シモーヌ・ジュヌヴォワ Simone Genevois (1912- 1995)

シモーヌ・ジュヌヴォワ直筆書簡(1930年頃)

シモーヌ・ジュヌヴォワ直筆書簡・全体
c1930 Simone Genevois Lettre Dedicacée

ご質問への回答以下となっております。お気に入りの役はジャンヌ・ダルクです。撮影所の思い出は…多すぎてここでは語れない位なのですが一つ言えるのはどの撮影も心地良かったですし今の人生を満喫しています。

今後の計画としては沢山の映画に出てみたいです。しっかり作りこまれた役柄、モダンな役を演じたいのです。映画業界の未来は…素晴らしい未来が待っていると思います!

シモーヌ・ジュヌヴォワ

Monsieur, Voici les réponses que vous me demandez. Mon rôle préféré est celui de Jeanne D’Arc. Mes souvenirs de studio, mon Dieu, je ne peux pas vous en raconter j’en ai

tellement, mais je puis vous dire qu’ils sont presque tous agréables et que j’adore cette vie-là. Mes projets, faire beaucoup de films mais des rôles de composition, des rôles modernes. L’avenir du cinéma je crois qu’il est merveilleux!

Recevez Monsieur mes sincères salutations, Simone Genevois


1930年頃と思われるシモーヌ・ジュヌヴォワ直筆の書簡。アンリ・デュブリ氏に宛てた物でサイズは19.2×30.2センチ。雑誌アンケートに回答する内容となっています。

ジュヌヴォワは1910年代に子役としてデビュー。アンリ・プークタル監督の『労働』(1920年)などにも出演し、レジーヌ・デュミアンと並ぶ人気子役として活躍しました。

『労働』(1920年)でのジュヌヴォワ
『労働』(1920年)でのジュヌヴォワ
[ゴーモン・パテ・アーカイヴ(Gaumont-Pathé Archive)より]
学業を理由に一旦は映画界を離れるのですが、その後程なくしてカムバック。アベル・ガンスの『ナポレオン』ではシチリア島に住むナポレオンの妹役として登場しています。

その後ガスティーヌ監督の『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』のオーディションに応募し、見事ヒロインに選ばれました。同作が彼女の代表作となりましたが、その後もガスティーヌ監督と縁が続き1930年代初めまで活躍、結婚と同時に女優業を離れています。

19270618-Le Journal
1927年6月18日付「ジュルナル」紙より。主演がジュヌヴォワに決まったニュース

上の新聞記事は1927年6月に主演オーディションの結果が発表された時の物です。最終選考に残った21人の中からジュヌヴォワが満場一致で選ばれた、との内容。ただし一説では元々主演の条件を満たしていなかった彼女を俳優フィリップ・エリアが監督に強く推して選ばれたとされています。また1927年7月31日のレコー・ダルジェ紙には当時まだ未成年だったジュヌヴォワの契約を巡り周囲の大人の間でトラブルのあった話が触れられています。この手のドロドロした話題は映画雑誌では触れられないのが常でしたが、見えない所で色々あるのは今も昔も変わらない訳です。

Simone Genevois c1930 Autographed Photo

こちらは1929年前後と思われるロレル撮影所の直筆サイン入り生写真。サイズは15.8×21.2センチ。

[IMDB]
nm0312810

[出身]

[誕生日]
2月13日

八雲恵美子/惠美子/理恵子 (1903–1979)

「日本 [Japan]」より

八雲恵美子サイン入り絵葉書
Yagumo Emiko Autographed Postcard

絵葉書&略歴

『姉ちやん、七時を打ちましたよ。』
『ウン、そう、もう五分間寝かして頂戴』
うつらうつらと夢路をたどる内亦々ミシミシと梯子段を踏む音にハツとして目を覺まし時計を見ると三十分經過、驚いてとび起き顔もそこそこに洗ひ御飯もおほいそぎで食べて家を出掛ける。撮影所に着いて助手さんに見つからないやうにと、そうつと裏の方を通つていつたが、俳優部屋の處でたうとう見つかつてしまつた。
『皆揃ひましたよ、あなた一人ですから早くお願いしますよ』
パラソルも袋も部屋にほうりこみ髪結部屋にとびこみ、早く早くと自分のおそくなつたのを棚に上げ髪結さんを一生懸命にせかせる。一時間あまりの後にはすつかり支度が出来あがる。
『もういつでも好いのよ』
と今度は涼しい顔。

