侵入者』 The Lightning Raider (George B. Seitz, 1919, アストラ社) [IMDb]
『大旋風』 麻生重人 The Whirlwind (Joseph A. Golden, 1920, オールグッド映画社) [IMDb]
『虎の足跡』 浦峰雪 The Tiger’s Trail (Robert Ellis & Louis J. Gasnier, 1919, アストラ映画社) [IMDb]
『鉄の手袋』 麻生重人 The Hidden Hand (James Vincent, 1917, パテ社) [IMDb]
『曲馬団の秘密』 篠田緑水 The Iron Test (Robert N. Bradbury & Paul Hurst, 1918, ヴァイタグラフ社) [IMDb]
『鉄の眼』 麻生重人 原題不詳
『星の魂』 恩田雪雄 Great Gamble (Joseph A. Golden, 1919, ウェスタン社) [IMDb]
『ラジュウムの秘密』 The Great Radium Mystery (Robert Broadwell & Robert F. Hill, 1919, ユニヴァーサル) [IMDb]
『雷岳の危難』 Perils of Thunder Mountain (Robert N. Bradbury & W.J. Burman, 1919, ヴァイタグラフ社) [IMDb]
『鷹の追跡』 島村鐵石 The Hawk’s Trail (W.S. Van Dyke, 1919, バーストン映画社) [IMDb]
『無敵エルモ』 Elmo the Fearless (J.P. McGowan, 1920, グレートウェスタン製作社) [IMDb]
『ライオンマン』 尾上白夢 The Lion Man (Albert Russell & Jack Wells, 1919, ユニヴァーサル) [IMDb]
『運命の財宝』 河野紫光 The Fatal Fortune (Donald MacKenzie & Frank Wunderlee, 1919, シャーマン・クレルバーグ社) [IMDb]
『灰色の鼠』 河野紫光 I topi grigi (Emilio Ghione, 1917, チベル社) [IMDb]
『蛸の手』 麻生重人 The Trail of the Octopus (Duke Worne, 1919, ホールマーク映画社) [IMDb]
『ドグラス』 浦島三郎 (ダグラス・フェアバンクス初期短編の翻案)
『ニコニコ笑楽会』 麻生重人 (初期喜劇短編の翻案)

1921年
『死の極印』 霞浦人 The Fatal Sign (Stuart Paton, 1920, アロー映画社) [IMDb]

発行年不明
『運命の指環』 The Fatal Ring (George B. Seitz, 1919, アストラ社) [IMDb]
『類人猿ターザン』 Tarzan of the Apes (1918, Scott Sidney, ナショナル映画社) [IMDb]

1922 – 9.5mm 『カマルグ王』(アンドレ・ユゴン監督)

「9.5ミリ 劇映画」より

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魔法をつかふ一人のボヘミアの女がルノ婚約女であるリヴエットに或る運命を告げました。所がその勇氣と武功とから人々の賞讃を得た傲慢なルノーはカマルグ王の綽名を受けたのであります。而してリヴエットを怖れさせた魔法つかひを罸しやうと思ひました。併しそのボヘミアの女に出會つた彼はその女から發する不思議なチヤームに捕へられたのであります。でその眼の權威とその輝やくほゝ笑みから彼女はルノーに泥地の眞中の一軒家であひゞきを約束しました。とその婚約者の裏切りを知らされたリヴエットは不實ものに出會ふべく同じ場所へと赴いたのであります。けれどルノーは人々が踏込むたゞ一つの淺瀬を示したその標示杭を變へたのであります。それでリヴエツトは彼女を葬むつた泥水よりも尚一層ルノーの裏切りから死んだのであります。この立派なドラマのその感動させる演出の所作にプロヴアンスの美しき空がまた詩的なありさまを加へます。

『パテーベビーフヰルム 解説書 No. 1』
(大橋善次郎編集・出版、1926年)

1890年に公刊された地方色の色濃い運命劇をアンドレ・ユゴン監督が自身の脚本を元に映像化した一作。ゴーモン=パテ社アーカイヴに35ミリを元にした一時間版が現存。

冒頭から西部劇風の世界が展開し驚かされますが、南仏カマルグに伝わる独自の土着文化を元にしたものです。二枚目俳優として人気のあったシャルル・ド・ロシュフォールが「カマルグ王」を演じ、若手女優として台頭していたエルミール・ヴォーティエがヒロイン役、呪術的な力を持つ流浪の女にクロード・メレルを配しています。

アンドレ・ユゴンは大手制作会社と一線を画した独立系/仏インディ系映画監督の祖に位置づけられる人物です。ユゴン映画社製作による本作は宿命劇、土着風味やメロドラマの要素を上手く絡めて要を得た作品に仕上がっています。

本作の特徴としてはあまり強調したくないのですが、『カマルグの王』はフランスで初めて長編劇映画に女性の全裸を登場させた作品になるのではないかと思われます(9.5ミリ版ではカット)。1920年代のフランスの規制はアメリカや日本に比べて緩く、濡れ場とは違う、文脈に沿った裸体は許容される傾向にありました。倫理規制の強い時代ですし、原作に基くとは言え当時も賛否両論あったと思われます。それでも商業的リスクの大きいチャレンジに取り組む辺りが大手の監督とはやはり異なった姿勢となっています。

