【今週の動画】1930年代中頃 – 日本 9.5mm 個人撮影動画 『無題(草の上の昼食)』

Mid 1930s Japanese Untitled 9.5mm Home Movie

東北地方で撮影された動画群の一つで、家族での近場へのピクニックを記録した映像。リールに巻かれておらず、購入時のアルミケースで保管されていました。

動画は町内から徒歩で移動する家族の後ろ姿で始まります。大人は和装で子供は洋服姿。一人が食べ物を詰めたバスケットを運んでいます。

そのまま舗装されていない道を山の方へ向っていき…

いざピクニック開始!

女性陣は女子会モードで談笑。

運んできた食材を包丁で切り分けている男性の姿。戦前の個人動画では台所で撮られた料理の場面はあまり記録されていないため、こういった映像も貴重です。

一番年少の女の子が親族にあやされてます。ご飯を無心に食べている姿が可愛らしいですね。最後はぐるりと囲んで座っている全員を右から左へ、左から右へと映していきます。

休みの日に近場までちょっと…のささやかな贅沢、仲の良さは伝わってきます。着物姿でピクニックの図柄がなかなか面白く、ルノワールの『草の上の昼食』を和風に解釈した雰囲気もあります。

1930年代 – 9.5mm『北海道アイヌの熊狩』(伴野版)

「9.5ミリ 伴野商店」より

Ainu Bear Hunting in Hokkaido (Banno Co. early-mid 1930s)

仏パテ社の『消えゆく民、アイヌの人々』と並ぶもう一本のアイヌ関連9.5ミリフィルム。

『消えゆく民、アイヌの人々』が古いオルソクロマチック形式のフィルムで撮影されていたのに対し『北海道アイヌの熊狩』はパンクロマチック式フィルムで撮られていて1930年代前半頃の動画と推定できます。

既に1920年代、アイヌの文化変容は急激に進んでおり、撮影された映像が当時の、アイヌの生活ぶりを忠実に記録したものではなく、既に日常からは消えようとしている、あるいは消えたものを復元し映像化したと言うことである。(東京シネマ新社ホームページ「アイヌと民族誌映像」より)

『北海道アイヌの熊狩』も「昔時のアイヌ熊狩のいでたち」の字幕で始まっています。服装や装備に近代化の跡が見られ、時代の流れや同化政策によって伝統が失われつつある危機感を伺いとることもできます。

動画では雪の巣穴に閉じこもった熊の進路を木で塞ぐ「穴狩」、発見した熊を徒歩で追いつめていく「追狩」の2種類の猟法が紹介され、最後は獲物を囲んで祈りをささげる猟師の姿で幕を閉じます。

最後の場面では熊を中心に座った猟師たちが両手をこすりあわせ、手のひらを上に向けたまま上下させる「オンカミ」の動作が見られます。クマ=神への畏敬と感謝の意であり、アイヌの民と自然とが独自の思想・世界観でつながっている様子が映像からも伝わってきます。

[邦題]
アイヌの熊狩り

[英題]
Ainu Bear Hunting in Hokkaido

[発売元]
伴野商店

[カタログ番号]
044

[フォーマット]
20m×1巻

1912 – 9.5mm 『消えゆく民 アイヌの人々』(仏パテ・フレール社作品)

「9.5ミリ 科学/歴史/地誌/産業」より

1912 - Les Peuple qui disparaissent. Les Ainos
Les Peuple qui disparaissent. Les Ainos (French Pathé)

1912年末にフランスで公開されたほぼ同名の作品を9.5ミリ用に再編集したもの。この作品については海外の映像研究家が論文を発表(『オリエンタリア』2017年第17号)しているため、一旦そちらを参照させていただきます。

アイヌの民が登場してくるもう一つの1912年映像作品は『消えゆく民 アイヌの人々』(英題:The Hairy Ainos)で、パレ・フレール社の製作によるものであった。同社は1902年に映画技術の特許を購入、時事映像の分野でリュミエール兄弟の後を継いだ。忽ちにしてパテ・フレール社は当時最大の映画製作会社となり、1909年に日本にも拠点を設立している。『消えゆく民 アイヌの人々』は長さにして僅か三分足らずの作品である。冒頭ではチセ(アイヌ式住宅)の前に立った四人の男性、次いで四人の女性が映し出される。字幕により、アイヌの人々は大半が猟と漁で生活しているとの説明が入る。次の場面では、海を背景として女性と子供とが歩いてくる。さらに丸木舟に乗った二人の男性が登場。

『消えゆく民 アイヌの人々』が公開された時期、原初の映画術でもたらされた驚きはすでに乗り越えられていた。このパテ社作品には儀式などの伝統から一旦距離を置き、日常生活に密着したいとの意思を読み取ることができる。旧来の時事映像作品と違い、リュミエール兄弟の下でアイヌ民族を撮っていたジレル氏が描いた古い舞踏であるとか、その他の特徴的な要素は本作にない。その代わりとして、朽ちた小屋の前で子供をあやしている女性が登場するのだ。広角レンズで撮影された老人も儀式用の服は着ておらず、頭にラウンペはなく、髭もほとんど見ることはできない。(マルコス・センテノ=マルティン「表象外の眼差し:初期映画におけるアイヌ民族の描写について」『オリエンタリア』2017年第17号)

The other film featuring the Ainu people in 1912 is entitled Un peuple qui disparaît, les Aïnos (aka The Hairy Ainos) and was produced by Pathé Frères Company, which had bought the cinematograph patents in 1902 and succeeded the Lumière brothers in the production of actulités. Very soon, Société Pathé Frères became the biggest film production company of the time, and in 1909, it established headquarters in Japan. Un peuple qui disparaît, les Aïnos, which only lasts for three minutes, begins with four men followed by four women posing before a chise and an intertitle explaining that the Ainu were mainly hunters and fishers. In the next scene, a woman and a child are seen walking with the sea in the background and afterwards, two men enter scene on a chip (Ainu canoe). […]

When Un peuple qui disparaît, les Aïnos was released, the astonishment produced by primitive cinema was already overcome. Pathé film demonstrated an interest to move away from ritualized traditions and a willingness to get closer to everyday chores. Unlike previous actuality films, this footage does not contain traditional dances or other distinctive elements depicted by Girel. Instead, the sequence features a woman and her child before a dilapidated hut; a wide shot framing an elderly man who does not wear the ceremonial clothes nor any raunpe on his head, and his beard can be hardly seen.(enteno Martín, Marcos P. “Gazes outside the Representation. Early Film Portrayals of the Ainu People (1897-1918)”, Orientalia, issue 17, 2017, pp. 189-211)

筆者センテノ=マルティン氏は実際に北海道を訪れ、アイヌ民族についてのドキュメンタリー映画(“Ainu. Pathways to memory”)も監督されている人物です。論考後半では、タイトルの「消えゆく」という表現が同時期にアメリカン・ネイティヴに使われていた(1925年出版のゼイン・グレイの小説『滅び行く民族(原題:The Vanishing Americans)』)点にも注意を促していました。

映画の発明当初から少数民族への興味は見られたものの、独自の踊りや入墨、髭といった表層的な関心が優先されていたのに対し、『消えゆく民 アイヌの人々』では生活に密着していく発想が顕著となり、結果として表現されている「リアリティ」の質が変化している、というのがセンテノ=マルティン氏の主張の一つです。

