戦前期(1910~20年代)直筆サイン物の真贋鑑定について(1)

当サイトでは1910~20年代のサイン物(サイン入り絵葉書、写真、書簡)を多く紹介しています。直筆物を扱っていく際に鑑定作業は避けて通れないものです。オンラインの質問サイトでもこの手の質問は繰り返し上がってくるものですし、一般論としても興味のある方はいるのではないかな、と。

本サイトで行っている真贋判定の基本のフローは以下の形です。

3段階の判定を経て「真筆」に辿りつくことになります。

[01] 印刷物のサインをより分けていく

真贋判定の第一ステップとして、印刷サインをそれ以外から選り分けていきます。

無声映画の時代にはボールペンやマジック、シャープペンシルは存在していませんでした。直筆サインの多くは万年筆によるもので、鉛筆やクレヨンなど若干の例外が混ざってくる形になります。

鋭い金属の先端を押しつけて書く構造上、万年筆は紙に窪んだ跡を残しやすい特徴を持っています。筆圧によっては紙の繊維そのものが切断されているのが見えたりするほどです。万年筆サインと印刷サインの違いを見抜くにはこの「跡」が見えるようになるのが大切です。

こちらは以前に紹介したナジモヴァの直筆サインで拡大すると小文字の「a」の縦線中央にやや濃い色の線が入っている(写真右)のが分かるかと思います。万年筆の先端が触れた個所が浅い窪みとなりインクの溜まったものです。

こちらは『アジアの嵐』に主演していたインキジノフの直筆サイン。拡大してみるとやはり万年筆の先端で紙の繊維が切れ、インクが溜まって濃い色の線ができているのが分かります(写真右上)。万年筆の先は二股になっているため、角度によっては先端が割れて筆跡の両端を縁取るように濃い線が残る場合もあります(写真右下)。

スキャンでは濃淡の違いしか分かりませんが、紙を光にかざすとこの部分が「段差」として見えるようになります。

エニッド・ベネットの直筆サインでは、大文字「E」の書き始め、小文字の「n」、名前の下の下線の書き出し部分の筆圧が高いため万年筆の跡が残っています。斜めに光にかざすとその部分が窪んでいるのが分かります。

浦邉粂子さんのサイン絵葉書を見ていきましょう。「粂」の字に着目します。光の当て方は右のように光源が直接サインを照らす形にすると分かりやすいです。段差になった部分は光の反射角が変わるため白く照り返して見えます。

比較対象として印刷サインを見ていきます。下の写真は1910年代後半に人気のあったキャスリン・マクドナルドの絵葉書をスキャンしたものです。

拡大してみるとペン先による凹凸がなく非常にフラットなのが分かります(写真右上)。光の当て方を変えると浅い折皺が浮かび上がるだけで筆圧による窪みはありません(写真右下)。こういう見え方をするのが印刷物だ、となるわけです。

確認していくのは「窪み」とは限りません。逆に「盛り上がり」をみることもあります。

1910~20年ごろの映画界では写真のネガにサインを書きこむケースが多くみられました。複製したポジでは反転されて白文字のサインになるパターンです。下はチャールズ・レイの印刷サインで非常にフラット(平ら)な出方をしています。

一方で当時、暗い地色にあえて白インクでサインすることもありました。濃い修正液に似た質感で、紙に乗った感じの盛り上がった筆跡になります。(自分の所有物ではありませんが)下のジョゼフィーン・ヒルの例が分かりやすいでしょうか。

書く速度がゆっくりな個所、筆跡が重なった部分などにインクが溜まって盛り上がる形になっています。

ブライアント・ウォッシュバーンの白文字サインでもインクの濃淡が均一ではなく、文字を縁取るように濃い部分ができて盛り上がる形になっています。

「印刷か否かを確かめるために光に翳す」行為は言い換えると「光の反射角に注目し、物理的な厚み・高さの変化を見ている」ことになります。写真や絵葉書、ブロマイド、無地の紙にインクという異物が置かれることで起きた「物理的」な状態変化を何らかの形で見つけ出していくのです。

このアプローチの応用として次のような例を挙げることができます。

リートリス・ジョイの直筆物。保存状態は良くありませんが真贋鑑定の視点では興味深いサンプルになっています。緑色の矢印は万年筆の先端で削られた個所で、場所によってインクの劣化で白く褪せた出方になっています。また、水色の丸の部分では薄い傷がサインを横切っています。この部分を拡大してみると:

インクの部分で高さが変わるため薄い傷が完全にはつながっておらず途切れています。直筆サインでは手書きで書かれたインク部と背景の紙で「ダメージの出方に変化がある」例となっています。

先ほどのキャスリン・マクドナルドの印刷サインで「Sincerely」の後半の拡大です。経年の劣化で発生した黄土色のシミが文字と地の部分にまたがっています。手書きで置かれたインクではないため、印刷された文字であろうと背景であろうと関係なく「一様にダメージが発生している」訳です。

◇◇◇

経年変化などもあり、サイン物は手書きであれ印刷であれ一枚一枚異なっています。それでも基本的な考え方は同一で、文字を書くという行為で発生した状態変化を見つけることができるかできないかという作業を行っていきます。この辺は慣れと経験値も重要で、真筆と印刷物を比べながらある程度の枚数を見ていくことで目視でも100パーセントに近い鑑定精度までもっていくことができます。

目視に頼らず、ツールを使ってスマートに一発で判断できないかという疑問も当然出てくるでしょう。

サインそのものに触れて良いのであれば色々な手段が考えられます。薬品(極端な話、水一滴)を垂らす、ピックゲージを使用して段差の変化をミクロン単位で測るなどすれば状態変化を可視化できます。しかしサイン鑑定は「元のサインにダメージを与えない」が大前提となっているため、この視点からどちらの方法も不可とされます。直接触れないで…となると光の反射率測定装置を使う(=光沢の違いを測定する)手法があります。

とはいえ印刷物か否かの判断は鑑定の第一段階に過ぎないものです。印刷物を弾いても「印刷ではないから真筆である」という結論にはなりません。鑑定精度を上げる補助ツールはありえるにしても「スマートに一発で」真贋を判定できる手段は現状ない、の回答になるのだと思われます。

戦前期(1910~20年代)直筆サイン物の真贋鑑定について(2)

印刷物のサインを外していくと残りがすべて真筆となるかというとそうではありません。インクが乗っているにも関わらず「手書きではない」パターンがあるからです。無声映画期、1910~20年代にはスタンプ(ゴム印)とオートペンによるサイン物が流通していました。サイン鑑定の第2段階でこれらを弾いていきます。

[02a] スタンプ(ゴム印)

1910年代後半~20年代初頭にかけ、ハリウッドでは直筆サインを基にゴム印を作成しプロモ写真に押すことでサインの代わりとする習慣がありました。

[スタンプ式サインの使用が確認できているサイレント時代の俳優]

リリアン・ギッシュ、ドロシー・ギッシュ、セダ・バラ、ナジモヴァ、早川雪洲、メエ・ブッシュ、マージョリー・ドウ、アンナ・Q・ニルセン、メイ・アリソン、マリー・ウエルカンプ、ポーリン・フレデリック、ノーマ・シアラー、エミール・ヤニングス等

ほぼ全てが合衆国/ハリウッド俳優です。和物では一度も見たことがなく、欧州では(渡米経験のある)エミール・ヤニングスが使用していました。

スタンプに使用されるインクの顔料成分は万年筆と異なっており、時間が経って擦れ気味になるとまだら模様になります。また万年筆の筆跡に見られる力加減に応じた濃淡の違いはなく、ペタンとした平面的な見え方になるのが特徴です。

所詮はスタンプなので判別は簡単…とはいきません。例えばマリー・プレヴォーの筆跡は華奢でまだらが模様が見えにくく、遠目で見ると直筆にも見えます。市場でも誤って「真筆」として売買されやすいスタンプ物の一つです。

アンナ・Q・ニルセンも厄介です。次の4枚の写真のうち、1枚だけスタンプ物があるのですが分かりますか?

答えは②になります(①③④は直筆)。スタンプが混ざっている前提で見れば答えは出しやすいと思います。予告なしに4枚とも「アンナ・Q・ニルセンの直筆」として売りに出されていたら…②も直筆と勘違いする人が出てきてしまいそうです。

[02b] オートペン

サイン複製機「オートペン・モデル80」(左)と米オートペン社ホームページより「モデル50」紹介(右)

「オートペン」はプラスチック製のマトリクスに記録した動きでサインを自動的に複製する機械の名称です。合衆国では戦前から現在に至るまで政治家や研究者、宇宙飛行士、スポーツ選手らによって使用されてきました。初期ハリウッドでも一時期フアンレターへの返信用のサインにオートペンが用いられています。

