1917-22 忘れじの独り花(8)マグダ・エルゲン Magda Elgen

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Magda Elgen c1920 Autographed Postcard
Magda Elgen c1920 Autographed Postcard

1910年代末のドイツ映画については数点の書籍資料が知られています。大半の入手が難しくなっている中で『フィルムの中の女(Die Frau im Film)』は個人による電子テキスト化が行われており、非常に貴重な情報源となっています。

同書は1919年にスイスで発行された書籍で、当時人気のあった独語圏の女優28名のインタビューを収めたものです。本サイトで紹介しているエルナ・モレナリリー・フロールらを筆頭に、現在忘れられてしまった女優も多く含まれていました。

マグダ・エルゲンについては同書のインタビューが唯一の情報源とされています。それによると、ウィーン滞在時に映画撮影に初めて遭遇、メイン女優が乗馬の場面を拒否したため代役で出演したのが女優になるきっかけだったそうです。

メルセデス映画社の映画監督であるオットー・リンス=モルシュタットと結婚して初めて、自分の仕事に満足できるようになりました。映画が発展していく可能性を理解し、再び芸術と足並みをあわせていけると思ったのです。メルセデス映画社から、私の主演する映画シリーズが製作されることになっています。

「マグダ・エルゲン・インタビュー」『フィルムの中の女』より

Erst nach meiner Verheiratung mit dem Regisseur der »Mer­cedes-Film-Gesellschaft«, Otto Lins-Morstadt, fand ich Befrie­digung in meinen Aufgaben. Ich sah die Entwicklungsmöglich­keit des Films und fand die Parallele zur Kunst wieder. Die »Mercedes-Film-Gesellschaft« stellt meine Serien her. (Die Frau im Film, 1919)

メルセデス映画社による主演作が公開されたという記録は残っておりません。その代りカール・ハインツ・ウォルフ監督が創設したKOWO映画社から、「マグダ・エルゲン主演ドラマシリーズ」として『墨西哥(メキシコ)の女』(1919年)が発表されています。

Magda Elgen in Die Mexicanerin
『墨西哥(メキシコ)の女』(1919年)のプロモ用スティル
マグダ・エルゲンとコンラート・ファイト

若きコンラート・ファイトとの共演作ながらフィルムは現存していません。その後は主演映画の企画そのものが途絶えており、脇に回る形で20年代の活動を続けていきました。1910年代の初期作ではアリィ・コルベルグシャルロッテ・ベックリンと共演していた記録も残っています。

[IMDB]
nm1507778

[Movie Walker]

[誕生日]
未詳

[出身]
不明

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Kunstvelag Juno, Chariottenburg. 139. Phot. E. Schneider

1917-22 忘れじの独り花(7)イルンガルド・ベルン Irmgard Bern

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Irmgard Bern c1920 Autographed Postcard
Irmgard Bern c1920 Autographed Postcard

1920年、アスタ・ニールセンとコンラート・ファイトを主演にした映画『輪舞』(Der Reigen)が公開されました。一度は売春婦に身を崩しながらも人生を立て直そうと試みるヒロインをアスタ・ニールセンが演じ、そこに絡んでいく陰湿なヒモ男をファイトが演じた痴情物のメロドラマです。

物語の途中、アスタ・ニールセンは裕福な商人の家で子守の仕事を引き受けます。ところがこの商人がアスタに懸想し、無理矢理言い寄っていた所を奥さんに見つかり修羅場となっていきます。

Irmgrd Bern in Der Reigen
『輪舞』(Der Reigen、1920年)でのイルンガルド・ベルン
(有志による8ミリからのデジタル化)

夫に浮気され、発作を起こして急逝する奥さんの役で登場していたのがイルンガルド・ベルンでした。この前後(1919~21年)に映画出演の記録が多く『スフィンクスの謎』『愛の悲劇』など幾つかは日本でも公開されています。『スフィンクスの謎』でも主人公の許婚として登場しながら別な女性に奪われ病死する役どころでした。薄幸の麗人の位置づけでしょうか。

『輪舞』はスタッフの豪華さ(監督はリヒャルト・オズワルド)にも関わらず公開当時「並の出来映え」の評価。それでもニールセン/ファイトの共演作だったこともあり、戦後の西ドイツで8ミリ版が発売されていました。

[IMDB]
nm0075956

[Movie Walker]
イルンガルド・ベルン

[誕生日]
未詳

[出身]
不明

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Verl. Herm. Leiser, Berlin-Wilm. 1094. Atelier Eberth Berlin.