当初の好奇の眼差しが次第に研ぎ澄まされていくという話は一般的に見ても分かりやすいのではないかと思われます。


[タイトル]
Les Peuples qui disparaissent. Les Ainos

[原題]
Un peuple qui disparaît, les Aïnos

[メーカー]
仏パテ・フレール社

[公開]
1912年

[IMDb]


[メーカー]
仏パテ・フレール社

[仏パテ社版カタログ番号]
1230

[フォーマット]
20m(2707フレーム、14fps、3分)、無声、ノッチ有

1928 – 9.5mm 『スピオーネ』(フリッツ・ラング監督) 独パテックス社4リール版

「フリッツ・ラング関連 [Fritz Lang Related Items]」より

Spione (Early 1930s German Pathex 9.5mm Version)

昨年『メトロポリス』『ファウスト』で世話になったドイツのフィルム収集家ヴォルフ・ヘルマンさんと再度ご縁があり、ラング監督のスパイスリラー『スピオーネ』9.5ミリ版全4巻を入手できました。

英パテスコープ社版は現存数が多く市場で何度か見た覚えがあります。こちらは流通数の少ない独パテックス版。『スピオーネ』は複雑に絡みあうサイドストーリーやサブプロットが特徴なのですが、そういった要素はカットされ、悪漢ハギー(ルドルフ・クライン=ロッゲ)と英国諜報員326号(ヴィリー・フリッチ)、その狭間で揺れる女スパイ・ソニア(ゲルダ・マウルス)三者の駆け引きに重点を置いた展開に編集されています。

リール1:ハギーの指令で326号に近づいたソニアが恋に落ち、お守りを渡すまで
リール2:前半はソニアに騙された326号が自暴自棄になる展開。後半は日本外交官マスモト/マツモトの秘密書類をめぐる駆け引き
リール3:ハギーが急行列車で諜報員326号謀殺を図る件
リール4:ハギーがソニアを人質に諜報局を脅迫〜銀行爆破、逮捕劇

キャスティングの魅力、語りのスリリングさ、強いインパクトを残す構図…ラング世界を9.5ミリフィルムの質感で追体験できるのは至福の時間でした。

1930年代中盤 – 9.5mm 『ニーベルンゲン 第一部:ジークフリード』(1924年) & 『メトロポリス』(1926年)独パテックス版予告編

「フリッツ・ラング関連 [Fritz Lang Related Items]」より

« Nibelungen » & « Metropolis »
c1933 German Pathex 9.5mm trailer


1933〜34年頃、独パテックス社がプロモの為に制作した9.5ミリ版の予告編。

ちょうど昨年の今頃、古い映写機をベースに9.5ミリ専用スキャナーの制作を行っていました。この際、解像度を確認していくサンプルに使用していたのこの予告編でした。コマ数がそこまで多くないため扱いやすかったのと、自分自身のモチベーションを上げるのにちょうど良かったのかなと思います。

綺乃九五式はその後レンズ回りを中心に改良を加えています。どのくらい画質が向上したのか確認してみました。

まずは『ニーベルンゲン 第一部:ジークフリートの死』から。左が2019年10月9日にラズパイカメラのV2を使ってスキャンした画像。右が2020年9月5日にラズパイHQカメラで同一フレームをスキャンした画像です。

昨年スキャンを行った際は、光の散らし方が上手くいっておらず画面右に明るい個所がまだら状に発生、文字が滲んでいました。今回のスキャンではその欠点が修正されています。

またHQカメラに切り替えたことで解像度が向上、細やかな濃淡をシャープに撮影することができるようになっています。主人公の腰の辺りを拡大してみました。

汚れや傷もクリアになっているのが分かります。

ニーベルンゲン予告編の最後のショットと、『メトロポリス』予告編の最初の場面。どちらも縦線が強調された構図です。旧スキャンにはわずかながらレンズの「歪み」があります。いわゆる「球面収差」に関わる話で、右のHQカメラの方が縦横の直線を正確に描写できています。

新スキャンの方では肌のグラデーションが自然に再現されています。

映写機で投影した画像と比べれば旧スキャンでも十分にシャープな映像だとはいえます。ラズパイHQカメラは一段階アップグレードされていて目標に一歩近づいた気がします。後はノイズ除去や修復力勝負ですね


1924 – 9.5mm 『二少年によるフランス周遊記』(ルイ・ド・カルボナ監督)

「9.5ミリ 劇映画」より


或る夜、ジユリアンとアンドレ兄弟は闇に乗じてファルスブールの孤児院を抜け出した。亡き父の遺言を果たすため叔父が住む南仏マルセイユへ向かつたのである。父の旧友の助けもあり、二人は無事国境を越えフランスに辿りつくことができた。手持ちの路銀は乏しく、兄弟は徒歩で南下を始めた。

道中では多くの人々に助けてもらう。エピナルの町では宿屋の亭主夫婦に可愛がられ、ジユリアンは錠前屋の修業をし、アンドレは学校で勉強させてもらう。しかし長居は出来なかった。一ヶ月の休息の後に二人は再度旅に出た。ブドウ作りの盛期を迎えたブルゴーニユ、工業の町クレルモン・フェラン、宗教建築の立ち並ぶアヴイニヨンを経由してプロヴァンスに入つていく。

マルセイユまで六十里となつた所で南仏の強風に煽られアンドレが足に怪我を負った。ジユリアンはルートを汽車に切替え、弟を背負つて客車に乗りこんだ。マルセイユに辿りつくも、折あしく叔父はボルドーに長期滞在中とのこと。肩を落とした兄弟を見てマルセイユっ子たちが一肌脱ぐ。港町で船主に話をつけ、運河を使いボルドーまで送つてもらう話になった。

ボルドーで叔父と再会。事情を知つた叔父は二人を養子にしようと決める。手続きの爲に孤児院へ戻らなくてはならない。ダンケルクまで船で移動して汽車でファルスブールへ。父の墓参りを済ませ役所へ向かう。交付されたのはフランス国籍を証明する書類であつた。晴れてフランス市民となつた兄弟は叔父の親友ギヨーム氏一家の元に身を寄せ、幸せに暮らしたのであつた。


『二少年によるフランス周遊記』は19世紀後半に出版された児童向けの物語です。第二次大戦前のフランスでは国語の読本として使われており当時の人に馴染み深い内容でした。1924年公開の映画版は3時間を越える大部なもので、パテベビー9.5ミリ版は前後半の二部構成とし40分程度まで切り詰めています。

主人公を演じているのはいずれも映画出演経験のない素人の子供さん。お兄さんのジュリアン役に素朴と端整さを兼ね備えたリュシアン・ルゲイ君。弟アンドレ役は天然パーマに笑顔が可愛らしいグレゴワール・ウィリ君でした。

父の遺言を果たすため貧しい兄弟が叔父のもとへ徒歩で向かう設定を口実に、様々な町の産業や文化が紹介されていきます。地理の勉強に役立つだけではなく北極星を見つけて方角を割り出したり、当時最新技術だった写真の話が出てくるなど教養ネタも多く含まれています。

