戦前期(1910~20年代)直筆サイン物の真贋鑑定について(3)

サイン物の真贋判定の第3段階では人の手によって残されたサインを幾つかのグループに分け「真筆」を特定していきます。筆跡の癖などの話はこの段階で初めて重要になってくるものです。

[03a] 代筆(会社)

本人ではなく代理の人物によって残されたサインを代筆と定義します。英語では「secretary autograph」と表現されるもので政治家などの要人が「秘書(secretary)」に署名を代筆させていたイメージとつながっています。今回鑑定対象としている無声映画期の俳優の場合、所属会社の指示によって、あるいはその許可を得る形で広報担当者などがプロモ写真にサインしたものがこれにあたります。

ハリウッドではこの慣習は比較的早くからあったようです。仏モーリス・トゥールヌールが渡米後に監督した初期作の一つ『ガールズ・フォリー』(1917年)には、西部劇映画のリハーサル撮影中、主演男優の付き人が楽屋でプロモ写真に代筆している場面が描かれています。

「他人に自分の署名をさせるなんて不思議な国だ」、トゥールヌールの面白がっている様子が伝わってくる場面です。

この時期の代筆の特徴として、代筆者は俳優の筆跡を模倣せず自身の手癖でサインしていきます。クレア・ウィンザーの例を見ていきましょう。

上の2点が若い頃のサイン、一番下が晩年のボールペンサインです。彼女の署名の特徴を4つ挙げることができます。

1)大文字「C」の書き出しが内側にクルンと回っている
2)大文字「W」はギザギザにならず、底面が丸みを帯びる
3)「To -」「1927 -」のように、単語間にハイフン「-」を入れる手癖がある
4)小文字「d」に関して、若い頃は縦棒を「ℓ」のような縦長の輪で書いているが、後年になると「C」を左右反転させた字体に変化している

そしてこちらが代筆サイン。1)から4)のどの特徴も備えていない別人の筆跡です。

もう一例、1920年前後にヴァイタグラフ社の花形として活躍したコリンヌ・ゴリフィスを見ていきます。

コリンヌ・ゴリフィスは癖の強いサインの持ち主で、真筆の特徴として:

1)大文字「C」を縦に細長く書く(コリーン・ムーアも似た特徴があります)
2)大文字「G」は左上の丸と斜めの線を組みあわせた独特のデザインで小文字「y」の筆記体に似ている
3)小文字「i」の点が輪になる、を挙げることができます。

こちらが代筆によるサインでやはり1)~3)の特徴は見られません。

後年になると代筆者がオリジナルに「寄せる」例も見られるようになりますが、1910~20年代の俳優サインに関してそこまで紛らわしいケースは見た覚えがありません。真筆の特徴をきちんと把握していれば問題なく対応できるレベルかな、と思います。

ちなみに仏オートグラフ専門店「テスタール(Testart)」のサイトに代筆/真筆を比較したページがあります。マーロン・ブランドやクラーク・ゲーブル、あるいはウォルト・ディズニーなどのサイン画像がありますので参考にどうぞ。

[03b] 代筆(家族)

数としては少ないものの、代筆サインには会社由来とは質を違えたものが含まれています。何らかの理由で本人の家族がサインを代行したパターンです。有名な例がジーン・ハーロウとロミー・シュナイダー。いずれも女優の母親が代筆者となっており、とりわけジーン・ハーロウの場合は本人直筆はほとんど存在しないとされる位代筆の割合が高くなっています。

二人のサインは大文字「H」が大きく違っていて、直筆(左)では二画目で右の縦棒を下した後そのまま斜めに撥ねる形で続けて横棒に。母親の代筆(右)は「H」を三画に分けて書いています。

ロミー・シュナイダーの母親は戦前に活躍した女優マグダ・シュナイダーです。

左が本人直筆。小文字「a」「i」「e」が縦長に書かれ左右に詰まったサインになります。右は母親による代筆で、文字全体が右に傾いてなおかつ横一列にスッと伸びた筆跡です。

オートグラフ専門店で代筆が誤って売られるケースは見られませんが、イーベイやヤフオクにはこういったサインも「直筆」として紛れこんでくることがあります。色々と知っておくに越したことはない、という感じです。