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9.5ミリ版ではカットされた場面より
9.5ミリ版は1924年発売。早い時期に絶版になったタイトルで今回入手したフィルムもほぼ一世紀前のものとなります。1/4程に切り詰められていてもオリジナルの良さをある程度伝えているのかな、と。脚本の完成度、演技・演出の質も高く1920年の『労働』(アンリ・プクタル監督)、1919年の『恋するスルタン』と並び1920年前後の仏映画を代表する隠れた名作の一つです。
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[原題]
Le Roi de Camargue

[公開年]
1922年

[IMDB]
tt0192537

[メーカー]
仏パテ社

[メーカー記号]
692

[9.5ミリ版発売年]
1924年

[フォーマット]
9.5mm 無声 10m×6巻

1929 – 9.5mm 『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』 (マルコ・ド・ガスティーヌ、仏パテ社4リール版)

「『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』[La Merveilleuse vie de Jeanne D’Arc, 1929]」
& 「9.5ミリ動画 05a 劇映画」より

9.5mm La Vie merveilleuse de Jeanne D'Arc (1929)
La Vie merveilleuse de Jeanne D’Arc
(1930s French Pathé 4339)

1995年の仏VHS版、1930年代前半の英9.5ミリ版2巻物に続き、30年代仏9.5ミリ4巻物を手に入れることができました。全体の映写時間は約50分で、劇場公開版の半分弱をカバーしています。


英パテスコープ社版より尺に余裕があるため、周辺エピソードまで収録されており映画の全体像にかなり近づいています。VHS版、ゴーモン・パテ・アーカイヴで以前に公開されていた35ミリ琥珀染色版(VHSと同一ソース)と画質を比べてみましょう。

1)生まれ故郷の村で従軍兵士の話に耳を傾けるジャンヌ


2)ジルドレが自分を王と偽ってジャンヌを試そうとする一幕より

左から順に9.5ミリ版、仏ルネ・シャトー社VHS版、パテ社所蔵35ミリ琥珀染色リストア版

VHS版(中央)はパテ社所蔵の35ミリ版(琥珀染色版、右端)を白黒に変えただけでアングルや流れに変更は加えておりません。一方の9.5ミリ版では人物が大きく映るようトリミングが施されています。1)の例で手前の袖の部分がカットされるなど全体の構図が大きく変わるアレンジの様相を呈しています。

リストア版は非常に美しい琥珀色をしています。35ミリと9.5ミリとでは面積比で15倍ほどの差があって、情報量としては35ミリ版に圧倒的な軍配。9.5ミリでは粒子感が残ってしまっていますよね。ただし35ミリ版の方は室内撮影、スタジオ撮影の場面で暗い部分が黒飛びしており、ディテールが潰れてしまっています。2)のジルドレのアクセサリーや衣装デザインを比べると9.5ミリの再現力も捨てたものではないのかな、と。

もう一つ重要な指摘としてVHS版と35ミリ修復版は人の面立ちがややほっそりしています。9.5ミリ版とアスペクト比の圧縮が微妙に異なっているのです。他の場面も同様で、どうやらデジタルリストア版では左右の比がやや圧縮されているのではないかと考えています。

genevois-sample01s
9.5ミリ版の横幅を8%縮めたもの
genevois-sample02
デジタルリストア版を黄色枠でトリミングしグレースケール変換

9.5ミリ版画像の縦サイズを変えず、横サイズを8%ほど縮めると修復版と同じ感じになりました。

[タイトル]
La Vie merveilleuse de Jeanne D’Arc

[原題]
La Merveilleuse vie de Jeanne D’Arc

[製作年]
1929年

[IMDB]
tt0020165

[メーカー]
仏パテ社

[メーカー記号]
4339

[9.5ミリ版発売年]
1934年

[フォーマット]
9.5mm、無声、白黒、4リール(480m、約50分)、ノッチ無

9.5mm – 『日本雪景色』 Le Japon sous la neige (仏パテ社・1923年)

日本語字幕を付けてありますので画面下「字幕ボタン」を押してお楽しみください

6 films sur le Japon
Le Japon sous la neige (Pathé, 9.5mm)

仏パテ社が9.5ミリを市販化した最初の時点(1923年10月)で発売されたフィルムで、日本の雪景色にテーマを絞って様々な風景をまとめあげた一本です。

第一次大戦前の1910年代中盤から20年ごろ(大正初頭)にかけての複数動画をまとめたと思われます。雪に取られた足元を直している通行人の姿、軒先で竹馬に興じる子供たち、雪合戦など、おそらく当時の日本人にとって冬には当たり前の風景だったのではないでしょうか。むしろ海外の視線の方がその魅力に反応しやすかったのかもしれません。

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ゴーモン・パテ社動画アーカイヴには「VMJA 27 2830」の管理番号で編集順の異なった別字幕の35ミリ版が保管されています(竹馬の場面など収録されておらず)。「VMJA」は「街並みと建物/日本/時事(Villes et Monuments/Japon/Actualité)」の略のようで、他にも数本1910~20年代の映像をまとめた時事動画が制作されています。