同時期に公開された『狼の奇跡』(レイモン・ベルナール監督)の大衆受けを狙ったスペクタクル性はなく、エプスタイン(『蒙古の獅子』)らのインテリ受けする表現とも違っていて、話題となることのないまま埋もれてしまった一作ではありました。それでも各地の風景や産物を現地ロケで記録した功績は大きく、ナチュラルな演技も相まって好感度の高い作品に仕上がっています。


[IMDb]
Le tour de France par deux enfants

[公開年]
1924年

[メーカー]
仏パテ社

[メーカー記号]
2010(前編6巻)& 2012(後編6巻)

[9.5ミリ版発売年]
1925年

[フォーマット]
9.5mm 無声 10m×12巻 ノッチ有

1933年 – 9.5mm個人撮影動画『総社・三ツ山大祭』(姫山公園、射楯兵主神社、置山、中二階町通り、満蒙と産業博覧會)

「9.5ミリ 個人撮影動画」より

1933 Mitsuyama Festival at Himeji, Hyogo Prefecture
(9.5mm japanese home movie)

兵庫県在住の9.5ミリ撮影家さんが残したフィルムを4点手に入れました。こちらはその一つで、20年に一度開催される姫路市の奇祭「三ツ山大祭」を記録したものです。

動画冒頭では三体の「置山」(二色山、五色山、小袖山)が順に映し出されていきます。

次いで祭りの見どころの一つ、地元の町々が制作した「造り物」。動画ではまず中二階町による「鞍馬天狗」が登場。現在では残っていない中二階町通りのアーケード街の屋根に設置されています。

お揃いの洋服を着た女の子が二人登場。撮影者の娘さんのようです。歩きながらアーケード街を撮影し、時折振り返って市街地の様子を記録しています。逆光気味で暗めですが、建築やデザイン視点で見るとこれはこれで面白いです。造り物「蜘蛛切丸」の説明文。

アーケードを抜けた瞬間、視界が開けて華やかに飾られた町が現れる場面がとても綺麗です。

最後は姫路城巡り。ここからは露出過多となって映像が淡くなります。同行している家族や、祭りに集まってきた観衆の様子が映し出されていきます。中國日日新聞社が主催していた「満蒙と産業博覧會」の会場入口付近でフィルムが終わりました。

1952~57年 – 9.5mm個人撮影動画『寒中行事』大阪 桜宮橋 大川

「9.5ミリ 個人撮影動画」より

戦前から行われてきた淀川での「寒中水泳大会」(至心会主催)を記録したもの。確認できた限り少なくとも3年分(1952、1956、1957年)の動画を編集してまとめています。

「淀川」となっていますが開催場所は造幣局にほど近い桜宮橋の当たりで、現在では大川と呼ばれている旧淀川。桜宮公会堂の真正面になります。

1956年度の方では冒頭に「大阪寒中水泳大会」ののぼりが映し出され、吹奏楽団が開会の音楽を奏で、桜宮橋からの高飛びこみが披露されます。その後関係者諸氏からのスピーチがあって、至心会の有段者が「水弓」や「甲冑御前法」を披露していきます。

川岸のみならずボートにも報道陣の姿があります。またメーカー(ライオンやビスコ。翌年はセメダイン)がブース代わりのワゴン車を出している場面も記録されていました。

翌1957年(昭和32年)の大会もほぼ同じ流れとなっています。挨拶や祝辞に次いで地元高校生(北野高校、今宮高校、南高校、八尾高校、今宮工校、鳳高校)による「淀川横断」が行われ、京都踏水会「空砲発火」や至心会による「浮身絵」の披露。模型飛行機と模型ボートでの「淀川横断」も前年に引き続き開催されていました。

大阪市の真ん中で川泳ぎができた古き良き時代の映像記録。昭和30年代の話ですので記憶に残っている人もいるかもしれません。個人的に扇町から天六はよく動いていた覚えがあって桜宮界隈も全く知らない場所ではなく興味深かったです。

1917 – スーパー 8 『チャップリンの勇敢』(大沢商会/東宝/東和版、1970年代中頃)

« Easy Street » (1970s Super8 Ôsawa Shokai version, based on Towa B Negative)

チャップリン短編の8ミリ版は幾種類かあり、中でも大沢商会から発売されていたこのシリーズは比較的よく知られています。

元々は東和株式会社(現・東宝東和)の創業45周年を記念した「ビバ!チャップリン」という企画の一環で発売されたものです。東和商事合資会社としての創業は1928年にさかのぼりますのでフィルムの発売は1973年頃となるようです。「ビバ!チャップリン」は第一弾に『冒険』『拳闘』『移民』『勇敢』『消防夫』の5作を発売、その後ジャケットを変えて第二弾の『誘拐船』『大番頭』『活動屋』の3作が発表されています。

今回はその中から『勇敢(Easy Street)』の紹介です。ミューチャル社から公開された1917年作品で、チャップリンとヒロイン役のエドナ・パービアンス、悪漢役のエリック・キャンベルの絶妙なバランス感覚を楽しめる一作。

プリントは輸出用ネガ(Bネガ)ベース。戦後の比較的新しいプリントのため傷なども少なく、劣化も見られない良いコンディションでした。サンプル画像はHQカメラに差し替えた綺乃九五式でスキャンしたものです。

現在フリッカーアレイから発売されているブルーレイ盤ストリーミング版の最新修復バージョンは基本Aネガを元にしています。AネガとBネガのアングルの違いを幾つか確認しておきます。

「オルガンを弾くエドナ」の場面で見てみるとAネガは右側のカメラから撮られており、座ってうたた寝している男性がエドナに隠れるアングルになっています。一方のBネガは左側のカメラから撮られていて、男性の姿がエドナの背後に見える角度になっています。

また同じBネガ由来でも東和版とパテ版を比べると、前者は左端をやや大きくトリミングしてエドナを中央に配している(結果として左端の女性が半分で見切れている)のに対して、パテ版は左端の女性が切れないよう右端を広めにトリミングしていて、その代りエドナが中央を外れて右に寄った構図になっています。

「チャップリンのバストショット」「エリック・キャンベルとの乱闘場面」も同様でAネガは右側のカメラで、Bネガは左側に置かれたカメラで撮影されています。キャンベルの背中にチャップリンが飛び乗る後者の場面は良く知られていますが、被写体と背景の位置関係がAネガとBネガで微かに違っており別カメラだと分かるのです。

唯一の例外は「エリック・キャンベルのクローズアップ」。トリミング幅は異なっているも両者は同じネガを元にしています。東和が持ちこんだネガにAネガ由来のプリントが紛れこんでいたのか、ブルーレイ用に修復した際にあえてBネガを選択したか(現存フィルムのコンディションに応じてブルーレイ版も一部Bネガを使用しているそうです)は不明。

先日紹介した仏コダック16ミリ版ともつながってくる話で、物語あるいは世界観で言うとAネガもBネガも同じ『勇敢』なのです。でもフィルム視点で見ると別作品なんですよね。近年のデジタル修復作業が画質重視でAネガとBネガを混ぜてしまっている状況は少し怖いな、とは思います。