「一日の仕事」 八雲恵美子
「スタヂオ日記」(『女性』誌 1927年10月号掲載)より

1929 yakumo emiko in fue no shiratama
『不壊の白珠』より

『不壊の白珠』(1929年、清水宏監督)での情感豊かな演技で記憶されている女優さん。1927年には柏美枝さんと二度共演(いずれも清水宏作品)、「スタヂオ日記」では柏さん目線の思い出も綴られていました。自分の文章ではズボラでおっちょこちょいな性格を強調していますが、実際は面倒見の良いしっかりした女性だったんでしょうね。

[JMDb]
八雲恵美子

[IMDb]
Emiko Yagumo

[出身地]
大阪府(大阪市)

[誕生日]
8月15日

[データ]
13.6 × 8.6cm

泉 春子 (1905 – 1998?)

「日本 [Japan]」より

izumi-haruko-autographed-postcard-mIzumi Haruko Autographed Postcard


吉村さだ子、明治卅八年九月長崎市生、舞臺生活の後マキノ等持院に入り時代劇に活躍す、マキノを去つて家庭の人となつてゐたが本年阪妻プロに入社「紫頭巾」

『現代俳優寫眞と名鑑』
(1927年11月5日、國民新聞附録)


マキノ~阪妻~東亜へと籍を変えていった女優さん。1928年の『坂本龍馬』に出演するも手元の9.5ミリ版に出演場面は収められておりませんでした。各社競作となった前年の『砂絵呪縛』では、原駒子や鈴木澄子と同じお酉を演じており、同社のヴァンプ女優的な位置づけをされてたのが分かります。

[JMDb]
泉 春子

[IMDb]
Haruko izumi

[出身地]
長崎県(佐世保)

[誕生日]
4月20日

[データ]
8.5 × 13.5cm

ミスタンゲット Mistinguett (1873 – 1956) 仏

「国別サインリスト フランス [France]」より

Mistinguett Autographed Postcard
Mistinguett Autographed Postcard (dedicated to Gabrielle Mavrodin)

昨年の12月、東京大学で『ミスタンゲットを発見せよ――フランス・サイレント映画の夕べ』が開催されていました。フランスで市販されているDVDに弁士の語りを加えて上映した内容で、日本でも無声映画女優としての彼女にスポットが当たったのは喜ばしい出来事でした。

公私ともに付きあいのあったモーリス・シュヴァリエと並び、ミスタンゲットは1920~50年代のフランス下町文化を代表するような位置付けです。日本で言うと昭和レトロに近い懐かしさを覚える世界がフランスにもあって、そこにミスタンゲットの姿と歌声が含まれている訳です。

彼女のデビューは古く、そのルーツは第一次大戦前のカフェ・コンサート界(「カフェ・コン Café Con’」)にさかのぼります。喉でガラガラと唸る歌い回しも先輩格のポレール(Polaire)に影響を受けたもの。カフェ・コンサートの隆盛が過ぎ去り、ポレールを含め多くの者が消えていった中でミスタンゲットはむしろ輝きを増していきました。下町っ子らしい、気さくで、愛嬌と温かみを感じる「粋」が彼女の持ち味です。

[IMDb]
Mistinguett

[Movie Walker]

[出身地]
フランス (アンジャン=レ=バン)

[誕生日]
4月3日

[データ]
Edition artistique de WALERY, photographe. 9 bis, rue de Londres, Paris
« A Gabrielle Marrodin
souvenir,
Mistinguett »
ルーマニアのヴァスルイ在住のガブリエル・マロディン嬢に宛てたサイン
1920年代後半~30年頃

[サイズ]
8.9 × 13.8 cm

ゲルダ・マウルス Gerda Maurus (1903 – 1968) 墺

「ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]」「フリッツ・ラング関連 [Fritz Lang Related Items]」より

Gerda Maurus Autographed Postcard
Gerda Maurus Autographed Postcard
1920年代後半、フリッツ・ラング作品のヒロインに抜擢され『スピオーネ』『月世界の女』の二作で鮮烈な印象を残した女優さん。

Gerda Maurus Autographed Postcard 2

頬骨の高さに挑発的な眼差し、同時代の他の女優と一線を画すシャープな雰囲気を漂わせていました。ラング作品以外の出演作ではフワッとした優しい空気なので落差に驚かされたりもします。トーキー移行後は次第に脇役に回り、戦後に至るまで女優活動を続けていました。

Gerda Maurus in Frau im Mond
『月世界の女』(Frau im Mond、1929年)
Gerda Maurus in Vier junge Detektive
『ちびっこ探偵五人衆』( Vier junge Detektive、1949年)
[IMDb]
Gerda Maurus

