エルンスト・ライヒャー Ernst Reicher (1885 – 1936) 独

「ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]」 より

Ernst Reicher Autographed Postcard
2018年末、独サイン収集家のコレクションが大量にオークション市場に放出され一部を入手できました。「忘れじの独り花」のタイトルの下に紹介させていただいたのがそれに当たります。現在自国でも名を知られていない俳優達の直筆も含まれていて、1910年代後半のドイツ映画の風景を再考していく上で興味深い資料です。

このコレクションについて調べていく途中でエルンスト・ライヒャーの名が繰り返し出てきました。1910年代中頃からスチュワート・ウェブス探偵物シリーズの主演を務め人気を博した俳優です。初期作品では『リヒャルト・ワグナーの生涯』(1913)が現存、ライヒャーは狂王ルートヴィヒ役で出演。背の高い美青年振りで当時の人気も納得という感じです。

Ernst Reicher in Richard Wagner (1913)
1913年『リヒャルト・ワグナーの生涯』より

ウェブス探偵物は1914年から29年にかけて製作された一話完結型のミステリー連作でした。総作品数は50に上ると言われています。ヨーエ・マイ監督主導で作られていたのですが、監督(マイ)と主演(ライヒャー)に対立が生じてスタッフが分裂、ヨーエ・マイが同シリーズから手を引きライヒャー自身が監督する形で製作が続けられていきました。

1919年3月30日付ノイエ・キノ・ルントシャウ誌よりスチュワート・ウェッブス社広告
1919年3月30日付ノイエ・キノ・ルントシャウ誌よりスチュワート・ウェブス社広告

ウェブス探偵劇は作品毎にヒロインの代わる形を取っています。登場した女優にはステラ・ハルフ(後にライヒャーと結婚)、テア・ザンドテンマリア・レイコマリア・ミンツェンティエステル・カレナシャルロッテ・ベックリンアリス・ヘシーエヴァ・マイ、マルガレーテ・シュレーゲル、ヘレナ・マコウスカ、グレーテ・ラインヴァルトらの名前があり、新人~中堅女優にとって登竜門的な役割を果たしていました。「忘れじの独り花」で紹介した女優も多くフィアさんだけではなく当時の映画愛好家がこのシリーズを通じて新たな才能を発見していたと思われます。

ライヒャーの人気は20年代から陰りを見せ、30年代トーキーに適応できず表舞台から消えていきました。ユダヤ系だったためナチスが政権を握ると程なくドイツを離れ、滞在先のプラハで1936年に客死。フリッツ・ラングが初めて脚本を書いた作品がウェブス物で、他にも独サイレント黄金期にはウェブス物と接点を持っていた者が少なくありません。ドイツ映画史の起源に興味のある方なら記憶の片隅に留めておいて良い名前かなと思います。

[IMDb]
Ernst Reicher

[Movie Walker]
エルンスト・ライヒャー

[出身地]
ドイツ(ベルリン)

[誕生日]
9月19日

トルーデ・ヘステルベルク Gertrud (Trude) Hesterberg (1892–1967) 独

「ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]」
& エルンスト・ルビッチ関連 [Ernst Lubitsch Related Items]より

Gertrud (Trude) Hesterberg 1917 Autographed Postcard
1910年代初頭から60年代にかけて半世紀の出演キャリアを持つ女優さん。歌や踊りを得意とし舞台出演と映画女優の二足のわらじを履いていました。

キャリア初期にアイドル的人気を得ていた訳ではないものの、俊敏で快活、パワフルなキャラクターが一定の支持を得ていました。その才能に目を付けたのがエルンスト・ルビッチで、探偵劇パロディとして制作・主演した『ローゼントフ事件』(Der Fall Rosentopf、1918年)ヒロインに彼女を抜擢しています。

Der Fall Rosentopf (1918)
フィルムは遺失しており詳細は不明ながら、ポスターに登場するルビッチの手のひらの上で踊る女性の一人(黄色スカート)がトルーデさんをイメージしたとされています。ウーファ・ポスター展の開催時に研究者が指摘していたように1910年代後半ドイツには探偵劇の一大ブームが来ていて、ルビッチもその流れに便乗していた訳です。

サインは1917年のベルリンで書かれたもの。後年のトルーデ(Trude)名義ではなく初期に使用していた本名のゲルトルード(Gertrud)になっています。

[IMDb]
Trude Hesterberg

[Movie Walker]
トルーデ・ヘステルベルク

[出身地]
ドイツ(ベルリン)

1923年頃 – 松竹キネマ 豆ブロマイド男優篇

今回投稿した『原色版・松竹キネマ』女優篇と同時期と思われる男優豆ブロマイド8枚。1920年代後半には鈴木傳明、岡田時彦と高田稔氏の三名が美形男優として人気を博し、30年頃に次世代俳優として登場した上原謙、佐野周二、佐分利信氏が「松竹三羽烏」として現代劇を支えていきました。