[原題]
Easy Street

[公開年]
1917年

[IMDb]
Easy Street

[メーカー]
大沢商会/東宝/東和

[フォーマット]
Super8、600フィート、30分(24fps)、白黒、光学録音(サウンドテープ付)、定価12,800円

1930年頃 – 16mm『チャップリンのスケート』抜粋 +『チャップリンの伯爵』抜粋 仏パテ・コダック社プリント

「16ミリ 劇映画」より

c1930 – 16mm « Charlot Bout en Train » & « Charlot en Soirée » (French Kodak Print, Ciné « Kogagraph »)

1927年にジョルジュ・イーストマンとシャルル・パテの合意を元に仏「パテ・コダック社」が設立されます。コダック製のカメラや映写機の輸入は同社を介して行われるようになりました。

エクセルシオール紙1928年5月24日付掲載の広告より

1928年の仏パテ・コダック社の広告。右下を見るとチャップリン作品も引き合いに出しつつ16ミリフィルムのレンタルサービスとして「コダスコープ(Kodascope)」が紹介されており、その下に市販用16ミリフィルムのブランドとして「コダグラフ(Kodagraphs)」の名称が使用されています。

仏パテ・コダック社が実際に市販していたのがこのような外箱入りのフィルムでした。右下に「フランス製(Fabriqué en France)と印刷され、フィルム本体のパーフォレーション部分にも「仏コダック」の文字があります。

ブザンソン市の写真店フォト・コステ社のラベルが貼ってあり、薄くなったタイプライターの印字は「Charlot Bout en Train/Charlot en Soirée」となっています。改題されているもののそれぞれ『チャップリンのスケート』と『チャップリンの伯爵』の有名な場面を100フィートずつ抜粋したものです。フォト・コステ社が16ミリのレンタル用に2本のフィルムを繋ぎあわせたと考えられます。

『スケート』『伯爵』両作品ともチャップリンがミューチャル社と契約していた時期の短編です。同社は配給時に米国内用ネガ(Aネガ)、輸出用ネガ(Bネガ)二種類を用意していたことで知られています。フランスで市販されていたこのフィルムはどちらを元にしたものでしょうか。

他のフィルムと照らしあわせてみたところ個人的な予想と裏腹にAネガを元にしていました。親会社のコダックが合衆国拠点だったため、という話なのでしょうね。一方で同時期にフランスで市販されていたパテ社9.5ミリ版『伯爵』はBネガ由来でした。

同じ国で同時期に同名チャップリン作品が売られていても実はネガは違っていた(=厳密に言えば同一作品ではなかった)という興味深い結論がでてきます。

1953 – Super 8 入江たか子主演『怪談佐賀屋敷』(荒井良平監督)


「8ミリ 劇映画」より

Super8 « Ghost of Saga Mansion » (dir. Ryohei Arai)

大映による化け猫映画第一弾として知られ、その後の化け猫ホラーブームの牽引役となった一作。後続の『怪猫岡崎騒動』『怪猫有馬御殿』などと共に何度かデジタルソフト化されており比較的知られた作品ではないかなと思います。

スーパー8は約30分(240メートル)のダイジェスト版。フィルムの劣化(ビネガーシンドローム)が始まっている状態でしたが傷や汚れは少なくスキャンには耐える状態でした

華族の娘として生まれ戦前に美人女優として鳴らし、一時期は自身のプロダクションまで有していた入江たか子さんが戦後、相当の覚悟をもって本作に挑んだ話は良く知られています。古くからのフアンの中には複雑な思いで見た方も多かったのではないかと思います。

一時期(1960年代〜70年代初め)の海外でも古典映画期の女優をホラー映画に出演させるのがブームになったことがありました。ベット・デイヴィスの『何がジェーンに起こったか』(1962年)に始まりバーバラ・スタンウィック(最後の映画出演となった1964年『夜歩く者 The Night Walker』)やヴェロニカ・レイク(1970年の遺作『肉体の宴 Flesh Feast』)、エリザベス・テイラーの『夜をみつめて』 1974年)と錚々たるメンツが並んでいます。

制作視点からすればホラー映画の固定フアン層以外の注目を集め、比較的低ギャラで経験値の高い女優を使えたことにもなります。『怪談佐賀屋敷』と完全に重なる訳ではないものの、発想はリンクしている気がします


[原題]
怪談佐賀屋敷

[公開年]
1953年

[JMDb]
怪談佐賀屋敷

[IMDb]
Kaidan Saga Yashiki

[メーカー]
ライリー/大映

[メーカー記号]
日本名作劇場 T-343

[フォーマット]
Super8、240メートル、31分(24fps)、白黒、光学録音

1930 – 9.5mm『麗しき悪女』(Une belle garce、マルコ・ド・ガスティーヌ監督)

「9.5ミリ 劇映画」より

『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』に次いで製作されたガスティーヌ監督初のトーキー作品。英9.5ミリ版は無声で英語字幕入り。

舞台は波止場で営業を続けている小さなサーカス一座。猛獣使いのラバス(ガブリエル・ガブリオ)は妻子ある立場にも関わらず新入りの娘ロゼッタ(ジーナ・マネス)に惚れ上げてしまいます。ところが女はラバスの息子レオに色目を使い、ラバスの心は乱れるばかり。ある日のショーで、ロゼッタに良い所を見せようとライオン二頭を相手に無理な芸を披露したところ…と続いていきます。

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曲芸団を舞台にした不貞と愛憎のドラマとしては1925年のドイツ作品『ヴァリエテ』が有名です。『ヴァリエテ』が生々しい欲望を劇的に描き上げていたのと比べると『麗しき悪女』はウエットなメロドラマ感が強く出ています。また幾つかのサイドストーリーが展開されていて、そちらに監督の趣味性が色濃く反映されています。

1)野生動物への愛着:

ガスティーヌは1932年にはパテ社を離れ短編ドキュメンタリーを撮り始めます。この時に多く主題とされていたのがアフリカの野生動物でした。『麗しき悪女』に登場するサーカス一座の猿やライオンはこういった監督の個人的な好みを反映したものです。

2)映像デザインとしての照明

画家として名を上げ、デザイナーとして映画業界に関わりはじめたガスティーヌにとってセットやコスチュームのデザインは大きな意味を持っています。『麗しき悪女』は照明を上手く使った構図が幾つか見られました。

サーカス一座の踊り子がダンスを披露する場面や、猛獣使いがライオンと対峙する場面では照明が画面上でキラキラする効果を強調しています。

3)女優の選択

中年男の心を狂わせる「美麗な悪女」を演じたのは演技派ジーナ・マネス。ガスティーヌ旧作で主役を張ってきた女優は古風なタイプが多いのですが、本作には自由奔放で気の強い新時代の女優を抜擢、フェミニズム的な流れを多分に意識した配役でもあります。

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一方で踊り子としてシモーヌ・ジュヌヴォワも出演。彼女自身がこの時期の書簡で「モダンな女性を演じたい」と語っていて、ガスティーヌが願いを叶えてあげた形になっています。上の写真で二人並んで踊っている右側がジュヌヴォワです。

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以前に『恋山彦』の投稿で触れたように無声映画からトーキーへの移行期はカメラの移動が重くなり今見るとぎこちない印象を与える作品が多かったりします。『麗しき悪女』にもその欠点は見られ、トーキー肯定派と否定派が激論を交わしていた1930年のフランスで賛否両論を引き起こしていました。正直どちらの言い分も分かるのですがそれでもガスティーヌ監督の個性やセンスは随所に見て取れると思います。