[Movie Walker]
ゲルダ・マウルス

[出身地]
オーストリア (ブライテンフルト)

[誕生日]
8月25日

[データ]
・Ross Verlag 3569/2 Fritz Lang-Film
・Ross Verlag 4254/1 UFA 「リシャール・フリペ氏 Richard Frippé」宛の献辞入り

[サイズ]
・8.9 × 13.8 cm
・8.8 × 13.6 cm

ブロニスラヴァ・リヴィア Bronislava Livia (1901 – ?) ルーマニア/チェコ/日本

「オランダ~東欧~バルト三国 [Netherlands, Eastern Europe & Baltic States]」より

Bronislava Livia 1928 Autographed card
Bronislava Livia 1928 Autographed card

ルーマニアの家系に生れ早くから芸能の道を志し1920年にプラハに移り、映画会社主催のミスコンで優勝したことからキャリアが開けました。

スロヴァキア初の長編歴史大作『義賊ヤーノシーク』(1921年)で脇役として登場、その後もチェコ映画を作り上げた初期監督(スヴァトプルク・インネマン、カレル・ラマーチ、グスタフ・マハティ)らに寵愛されていました。

Bronislava Livia in Lásky Kačenky Strnadové
『カチェンカ・ストルナドワ恋愛放浪記(Lásky Kacenky Strnadové、1926年)』より
Bronislava Livia in Batalion
『バタリオン(Batalion、1927年)』より
『カチェンカ・ストルナドワ恋愛放浪記(Lásky Kacenky Strnadové)』では小間使いに振り廻される映画女優役、鬱蒼としたプロレタリア作品『バタリオン(Batalion)』では青年将校との不義を見咎められる不実な妻として登場。黒髪で艶のある雰囲気で個性的な脇役として重宝されていたようです。

彼女の経歴で興味深いのが「1901年長崎生まれ」。明治の終わりがけ、どのような経緯があってやってきたのか不明ながら親近感が湧いてきますね。

[IMDb]
Bronislava Livia

[Movie Walker]

[出身地]
日本(長崎)

[誕生日]
11月18日

[データ]
手製カード。「1928年12月18日プラハにて」(「Praha 18/12 ’28」)

[サイズ]
9.0 × 14.0 cm

ヘルガ・トーマス Helga Thomas (1891 – 1988) スウェーデン

「国別サインリスト 北欧諸国 [Nordic Countries]」より

Helga Thomas Autographed Postcard
Helga Thomas Autographed Postcard

helga-thomas-bio

私は北スウェーデンの子です。五才の頃には生まれ故郷の原っぱでスキーに興じていたものです。運動の素晴らしさ、自然を愛する心持ちはあの時に植え付けられたのであります。

幼心に親に逆らい、舞台俳優の道を志しました。いつ終わるとやらしれぬ果てしない口論の末にようやく許可を頂くことができたのです。

ストックホルムの国立劇場で「オフィーリア」を演じていると一通の電報が届き、ベルリンのUFA社に来ないかとお誘いを受けました。新しい人生の始まりでした。スタジオのライトに照らされた世界が開けてきたのです。ルートヴィヒ・ベルガー監督の下で私の役者人生が始まりました。最初に役を受けたのは『グラス一杯の水(Ein Glas Wasser)』でした。

Ich bin ein Kind des nördlichen Schwedens. Als fünfjäriges Mädchen schon tollte ich aus Skiern über die Fluren meiner Heimat. Der gesunde Sinn für die Schönheiten des Sports und die Liebe zur Natur wurden mir hier für mein ganzes Leben eingeimpft.

Als blutjunges Ding begann ich die Offensive gegen meine Eltern, um den Weg zur Bühne frei zu bekommen. Nach endlosen Debatten willigten sie schließlich ein.

Als ich am National-Theater zu Stockholm gerade die « Ophelia » Spielte, rief mich ein Telegramm nach Berlin zur Ufa. Ein neues Leben begann. Die Welt des Jupiterlichtes tat sich mir auf. Unter Ludwig Bergers Regie begann meine Filmlaufbahn. Meinen ersten Erforg hatte ich in dem Film « Ein Glas Wasser ».

Filmkünstler : Wir über uns selbst (Sibyllen-Verlag, 1928, Berlin)

[IMDb]
Helga Thomas

[Movie Walker]
ヘルガ・トーマス (Helga Thomas)

[出身地]
スウェーデン (ヴェステルノールランド)

[誕生日]
7月8日

[データ]
Ross Verlag. phot. H.W. Mager, Berlin W.

[サイズ]
8.3 × 13.3 cm