今回入手した豆ブロを見ると20年代前半でも岩田祐吉諸口十九勝見庸太郎の三氏が「プレ三羽烏」の位置付けで人気を得ていた様子が伺えます(この三氏はアイドル的な感覚でひとくくりにされるのは嫌がりそうですが)。他に一枚、松竹初期の子役として活躍された久保田久雄氏が含まれておりました。

岩田祐吉(直筆サイン)
諸口十九(直筆サイン)
勝見庸太郎(直筆サイン)…写真のみ登録

パール・ホワイト Pearl White (1889 – 1938)

「パール・ホワイト関連 [Pearl White Related Items]」
& 「合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

Pearl White Inscribed Photo
Pearl White Inscribed Photo

六年の間、曲馬團の女王として相當の評判を取つてゐたが、やがて活動寫眞の隆盛に赴く様を見て、自分も映畫劇に出演したいと考え、昔馴染の團員と別れて、先ずユニヴァサル會社に身を投じた。同社ではクリスタル映畫の喜劇に出演した。その頃の作品には「パールと泥棒」「新しい帽子」などを初めとして数十本の喜劇がある。

一千九百十四年の春、パセ會社の招きに應じて同社に移り、新連續映畫「ポーリンの危難」に女主人公ポーリンを演じ、次いで同じく連續映畫「拳骨」に女主人公エレンを勤めて、斯界の人氣を一身に集めるに至つた。連續映畫專門の嬢は、「拳骨」に續いて「鐵の爪」を撮影した。それが亦大好評であつた。その爲めに、遂ひには、パセ會社ニュー・ジャーセーの第一首腦女優とまでなるに至つた。以上三種の連續映畫の外に、近頃の作品では、「運命の指輪」と「呪の家」とが電氣館に上場された。

『活動名優寫眞帳』(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)

1917年公開の『運命の指環』宣伝用写真。乗馬服姿で鞭を持って毛皮に立っています。縁に数か所ダメージあり。左下には万年筆で「ミルドレッド・メイソンさんへ(To Mildred Mason)、パール・ホワイトより」の一文。ちょうど1910年代の半ば、ルービン映画社(Lubin Company)で短編アクション映画の脚本を担当していた女性に同名の方がおられます。

もう一枚は絵葉書への直筆サイン。

Pearl White

印刷にも見えるフラットな筆跡ですが光をかざすと薄いペン先の跡があります。また以前に売買のあった同一デザイン絵葉書のサインと比べ筆跡が微妙に異なっています。

1914-autographed-photo-pearl-white
Pとtの字形が異なった一枚

裏の宛先面はアルバムからの剥離跡多数。消印が読めたのが救いでした。1914年にニューヨークで投函されています。

[IMDB]
Pearl White

[Movie Walker]
パール・ホワイト

[出身]
合衆国(ミズーリ州)

[誕生日]
3月4日

[サイズ]
19.5 × 24.5 cm(スチル写真)
13.6 × 8.6 cm(絵葉書)

シモーヌ・ジュヌヴォワ Simone Genevois (1912- 1995)

「『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』[La Merveilleuse vie de Jeanne D’Arc, 1929]」より

シモーヌ・ジュヌヴォワ直筆書簡(1930年頃)

シモーヌ・ジュヌヴォワ直筆書簡・全体
c1930 Simone Genevois Lettre Dedicacée

ご質問への回答以下となっております。お気に入りの役はジャンヌ・ダルクです。撮影所の思い出は…多すぎてここでは語れない位なのですが一つ言えるのはどの撮影も心地良かったですし今の人生を満喫しています。

今後の計画としては沢山の映画に出てみたいです。しっかり作りこまれた役柄、モダンな役を演じたいのです。映画業界の未来は…素晴らしい未来が待っていると思います!

シモーヌ・ジュヌヴォワ

Monsieur, Voici les réponses que vous me demandez. Mon rôle préféré est celui de Jeanne D’Arc. Mes souvenirs de studio, mon Dieu, je ne peux pas vous en raconter j’en ai

tellement, mais je puis vous dire qu’ils sont presque tous agréables et que j’adore cette vie-là. Mes projets, faire beaucoup de films mais des rôles de composition, des rôles modernes. L’avenir du cinéma je crois qu’il est merveilleux!