1917-22 忘れじの独り花(6)マルガ・キールスカ Marga Kierska

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Marga Kierska c1920 Autographed Postcard
Marga Kierska c1920 Autographed Postcard

1919年公開の『フィレンツェのペスト(Die Pest in Florenz)』は独デクラ社が海外市場を意識して製作した大作の第一弾でした。監督に連続劇『ホムンクルス』のオットー・リッペルト、脚本にフリッツ・ラングを配しています。

Marga Kierska in Die Pest in Florenz
『フィレンツェのペスト』(Die Pest in Florenz、1919年)より

ルネサンス期を舞台とした歴史パニック劇で実質的な主人公を演じていたのがマルガ・キールスカ(マルガ・フォン・キールスカ)。市中に広まっていく災禍に目を背け、贅沢と享楽に身を滅ぼしていく悪女の位置付けです。

とは言え「私の信じてる神は愛だけなの!」と言い放ち宗教者をたじろがせる場面や、地獄巡りの道中に自分の末路を重ねあわせ怯える場面など単純な善悪に収まらない多層的な性格付けを見ることもできます。セットや衣装に費用をかけるだけが大作ではない訳でリッペルトの演出、ラングの脚本共に一段高いレベルを目指している様子が伝わってきます。

ヒロインに抜擢されたマルガ・キールスカもまた来るべき新映画の要請に応えています。この後ポーラ・ネグリやアスタ・ニールセンの脇に回った作品数作でフェイドアウトしてしまったのが惜しく思われます。

[IMDB]
nm0902524

[Movie Walker]
マラガ・フォン・カイエルスカ

[誕生日]
未詳

[出身]
不明

[サイズ]
8.8 × 13.5 cm

[データ]
Photochemie, Berlin. K.3315 phot. Bildnis Karl Schenker, Berlin.

1917-22 忘れじの独り花(5)マルガレーテ・ランネル Margarete Lanner (1896 – 1981)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

マルガレーテ・ランネル サイン入り絵葉書
Margarete Lanner 1925 Autographed Postcard

「1925年8月21日、ベルリン」の日付入り。

『メトロポリス』の冒頭、 永遠の園で主人公(グスタフ・フレーリッヒ)が華やかな女性陣と戯れている場面が描写されています。噴水のほとりで女性を抱きしめた際、地下世界からやってきたマリア(ブリギッテ・ヘルム)と子供たちに見つかる展開は良く知られています。

グスタフ・フレーリッヒ&マルガレーテ・ランネル
『メトロポリス』(Metropolis、1927)の永遠の園の場面より
グスタフ・フレーリッヒと並んで

この場面でフレーリッヒの抱擁を受けていたのがマルガレーテ・ランネルでした。1919年に女優デビュー後、ヴェラ映画作品社(Vera-Filmwerke GmbH)の中心女優として頭角を現し、ヒロイン〜準ヒロイン級のオファーを受けるようになっていきました。

20年台半ばに難易度の高い役柄にも挑戦し始め、トップ女優とは言えないまでも安定した知名度と人気を獲得していきます。『メトロポリス』では配役のクレジットがない小さな扱いでしたが当時それなりに知られていた女優さんでもありました。

1927年をキャリアの頂点とし無声映画の終焉と共に引退。短期間の復帰はあるものの以後舞台に転じていきます。

[IMDB]
nm0486938

[Movie Walker]
マルガレーテ・ランネル

[誕生日]
2月17日

[出身]
ドイツ(ハンブルグ)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Verlag Herm. Leiser, Berlin Wilm. 6013. photo. Rembrandt.

1917-22 忘れじの独り花(4)マリア・レイコ Marija Leiko (Мария Лейко 1887–1938) ラトビア

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

マリア・レイコ 1920年 サイン絵葉書
Marija Leiko 1920 Autographed Postcard

2017年8月から9月にかけて、リガ映画博物館で無声映画期の女優、マリア・レイコの回顧展が開催されていました。自国ラトビアでもほぼ忘れ去られていた女優だったため、この企画で初めて名前を知った人も多かったようです。

Marjia Leiko in Die Spelunke (mid 1910s)
1910年代中頃の舞台関連絵葉書
フリッツ・メンデル氏旧蔵スクラップ帖より)

1900年代末にドイツへと移り、演劇の下積みを重ねながら知名度を上げていきます。古典劇を得意とし『ハムレット』や『ファウスト』でヒロイン役を務める機会もあったそうです。1917年からラインハルト劇団に所属、同時期に映画にも出演し始めるようになります。当時ケンタウロス映画社を拠点としていたハンス・コーベ監督やヨハネス・グウター監督作品に多く出演していました。

『グリーンアレイ』(1928年)でのマリア・レイコ
『グリーンアレイ』(Die Rothausgass、1928年)でのマリア・レイコ
20年代末となり無声映画の終わりが近づくと映画界を離れ舞台の世界に戻っていきます。ナチスが政権に就くと母国ラトビアに帰国、そのまま自国で活動を続けていきました。

1935年、産褥で亡くなった娘の葬儀のためソビエトへと向かい、帰路、友人の勧めでソビエトで劇団に所属することになります。折しもスターリンによる敵対勢力の粛清が吹き荒れており、マリアさんは同僚らと共にスパイ容疑で逮捕され、1938年2月、型通りの裁判で有罪宣告され銃殺されました。享年51。大国の思惑に翻弄されたラトビアの20世紀史そのものの人生でした。

リガ映画博物館での回顧展は生誕130年を記念して開催されたものです。ラトビア出身女優は他にリア・マラ(Lya Mara)もいましたし、ドイツ無声映画が多国籍な環境で発展していった様子が伺えます。

[IMDB]
nm0500408

[Movie Walker]