無声映画期の俳優ではヴァレンチノの相手役として話題を呼んだハンガリー出身女優、ヴィルマ・バンキーがオートペンを使っていました。

文面の異なった2通。インクがしっかり乗った万年筆書きのサインですが本人直筆ではありません。オートペンによるサインは:

1)筆跡が細かな部分まで一致する
2)筆圧が最初から最後まで一定で、払いや撥ねの部分でも文字の太さが変わらない

の二つの特徴があります。直筆物と比べると違いが分かりやすいかと思います。

直筆は筆圧の変化があり、力を籠めたり抜いたりした濃淡、太細があって生気が感じられます。オートペンは二次元方向の動きを機械的に再現しているだけですので人肌の感触が残っていません。

とはいえオートペンサインは万年筆の先端で紙をなぞった跡が残ります。真筆を見たことがない俳優のサインがたまたま手に入ったとき、初見で、しかも比較対象がない状態で「機械による複製」と断定はしにくかったりします。

無数にあるサイン物から印刷物を省いていき、次いで人の手によるものではないサイン(スタンプ、オートペン)を取り除いていくと最後に人の手によって書かれたサインが残ります。最終第3ステップではここから本人の手による「真筆」とそれ以外をより分けていきます。

1917 – 『毒草』(井上正夫監督、小林商会) 絵葉書4点

1917 « Doku-sô » (Poison Grass, dir/Inoue Masao)
Original Promotional Postcards

1)毒草劇 井上正夫のお源

 果して母親は眞赤になつた焼火箸を焚火の中から取出すと、思ひ知れとばかり、まづお品の半身像にじウとそれを突刺した上、今度は更に二人立の寫眞の方にも突刺すのだ、さうして滅茶々々にお品の顔を潰したうえ、にたりと會心の物凄い笑を漏らした。(『毒草 お品の巻』菊池幽芳、至誠堂書店、大正5年、「寫眞」)

2)毒草劇 木下藤吉郎のお品 藤野秀夫の土手の福 葛城文子のお仙 栗島狭衣の吉蔵

 彼の髪は蓬々と伸びて額や肩に亂れかゝり、口髭も頤髭も延びるに任した様子から、頬骨の突出て居るところから、眉の太く濃いところから、一寸アイヌの容貌を思ひ出させるところがあつた。着物は木綿の布子を着て居るのが見る影もなくぼろぼろになり、ところどころ垢ずれで光つて居るのに三尺帯を巻つけ、尻からげもせず、だらしなく着流して、足は素跣足のまゝである。腰には巾着のやうなものやら煙草入やらに、小猿の髑髏を二つ括つて居るのが異樣の音を立てゝ、足拍子を取つて踊るたびにちやらちやらとなり、こつこつと響いた。

 土手の福がさも愉快さうに踊つて來る跡から、界隈の子供等がぞろぞろと囃し立てゝついて來た。(『毒草 お品の巻』「土手の福」の章)

3)毒草劇 栗島狭衣の吉蔵 井上正夫のお源

 お源の手からバツタリ槌が落ちて、お源はよろよろと熊笹の中に尻餅を搗いた。

 「お母さん、お前、鬼になつたゞか。これ誰の形代だ。」

 母親は云知れぬ慙愧と憤怒のために、わなわなと顫へながら、吉蔵の顔を見上げて、續けさまに太い溜息を漏らした。

 吉蔵は母親を押へた腕を放すと、その猿臂を差延べて、力任せに藁人形をもぎ取り、

 「お母さん、お前はお品を祈り殺さうとするだな。お前、何でそんなにお品が憎いだ。」(『毒草 お品の巻』「三本杉」の章)

4)毒草劇 翠紅園納屋の慘劇

 いつも其卓子(テーブル)の上には煙草盆と燐寸が置いてあるので、その燐寸を探さうとしたのだ。……と燐寸と一緒に鐵の五本爪のついた除草器が觸つた。お源の頭に突然何ものかゞが閃いたらしく、その除草器を燐寸と共に取上げると、屹と中腰になつて納屋の方角を覗いた。しよんぼりと納屋の方に進んで行くお品の輪郭が闇の中に黑く見透された。(『毒草 お品の巻』菊池幽芳、至誠堂書店、大正5年、「兇行」の章)


三月浅草及び市中の各館各座は一斉に同じ毒草劇を上場して東京ツ子をあつと云はせた。(『キネマ・レコード』1917年)