[03c] 偽作(悪意なし)

古いサイン物の鑑定において意外と見落とされやすく、なおかつ紛らわしいタイプとして「悪意のない偽作」を挙げることができます。

例えば絵葉書やブロマイドの元々の所有者が、被写体が誰か分かるようにペンで名前をちょこっと書いておいた「備忘録」パターン、あるいは所有者本人やその知人・友人、時によってはお子さんがいたずら半分に名前を書いたパターンなど、特に深い他意はなく俳優名を書いてしまうケースだってあるわけです。時間が経って元の持ち主の手から離れてしまい、しかもそれが鑑定能力のないセラーの手に渡ってしまったとき間違って「直筆物」として売られてしまう…

例えばグロリア・スワンソンの真筆は大文字の「G」「S」ともにデザイン化された流麗な筆跡で上の写真とは似ても似つかないものです。桑野通子さんの例では名前の漢字(通/道)が間違っています。フェイクと言ってしまえばそれまでですが2例ともに贋作にしては稚拙すぎ、売り物にするために残されたサインとは異なると考えられます。

このパターンの派生形は厄介です。

以前に直筆物を紹介したアニー・オンドラと縁の深いチェコ出身の俳優兼監督、カレル・ラマーチの絵葉書です。写真面に1926年6月18日付のペン書きサインがあります。

拡大し、名前の末尾から伸びた弓型の線を見てみます。右の拡大図を見ると細い線(上)と太い線(下)の二重線になっているのが分かるでしょうか。元々の絵葉書に黒文字の印刷サイン(細)があって、後年、誰かがそれをペンで上書きした(太)形になっているのです。

レオポルディーネ・コンスタンチン(上)、山根寿子(下)さんのケースでは絵葉書に印刷された白字のサインを上書きする形で万年筆の黒いサインが残されています。

上書き系サインは1) 一部で線が二重になっており(黄緑色の丸)、2) 普段そのサインを書きなれていない人が書いているため筆跡が汚く初見でも違和感を覚えさせるものです。それでも元々の手癖が残っていますし、普通は印刷物に別人が上書きするという発想は思いつかないため紛らわしいことこの上ありません。悪意のない/悪意ある偽作の境界例、グレーゾーンに位置付けることができるでしょう。

[03d] 偽作(悪意あり)

オートグラフ市場ではロック・ポップ系のミュージシャン、野球やサッカーなどのスポーツ選手、米露大統領を筆頭とする政治家等、知名度と比例するように贋造サイン(fake autograph)も出回りやすくなっています。業界の努力(供給側でのコントロール、証明書制度の整備)にも関わらず撲滅できていないのが現状です。

とはいえサイレント映画関連のサイン市場は規模の小さなものです。万年筆サインは贋作には向いているとは言えず、誰の相場が高いのか、内容を含めどういう書き方をすれば価値が上がるのかなど学ばなくてはいけないことも多い…チャップリンなど僅かな例外を除くと贋作者のターゲットにされにくいジャンルだと言えます。

また手書きの模倣を高額で売り抜く手法は目につきやすいものでもあります。極端な話、チャップリンやキートン、ロイド、ガルボ、ルイーズ・ブルックスの「新作サイン物」を毎週のように発表していたらすぐにおかしいと思われるでしょう。こういったリスクの高い古典的手法を採る人はさすがに見られなくなってはいますが、一方で目立ちにくい巧妙な手法を選ぶ人もいます。

例えば出品画像に別サイトから拾ってきた真筆のスキャン画像を使い、実際はA4用紙にプリントアウトしたコピーを大量に販売している方がいました。上はそのセラーの出品リストに「無声(silent)」でフィルターをかけたもの。チャップリン、ファルコネッティやパール・ホワイト、ニタ・ナルディにヴィルマ・バンキー、メアリー・マイルズ・ミンターまであります。

本物であれば専門店で20万円位になるでしょうか。

商品タイトルの末尾に「印刷(preprint)」と明記されているものの、写真だけを見て文章を読まない不注意な人物、英語を苦手としている人、新規のコレクターが勘違いしてしまう可能性はあります。慌てて即決を押してしまった時、実際に届くのはペラペラな紙に印刷され「センターがずれている」カラーコピー1枚だそうです。