Recevez Monsieur mes sincères salutations, Simone Genevois


1930年頃と思われるシモーヌ・ジュヌヴォワ直筆の書簡。アンリ・デュブリ氏に宛てた物でサイズは19.2×30.2センチ。雑誌アンケートに回答する内容となっています。

ジュヌヴォワは1910年代に子役としてデビュー。アンリ・プークタル監督の『労働』(1920年)などにも出演し、レジーヌ・デュミアンと並ぶ人気子役として活躍しました。

『労働』(1920年)でのジュヌヴォワ
『労働』(1920年)でのジュヌヴォワ
[ゴーモン・パテ・アーカイヴ(Gaumont-Pathé Archive)より]
学業を理由に一旦は映画界を離れるのですが、その後程なくしてカムバック。アベル・ガンスの『ナポレオン』ではシチリア島に住むナポレオンの妹役として登場しています。

その後ガスティーヌ監督の『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』のオーディションに応募し、見事ヒロインに選ばれました。同作が彼女の代表作となりましたが、その後もガスティーヌ監督と縁が続き1930年代初めまで活躍、結婚と同時に女優業を離れています。

19270618-Le Journal
1927年6月18日付「ジュルナル」紙より。主演がジュヌヴォワに決まったニュース

上の新聞記事は1927年6月に主演オーディションの結果が発表された時の物です。最終選考に残った22人の中からジュヌヴォワが満場一致で選ばれた、との内容。ただし一説では元々主演の条件を満たしていなかった彼女を俳優フィリップ・エリアが監督に強く推して選ばれたとされています。また1927年7月31日のレコー・ダルジェ紙には当時まだ未成年だったジュヌヴォワの契約を巡り周囲の大人の間でトラブルのあった話が触れられています。この手のドロドロした話題は映画雑誌では触れられないのが常でしたが、見えない所で色々あるのは今も昔も変わらない訳です。

Simone Genevois c1930 Autographed Photo

こちらは1929年前後と思われるロレル撮影所の直筆サイン入り生写真。サイズは15.8×21.2センチ。

[IMDB]
nm0312810

[出身]

[誕生日]
2月13日

八雲恵美子/惠美子/理恵子 (1903–1979)

「日本 [Japan]」より

八雲恵美子サイン入り絵葉書
Yagumo Emiko Autographed Postcard

絵葉書&略歴

『姉ちやん、七時を打ちましたよ。』
『ウン、そう、もう五分間寝かして頂戴』
うつらうつらと夢路をたどる内亦々ミシミシと梯子段を踏む音にハツとして目を覺まし時計を見ると三十分經過、驚いてとび起き顔もそこそこに洗ひ御飯もおほいそぎで食べて家を出掛ける。撮影所に着いて助手さんに見つからないやうにと、そうつと裏の方を通つていつたが、俳優部屋の處でたうとう見つかつてしまつた。
『皆揃ひましたよ、あなた一人ですから早くお願いしますよ』
パラソルも袋も部屋にほうりこみ髪結部屋にとびこみ、早く早くと自分のおそくなつたのを棚に上げ髪結さんを一生懸命にせかせる。一時間あまりの後にはすつかり支度が出来あがる。
『もういつでも好いのよ』
と今度は涼しい顔。

「一日の仕事」 八雲恵美子
「スタヂオ日記」(『女性』誌 1927年10月号掲載)より

1929 yakumo emiko in fue no shiratama
『不壊の白珠』より

『不壊の白珠』(1929年、清水宏監督)での情感豊かな演技で記憶されている女優さん。1927年には柏美枝さんと二度共演(いずれも清水宏作品)、「スタヂオ日記」では柏さん目線の思い出も綴られていました。自分の文章ではズボラでおっちょこちょいな性格を強調していますが、実際は面倒見の良いしっかりした女性だったんでしょうね。

[JMDb]
八雲恵美子

[IMDb]
Emiko Yagumo

[出身地]
大阪府(大阪市)

[誕生日]
8月15日

[データ]
13.6 × 8.6cm

泉 春子 (1905 – 1998?)

「日本 [Japan]」より

izumi-haruko-autographed-postcard-mIzumi Haruko Autographed Postcard


吉村さだ子、明治卅八年九月長崎市生、舞臺生活の後マキノ等持院に入り時代劇に活躍す、マキノを去つて家庭の人となつてゐたが本年阪妻プロに入社「紫頭巾」

『現代俳優寫眞と名鑑』
(1927年11月5日、國民新聞附録)


マキノ~阪妻~東亜へと籍を変えていった女優さん。1928年の『坂本龍馬』に出演するも手元の9.5ミリ版に出演場面は収められておりませんでした。各社競作となった前年の『砂絵呪縛』では、原駒子や鈴木澄子と同じお酉を演じており、同社のヴァンプ女優的な位置づけをされてたのが分かります。

[JMDb]
泉 春子

[IMDb]
Haruko izumi

[出身地]
長崎県(佐世保)

[誕生日]
4月20日

[データ]
8.5 × 13.5cm