1920s-japon-sous-la-neige-vmja-27-2830
ゴーモン・パテ社動画アーカイヴス「VMJA 27 2830」より

またパテ社は1929年(昭和4年)にも同名タイトルのニュース短編を製作。1929年版は全体にモダンになっていて、洋装の人々がアイススケートに興じる場面なども収められています。

Le Japon sous la neige [1929 version]
1929年版『日本雪景色』(「PR 1929 52 3」)より

リア・イエンデ Ria Jende (1898 – 没年不詳)

Ria Jende Autographed Postcard
Ria Jende Autographed Postcard

リア・イエンデ嬢は映画の空に輝き始めた新星のひとつである。若く魅力的なこのアーティストは元は踊り子で、英国や佛国、独逸を巡業し至るところで大きな成功を収めた。とりわけポワントでの踊りは達人並で、嬢の案出せる舞踏場面は得も言われぬ魅力がある。舞台の彼女から流れるような何かを感じ取らずにはいられないのである。

最近さらに多くの映画に出演するようになっていて、ハンス・アルベルスと共演した六部作の冒険譚『君主論』やブルーノ・ケストナーとの共演になるドラマや喜劇、『晩御飯だけよ』『ロス・クエロスの雑貨店』で姿を見ることができる。

Ria Jende gehört zu den neuen Sternen am Filmhimmel. Die junge liebreizende Künstlerin war unsprünglich Tänzerin, sie bereiste Engand, Frankreich, Deutschland und hatte überall größe Erfolge zu verzeichnen. Sie beherrschte besonders die Kunst des Fußspitzentanzes, und die Tanzschöpfungen, die sie bot, waren von ganz eigenartigem Reiz; man fühlte, von dieser schönen Frau auf der Bühne ging ein gewisses Fluidum aus […].

In rascher reihenfolge spielt sie dann in einer Anzahl Films, so in dem sechsteligen Abenteurerfilm « Der Fürst » mit Hans Albers, in einigen Dramen und Lustspielen mit Bruno Kastner « Nur ein Diener » und die « Bodega von Los Guerros »[…].

第一次大戦終戦後に人気のあった女優さん。当初は老舗メスター社(UFAの基になった映画社のひとつ)のヴィゴ・ラーセン監督作品やシュテルン社のE・A・デュポン初期作に多く出演していました。このうちミステリー作品『アメリカ波止場の秘密』(Das Geheimnis des Amerika-Docks、1919年)が現存しています。

Ria Jende in « Das Geheimnis der Amerika-Docks » (eyefilm.nl)

Ria Jende in « Der Galante König »
(Zappelnde Leinwand, No. 11, 1921)

自身の名を冠したリア・イエンデ映画社を設立する一方、引用記事にあったハンス・アルベルス共演などで勢いをつけますが1922年には映画界を引退。1927年の文芸誌で「リア・イエンデは結婚して女優キャリアに終止符を打った」と言及されているのを最後に以後の消息が分からなくなっています。

1919年に出版された『活動写真(キノ)』(マックス・プレルス著)ではステラ・ハルフと並んで大きな扱いを受けていて、この時期のドイツB級映画の女王と呼べそうな面白い立ち位置を占めていたのが分かります。

[IMDb]
Ria Jende

[Movie Walker]
リア・イエンデ

[出身地]
ベルギー(ブリュッセル)

[誕生日]
10月29日

[データ]
[Verlag Ross, Berlin SW 68, 365/1. phot. Binder].
8.5 × 13.3cm

1919年4月『活動之世界(最終号)』各国映画俳優人気投票

1919年4月『活動之世界』人気投票
『Katsudou no Sekai (Moving Picture World)』
« Hall of Fame » Poll (April 1919)