日活、天活、小林の三會社で『毒草』劇を競争的に發表したことがある。この三つの作品を比較すると、各會社の技倆の程度を畧ぼ測定することが出來るのであつて、何れも各自の特色を發揮し、可なりの熱心さが認められた中にも、小林の作品は井上の扮装と、光線の巧みな應用とによつて、一際勝れてゐたといふことである。勿論日活にしてもその頃は著しき進境を示し、『毒草』を數年前の作品に比較すると、確かに凡ての點において進んで來た。(『欧米及日本の映画史』石巻良夫著、プラトン社、1925年)


『己が罪』で知られる大衆通俗作家・菊池幽芳氏が大正5年(1916年)に大阪毎日新聞、東京日日新聞に連載していたのが『毒草』でした、地方を舞台とした猟奇的な物語が評判を呼び、連載終了後すぐに舞台化、映画化が進みます。映画版は小林商会、天活、日活向島の三社競作。井上正夫氏が監督した小林商会版の販促に使用された絵葉書です。

物語は病弱で内向的な娘・お品(木下藤吉郎)が、亡き父の知人を頼り、その息子・吉蔵(栗島狭衣)の営む草木店の手伝いとして働き始めたことで幕を開けます。足が悪く閉鎖的な吉蔵は当初はお品を邪険に扱うのですが、花好きで素直な心にやがて惹かれるようになっていきます。また吉蔵の妹で、人嫌いで閉じこもりがちなお仙(葛城文子)も次第にお品へと心を開いていきます。夫婦の約束を交わした吉蔵とお品ですが、この二人の幸せを憎しみの目で見ていたのが吉蔵の母・お源(井上正夫)であった…と続いていきます。

小林商会版は邦画に女優の登場した最初期の例として知られています。「映画女優」の概念が確立されたのは1919年『深山の乙女』でしたが、そこまでに試行錯誤があって女形・女優共存の本作もその流れに位置づけられます。お仙役の葛城文子さんはこの後『七つの海』(清水宏)、『隣の八重ちゃん』(島津保次郎)、『戸田家の兄妹』(小津安二郎)等に母親役として登場、初期邦画界を底上げしていきました。放浪者・土手の福は後の好々爺俳優・藤野秀夫氏で、吉蔵役と脚本で栗島すみ子の父・狭衣氏が絡むなどその他の配役も魅力的です。

[JMDb]
毒草

[IMDb]
Dokuso

[公開年]
1917年

[原作]
『毒草 お品乃巻』(国立国会図書館デジタル版)

1926~1935年 剣戟俳優映画 豆ブロミニコレクション

1926-35 various « kengeki » trading cards

10年近く前、国産無声映画の紙物で初めて手に入れたのがこの辺の豆ブロマイドでした。大正末期~昭和初期に九州で活動していた「活キチ」さんの旧蔵品がネットオークションに出品されていたのを発見、いずれも結構な勢いで落札されていました。1セット確保できましたが正直当時は自分でも何を手に入れたのかよく分かっていなかったです。

今回『孔雀の光(前編)』の説明本の紹介にふと思い出して引っ張り出してきました。1926〜35年にまたがる内容でアイドル感キラキラ時代の河部五郎、紙物にあまり恵まれていない佐々木清野嬢辺りの珍しい物が含まれています。


1)『孔雀の光』(1926年、マキノプロダクション・御室、沼田紅緑監督、市川右太衛門主演)

[JMDb]
孔雀の光 前編

[IMDb]
Kujaku no kikari – zenpen [sic]


2)『修羅八荒』(1926年、松竹・蒲田、大久保忠素監督、森野五郎主演)

[JMDb]
修羅八荒 第一篇

[IMDb]


3)市川百々之助(1926年頃、作品名不詳)


4)『月形半平太』(1926年、日活・大将軍、高橋寿康監督、河部五郎主演)

[JMDb]
月形半平太

[IMDb]
Tsukigata hanpeita


5)『素浪人』(1926年、阪妻プロ、志波西果監督、阪東妻三郎・森静子・佐々木清野他出演)

[JMDb]
素浪人

[IMDb]
Suronin


6)『八剣飛竜』(1929年、日活・太秦、池田富保監督、澤田清主演)

[JMDb]
八剣飛竜

[IMDb]


7)『京洛浅春譜』(1935年、千恵プロ、西原孝監督、片岡千恵蔵・歌川絹枝他出演)