価格は1000円程に設定されています。言い方を換えると200人が勘違いしてくれれば実物を売ったのと同じ売上が手に入る計算(しかも元手はほぼかからない)になります。この金額なら訴えられないだろうの計算も見て取れますし、文句を言われたとしても「勘違いした方が悪い」で逃げ切ることができます。

ゼロリスク・ローリターン、薄利多売で罠に落ちる人を気長に待ち構える「優良誤認型」の手法は日本のネットオークションでも散見。複数の実物画像を用意しておらず、「イメージ写真」のみ掲載しているタイプの売り方にはジャンルに関わらず注意が必要です。

[04] 真筆

様々な不純物を取り除いていくと最後に「真筆」が残ります。

実際には真筆をより分けていくと同時に個別の価値も見ていきます。保存状態の良し悪し、筆跡の丁寧さ、キャリアの盛期に書かれたものか業界を離れてからのものか、日付や場所が特定されているかどうか、特別なメッセージが添えられているか名前だけ書かれたものか…多くのパラメーターを総合して「希少性が高い」云々の話が出てくることになります。

また1910~20年代にリアルタイムで活動していたサイン収集家の動きをできるかぎり記録にとどめておきたいと考えています。イタリアのブレシア拠点で活動していたエドヴィーゲ・トニ、英国で劇場勤めの傍らサインを集めていたチャールズ・トープ、10年代末に膨大なコレクションを所有していた独ケルン在住フィア・エーマンス、ポートレート撮影の折に記念のサインを書いてもらっていた米写真家ドナルド・キース、関西の熱烈な活動写真の愛好家(髙島栄一、宇治雅一)…

チャールズ・トープ氏サイン帳より自筆署名、ハンス・ルートヴィヒ・ヘーニッヒ氏(ウィーン)及び宇治雅一氏(大阪)の所蔵印

フィア・エーマンス嬢(ケルン)、ローザ・パスツール嬢(南米)、髙島栄一氏(兵庫)宛の宛名書き

一世紀前に自分が直接に(in person)書いてもらった物ではないからこそ、サインが当初どう発生したか見える状態にしておくのは大事だと思うのです。購入した牛肉の産地を追跡できる仕組みでブランド肉を保証しているのと同じ考え方(トレーサビリティ)でしょうか。

そういった意味でサインにまつわる小ネタ、エピソードも重要な役割を果たします。先日入手した伊藤大輔氏の署名入りの栞はその好例だったりします。

サイン物の鑑定というとテクニカルな話に終始しがちですが、直筆物の「真正さ(authenticity)」はかならずしも「モノ」の側面だけで語られるものではなかったりします。物理的な意味で真正であるのは当然として、さらに個々のサイン物にまつわる出来事、つまり「コト」の真正さがあって、両者が合致し補完しあうことでその直筆の「真」が完成する、そんな風に考えることができる訳です。

ブランシュ・スウィート Blanche Sweet (1896–1986)

合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]より

ブランシュ・スウィート嬢はシカゴで生れ加州バークレーカリッジにて教育を受けた。幼い頃から舞臺に立ち始めチェインシー・オルコット氏や他の著名役者と共演している。舞臺を離れ銀幕に移るやいなや初の出演作「ベッスリアの女王」で忽ちにその名を上げた。爾来、多くの寫眞に姿を見せ益々人気を高めている。他に比べるもののない魅力的な性格のスウィート嬢は映畫界随一の慕われ振りで、舊作の素晴らしい演技から更なる将来の飛躍が期待せらる。スウィート嬢はグリフィス監督が発掘してきた最初の花形で、現在はパテ社連作のヒロインを任されている。金髪碧眼。

『銀幕名鑑』(ロス出版社、1920年)

Blanche Sweet was born in Chicago and received her education at Berkeley College in California. She began her stage career at an early age, appearing with Chauncey Olcott and other stars. Deserting the stage for the screen she found fame at once, her first appearance being in « Judith of Bethula. » [sic] Since then Miss Sweet has added to her popularity in the great number of productions in which she has appeared. The singularly appealing personality of Blanche Sweet has endeared her to lovers of the best in motion pictures and her delightful impersonations in the past give promise of greater things for the future. Miss Sweet was D. W. Griffith’s first star. She is now starred by Pathe in a series of productions. She has golden hair and blue eyes.