01:ウォーレン・ケリガン(761) Warren Kerrigan [IMDb]
02:山本嘉一(725) Yamamoto Kaichi [JMDb]
03:ルース・クリフォード(695) Ruth Clifford [IMDb]
04:ヴァイオレット・マースロウ(662) Violet Mercereau [IMDb]
05:ダグラス・フェアバンクス(657) Douglas Fairbanks [IMDb]
06:マルガリータ・フィッシャー(591) Margarita Fischer [IMDb]
07:メアリー・マクラーレン(580) Mary MacLaren [IMDb]
08:ドロシー・フィリップス(513) Dorothy Phillips [IMDb]
09:メアリー・マイルズ・ミンター(470) Mary Miles Minter [IMDb]
10:ウィリアム・S・ハート(465) William S. Hart [IMDb]
11:フランシス・ブッシュマン(457) Francis X. Bushman [IMDb]
12:ベッシー・バリスケール(435) Bessie Barriscale [IMDb]
13:パール・ホワイト(433) Pearl White [IMDb]
14:モンロー・ソールズベリー(408) Monroe Salisbury [IMDb]
15:メアリー・ピックフォード(397) Mary Pickford [IMDb]
16:グレース・ダーモンド(379) Grace Darmond [IMDb]
16:フランチェスカ・ベルティーニ(379) Francesca Bertini [IMDb]
16:メイ・マレー(379) Mae Murray [IMDb]
19:カーメル・マイヤーズ(361) Carmel Myers [IMDb]
20:ベッシー・ラブ(343) Bessie Love [IMDb]
21:チャールズ・チャップリン(305) Charles Chaplin [IMDb]
22:ルース・ローランド(295) Ruth Roland [IMDb]
23:ウィリアム・ダンカン(293) William Duncan [IMDb]
23:モリー・キング(293) Mollie King [IMDb]
25:ジェラルディン・ファーラー(265) Geraldine Farrar [IMDb]
26:ピナ・メニケリ(233) Pina Menichelli [IMDb]
27:ノーマ・タルマッジ(207) Norma Talmadge [IMDb]
28:片岡長正(201) Kataoka Chosei [JMDb]
29:クレイトン・ヘイル(199) Creighton Hale [IMDb]
30:藤野秀夫(177) Fujino Hideo [JMDb]
31:ウィリアム・ラッセル(151) William Russell [IMDb]
32:尾上松之助(147) Onoe Matsunosuke [JMDb]
33:エラ・ホール(141) Ella Hall [IMDb]
34:エディー・ポロ(125) Eddie Polo [IMDb]
35:衣笠貞之助(113) Kinugasa Teinosuke [JMDb]
36:アニタ・スチュワート(112) Anita Stewart [IMDb]
37:早川雪洲(98) Hayakawa Sessue [IMDb]
37:澤村四郎五郎(98) Sawamura Sirogoro [JMDb]
39:ハリー・ケリー(93) Harry Carry [IMDb]
40:ウィリアム・ファーナム(90) William Farnum [IMDb]
41:ドロシー・ダルトン(79) Dorothy Dalton [IMDb]
42:ビヴァリー・ベイン(72) Beverly Bayne [IMDb]
43:フランク・マヨ(69) Frank Mayo [IMDb]
44:東猛夫(65) Azuma Takeo [JMDb]
45:ネヴァ・ガーバー(65) Neva Gerbar [IMDb]
46:アルフレッド・ホイットマン(57) Gayne Whitman [IMDb]
47:アリス・ブラディー(50) Alice Brady [IMDb]
48:アール・フォックス(42) Earle Foxe [IMDb]
49:ベン・ウィルソン(37) Ben F. Wilson [IMDb]
50:セダ・バラ(22) Theda Bara [IMDb]
51:アラン・ホルバー(21) Allen Holubar [IMDb]
52:ジュエル・カーメン(17) Jewel Carmen [IMDb]
53:クララ・キンボール・ヤング(15) Clara Kimball Young [IMDb]
54:ブロニー・ヴァーノン(12) アグネス・ヴァーノン(Agnes Vernon)誤記 [IMDb]
55:ルイズ・グローム(9) Louise Glaum [IMDb]
56:モリー・マローン(8) Molly Malone [IMDb]
57:レオン・バリー(5) Léon Bary [IMDb]
57:ガブリエル・ロビンヌ(5) Gabrielle Robinne [IMDb]
59:フランセリア・ビリントン(3) Francelia Billington [IMDb]
59:アーヴィング・カミングス(3) Irving Cummings [IMDb]
59:花柳はるみ(3) Hanayagi Harumi [JMDb]

1919年初頭、雑誌『活動之世界』新年号で人気投票の開催が告知されました。当時合衆国で行われていた形に倣ったもので、年間を通じて票を募集し、各号で途中経過を発表しながら年明けに最終結果を発表するものです。この第3回中間発表を見ていると当時の傾向が幾つか見えてきます。

人名表記は現在のものを使用。3票以上を獲得した61名の男女比は27名(44%)対34名(56%)、国別内訳は以下となっています。
アメリカ:48名(79%) 日本:9名(15%) イタリア:2名(3%) フランス:2(3%)

ハリウッド俳優ではヴァイタグラフ社が安定した人気ぶり(転籍していますがアニタ・スチュワートやノーマ・タルマッジも同社出身)。国内で安定して配給・宣伝されていたため知名度が高かったと思われます。一方でギッシュ姉妹やグロリア・スワンソンらが選外に漏れてしまいました。

アクションを十八番とする男優(ウィリアム・ダンカン、エディー・ポロ、ハリー・ケリー)が健闘、また連続活劇女優の人気が根強かった様子も伺えます。1910年代末はパール・ホワイトやルース・ローランドらの先駆者に続く第二世代(グレース・ダーモンド、モリー・キング、ネヴァ・ガーバー)が台頭していた時期で、ランキングにもその状況が反映されています。

国内組に目を転じると1917年に日活向島に入社した山本嘉一と藤野秀夫、東猛夫、衣笠貞之助に票が集まっています。松之助人気も健在。正式デビュー前で得票数は伸びていないものの(『深山の乙女』は1919年8月公開)日本初の女優花柳はるみさんが早くも食いこんでくる形になっています。