[JMDb]
京洛浅春譜 同志闘争篇

[IMDb]


モード・ファーリー Maude Fealy (1883-1971) 米

「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

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モード・ファーリー嬢は1886年の3月4日、テネシー州メンフィスで生れた。母マーガレットは18年の舞台経験を持ち、現在はコロラド州デンバーのテイバー演劇学校を運営している。ファーリー嬢は4才の時、母がヒロインを演じた『ファウストとマーガレット』で初舞台を踏んだ。母親の学校で学びながら、『蛾』ではヴェラを演じ、『ロミオとジュリエット』のジュリエットに扮し、『ピグマリオンとガラテア』のガラテア役、『嵐の孤児』のルイーズ、『愛しいキャスリーン』のキャスリーンを演じた。

『舞台著名人録(Who’s Who on the Stage)』(ウォルター・ブラウニー著、1906年)

1900年代の合衆国でとても人気のあった舞台女優さん。

主たる活動拠点は舞台ながら映画とも接点を持ち、1911年に米タンホイザー社と契約しスクリーンデビュー。1913年公開の『ルネ王の娘(King Rene’s Daughter [YouTube])』を見るとナオミ・チルダースやマルヴィーナ・ロングフェローに近い、どこか野生の土臭さを残した米正統派の美女だと分かります。タンホイザー社との契約は1914年で切れたもののその後も舞台とスクリーンを行き来し、1930年以降はデミル作品を中心に脇役として姿を見せていました。

今回ご紹介するのはキャリア初期に撮影された写真です。額を含めると結構な大きさ(縦41×横37センチ)。裏側には「1904年頃撮影の手彩色生写真」の説明と飾ってあった場所(英マンチェスターのグレシャン通り)が明記されています。額縁はおそらく戦後のもので手彫りのしっかりした作り。

撮影者は不明。モード・ファーリーは早くからイギリスに進出しており、写真もイギリスで撮られたものではないかと考えています。写真裏にヒントがありそうな気がするのですが、裏蓋をテープで留めてあるため触らないことにしました。

Maude Fealy c1903 Postcard
1903年の消印が入った絵葉書

ほぼ同時期の絵葉書。モード・ファーリーの一般的なイメージはこちらなのかな、と。髪を胸元まで下ろしたイメージが強いため、今回の写真のようにアップにすると雰囲気が変わります。

Maude Fealy Leafcut Autograph
リーフカット・オートグラフ

写真とは別ルートで手に入れたリーフカット・オートグラフ。サイズは約5×9センチ。数字の「3」を左右反転させた小文字「e」に特徴あり。

[IMDB]
Maude Fealy

[Movie Walker]

[誕生日]
3月4日

[出身]
合衆国(メンフィス)

[データ]
41 × 37 cm(額縁含む、写真は25×19センチ程度)

1923年頃 – 豆ブロマイド 『原色版・松竹キネマ 第二集』(女優篇)

c1923 - 豆ブロマイド 『原色版・松竹キネマ 第二集』(女優篇)

以前に紹介済みの『手彩色版小型ブロマイド』より少し後、『白黒版小型ブロマイド』とほぼ同時期、『松竹花形キネマカード』の2、3年前に出版された豆ブロ集です。水谷八重子さんと五月信子さんが同じセットに含まれているのは珍しい、とか洋傘を和装にあわせるのが流行っていたのかと見てるだけで楽しくなってきます。

1923年頃 – 松竹キネマ 豆ブロマイド男優篇

今回投稿した『原色版・松竹キネマ』女優篇と同時期と思われる男優豆ブロマイド8枚。1920年代後半には鈴木傳明、岡田時彦と高田稔氏の三名が美形男優として人気を博し、30年頃に次世代俳優として登場した上原謙、佐野周二、佐分利信氏が「松竹三羽烏」として現代劇を支えていきました。

今回入手した豆ブロを見ると20年代前半でも岩田祐吉諸口十九勝見庸太郎の三氏が「プレ三羽烏」の位置付けで人気を得ていた様子が伺えます(この三氏はアイドル的な感覚でひとくくりにされるのは嫌がりそうですが)。他に一枚、松竹初期の子役として活躍された久保田久雄氏が含まれておりました。