[タイトル]
Jealousy in the Circus

[原題]
Une belle garce

[公開年]
1930年

[IMDB]
Une belle garce

[メーカー]
英パテスコープ社

[メーカー記号]
SB846

[9.5ミリ版発売年]
1937年5月発売

[フォーマット]
9.5mm 無声 120m×2巻 ノッチ無

1923 – 9.5mm サンドラ・ミロワノフ主演『聖女ベアトリクス伝説』 (ジャック・ド・バロンセリ監督)

「9.5ミリ 劇映画」より

Sandra Milowanoff in La Légende de soeur Béatrix

映画を倫理教育に活用していこうとする発想は古く、欧米では早くから宗教的テーマを扱った作品が製作されていました。1920年代フランスでも例えば『聖テレーズ伝説』(La vie miraculeuse de Thérèse Martin、1929)やルルドの奇跡譚を扱った『聖ベルナデット伝説』(La vie merveilleuse de Bernadette、1929)が公開されています。

今回紹介する『聖女ベアトリクス伝説』も同様の傾向を持つ作品ですが、サンドラ・ミロワノフやエリック・バークレー、シュザンヌ・ビアンケッティら有名な俳優を配することでより広い客層をターゲットに入れています。

時は13世紀、若い修道女が幼馴染の領主と再会、恋愛感情から修道院を脱走。世俗の幸福を手に入れるもやがて現実(夫の不貞、子供の病死、貧困)に打ちのめされ、無一文で修道院に戻った所…と続いていくのがメインストーリーです。シャルル・ノディエの短編を下敷きにしていますがキリスト教社会では古くから知られた伝承です。

1910年代にはドイツのマックス・ラインハルトがマリア・カルミ主演で舞台化し、後に同女優の主演で映画化(『奇蹟』)されてもいます。『奇蹟』と『聖女ベアトリクス伝説』 は対照的な作品で、前者が視覚的な訴えかけを重視しているのに対し、後者は伝説の流れを丁寧に追おうとしています。

以前に『氷島の漁夫』でも触れたようにバロンセリ作品は個々の構図を見ると勝れているのに映画としては冗長に流れる欠点があります。好みの問題と言えなくもなく、一続きのストーリー感のある聖女伝としてはこちらの方が分かりやすいかもしれません。

Sandra Milowanoff in La Légende de soeur Béatrix
Sandra Milowanoff in La Légende de soeur Béatrix (1923, Jacques de Baroncelli) 9.5mm French Pathé Version

[タイトル]
La Légende de soeur Béatrix

[公開年]
1923年

[IMDB]
La Légende de soeur Béatrix

[メーカー]
仏パテ社

[メーカー記号]
986

[9.5ミリ版発売年]
1925年

[フォーマット]
9.5mm 無声 20m×4巻 ノッチ有

1927年 齣フィルム 『尊王攘夷』50枚 (日活オールスター特作、池田富保監督)

「池田富保 関連コレクション」より

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『尊王攘夷』はVHS〜DVDのソフト化がされており池田富保作品では比較的アクセスしやすい一つです。前半1/3程は江戸城の井伊直弼(大河内伝次郎)を中心に物語が進み、中盤は視点が切り替わり水戸藩士(尾上多見太郎、谷崎十郎、新妻四郎)の動きが追われ、最後に両者が絡みあい桜田門外の場面に収斂していきます。

駄菓子屋でくじ引きとして扱われていた「齣フィルム」を入手したのは今回が3度目ですが、手元に実際の動画データがあるパターンは初めてです。比べてみると色々興味深い発見がありました。

齣フィルム50枚の内訳は下の形になっています。

1)マーク入り:7枚(大河内版4枚、新妻版3枚)

2) 江戸城下での大河内伝次郎:10枚

3) 江戸城下での市川百之助、大河内伝次郎、川上弥生らを収めたロングショット:5枚
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4)井伊直弼との談判にやってきた尾張大納言慶勝(谷幹一)、一橋大納言慶喜(桂武男)らを収めたグループショット:2枚
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5)新妻四郎:5枚

6)大河内伝次郎と中村英雄:2枚
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7)脱藩水戸藩士と幕府からの命を伝える一団との衝突場面:4枚

8)水戸斉昭(山本嘉一):2枚
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9)廓での新妻四郎、桜木梅子、徳川良子:6枚
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10)廓での新妻四郎と酒井米子:2枚

11)廓での谷崎十郎と酒井米子:2枚

12)有村治左衛門(尾上多見太郎):3枚

雑誌を切り貼りして作った小袋には、中身が見えないようフィルムが小さな紙に包まれて入っています。この紙自体が作品の宣材になっていました。

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下の画像は井伊直弼(大河内)に蟄居を命じられた水戸斉昭(山本嘉一)が一旦穏やかに話を受けつつ、表情を変え凄みを見せる場面です。作品版と比較したところ背後のふすまの角度から別カメラ(スチル撮影用でしょうか)によるショットだと分かりました。厳密に言うと照明も変わっていて齣フィルムは天上背後からのライティングがありません。

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他の齣フィルムも同様で、対応する場面があっても人の並びが微妙に違ったり目線の向きが違ったりしており、撮影しているカメラ位置も変わっています。50枚全てをチェックした結果、実写用フィルムと完全一致する画像は一枚もありませんでした。

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映画館で何度もかけられて使い物にならなくなったフィルムをそのまま、あるいは巡業先で興行師がその場で切り売りしたり、また下請業者が複製・着色して子供向けに玩具として販売したりして、大正期を中心に一大ブームとなった。

「大正期から昭和初期における齣フィルムの蒐集と文化」
福島 可奈子(『映像学』2018年 99巻 p.46-68)

実写用のポジから切り出された齣フィルムも現存しておりますが、「丸愛」印のくじはそういう経緯で発生したものではなく映画会社から提供のあったスチル写真用ネガを元にしたと考えることが出来ます。「齣フィルム風の何か」だった、という訳です、

ちなみにフィルム収納の小袋に転用されていた雑誌は1927年の『映画時代』でした。マキノ省三による論考「續減資の一途」、澤田正二郎と菊池寛らの鼎談に加え日活女優の座談会「日活花形女優懇談會」が掲載されていました。

1927-sonno-joui-03

座談会に登場していたのが澤村春子、櫻木梅子、徳川良子、夏川静江に岡田嘉子。最初の3名は『尊王攘夷』にも登場。リアルタイムならではのシンクロぶりです。

[JMDb]
建国史 尊王攘夷

[IMDb]
Son’nô jôi

1930年前後 – 9.5mm個人撮影動画 『沖縄』(亀甲墓、バーキ/竹かご、民家、農作業など)【6/7 追記あり】

「9.5ミリ動画 05b 個人撮影動画」より

1930年頃 日本・個人撮影動画『沖縄』
c1930 Okinawa (9.5mm Private Film)

以前にデジタル化した『かごめかごめ』と同じ東京帝大薬学部関連のフィルム群より。研究者が何らかの理由(研究会?フィールドワーク?)で沖縄を訪れ、一人が手持ちの動画カメラで現地風景を撮影したものです。時期は1930年前後。フィルムの長さは20m、コマ数は2200弱で、13コマ毎秒で再生すると2分40秒になります。細かく見ていくと:

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1)湾岸部に広がる民家が映し出されます。極小さく人影が見えます。

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2)亀甲墓

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3)暗転後に海岸部が映し出されます。自生している木々を撮影している感じがします。

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4)ややぬかるんだ広い道の左右にお店が並んでいます。路肩に乗用車が一台。カメラが移動していくと左手には「明治 リボンキャラメル」の看板が見えます。

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5)やや深めの籠を抱えた地元民が民家の奥に消えていく後ろ姿

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6)路上に立っている男性の姿

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7)天秤をかついだ少年

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8)海岸に沿った細い道、向こう側からやってくる女性の影、同時にカメラの前を横切っていく別な女性の横顔

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9)先のショットの細い道を角度を変えて撮影

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10)橋を渡っていく3人の女性の後ろ姿。頭の上にバーキと呼ばれる竹かごを乗せています

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11)同じ橋の上で、幼い弟と妹の面倒をみながら働いている3人の若い女性

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12)集会所か何かの建物。入口付近に自転車が一台。

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13)笠をかぶり畑仕事をしている地元民

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14)自生している植物

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15)研究所の同僚と思われる男性たち

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16)同僚たちが道なりに歩いていく後ろ姿、その先には中国文化の影響を感じさせる屋根の建物が見えます

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17)畑の脇に並んでいるサイロのような背の低い建物

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18)自生している植物(細長く先が尖った葉っぱ。ツルアダン?)

フィルムそのものには撮影場所が明記されていません。2)、10)、16)から沖縄の(市街地ではなく)農村部〜漁村部を撮影したと考えることができます。また3)、14)、18)など木々や野草を撮影した映像が見られます。薬草学を研究していたためこういった要素に反応しやすかったものと思われます。

古いフィルムで汚れやキズなどが目立ちます。一部を綺乃九五式でスキャンし、その後デジタル修復したのが下の動画です。スキャンは2400×1800ピクセルで行いましたが抜粋版は1200×900まで画質を落としています。

1930年頃 日本・個人撮影動画『沖縄』

沖縄の戦前写真については時折メディアに取り上げられていますが、個人が撮影した動画は珍しいと思われます。撮影した正確な場所は分かりませんが、戦前の沖縄史に詳しい方であれば特定できそうです。

同時期の視覚資料として、国立国会図書館のデジタルアーカイブに収められていた
『沖縄県写真帖. 第1輯』(1917年、小沢書店)
『沖縄写真帖. 第1輯』(1925年、坂口総一郎)
『沖縄写真帖. 第2輯』(1925年、坂口総一郎)
を参考にさせていただきました。


【6/7 追記】

20200607-okinawa-times-01

「90年前の沖縄発見!」

2020年6月7日、沖縄タイムス紙で綺乃九五式スキャンによる動画『沖縄』を紹介していただきました。お時間を割いて対応してくださった編集部の皆様、および関係者の皆様に感謝申し上げます。同記事には本サイトでは特定できなかった詳細な撮影場所の情報が含まれています。この辺は専門家に任せるのが一番ですね。

補足の情報があるのでこちらで追記させていただきます。

昭和5年、朝比奈泰彦氏の下で学んでいた木村康一氏、新井俊次氏が『薬学雑誌』582号に学術論文「漢藥串羗の生藥學的研究」を発表、同論文ではシダの一種「ハカマウラボシ」を分析しており、その際に「琉球産ハカマウラボシ」のサンプルを比較対象として入手した旨の記述がありました。

上海品をハカマウラボシなりと決し得たるは日本羊歯類圖集の緒方正資氏より琉球産ハカマウラボシの生植物の惠與を得て比較解剖したるによるものなり。

「漢藥串羗の生藥學的研究」(木村康一&新井俊次、
『朝比奈泰彦及協力者報文集:
植物学生薬学之部』より、 昭和9-10年)

『沖縄』には野生の植物を映した次のショットが含まれています。

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中央左の植物がメインの被写体に見えますが、実は手前に生えているシダも意識してフレームに収められています。昭和5年に朝比奈教授が地衣類の研究を本格化させ、その下で学んでいた研究者が沖縄に自生するシダに触れていた状況ともリンクする映像かな、という気もします。

もう一点、朝比奈泰彦氏の自伝『私乃たどった道』を読んでいて次の一節を見つけました。

地衣採集の布袋をブラブラさせて他の人々と一緒に活動している風景は私のパテーベビーのフヒルムに残っている。

(『私乃たどった道』、朝比奈泰彦、1949年、85ページ)

まさかのパテベビー登場。朝比奈氏自身が9.5ミリ動画カメラと映写機を所有しフィールドワークに活用していたのです。最先端のガジェットを趣味に仕事にとフル活用するのが同氏研究室では当たり前になっていたのでしょうね。

9.5mm 個人撮影動画 1930年代初頭 – 台灣/台湾の伝統的な結婚式 (大阪在住・川口光羊氏撮影)

「9.5ミリ動画 05b 個人撮影動画」より

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先日スキャンしていた戦前個人撮影動画で興味深いフィルムを見つけました。手振れが多く解像度も高くありませんが、珍しい画像が含まれているためこちらで紹介させていただきます。撮影者は大阪在住の川口光羊氏。伴野製の20メートルケースに収められていますが実際の長さは10メートル。総コマ数が約1100で13コマ毎秒で再生すると1分半になりました。

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フィルムは冒頭で大通りの人々を捉えていきます。やや袖口の開いた七分丈の上着や靴のデザインが日本とは違っています。

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大通りでのパレード。看板には「連興商店」「大福商店」の文字。提灯や幟のようなものを担いだ人々。傘をかぶった男性が腰の高さで御輿を運んでいます。

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目の前を横切っていく幟。動きが早く文字までは判読できませんでした。平仮名を使わず漢字だけが並んでいるように見えます。

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幟の先端に何かの飾り。獣の面をかぶった人々がその後を練り歩いていきます。

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見物人たち。奥と手前に車が停まっています。

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通りに出ている看板には「味の素」「アスター」「森永の菓子」など日本語が見て取れます。

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YouTubeには「百年前の台湾人の結婚式を撮影した貴重な映像記録片(百年前台灣人結婚珍貴紀錄片)」という動画があり、子供が幟をもって歩く後に二輪の貴賓車が続き、その後新婦を乗せた御輿が進んでいく様子が記録されています。

婚礼の際に新婦を運ぶ御輿は「大花轎(大花轿)」と呼ばれていたそうです。中国伝統文化紹介のオンライン記事(「中国传统代表文化——大花轿」)によると、

抬花轿者一般为4人,也有8人的,轿前轿后各半,并配有对彩旗、对唢呐、对铜锣、对高灯等随轿而行。

「彩旗」「唢呐(チャルメラ)」「铜锣(銅鑼)」「高灯」を掲げた人が行列の先を切って進み、4人で「花轎」を運んでいくのが一般的だったとされています。

元々のフィルムには撮影場所の情報がありません。1930年前後、漢字文化圏かつ中華文化圏、なおかつ日本語の看板が通りに並んでいるため日帝時代の台湾で撮影された可能性が高いと思われます。