二名ながらもイタリア女優が上位にランクイン(ベルティーニ、メニケリ)。ドイツや北欧、ロシアの俳優名はありません。

この5年後になると日本でも女優ブームにブロマイドが飛ぶように売れ、連続活劇人気は収まり、イタリアの代わりにドイツ映画が存在感を増していく時代となりました。「映画」の言葉からイメージされる世界の広がりが20年代前半にガラリと変わっている訳で、この人気投票はそれ以前、ちょうど一世紀前の映画理解を反映している点で興味深く思われます。

なお、それぞれの国外俳優の写真は国立国会図書館所蔵の『活動花形俳優』(1921年)や『活動名優寫眞帖』(1919年)で見る事ができます。

フランス・デリア France Dhélia (1894 – 1964) 仏

「フランス [France]」より

France Dhélia 1924 Inscribed Photo
France Dhélia 1924 Inscribed Photo

この優美な女優はトゥーレーヌの穏やかな空の下で生を受け、若くしてパリに上京し舞台を志した。その雅さ、作為のない演技でミシェル劇場、アンビーク喜劇座、シャトレ座と次々に成功を収め、とりわけ『伍長になった女の子』を絶妙に演じてみせた。しかしながらフランス・デリア嬢はほどなくして舞台を離れて撮影所に移りデノラ氏と共に『姉に売られたジョゼフィーヌ』で女優デビューを果たす。次いでゴーモン社と契約を交わし『愛の難破船』『ジネット』で注目を浴びたが、何より『恋のサルタン』でその才の如何なく発揮し、以後は出演毎に評判を呼ぶようになった。

「『ギターとジャズバンド』出演のフランス・デリア嬢」
シネ・ミロワール誌38号、1923年11月15日付

Cette gracieuse artiste, qui naquit sous le doux ciel de Touraine, vint de bonne heure à Paris, faire du théâtre. Sa grâce et son naturel lui valurent de francs succès sur les scènes du théâtre Michel, de l’Ambique et du Châtelet où elle fut notamment une délicieuse « Petite Caporale ». France Dhélia devait, cependant, bientôt quitter les planches pour le studio et débuter dans l’art muet avec Dénola dans Joséphine vendue par ses soeurs. Elle fut engagée ensuite chez Gaumont et se fit remarquer dans les Epaves de l’amour et Ginette, mais c’est la Sultane de l’amour qui consacra définitivement son talent. Depuis, ses créations ont toujours eu un grand retentissement.

France Dhélia, dans LA GUITARE ET LE JAZZ-BAND
Ciné-Miroir, No.38
15 Novembre 1923 (4ème de couverture)

1910年代末~20年代前半を代表する仏女優フランス・デリアのメッセージ入り写真。1923年作品『ギターとジャズバンド』撮影時のポートレイトで、1924年4月2日にスイスを訪れた女優が「ジュネーヴに立ち寄った思い出に(En souvenir de mon passage à Genève)」と書き残しています。

以前(2015年4月末)にジュネーヴの古書店のカタログに埋もれていたのを見つけ注文したものですが、お店側がオンライン決済や銀行送金に対応しておりませんでした。そこで「リスクは承知ですのでスイス・フランを直に送ります」と相談したところ「現金を郵送する費用や両替の手数料もかかりますよ」と一円もとらずに日本まで郵送して下さいました。

France Dhélia in La Sultane de l'amour (1919)
『恋のサルタン』(La Sultane de l’amour、1919年)より

シネ・ミロワールで触れられている『恋のサルタン』(1919年)は彩色で公開された美しい作品で千夜一夜風の異国奇譚にアクションやロマンス、喜劇を織り交ぜています。悪人役のガストン・モド、従者役マルセル・ルヴェスク、お姫様役にフランス・デリアと配役が絶妙で、後に監督として名を馳せる画家マルコ・ド・ガスティーヌがセットのデザインを担当しこの時期の仏映画では珍しいエンタメ性の高い秀作にまとまっています。

また彼女の出演作では1924年公開の『ネーヌ』が9.5ミリ化されています。当方は所有していないものの米プリンストン大学のパテベビー・コレクションがデジタル版を公開。この作品では美貌を鼻にかけ、浮薄な生活に憧れヒロインを虐めるヒール役を熱演していました。

France Dhélia in Nène (1924)
『ネーヌ』(Nène、1924年)より

[IMDb]
France Dhélia

[Movie Walker]
フランス・デリア

[サイズ]
16.7×22.5cm

[データ]
11924年4月2日、フルニエ・マルギ氏宛。

ガブリエル・ロビンヌ Gabrielle Robinne (1886 – 1980) 仏

「フランス [France]」より

Gabrielle Robinne 1914 Autographed Postcard
Gabrielle Robinne 1914 Autographed Postcard

 ガブリエル=ロバンヌは飽くまで華麗な仏蘭西の女性である。彼女の持つ美。それは一時に何者をも直ちに感受せしめねば止まぬ、實感性の強い美である。而も彼女には他に求め得られぬ氣品が保たれて居る。さうしてロバンヌの美しその姿態より生れる彼女の技藝、そこには又情味と熱に富んで居る事も思はなくてはならない。『船火事』の如き『宮殿の怪火』の如き、『優しき復讐』の如き『空中王』の如き『呪の縁』の如き、美しい感じ好いパテー映畫は我々に永久に消えないロバンヌの印象とその藝術の影とを残して呉れたのである。