岩田祐吉(直筆サイン)
諸口十九(直筆サイン)
勝見庸太郎(直筆サイン)…写真のみ登録

ルネ・ナヴァール René Navarre (1877 – 1968) 仏

「フランス [France]」より

1913年の活劇『ファントマ』で怪盗ファントマを演じたのがルネ・ナヴァールでした。同作は仏活劇の中心がヴィクトラン・ジャッセ監督(『ジゴマ』『プロテア』)からルイ・フイヤード(『レ・ヴァンピール』『ジュデックス』)へと移り変わっていく転換点となった一作でもあります。

ナヴァールは1910年代にフイヤード作品で活動した後、20年代に同監督が亡くなった後も『ヴィドック』(1923年)や『ジャン・シューアン』(1926年)など活劇色濃い諸作で存在感を見せました。

ゴードラン夫人さま
R・ナヴァールの雄姿を
記憶に留めていただいていたことに
感謝の気持ちをこめて

A Madame Gaudran,
En remerciement du bon
souvenir qu’elle a gardé
de
R. Navarre

第二次大戦中、パリ解放直前の1944年5月に残された一枚です。

[IMDb]
nm0622772

[出身]
フランス(リモージュ)

[誕生日]
7月8日

[データ]
Studio G.L. Manuel Frères Paris-Etoile

[サイズ]
8.8 × 13.8cm

1927-28『地雷火組』河部五郎 豆ブロ6種

[公開]
1927~1928年

[監督]
池田富保

[IMDb]
第一篇第二篇完結編

[JMDb]
第一篇第二篇完結編

尾上松之助 小型ブロマイド 2組 26枚(1920年頃)

「大正10年頃(1921~22年)、尾上松之助 豆ブロマイド2組26枚」より


絵葉書として売り出されていたのですが、実際は小型のブロマイドでした。大きさは4.6×7.0cm、大入り袋を模した紙製ケースに入っています。

これだけの枚数があっても、出演数、リメイクの多い尾上松之助ですと時期の特定が難しそうな感じです。『曲垣平九郎』『尾張三郎丸』『加藤清正』『不和数右衛門』『加賀鳶松五郎』『曽我兄弟』『仙石權兵衛』など1919~20年の公開作品が多く、逆に1921年以降の有名作品(『楠公訣別』)が少ないことから、1922年頃ではないかと推測しています。当時、同デザインの絵葉書も発売されていましたので、併せて検証していくと絞りこめるのではないかな、と。

青ケース(13枚入り)
曲垣平九郎(1916/1920)
尾張三郎丸(1920)
・矢島彌次郎
曲垣平九郎(1916/1920)
加藤清正(1920)
大力猪之助(尾張三郎丸)(1920)
・無題
・木村又蔵(1924)
不和数右衛門(1912/1920)
一心太助(1914/1922)
め組辰五郎(1922)
加賀鳶松五郎(1915/1919)
加賀鳶松五郎(1915/1919)

黄ケース(13枚入り)
宮本武蔵と佐々木岸柳(1914)
忠臣蔵(1921)
児雷也物語(1921)
め組辰五郎 [重複](1921)
山中鹿之助(1921)
曽我兄弟(1915/1920)
・無題
忠臣蔵 [重複](1921)
仙石權兵衛(1920)
・木村又蔵 [重複]
・任侠勇み駒
山中鹿之助(1911/1916/1921)
・無題(忠臣蔵?)

松竹花形キネマカード(手彩色版・元箱入り 1920年代後半)

「昭和2年(1927年)頃、手彩色版「松竹花形キネマカード No.2」」より

大正14年(1923年)頃の松竹俳優ブロマイド(手彩色版)

大正時代の終わり(1923年頃)と思われる5.6 × 8.2 cmの小型ブロマイド20枚。

手彩色による色付けは写真の細やかな陰影を消してしまう欠点があるとはいえ、モノクロでは伝わってこない艶やかな色遣いを窺い知ることができます。これより数年後に市販された一回り小さな(4.6 × 7.0 cm)ブロマイドは古本屋さんなどで時折取り扱っているのを見かけますが、このサイズの物は初めてでした。

入手した20枚の内訳は:

1)栗島すみ子11枚
2)川田芳子1枚
3)東榮子1枚
4)歌川八重子1枚
5)英百合子1枚
6)五月信子1枚
7)井上正夫1枚
8)岩田祐吉1枚
9)寺島榮一1枚
10) 井上正夫&栗島すみ子(1923年の『嗚無情』より)1枚。

このうち栗島すみ子、歌川八重子、川田芳子、東榮子、五月信子さんの5人についてはサイン物のコレクションにて直筆を紹介しております。