1980年代 – 復刻版・中国初期映画女優絵はがき(協興隆老廣告明信片)

協興隆老廣告明信片
(Old Advertisement of Xiexing Long)

かつて上海で発売されていたレトロ広告の復刻絵葉書セットより映画女優をあしらった6枚。18×12センチと日本の絵葉書より2回りほど大きなサイズ。正式商品名は「協興隆老廣告」。90年代位まで上海市中で普通に市販されていて、当時在留していた邦人や観光客が土産に持ち帰ってくることも多かったそうです。現在は絶版となり入手が難しくなっています。

オリジナル雑誌の発売順に並べてみました。

陳玉梅 1934年『電影画報』
(陈玉梅, 1910 – 1985)Chén Yùméi [IMDb]

陳雲裳 1939年6月『新華画報・号外』
(陈云裳, 1919 – 2016)Chén Yúnshang [IMDb]

白光 1944年11月『上海影壇』
(1921 – 1999)Bái Guāng [IMDb]

談瑛 1946年 雑誌名未詳
(谈瑛, 1915 – 2001)Tán Yīng [IMDb]

周璇 1947年1月 『藝海畫報』
(1920 – 1957)Chow Hsuan/Zhōu Xuán [IMDb]

周璇 1947年4月 『中国電影畫報』

服の柄や色使い、デザインにお国柄が出ていますし、文字のフォントも洗練され質の高いものです。

陳雲裳は李香蘭との共演作(『万世流芳』)があり、同作は昨年末に国立映画アーカイブで企画された「生誕100年 映画女優 山口淑子」で上演されていました。白光は『蕩婦心』(1949)『一代妖姬』(1950)、談瑛は『粉紅色的夢』(1932年)が現存。周璇は代表作のひとつ『馬路天使』(1937年)が知られていますが、それ以上にミステリアスな夭折ぶりが人々の想像力を掻きたてるようで現在でも様々な論議を呼んでいます。陳玉梅は歌手としての音源は残っているものの出演映画作は見つかっておりません。

上海にはトランスラピッド(上海磁浮示範運營線)が完成する少し前に行ったことがあります。建てかけの高層マンションの足元に古い長屋が残っていて、ブルドーザーでガリガリ削られていたのがとても印象的でした。あの時に絵葉書や古雑誌を買い漁っておけば…そのために時計の針を戻したい気分です。また2013年に完成した上海電影博物館は観光名所の一つにもなっています。戦前~戦中期の資料も充実しているようなのでいつか足を運べたらなと思っています。

1930年 – 9.5mm 『復興帝都御巡幸』(原題『輝やく大東京』 撮影・大日本教育映画協會 伴野商店版)

小特集【関東大震災と9.5ミリ映画】
「伴野商店」より

« Imperial Visit to the Reconstructed Capital » (March 1930)
c1930 Banno co. 9.5mm Print

震災から6年半、当時の金額にして7億円以上の巨費を費やした東京の復興計画(土地区画の整備、インフラ再建)が一区切りつき、1930年3月に復興帝都祭が開催されています。3月24日の昭和天皇による首都巡幸を記録した映像がこちら。

ルートとしては皇居出発後に九段坂上~府立工藝學校~上野公園~隅田公園~震災記念堂~市立千代田尋常小學校~私立築地病院と移動し皇居に戻るもので、所要時間は4時間40分を予定していました。

原題は『輝やく大東京』、撮影は大日本教育映画協會。明記されていませんが東京市教育局による製作。大阪芸術大学、京都のおもちゃ映画ミュージアム等が35ミリ版断片を所有しており、旧東京国立美術館フィルムセンターの企画「発掘された映画たち 2009」で南湖院コレクションの一部として15分全長染色版が上映された記録も残っています。伴野9.5ミリ版は字幕を入れて7分程の長さで約半分のダイジェスト版。ちなみにフィルムセンターは『輝やく大東京』と『復興帝都御巡幸』を別作品とみているのですが、本サイトでは編集と改題を経た同一作と解釈しています。

「皇室とメディア」は戦前から戦後まで続いていく重要なテーマですし、都市デザインや都市計画の視点で見ても発見が出てきそう。何より1920年代後半期(昭和元年~5年)はまだ大正期の文化が残っていてこの昭和6、7年辺りから本格的に「昭和的なもの」が形を取ってきた感覚があります。震災からの再生、首都のリセットを意味するこのイベントも一つの節目となったのかな、と。

[原題]
輝やく大東京

[制作]
東京市教育局

[フィルム版メーカー]
伴野商店

[カタログ番号]
278

[フォーマット]
20m×2巻 無声字幕あり(第一巻の冒頭タイトル部欠)