 ロバンヌは映畫界の名聲もさる事ながら、巴里の劇界の名望は偉大なものである。コメデー・フランセイ座附名女優として彼女の名は佛国の隅々までも喧傳されて居る。佛国パテー社は早くルネ・アルクサンダー氏を相手役として、ロバンヌの出演映畫撮影に從い數多の映畫を完成させて居った。その内戦亂となりその製作能力は衰へたが、一昨年頃より更にロバンヌ夫人と新契約の下に數多の新映畫を撮影して今日に至つて居る。ロバンヌの名聲、夫は今も尚輝いて居るのだ。

「歐州活動女優物語:ガブリエル・ロバンヌ夫人」
『活動画報』 1919年8月号

宛名面に「14年4月9日」のメモ書きあり。

1900年代に美貌を謳われた女優さん。コメディ・フランセーズ座の活動を中心としながらも折に触れ映画に出演していました。

確認できる最も古い作品はセグンド・ド・ショーモン監督による『吟遊詩人(トゥルバドール)』(1906年)、後半に一瞬窓際に立つお姫様として登場。『ギーズ公の暗殺』(1908年)ではギーズ公の愛人である侯爵夫人役で出演。その後もパテ社の初期短編(アルベール・カペラーニ、ルネ・ルプランス)で姿を見ることができます。

一般の人気があったのは1900年代で、この頃はクレオ・ド・メロードと並ぶ美人女優として無数の絵葉書が流通していました。なのですが1913年の『女心』を見直してみて、人気の落ち着いた10年代以降の方が演技力・表現力共に安定していたと思います。9.5mmフィルムでは『ギーズ公の暗殺』以外にもニュースリールで登場していたのを見た覚えがあります。

Gabrielle Robinne in Coeur de Femme (1913)
『女心』(Coeur de femme, 1913)より。
ゴーモン・パテ・アーカイヴ蔵

[IMDB]
Gabrielle Robinne

[誕生日]
7月1日

[出身]
フランス(モンリュソン)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

1917-22 忘れじの独り花(22)マルギット・バルナイ Margit Barnay (1896 – 1974)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Margit Barnay c1920 Autographed Postcard
Margit Barnay c1920 Autographed Postcard
母親が画家、祖父が歌手という芸術家一家の環境に育ち、本人も早くから絵画や音楽の世界を志しています。1919年、当時人気のあった監督ジークフリート・デサウァーの目に留まり『愛の子』で女優デビュー、映画スタジオを立ち上げたばかりのムルナウが監督デビュー作『青衣の少年』と次作『サタン』でヒロインに起用して名前が知られるようになりました。

1920~22年がキャリアのピークでディミトリー・ブコエツキーやウアバン・ガーズ、フランツ・ホーファ作品の主演を歴任していきました。この頃の作品でオランダの映画社で撮った『アレクサンドラ』(1922年)が現存しており、同国の映像資料館オンライン・アーカイヴEYEで公開されています。

Margit Barnay in Alexandra (1922)
1922年の『アレクサンドラ』より

20年代中盤に出演作が減っていき27年を最後に映画界を引退。家系にユダヤの血が多く流れていたため目立った活動が出来なくなりました。旦那さんがナチスお抱えの建築家だったため、収容所などには送られず済んだようです。

絵葉書には「エーマンス嬢へ、マルギット・バルナイより親愛をこめて」の宛名入りメッセージが付されています。

[IMDB]
Margit Barnay

[Movie Walker]
マルギット・バルナイ

[誕生日]
4月5日

[出身]
ドイツ(ベルリン)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Verl. Herm. Leiser, Berlin Wilm. 6628. Phot. Becker & Maass. Berlin-W.

大正8年(1919年)公開 『ぶどう月』 (ルイ・フイヤード監督) 撮影風景写真3枚

「ルイ・フイヤード関連コレクション」より

1919 - Vendémiaire (Louis Feuillade)
1919 – Vendémiaire (Louis Feuillade) 3 photos de tournage

第一次大戦終戦の大正7年(1918年)に撮影され、翌8年(1919年)に公開された劇作品『ぶどう月』撮影中の写真三点。販促用スチルではなく、撮影関係者が内々のやりとりで保管していたもので、ここにある以外現存していない貴重な資料と思われます。

フイヤード監督の作品は1)初期習作(1913年まで)、2)前期活劇(1914~17年)、3)後期活劇と逝去(1922年まで)の大きく三つに分けることができます。

『ファントマ』『レ・ヴァンピール』『ジュデックス』『後のジュデックス』など大戦中の作品で仏活劇に旋風を巻き起こした後、戦後からやや作風に変化が見られるようになってきます。『ティーミン』や『バラバス』といった後期作品は、アクションの要素を抑えドラマの流れや一貫性を重視し、さらに幻想色を加えたものに変わっていくのです。