1913 – 16mm グヴェンドリン・ペイツ主演 米パテ社作品『凍てついた道の果てに(The Frozen Trail)』

Gwendoline Pates from 1913 Motion Picture Story Magazine January Issue
グヴェンドリン・ペイツ
『モーション・ピクチャー・ストーリー・マガジン』1913年1月号グラビアより

或る町にうら若き乙女マドレーヌ(グヴェンドリン・ペイツ)が住んでいた。この娘に想いを寄せる男が二人、ジョンとチャーリーの兄弟であつた。チャーリーは性格に難があり、かつとなると何をしでかすか分からない男であつた。マドレーヌが心を決めた相手はジョンであつたが、さうと知つたチャーリーは血相を変えて娘を責め始めた。やつてきたジョンと取っ組みあいの喧嘩が始まる。「二人でこの街を離れよう」、ジョンの言葉に娘はうなずいた。マドレーヌは荷物をまとめジョンとともに町を離れるのであつた。

五年後、アラスカの自然に取り囲まれながら、小さな丸太小屋で娘と暮らしている夫婦の姿があつた。貧しくはあつたが幸せであつた。或る日、二人の住み家から少し離れた酒場に無精ひげの男がふらり姿を現した。五年の間マドレーヌたちを探し続けたチャーリーであつた。酒場で得た情報を元に夫婦の家に向ったが、あいにくに天候に阻まれ遭難、ちょうどそこを通りかかったジョンに助けられた。

ジョンは仇敵の兄を助けたとは露知らず、男を小屋に連れて帰った。マドレーヌの懸命な介護のおかげでチャーリーは一命をとりとめる。しかし悪漢の心に感謝の気持ちはなかつた。夫婦が出かけた隙に犬ぞりを用意し、戻ってきたマドレーヌを拉致しようと試みる。驚いて自室に逃げこんだ女。男はマドレーヌの娘を人質にとり、自らの素性を明かして女に出てくるよう促した。子供の命には代えられず、マドレーヌは部屋の鍵を開けた。チャーリーは女を抱え上げると犬ぞりに放りこんで一路町を離れた。

自宅に戻ってきたジョンの気がついた異変。妻が見知らぬ男と駆け落ちしたと勘違いしてしまう。猟銃を手に追いかけていく。幸いにも愛娘を取り返すことはできたが、後の二人は手の届かない先へと消えてしまっていた。

ところがである。しばらくして丸太小屋の外で物音がした。扉を開けると妻が倒れていた。「何をしに戻ってきた」、ジョンの言葉は冷たかった。「雪に埋もれて死んでいるのはあなたのお兄樣ですのよ」。マドレーヌの蒼白な唇から放たれたのは驚くべき言葉であった。「あの方は私が貴方を愛しているのを逆恨みしてやってきたのでございます。たつた今…撃ち殺して参りました」。女は証拠として一枚の写真を取り出した。それはかつて、幼き頃のマドレーヌがジョン宛に送った自身の写真であつた。真実を知つたジョンは妻と娘をかたく抱きしめるのであつた。

◇◇◇

パテ社監督のレオ・ウォートンはサラナックレイクへのロケを目論んでいる。大規模なスタッフを同行予定で、チャールズ・アーリングとグヴェンドリン・ペイツが含まれている。雪景色を添えた大掛かりな長編映画が出来上がる予定である。(モーション・ピクチャー・ストーリー・マガジン1913年3月号)

Leo Wharton, Pathé director, contemplates a trip to Saranac Lake Region. Wharton will take with him a large company, including Charles Arling and Gwendoline Pates, and will produce some large feature pictures with winter backgrounds. (The Motion Picture Story Magazine, 1913 March Issue)

1913年米パテ社公開の短編映画。この前後のハリウッドは新興映画社(ヴァイタグラフ、ビオグラフ、エッセネイ、クリスタル、タンホイザー、パテ・フレール、カレムなど)による群雄割拠の時代となっていました。各社が発掘してきた俳優たち(アリス・ジョイス、ノーマ・タルマッジ、フローレンス・ラバディ、ブランシュ・スウィート、リリアン・ギッシュ、ルース・ローランド、パール・ホワイト)も粒ぞろいで、1910年代を通じて活躍していく重要な才能がそろい踏みしています。

米パテ社が1911年に契約したグヴェンドリン・ペイツもまたそんな新進女優の一人でした。幼いころからボードヴィルで鍛えられていたため舞台慣れしていてすぐに同社花形に出世していきます。しばらくは自身と同じ「グヴェンドリン」をヒロイン名とした軽喜劇に主演、知名度が上がるにつれて本格的なドラマにも進出。雪景色のアラスカ(撮影は近場のサラナックレイク)を舞台とした2リール物の情念ドラマ『凍てついた道の果てに』主演を果たしています。

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監督はレオポルド・ウォートン。10代初めから自身ステージに登場しローラースケートの軽業を披露していました。俳優として米パテ社に合流後ほどなくして監督業に携わるようになり、グヴェンドリン・ペイツとチャールズ・アーリングを主演とした軽喜劇でヒットを飛ばすようになります。1914年にパテ社から独立。弟のテオドアと共にウォートン映画社を設立、同社作品をパテ社経由で配給していくようになりました。実力を買われ1914年にはルイ・ガスニエと共にパール・ホワイト主演の『拳骨』監督に抜擢、この作品の成功で連続活劇の道が開け、以後『ミラの秘密』(1916年)、『パトリア』(1917年)、『ベアトリクス・フェアファックス』(1920年)などの名作を製作・監督していきました。

『凍てついた道の果てに』はウォートンが1)俳優、2)短編喜劇監督、3)短編ドラマ監督、4)連続活劇監督とステップアップしていく3)に位置しています。『拳骨』で名を上げる監督がその一年前にどのような作品を撮っていたのか見えるという話であり、ハリウッド活劇発展史の一断片としても興味深いものです。

一方のグヴェンドリン・ペイツは1914年にはパテ社を離れ夫と共に自身の会社(グリュー・ペイツ・プレイヤーズ)を設立、舞台に専念していきます。元々運動能力が高かったようで、1914年秋にはパテ社の許可を得た『ポーリーンの危難』舞台版の主演も勤めていました。この後映画史から忘れられてしまうのですが、短期間ではありながらもウォートン作品のメイン女優として活躍した功績は強調されても良さそうです。

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1923 – 9.5mm ノーマ・タルマッジ主演作 『愛の唄』(The Song of Love)

1923 9.5mm Fleur des sables (The Song of Love) starring Norma Talmadge

サハラ砂漠では進駐フランス軍とイスラム系遊牧民の間に対立が起こっていた。「族長が息子と共に反乱を企てている」の情報をキャッチした軍部は若き士官レイモン(ジョセフ・シルドクラウト)をスパイとして送りこむ。そこで出会ったのが踊り子のヤスミナ(ノーマ・タルマッジ)とだった。当初は情報源に利用するつもりだったが演技は次第に本物の愛情へと変わっていく。ヤスミナをだまし続けている訳にはいかない、レイモンは自分がイスラム教徒ではないと告げ、傷ついた女を残して関係を絶つのであった。

族長たちによる謀叛は深夜に決行と相成った。「例のフランスのスパイは手酷く拷問してやれ。殺してくださいと自分から嘆願するほどにな」、殺気立った人々の会話を聞いたヤスミナはいてもたってもいられなくなりレイモンの元に向かった。残された時間は少ない、武装反乱軍たちはフランス軍の基地を今まさに陥落せんとしているところであった…

