東郷久義、昭和5年(1930年)の暑中見舞い

「戦前・戦中 髙島栄一・康彰氏旧蔵の葉書群」より

東郷久義、暑中見舞い
Togo Hisayoshi 1930 Summer Greeting Card

Togo Hisayoshi 1931 Portrait

東郷久義(1898年3月26日 – 没年不詳)

本名品川久義。明治卅三年島根縣に生る。上京して海城中學を了へ、尚ほ関西大學法科を卒業後三年間歐州を漫遊す。大正十五年四月、招かれてマキノキネマへ入社、スポーツ劇を以て立つ。主なる近作は「常陸丸」「侠骨日記」等。身長五尺六寸、體重二十二貫。柔道四段。趣味は各種スポーツ。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

[JMDB]
p0304430

[IMDB]
nm1798357

[誕生日]
3月26日

[出身]
日本(島根県)

[サイズ]
8.9 × 14.2cm

[データ]
髙島栄一氏宛、昭和5年(1931年)8月3日西陣の消印有。

ファルコネッティ Renée Jeanne Falconetti (1892 – 1946) 1920年代の直筆書簡

「国別サインリスト フランス [France]」より

1928年公開『裁かるるジャンヌ』で主演を務めたファルコネッティの書簡。2015年末に仏イーベイで戦前の興行師イゾラ兄弟の旧蔵品が出品された際に入手した一枚。同兄弟はオランピア劇場やサラ・ベルナール劇場の支配人で、役者から監督、作曲家や作家まで広大な人脈を築き上げていた大物でした。

レターヘッドを備えた水色の便箋の表裏にメッセージが書かれており、内容は次のようになっています。


「ペローネ様

御心配は無用です。
契約の解除を同意・確認した旨、イゾラ様宛の手紙にしたためて
投函させていただきました。
今晩、遅くても明日朝までには受け取りになられるのではと思います。

良い思い出になりました、御安心くださいませ。

ファルコネッティ」

« Cher Monsieur Perronnet,

Ne vous-inquietez pas. La
lettre pour Messieurs Isola
dans laquelle je confirme
notre accord de rompre
mon engagement est postée
par la
poste, et vous la recevrez
ce soir ou demain matin
au plus tard.
Soyez assuré, je vous
prie, cher Monsierur,
de mon meilleur souvenir.

Falconetti »

モーリス・ペローネは当時サラ・ベルナール劇場のマネージャーを担当していた人物です。存命中のサラとは家族ぐるみでの親交があり、ペローネ氏の洗礼時に代母(marraine)となったのがサラでした。また画家としての才能もあり、サラの肖像画を多く残しています。

ファルコネッティは1927年に同劇場と契約を結ぶのですが、『裁かるるジャンヌ』の撮影がずれこんだため一旦同年に役を降りた記録があります。手紙で触れられた「契約の解除」はその一件を指しているのではと推察されます。

エドゥアール・マテ Edouard Mathé (1886 – 1934 ) 劇場支配人宛ての書簡

「国別サインリスト フランス [France]」より

エドゥアール・マテ直筆書簡

Edouard Mathe Hand-written Letter Addressed to the Isora Brothers
Edouard Mathé Hand-written Letter Addressed to the Isora Brothers (c1915?)

やはりルイ・フイヤード活劇の常連で、『ジュデックス』でルネ・クレステの弟役を演じていたエドゥアール・マテが残した直筆書簡。ファルコネッティの手紙と同様、パリの大物興行師だったイゾラ兄弟が保管していたコレクションの一部となります。


「日曜に記す

劇場支配人さま。

今晩上演されるオペラ作品『ミニョン』の座席を二つ御手配いただくこと可能でしょうか。知人の歌手エドメ・ファヴァールの晴れのデビューに立ち会いたいと思っております。

誠にお世話になります。オペラ=コミック座には午後6時前後に着けるかと思います。

何卒よろしくお願いいたします。

エドゥアール・マテ」

当時オペラ=コミック座の支配人をしていたイゾラ兄弟に同劇場のチケットを所望しています。「知人」として紹介されているエドメ・ファヴァールは女性ソプラノ歌手で、オペラ=コミック座での初主役となった『ミニョン』が1915~25年まで10年に及ぶロングランを記録しています。「晴れのデビュー」とありますので大戦中の1915年ごろの手紙でしょうか。

Edmée Favart
エドメ・ファヴァール

マテが当時、映画俳優業の他に何をしていたのか全く知られていません。交友関係が伺い取れるだけでなく、パリでイゾラ兄弟と契約を結んでいたことも分かる資料です。

« Ce dimanche

Nos chers directeurs,

Voudriez-vous m’octroyer amicalement deux places pour ce soir « Mignon » afin que je puisse assister aux heureux débuts de mon [illisible] amie et interprète E[dmée]. Favart?

Je vous en serai infiniment reconnaissant et pourrai vers 6h à l’Op[éra]. comique.