前期から後期への橋渡しとなった作品が『ぶどう月(Vendémiaire)』でした。

この監督は「フイヤード組」と呼ばれた固定メンバーを軸に作品作りを進めるのが常だったのですが、終戦の前後に大きな入れ替えがありました。『レ・ヴァンピール』『ジュデックス』で存在感を見せたミュジドラ、喜劇の要素を加えていたマルセル・ルヴェスクの二人が一座を離れるのです。その代わりにアジア風の繊細さを持つ女優マリ・アラルドが加入、ルヴェスクの代わりに若い喜劇俳優ビスコが参加します。また『ジュデックス』主役を演じたルネ・クレステもこの後しばらくして『ティーミン』製作後に離脱しています。

『ぶどう月』はマリ・アラルドやビスコが初めて登場したフイヤード作品となります。

『ぶどう月』の物語は、軍隊を離れ、新たな生活を始めようと南仏にやってきた退役軍人(ルネ・クレステ)を軸に進んでいきます。盲目の貴族(エドゥアール・マテ)が所有するワイン園で雇われるのですが、ジプシーと間違われ追い払われそうになっていた貧しい未亡人(マリ・アラルド)を助け、次第にロマンスが生まれてきます。一方では敗走したドイツ兵(ルイ・ルーバ)が身分を偽ってワイン園に潜りこみ、盗みを重ねながらその罪を貧しい未亡人に押しつけようとしていく。未亡人の濡れ衣を晴らすため主人公は…という展開を持つ映画です。

冒頭、主人公はブドウ園の管理人に身分証明書を見せ、雇ってもらうことに成功します。この時ジプシーと勘違いされ雇用を断られた女性に話を聞くと、大戦で夫を亡くしたばかりとのこと、クレステはブドウ園の管理人に話をし、「ジプシーではなく英雄の妻だ」と誤解を解いてあげました。

ゴーモン社所有のプリントでは以下のような映像が続いていきます。

主人公を演じたクレステを中心に、未亡人を演じたマリ・アラルド、管理人を演じたエミール・アンドレを左右に配して撮影されたのが一枚目の写真。作中でマリ・アラルドは頭に布を巻いていましたが、こちらでは首の後ろに下ろしています。

この後悪役ドイツ人が登場、国籍を偽って農園に入りこみ、窃盗を繰り返していきます。途中にベルギー人の同僚が内緒話をしているのを見つけ、小耳を立てる場面がありました。

悪漢を演じたルイ・ルーバを撮影したのが二枚目の写真です。映画では正面と真横からのアングルでしたが、写真は斜め前からのアングルになっています。

03

最後の一枚はカメラマン。『ぶどう月(Vendémiaire)』撮影時に実使用された内の一台と思われます。

いずれの写真も裏側に手書きの説明が付されています。

別投稿で紹介したルネ・クレステ直筆の年賀メッセージ葉書と同じ出所で、1919年頃にクレステと親交のあった関係者が保管していた資料の一つです。

『ぶどう月』は長きに渡る対立を背景とした反独感情や、ロマ民族への差別意識を含みこんでおり、またフイヤード監督が王党派の国粋主義者だった痕跡も見て取れる作品でした。その是非はともかくとして、フイヤード作品史上で重要な位置を占めている作品ですので再評価の機運が高まってほしいと願わずにいられまん。

[IMDb]
Vendémiaire (1918)

1917-22 忘れじの独り花(16)エディット・メラー Edith Meller (1897 – 1953)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Edith Meller c1920 Autographed Postcard
Edith Meller c1920 Autographed Postcard
第一次大戦中の1916年にデビューし1922年頃まで旺盛な活動を見せていたハンガリー出身の女優。

初期はナチオナール映画社やPAGU社作品に多く出演。このうち助演した1917年の « Der feldgraue Groschen »が現存しており、オンラインで動画が公開されています。

« Der feldgraue Groschen »でのエディット・メラー(右端)

1920年にPAGU社で製作された恋愛アドベンチャー『熱国の呪』(Indische Rache)は日本でも公開されています。

Edith Meller in Die wilde Ursula (1918)
キノベジッツァー誌 1918年5月13日付
初期主演作 « Die wilde Ursula » の紹介記事

[IMDB]
nm0577914

[Movie Walker]
エディット・メラー

[誕生日]
9月16日

[出身]
ハンガリー(ブダペスト)

[サイズ]
8.6 × 13.6cm

[データ]
Film-Sterne 133/4. J.Brass

1917-22 忘れじの独り花(14) エステル・カレナ Esther Carena (1898 – 1972)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Esther Carena c1920 Autographed Postcard
Esther Carena c1920 Autographed Postcard

女優としての活動は大正時代の後期(1916~24年)に集中しています。1916年に舞台の仕事を探しにイタリアからドイツへやってきたのですが、仕事はなく、当初は「乗り気ではなかったのだけれど」映画で生計を立て始めました。

経験を積むにつれ映画の可能性を実感していくようになり、自身の衣装デザインを手掛けるなど積極的な自己主張を見せるようになります。ケリー・ドイチュラント探偵物(ハリー・ピール主演)やウェッブス探偵物(エルンスト・ライヒャー)などミステリー作品に多く出演、イタリア時代に心得のあったアクロバットの経験も生かし、アクションや舞踏など活動派のセンスも見せています。

der kinobesitzer, 1918-06-01, seite 11-carena
キノ・ベジッツアー誌1918年6月1日号より、ハリー・ピール監督作品『彼奴の仇敵』(Sein Todfeind)紹介記事