Who’s Who on the Screen (New York: Ross Publishing Co., 1920.)

以前に1920年頃のパラマウント社でスチル撮影を行っていたカメラマン、ドナルド・キース(Donald Biddle Keyes)氏旧蔵のサイン入りポートレート群を紹介しました。こちらは同氏によるブランシュ・スウィート(日本語版ウィキは「ブランチ」表記ですが古い表記に従います)の写真。1924〜25年にMGM社の『スポーツの女神』に出演した頃の一枚だと思われます。

キース氏は綺麗さ、可憐さといったスター女優の「型」に被写体を落としこもうとはせず、素に近い表情や雰囲気を切り取るのを得意とした写真家でした。素を演じていただけだよと言われると身も蓋もありませんが、晩年にメディアに登場していた頃の姿は白髪で皺が増えた以外ほとんど変わっていなかったりします。

メアリー・ピックフォードの代わりとなり最後は逆にリリアン・ギッシュに取ってかわられるまでの5年の間、ブランシュ・スウィートはグリフィスと米バイオグラフ社の下に留まった。この三女優は演技スタイル、外見上の相違が大きく比較は出来ない。ブランシュ・スウィートは天上的な儚さを備えたギッシュと違ってふくよかな十代の少女だったし、ピックフォードの明快な個性も備えてはいなかった。その二人どちらと比べても自然な演技の出来る役者ではあった。

『サイレント・プレイヤーズ』
(アンソニー・スライド著。2002年、ケンタッキー大学出版)

Blanche Sweet was to remain with Griffith and American Biograph for five years, replacing Mary Pickford and, in turn, being replaced by Lilian Gish. The style and appearance of the three actresses is so diverse that it is impossible to compare one to the the other. Blanche is still a teenager with « puppy fat », unlike the ethereal Gish, and lacks the obvious personality of Mary Pickford. She is a more natural actress than either of the two.

(Silent Players: A Biographical and Autobiographical Study of 100 Silent Film Actors and Actresses, Anthony Slide, University Press of Kentucky, 2002.)

また『サイレント・プレイヤーズ』の著者が最初にコンタクトをとったのが彼女で、その後もイベントでのエスコート役など縁が続いたそうです。「気分の波が激しい典型的なサイレント花形女優」の形容からは振り回された様子も伝わってきますがそれでも文章に静かな愛情が漂っています。

[IMDb]
Blanche Sweet

[Movie Walker]
ブランシュ・スウィート

[出身地]
合衆国(シカゴ)

[生年月日]
6月18日

コリーヌ・グリフィス Corinne Griffith (1894 – 1979) 米写真家ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション(7)

「ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション」「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

Corinne Griffith c1920 Inscribed Photo 01

Corinne Griffith c1920 Inscribed Photo 02
Corinne Griffith c1920 Inscribed Photo

そもそも嬢は南方の乙女であつて、在つて生れた藝術的の才能の慍和な女性的の優情は、既に夙く觀客の間に定評賞美されたのである。嬢は社界劇に適した理想的の處女で、最近次年度製作として、色彩に富んだ而かも力強い響きのある九つの題材が選ばれた。その何れもが蓋し状の性格を狙って描かれたものとも言ふべく價値あるものだといふ評判である。

「コリネ・グリフヰツス嬢」
『活動画報』1918年11月号「米國ヴァイタグラブ社の人氣俳優」

Corinne-Griffith

コリンヌ・グリフィス嬢はテキサス州の町テクサーカナにて1898年生を享けニューオーリンズの修道会で教育を受けた。嬢の女優人生はヴァイタグラフ社で始まっている。「スクリーン・ワールド」主催のコンテストを勝ち取り東へとやってくるとヴァイタグラフ社でヒロインの役を射止めた。最新作は「The Carter Girl」「Bab’s Candidate」「The Whisper Market」。明るめの茶髪に蒼い眼。體重は十四貫五百目、身長五尺四百寸。泳ぎがとても上手く、ウィンタースポーツも満喫し、車の運転のみならず乗馬も好んでいる。演技力と相待った嬢の魅力で映画界きっての人気者の一人である。