1910年代にヴァイタグラフ社を代表する女優となったノーマは映画プロデューサーと結婚後、自身の映画製作会社「ノーマ・タルマッジ映画社」を設立して拠点を移しました。

制約の多い大手を離れ自身のプロダクションで活動する例は大半が短命に終わったなかで、ノーマ・タルマッジ映画社は『復讐の灰』(1923年、フランク・ロイド監督)や『キキ』(1926年、クラレンス・ブラウン監督)などヒット作をコンスタントに発表し続け無声映画末期まで最前線での活動を続けていきます。

『愛の唄』も同社制作、合衆国ではファースト・ナショナル社、フランスではパテ社からの配給となりました。『シーク』(1921年)でヴァレンチノ人気が爆発していた時期に当たり北アフリカのエキゾチックな設定を組みこんでいます。

セットや衣装、ライティングに贅を凝らした出来で反乱軍と仏軍の抗争場面も大掛かりに描写されています。とはいえ制作費と完成度が比例しているかというとそうでもなく、型通りの戦争メロドラマを一通りなぞっただけで終わってしまっています。士官役ジョセフ・シルドクラウトは悪くないのですがノーマ自身の演技が大袈裟で、ヒステリックな空気が出過ぎていて興を削がれました。

1920年代となり若手が次々台頭する中でベテラン女優が様々な試行錯誤をしながら生き残りを図っていた様子は伝わってきます。1910年代と20年代の「壁」は相当に厚く、この壁を乗り越えた役者は僅かだったと思いあわせるなら健闘とも言えます。『老いらくの戀』と比べるなら、20年代特作より初期のヴァイタグラフ作品をお勧めしたいです。

[タイトル]
Fleur des sables

[原題]
The Song of Love

[公開年]
1923年

[IMDB]
The Song of Love

[メーカー]
仏パテ社

[メーカー記号]
804

[9.5ミリ版発売年]
1925年

[フォーマット]
9.5mm 無声 10m×6巻 白黒・ノッチ有

1913 – スタンダード8 『老いらくの戀(An Old Man’s Love Story)』(米ヴァイタグラフ社、ノーマ・タルマッジ主演)

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1913 - An Old Man's Love (Vitagraph) starring Norma Talmadge

マーシャム夫婦には見栄っ張りなところがあり、身の丈にあわない生活を続けているうちにいつしか家計は火の車となっていた。夫婦にとつての一縷の望みは美しく成長した一人娘エスター(ノーマ・タルマッジ)で、金持ちの男と結婚してさえくれれば…と食事中にも口にする始末であつた。

旧友である富裕な老人グレイソーン氏を招いたのはエスターとの結婚話を今度こそ決めてしまうためであつた。エスターには以前から心を決めた若者フランクがいたのであるが、両親を悲しませる訳にもいかず、心に悲しみを秘めながら老人の求婚を受け入れたのであつた。

フランクと会う事は普段から諫められていたため、若き二人の通信手段は木の幹をポスト代わりに使った手紙が全てであつた。エスターが婚約の件を手紙で伝えると、「君を失うのであれば僕はもう町を出る」の返信。絶望に打ちひしがれたエスターが木の幹にもたれかかって泣いているのを偶然見つけたのがグレイソーン氏であつた。若者たちの置かれた状況を理解したグレイソーンは一世一代の芝居を売ってみせるのであった…

タルマッジ姉妹の長女ノーマの初期主演作8ミリ版。家族の軋轢から生み出されてくるメロドラマになっています。途中でオチが読める単純な物語ながら役者が持ち役をカッチリ演じきっているため思った以上に心地よい作品となっていました。ノーマのお姫様ぶりも堂に入ったもので、ヴァイタグラフ社でアニタ・スチュワートと並ぶ花形だったのもうなずけます。

確認できた限り、以下の3つの形でデジタル版が市販されています。
『ノーマ・タルマッジ ヴァイタグラフ短編集』(グレープヴァイン社) Norma Talmadge Vitagraph Shorts
『俳優:ノーマ・タルマッジ希少作品集 第一巻』 The Actors: Rare Films Of Norma Talmadge Vol. 1
・米ハーポデオン社は自社サイトおよびアマゾン・プライム・ビデオでデジタル版を市販・公開中

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ハーポデオン社で公開されている市販動画のスキャン。

ハーポデオン社も8ミリベースでスキャンしているようです。

[公開年]
1913年

[IMDB]
An Old Man’s Love Story

[メーカー]
米ブラックホーク社

[メーカー記号]
810-34-819

[フォーマット]
Standard 8mm 200フィート (60m)

1927 – 9.5mm 『ベルフェゴール:ルーヴルの怪人』(Belphégor)英パテスコープ版

「9.5ミリ 劇映画」より

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ルーブル美術館に安置された古代エジプトの太陽神、アンモンの像。夜、像の周囲で怪しげな物音が聞こえた、不審に思った職員が近づいていくとそこに立っていたのは黒い異教の顔立ちをしたベルフェゴールだった。

翌朝、倒れたアンモン像の脇で倒れた職員が発見される。男は「亡霊が!」と言い残して息を引き取った。

メディアは悪党による犯罪説を追っていた。新聞記者ジャック・ベルトンの手元に届いた「この事件には手を出すな」の脅迫状。ジャックは探偵シャントコック(ルネ・ナヴァール)に話を持ちかけた。シャントコックは秘書として働いている娘のコレットと共に捜査に乗り出した。

美術館内部での怪しい動きを察知したメナルディエ警部は深夜の張りこみを行っていた。深夜に一党を逮捕しようと試みるものの、ガスによって動きを封じられ意識を失った。悪党たちが床に安置された石を移動させると現れた隠し扉、そこにはアンリ三世の遺した莫大な財宝が眠っていた…

1927年に出版された小説を元にした連続活劇。原作は『ジュデックス』等で知られるアルチュール・ベルネッド。1927年のサイレント映画版は4部構成で総長5時間に及ぶものでした。英パテスコープ社の9.5ミリ版はこの大作を25分にダイジェストしたものです。

1920年代中盤、連続活劇はすでに時代遅れになっていました。それでも熱烈な愛好家は多く『ヴィドック』(Vidocq、1923年)や『シューアン党』(Jean Chouan、1926年)等リバイバルの動きも現れていました。『ベルフェゴール』もそういった活劇復権の流れに位置づけられます。

アンリ・デフォンテーヌ監督による演出は型通りで、作品の展開も単調、活劇黄金時代の驚きはほとんどありません。映画としては成功しているとは言い難いのですが、作品の端々に現れる怪異色や秘宝の設定は決して悪くありません。

こういった要素を生かし1965年にはジュリエット・グレコらを主演にTVドラマ・シリーズが作られました。原作を一部改変しているものの、異様な緊張感に心地よいスピード感のある編集でフランスのテレビ史に残る傑作として名高い一作です。

[原題]
Belphégor

[公開年]
1927年

[IMDB]
Belphégor

[メーカー]
英パテスコープ版

[メーカー記号]
SB818

[9.5ミリ版発売年]
1936年

[フォーマット]
9.5mm 無声 400フィート2リール(25分)を800フィートリールに再マウント