Esther Carena in Ikarus, der fliegende Mensch (1918)
『鳥人イカルス』(1918年, Ikarus, der fliegende Mensch)より

初期作品の一つ、第一次大戦を背景にしたメロドマラマ『鳥人イカルス』はフィルムが現存しており、ドイツ映画協会のオンラインサイト、フィルムポータル.deにてデジタル版が公開されています。

[IMDB]
nm0136824

[Movie Walker]
Esther Carena

[誕生日]
8月24日

[出身]
ドイツ(ハノーファ)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Verl. Herm. Leiser, Berlin Wilm. 3035

1917-22 忘れじの独り花(9)レオンティーン・キューンベルク Leontine Kühnberg (1890 – ?)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Leontine Kühnberg 1921 Autographed Postcard
Leontine Kühnberg 1921 Autographed Postcard

第一次大戦以前(1912年)から活動を始めており、比較的長いキャリアを持った女優さんです。

貴族風とも呼べる華奢な容貌と感情豊かな大きな眼を生まれながらに兼ね備え、外見もまた彼女の芸術を完成させるに申し分ない働きをしている。店の売り子から洗練された貴婦人まで人の多彩な感情を演じ分けることができる。[…]

これまでの実績で最も際立っているのが『ジュディット・トランヒテンベルク(ユダヤの娘)』であるのに異存はないであろう。本作での彼女は自身の民の娘たちが辿りがちな運命を体現してみせた。あれほどまでの心の動き、心の折れ方はとても強烈で、情け心を備えた者は二度と忘れえぬほどであった。この役にせよ数多ある他の役にせよ、レオンティーン・キューンベルクが最高位の表現者であると示しているのである。

「今月の表紙」、フィルムヴェルト誌、1921年25号

Sie vermag alle Nuancen menschlicher Leidenschaft vom kleinen Ladenmädchen bis zur mondänen Weltdame zu interpretieren. […] Ihre wertvollste Leistung was bisher entschieden die « Judith Trachtenberg », in der sie das tzpische Schicksal einer der Töchter ihres Volkes mit soviel seelischem Miterleben, so starkem innerlichen Hingegebensein darstellt, dass keinem künstlerisch unempfindsamen Zuschauer diese Leistung jemals wird vergessarbar sein können. Diese und noch viele andere Rollen zeigen, dass Leontine Kühnberg eine Darstellerin vonhohem Grade ist.(« Zu unserem Titlebilde », Die Filmwelt, 1921, Heft 25)

1921-die-filmwelt-25-08-leontine-kuhnberg-s

1921年に映画誌の表紙を飾った際に残されていた文章の一部です。様々な映画に出演していたこともあり同時代の愛好家なら幾つかの役柄をパッと思い出せる女優さんだったと分かります。

また文中で引用されている『ジュディット・トランヒテンベルク(ユダヤの娘)』について、「自身の民の娘たち」というややぼかした表現で女優自身がユダヤ系であることも示されています。訳出した文章の少し前に「異国風の(エキゾチックな)印象」とあり、アーリア系女優と異なった雰囲気も評価されていたようです。

Leontine Kühnberg in So rächt sich die Sonne
『お天道様は忘れない』(So rächt sich die Sonne, 1915年)

1920年公開の『ジュディット・トランヒテンベル(ユダヤの娘)』、翌年公開の表現主義作品『月上の家』でヒロインを務めるなど、実力と経験値に相応しい活躍を見せていましたが、それでも時代の流れには抗えず1923年には映画界を離れています。

[IMDB]
nm0478147

[Movie Walker]
レオンティーン・キューンベルク

[誕生日]
未詳

[出身]
不明

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Aufnahme Karl Schenker. Verlag W.J. Morlins/Berlin W. 15. Vertrieb. Ross-Verlag/Berlin SW68 9008/2

大正6年 (1917年) パール・ホワイト主演『拳骨』仏語小説版

「パール・ホワイト連続活劇 [Pearl White Serials]」より

パール・ホワイト主演による連続活劇『エレーヌの勲功(The Exploits of Elaine)』は、日本では『拳骨』の邦題で紹介され人気を博しました。

先行する『ジゴマ』ほどではありませんが、日本語小説版も幾種類か発行されていて当時の盛り上がりが伝わってきます。

大正5年:『拳骨 : 探偵活劇. 第1編/第2編』 俊碩剣士著 (春江堂書店)
大正5年:『拳骨 : 探偵小説』青木緑園著 (中村日吉堂)
大正5年:『拳骨. 上/』活動の世界社編輯局 [編]

今回入手したのは同時期にフランスで発売されていた仏語小説版です。かの国には新聞連載小説の長い歴史があって、本書も元々はル・マタン紙の附録として20冊の続き物として流布していました。こちらはそれを一巻にまとめたハードカバー仕様。570頁を越える大部な一冊です。