『銀幕名鑑』(ロス出版社、1920年)

[IMDb]
Corinne Griffith

[Movie Walker]
コリーヌ・グリフィス

[出身地]
合衆国(カリフォルニア州 サンタモニカ)

[誕生日]
11月21日

[データ]
32.7 × 40.7 cm(カーボン製フレーム含)

ビーブ・ダニエルズ Bebe Daniels (1901 -1971) 米写真家ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション(6)

「ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション」「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

Bebe Daniels c1920 Inscribed Photo
Bebe Daniels c1920 Inscribed Photo

ビーブ・ダニエルズ嬢はテキサス州ダラスにて生れ、ロサンゼルスの修道院學校で教育を受けた。舞台での子役が演技歴の皮切りである。役柄を次第に広げ、いつしかうら若き乙女役を引き受けるようになつていた。二年の間、嬢はロウリン=パテ社の名を高らしめた喜劇作品でハロルド・ロイドの向こうを張った。フェイマス・プレイヤー社に合流し『男性と女性』で長編劇映画のデビューを果たす。次いで『エヴリーウーマン』『ダンス狂』『何故妻を代へる』で目につく役柄を任された。嬢の努力と才覚は遂に報われ、現在はリアルアート社の花形として迎えられ、第一弾『貴方には判らない』で大々的に売り出されている。ダニエルズ嬢は身長5尺4寸、体重14貫9百目、黒目黒髪。

Bebe Daniels was born in Dallas, Texas, and educated in a Los Angeles convent school. Her stage career started when she played child parts in stock. Gradually her scope of work broadened and she played ingenue roles. For two years Miss Daniels played opposite Harold Lloyd in the famous Rolin-Pathe comedies. She joined the Famous Players ranks, making her debut in a dramatic role in « Male and Female. » She then was prominently cast in « Everywoman, » « The Dancin’ Fool, » and « Why Change Your Wife. » Her efforts and talents have been rewarded as she is now a star in Realart Pictures, for whom her first starring vehicle is « You Never Can Tell. » Miss Daniels is five feet four inches high, weighs a hundred and twenty-three pounds, and has black hair and eyes.

Who’s Who on the Screen (New York: Ross Publishing Co., 1920.)

1910年代末のロイド喜劇で人気を得て、20年以降も喜劇を主戦場としつつも芸風を広げ(歴史劇『ボーケール』1924年、情念ドラマ『リオ・リタ』1929年)30年代半ばまで活躍を続けました。珍しい所ではRKO~ワーナーへと流れた後に出演した1931年版『マルタの鷹』での悪女役も印象的です。

Bebe Daniels in The Non-Stop Kid (1918)
『ロイドの猛獣結婚』(1918年)より
Bebe Daniels in Why Change Your Wife (1920)
『何故妻を代へる』(1920年)より
Bebe Daniels & Ricardo Cortez in The Maltese Falcon (1931)
『マルタの鷹』(1931年、ロイ・デル・ルース監督)でサム・スペード役のR・コルテスと並んで

[IMDb]
Bebe Daniels

[Movie Walker]
ビービー・ダニエルス

[出身地]
合衆国 (テキサス州ダラス)

[誕生日]
1月14日

[データ]
25.4 × 30.4 cm(カーボン製フレーム含)

ロイス・ウィルソン Lois Wilson (1894 -1988) 米写真家ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション(5)

「ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション」「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

Lois Wilson c1920 Inscribed Photo
Lois Wilson c1920 Inscribed Photo

パラマウント・アートクラフト映画社花形のロイス・ウィルソン嬢はペンシルヴァニア州ピッツバーグに生を受け、幼くして家族と共にアラバマ州バーミンガムに引っ越しそこで育てられた。ウィルソン嬢は教職の道を選び、卒業後は田舎の学校で教鞭をとっていた。三週間の教師生活の後、シカゴを訪れた嬢はロイス・ウェバー監督との出会いを果たす。『ポルチシの唖娘(The Dumb Girl of Portici)』で端役を与えられ、プロデューサーの決断によりロスアンゼルス行きが決定する。ウォルター・ケリガン主演作の女主人公を任され、後にフランク・キーナンの相手ともなった。現在はフェイマス・プレイヤーズ・ラスキー社所属である。身長は5尺7寸、體重は14貫5百匁、褐色の髪と榛色の瞳を有する。