[誕生日]
8月14日

[出身]
ラトヴィア(リガ)

[サイズ]
8.6 × 13.4cm

[データ]
Verl. Herm. Leiser, Berlin-Wilm. 1102. Atelier Nippold, Frankfurt a/M
1920年2月19日の日付入り

1917-22 忘れじの独り花(3)シャルロッテ・ベックリン Charlotte Böcklin (生没年未詳)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Charlotte Boecklin c1920 Autographed Postcard
Charlotte Boecklin c1920 Autographed Postcard

二部から成る文化映画大作『劫罰への道』出演はまさに不意打ちであった。ベックリン嬢は初の栄冠を勝ち取りその後も『黒きマリオン』『黄金の書』『オカリナ』『沼兎』など数多の作品に出演していく。どの役柄もしっかり演じきっており何を演じても彼女である。ごく自然に、作為を感じさせずスクリーンを動き回り、辛い悲劇体験を演じる際には深い情感を見せるし、正反対の役柄では朗らかで楽しんでいると見える。何をしてもその才が現れずにいられないのだ。

「お馴染み役者の新たな姿:シャルロッテ・ベックリン」
『映画世界(フィルムヴェルト)』1922年第4号より

Ganz urplötzlich war sie aufgetaucht in dem grossen zweiteiligen Kulturfilm: « Der Weg der zur Verdammnis führt ». Damals holte sie sich ihre ersten Filmlorbeeren, und dann kamen nacheinander viele Films; ich erinnere nur an « Die schwarze Marion » « Das goldene Buch » « Die Okarina », « Sumpfhanne » usw. Alle möglichen Charaktere spiellte sie durch, alles lag ihr. Natürlich und ungekünstelt schritt sie über die Leinwand, tief ergreifend, wenn sie die Tragik schmerzilichen Erlebens verkörperte und erheiternd und sonnig in einer entgegengesetzten Rolle. Alles an ihr verriet das Talent. (« Neue Bilder von alten Bekannten – Charlotte Böcklin », Die Filmwelt, 1922 Nr.4)

1918年、デクラ社の大作『劫罰への道』のヒロインに抜擢され注目を浴びたのがシャルロッテ・ベックリンでした。バイエルン映画社の劇映画(『黄金の書』『オカリナ』)で重要な役を務めていきます。目つき、表情にやや翳があり悲劇調の作品のヒロイン役として重宝され、また喜劇にも長けるなど万能型な演技力の持ち主とされています。

1922年の『路上の薔薇(Die Asphaltrose)』主演がキャリアのピークとなり、以後は後進に押され1925年を最後に女優業から離れました。

『ブッデンブローク家の人々』(1923年)より
『ブッデンブローク家の人々』(Die Buddenbrooks、1923)での
シャルロッテ・ベックリン
右端はクリスチャン役のアルフレート・アーベル
初期作品は見つかっておらずキャリア後期に出演した『ブッデンブローク家の人々』(1923年)が現存。物語後半に登場し主人公の一人クリスチャンをたぶらかし妻に収まっていく場末の踊子、アリーネ役を演じていました。

生没年や出身地など伝記データが全く存在せず、実人生が謎に包まれた女優さんでもあります。

[IMDB]
nm0126991

[Movie Walker]

[誕生日]
未詳

[出身]
不明

[サイズ]
8.8 × 13.7 cm

[データ]
Photochemie, Berlin. K.2846. phot. Atelier MacWalter, Berlin.

1917-22 忘れじの独り花(2)マンヤ・ツァッツェーワ Manja Tzatschewa (1900 – 1975) ブルガリア

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Manja Tzatschewa c1920 Autographed Postcard
Manja Tzatschewa c1920 Autographed Postcard

ムルナウという監督は弱い者への温かい眼差しと幻視者の目を備えた数少ない映画人でした。ドイツ時代の『吸血鬼ノスフェラトゥ』『ファウスト』『最後の人』、渡米後の『サンライズ』『都会の女』等、幸いなことに代表作のほとんどが現存しているものの初期作の幾つかを見ることが出来なくなっています。

1921年製作の『マリッツァ』については10分程の断片(イタリア版プリントの第一リール)のみ現存。冒頭で一瞬猫がクローズアップされ、猫を抱きかかえて眠るヒロインが登場。名カメラマン、カール・フロイントによる美しい映像が観る者を引きこんでいきます。

Marizza (1922)

Manja Tzatschewa in Marizza (1922)
From « Marizza, genannt die Schmuggler-Madonna » (Murnau, 1922)

ヒロインのマリッツァ役を演じていたのはマンヤ・ツァッツェーワ。ブルガリア出身とされています。エキゾチックな血と顔立ちを生かしアジア女性や踊り子などの役柄を多く演じました。キャリアの盛期は1918~22年でその後表舞台から姿を消していきました。

[IMDB]
nm0879266

[Movie Walker]
マンヤ・ツァッツェーワ

[誕生日]
12月27日

[出身]
ブルガリア

[サイズ]
8.6 × 13.5cm

[データ]
Verlag « Ross » Berlin S.W. 68. 296M Becker & Maass Phot.