Veuillez agréer, nos chers directeurs, l’expression de nos sentiments les plus dévoués et de nos sincère remerciement,

Edouard Mathé »

ミュジドラ Musidora (1889 – 1957)、昭和13年の従妹宛タイプ打ち書簡

「国別サインリスト フランス [France]」より

1938年、ミュジドラがブエノスアイレス在住の従妹ジョルジェット宛てに送ったタイプ打ちの書簡。フレンドリーな口調ながら女流作家らしく凝った表現も随所に混ぜられています。

文中に登場する「ジャコル」君はおそらくジョルジェットの子供さんの愛称で、その手術と家族の心労をいたわる気遣いが伝わってきます。

一方でブエノスアイレスの大手書店の所在地を訪ね、自身の著作の販路を広げようとしている辺りにしたたかさを感じます。

文面は裏まで続いていて、最後に本人のサインで〆てあります。表面の余白には手書きで息子のクレマン君が愛らしいメッセージを残しています。


7月20日 シャティオン=シュル=マルヌにて

ジョルジェットへ

このブエノスアイレスってのは超危険、磁石並に引き寄せられている私。なぜか知らないけれど息子の来年のバカンスはブエノスアイレスに行ってほしいと思ってしまうのよ。

残念ながら夢物語かしら。でもそんなことばかり考えてしまって。

日々の記録のお手紙と、私&息子の写真2枚を同封させてもらいました。

私が一秒たりとも無駄にしていない様子が伝わるかなと思います。「おちおち死んでもいられない」みたいな?ジャコルの手術があって大変だったのも分かっているしちょっとでも笑ってもらえると幸いです。

こちらでは家がようやく完成しました。庭に15×8メートルのプール付き。ザズーの素潜りが凄いったらありゃしない。

良かったらブエノスアイレスの大きな書店の連絡先を教えてください。自分の本をどこかに置いてもらいたいと思っていて、向こうも興味持つのではないかと。この辺のお金絡みの分野が苦手なので、ヒントになりそうなものを幾つか教えてもらえると嬉しいです。

良き報せを待ちながら、みんなに、一人ひとり順番にキスを送ります。あなたからの温かい言葉は皆に伝えておきました。百倍返しするそうですよ。

(クレマン君のメッセージ)
こんにちはジョルジェットおばさんとジャコルかぞくみんなにキスおくるね

Chatillon-sur-Marne le 20 Juillet 1938

Ma chère Georgette,

Ce Buenos-aires est périlleux pour moi, il m’attire comme un aiment, et j’aimerais, je ne sais pourquoi que Clément l’année prochaine prenne des vacances pour faire un voyage jusqu’à Buenos-aires.

Tout ceci malheuresement n’est qu’une idée, mais cette idée revient souvent dans ma tête.

Je t’envoie par ce même courrier des nouvelles journalistiques de ta cousine ainsi que deux photos de Zazou et de moi.

Tu vois que je ne perds pas un instant et comme on dit « je ne prendrai même pas le temps de mourir ». Je veux te faire rire un peu car tu as de mauvais quart d’heure avec l’opération du Jakol.

Ici, la maison s’achève doucement, le jardin à une piscine de 15 mètres sur 8 mètres, et le Zazou y fait des plongeons magnifiques.

Veux tu être gentille de m’envoyer l’adresse d’un grand libraire de Buenos-aires, je voudrais bien faire un dépot de mes livres et cela peut l’interesser. Mais ne connaisant pas cette partie uniquement commerciale je te serais gré de bien vouloir me donner quelques indications.

Dans l’attente de vos bonnes nouvelles à tous, nous vous embrassons tous ensemble, séparèment. J’ai transmis toutes tes amitiés à toute la famille qui te les renvoie centuplées.

Ta cousine,
musidora

[message écrit par Zazou] : bonjour je t’embrasse ainsi que Jakol et ta famillle zazou

 

晩年のフリッツ・ラングが送ったクリスマス&新年祝いのカード

フリッツ・ラング監督が晩年(1970年頃)に送ったクリスマス&ニューイヤーカード。以前、フランスの女優マドレーヌ・オズレイさんに宛てた電報をご紹介いたしました。出所が同じでおそらくオズレイさんが保管していた一点と思われます。

二つ折りで開いた大きさは22.0×15.5cm。折った時、外側に幻想的なイラストが見えるようになっていて、裏面に5か国語で説明が付されています。開くと内側に「メリークリスマス&新年おめでとう フリッツ・ラング」の印刷メッセージ。

こちらはユニセフのチャリティ用カードで、晩年を合衆国で過ごしたラング監督の慈善活動の一端を伺うことができます。

大正期「蛇の舞」ロイ・フラーの直筆メッセージ Loïe Fuller (1862 – 1928)

Loie Fuller

私のサイン?そんなつまらないものでよろしければ喜んで。ロイ・フラー

My autograph? With great pleasure if you consider it worth having. Loïe Fuller

ロイ・フラーが自身の専用便箋(「L」の頭文字入り)に残したメッセージ。便箋とセットになっていたのがロンドンのコリセウム劇場のプログラム。1918年(大正7年)のもので、ロイ・フラーの演目も含まれています。この時のサインと断定できませんが可能性はありそうです。

Loïe Fuller 1910s Autographed Message

[IMDB]
nm0298291

[出身]
米国

[生年月日]
米国

[コンディション]
A-

[入手年月日]
2017年5月

アベル・ガンス監督、昭和10年の手紙 Abel Gance (1889 – 1981)

Abel Gance 1935 Typed Letter

拝啓

8月19日付けのご質問に対する回答となりますが、
アルジェに映画スタジオ群が作られればとても便利だろうと思います。
計画が実現すればすぐに多くの顧客が見つかるのではないでしょうか。

心よりの敬意をこめて

アベル・ガンス

1933年に復刊されたアート誌「欧州芸術家(ユーロップ・アルティスト)」の質問に応えた短いタイプ打ちの手紙。1935年(昭和10年)9月11日の日付が打たれたもの。

レターヘッドに朱色で名前が印刷されており、便箋下部には同色で住所も記されています。