Lois Wilson, leading woman for Paramount-Artcraft Pictures, was born in Pittsburgh, Pa., and when a child removed with her family to Birmingham, Ala., in which city she was raised. Miss Wilson studied to be a school teacher and after graduating taught in a rural school. After teaching for about three weeks she journeyed to Chicago where she met Lois Weber. She was given a small part in « The Dumb Girl of Portici » and the producer decided to take her to Los Angeles. There she became leading woman for J. Walter Kerrigan and later played opposite Frank Keenan. She is now with Famous Players-Lasky Corporation. Miss Wilson is five feet five and one-half inches high, weighs one hundred and twenty pounds and has brown hair and hazel eyes..

Who’s Who on the Screen (New York: Ross Publishing Co., 1920.)


1920年代中盤にパラマウント映画社の花形となりジェームズ・クルーズやヴィクター・フレミング監督作品に多く主演。『幌馬車』『男子改造』『滅び行く民族』など当時パラマウントが推し進めていたA級西部劇路線の主軸として活躍しました。

Lois Wilson in The Vanishing American (1925)
『滅び行く民族』(1925年)
Lois Wilson in The Covered Wagon (1923)
『幌馬車』(1923年)

[IMDb]
Lois Wilson

[Movie Walker]
ロイス・ウィルソン (Lois Wilson)

[出身地]
英国(ペンシルヴァニア州ピッツバーグ)

[誕生日]
6月28日

[データ]
25.1 × 31.8 cm(カーボン製フレーム含)

メイ・マカヴォイ May McAvoy (1899 -1984) 米写真家ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション(4)

「ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション」「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

May Mcavoy Early 1920s Inscribed Photo
May Mcavoy Early 1920s Inscribed Photo

メイ・マカヴォイとブルース・ゴードンは『鐘の鳴る家』のスターである。マカヴォイ嬢は時に自身を「待機する少女」と形容している。映画界の名聲への道は伝記作家たちを信じるならば数多あれど、マカヴォイ嬢の辿った道筋は中でも他に例を見ないものであつた。或る日友人の女優と待ち合わせ中、その女優んの知人が嬢を見て「紹介して」と頼んだのである。紹介のため映画スタジオを訪れ、嬢に映画の仕事を紹介する展開となつた。当座は女中の役を多く務め、(撮影現場で)多くの花形俳優を待つことになつた。その後『パーフェクト・レディ』でマッジ・ケネディー嬢の妹役を演じ、しばらくは「妹役」を続けることになつた。楽天家の彼女が尚も待ち続けていると、J・スチュアート・ブラックトン監督が声をかけてきた。一連の映画作品のヒロインを任せたいというのである。『鐘の鳴る家』はその第一弾作品である。二十歳のマカヴォイ嬢は今や自身が花形となつた。『センチメンタル・トミー』グリゼル嬢役でこれまで一番の演技を見せている。(英『ピクチャーゴア』誌1922年3月号)

May McAvoy and Bruce Gordon are the stars of The House of the Tolling Bell. May McAvoy sometimes describes herself as « The Girl Who Wailt ». There are many ways towards film fame, if we are to believe the biographers, but May’s way is all her own. Waiting for an actress friend was she one day, when a friend of that friend saw her, and asked for an introduction. This introduction led to a visit to a film studio and the introduction of May McAvoy to film work. May became a maid pro tem., and waited (for film purposes) upon many famous stars. Then she played Madge Kennedy’s sister in The Perfect Lady, and a succession of « sister » parts followed. She was waiting, Micawber-like, for another job, when J. Stuart Blackton engaged her as featured lead for a series of pictures, of which The House of the Tolling Bell is the first to be released this side. These days, twenty-year-old May is a star, and her « Grizel » in Sentimental Tommy is her biggest achievement.

The Picturegoer (VOL. 3. NO. 15. MARCH, 1922., p.54, London)

『ベンハー』と『ジャズ・シンガー』、ハリウッド無声映画史に残る二つの作品で知られているのがメイ・マカヴォイ。同時期に一世を風靡していたコリーン・ムーアやクララ・ボウの型破りな魅力はありませんでしたが、メリハリのついたカッチリした演技を得意としルビッチ作品(『三人の女』『ウインダミア夫人の扇』)でも重用されていました。

個人的には1924年の幻想ロマンス『幻の家(Enchanted Cottage)』でリチャード・バーセルメスを相手に披露した情感のこもった演技を高く評価しています。

May Mcavoy in Jazz Singer
『ジャズ・シンガー』(1927年)でのメイ・マカヴォイ

Mae Mcavoy in Ben Hur
『ベン・ハー』(1925年)でのエステル役

May Mcavoy in Lady Windermere's Fan
『ウインダミア夫人の扇』(1925年)より

[IMDB]
May McAvoy

[Movie Walker]
メイ・マカヴォイ

[出身地]
合衆国(ニューヨーク・シティ)

[誕生日]
9月8日

[撮影]
ドナルド・キース(Donald Biddle Keyes)

[サイズ]
25.3 × 31.7 cm(カーボン製フレーム含)

エセル・クレイトン Ethel Clayton (1882 -1966) 米写真家ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション(3)

「ドナルド・キース氏撮影・旧蔵サインコレクション」「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

Ethel Clayton c1920 Inscribed Photo
Ethel Clayton c1920 Inscribed Photo

パ社の人気花形はイリノワ州の町シャンペーンで生まれ、シカゴの聖エリザベス修道院で教育を受けた。演劇世界への第一歩は舞台での演技がきっかけで、すぐにエドウィン・スティーヴンスと『悪魔』で共演することとなった。映畫界の参入は古参ルービン社である。『兵士の愛人』『マギー・ペッパー』『男と女と金』『女の武器』、ルパート・ヒューズ氏の優れた原作を映画化した『虚栄より醒めて』、『恋する女』等のフェイマス・プレイヤー社作品で大成功を収めた。身長は五尺五寸、體重は十五貫七百匁。赤みがかった金髪で灰色の瞳を有し、戸外での運動を殊に好んでいる。

This popular Paramount star was born in Champaign, Ill., and educated in St. Elizabeth’s Convent, Chicago. Her initial venture in the theatrical world was as a featured player in stock after which she was prominently cast with Edwin Stevens in « The Devil. » She began her screen career with the old Lubin company. She has achieved her greatest success upon the screen with the Famous Players company in « Pettigrew’s Girl, » « Maggie Pepper, » « Men, Women and Money, » « More Deadly than the Male » the film version of Lupert Hughes’ splendid story « The Thirteenth Commandment, » and « A Lady in Love. » Miss Clayton is five feet five inches in height and weighs a hundred and thirty pounds. She has red gold hair and gray eyes and is very fond of all outdoor sports.

Who’s Who on the Screen (New York: Ross Publishing Co., 1920.)

Ethel Clayton In lightnin'
『雷光』1925年より

米サイレント映画の終焉期(ジョン・フォード監督の『雷光』1925年やヴェラ・レイノルズ主演の『リスキー・ビジネス』1926年)に雰囲気のある母親役で登場していたのがエセル・クレイトンでした。立ち位置としてはローズマリー・セビーと重なる感じでしょうか、1910年代短編で娘役を演じていた点も共通しています。

エセル・クレイトンは当時勢いのあったルービン社(Lubin Manufacturing Compan)の花形女優でした。主演作は幾つか日本でも公開されており愛好家には知られていたようです。初期作品では1913年の『大地が揺れるとき』(When the Earth Trembled)が現存。1906年のサンフランシスコ大地震(M7.8)が物語に絡んでおり、ニュースリール映像も含まれていました。

カーボンフレームも含めると30×40センチを越える大きな写真。被写体深度を浅目にとっており、顔の肌ではなく手前のまつ毛先端辺りにピントが来ていて淡く甘い感じの仕上りとなった一枚です。

[IMDB]
Ethel Clayton

[Movie Walker]
エセル・クレイトン

[出身地]
合衆国(イリノワ州シャンペーン)

[誕生日]
11月8日

[撮影]
ドナルド・キース(Donald Biddle Keyes)

[サイズ]
33.2 × 40.5 cm(カーボン製フレーム含)