飯塚 敏子 (1914 – 1991)

飯塚敏子 サイン入り写真01

飯塚敏子 サイン入り写真2
Iizuka Tosiko Autographed Photo

この大作 [『唐人お吉』]に、特別主役を振られたので、いまゝでゐた撮影所内の女優さんが今度は納まらない、「女學生上りのお茶つぴいの癖に、一本や二本の映畫が良よかつたからと云つて、唐人お吉に出るなんて生意氣だワ」と大変な横槍だ。飯塚さんが撮影所の門に入ると、もう目引き鼻引き、妬み猜みの陰口が、四方から投げられる。

その口惜しさ、腹立たしさ、勝氣な敏子さん丈けに、身を悶えて悲しく思つたが、今が私の運命の岐れ目だ、こゝをぢつと辛抱し闘ひ抜けよう、と覺悟して、寄宿の家から一里ばかり北にある一条寺の有名な葉山観世音へ、四十九日の願掛け、どうぞ心をしつかりと、この大役の仕遂げますようにーそれは映畫の中の主人公そのまゝの悲壮な決心だつた。

『スターになる道 : 附・映画俳優志願者の心得』(京都映画人協会, 1936)

アニタ・スチュワート Anita Stewart (1895 – 1961) 米

「国別サインリスト 合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

Anita Stewart Autographed Photo

1910年代後半を代表するハリウッド女優。当時の『モーション・ピクチャー・マガジン』誌の人気投票結果を見ていくと1914年に15位で初ランクイン。翌年には10位(152万票)とトップテン入りし、1916年と18年に6位まで順位を上げています。

コミカルで愛らしい女性像を得意としたメアリー・ピックフォードとマーゲリット・クラーク、スポーティーな女性を代表していたパール・ホワイト、妖しさを体現したセダ・バラと並ぶ人気を得ていた訳です。

ヴァイタグラフ社の稼ぎ頭で悲劇調のドラマチックな作品を得意としていました。現存作品が少ないのが残念ですが、先日紹介した『The Juggernaut』の他に『人の欲望(Human Desire)』がDVD化されています。

サインには「アニタ」の「ア」をAではなくaの筆記体大きめで書き、小文字tの横棒がやや右にずれていく特徴があります。彼女に限らず、ヴァイタグラフ社の俳優たちは代筆やオートペンを使わない傾向があるようです。

[IMDB]
nm0829171

[誕生日]
2月7日

[出身]
アメリカ合衆国(ニューヨーク)

[サイズ]
18.8 × 24.0cm

[撮影]
Hoover L.A.

シモーヌ・ジュヌヴォワ Simone Genevois (1912- 1995)

「国別サインリスト フランス [France]」より

Simone Genevois c1930 Autographed Photo

『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』のポートレート写真で左下に本人の直筆サインあり。写真のサイン物は珍しいのではないかと思われます。

[IMDB]
nm0312810

[出身]

[誕生日]
2月13日

[コンディション]
B-

[撮影]
Studio Lorelle, 47, Boulevard Bertier, Paris

[サイズ]
15.8 × 21.2 cm

昭和14年(1939年)『リボンを結ぶ夫人』 撮影風景(入江たか子、丸山定男、山本薩夫氏)

プロの写真家さんが撮影した写真をまとめたアルバムで、北海道を舞台にした1939年の映画『リボンを結ぶ夫人』の撮影風景、スタッフのバックヤードショットが一部に含まれています。

映画の途中でヒロインは離縁され実家に戻ります。父親が温かく迎え入れ、家の白樺林を売却して娘のために使おうとするのですが、この場面の白樺林を撮影したのが右の写真。

横長の写真に監督の山本薩夫氏。もう一枚は撮影カメラが回っているところ。左に見えるのはドイツ人建築家マックス・ヒンデル氏が設計した鉄板葺の家屋(現存せず)で、戦前の札幌がモダン化している様子も伝わってきます。

和服姿の入江たか子さん。

父親役を演じた丸山定夫氏。戦中は移動演劇桜隊の中心メンバーとして活動、1945年8月に劇団の拠点がある広島で被爆、終戦の翌日に亡くなられています。

『リボンを結ぶ夫人』に関係する写真は以上の7点。他に別のロケで撮影された山田五十鈴さんの写真も含まれていました。

アルバムそのものを北海道から送ってもらったのですが、撮影者さん自身が道在住の方で、スチル写真の撮影で現場に呼ばれた感じではないかと思われます。漁村風景のような日常のスナップにも魅力があります。

ミュジドラ Musidora (1889 – 1957)

「国別サインリスト フランス [France]」より

Musidora

1930年代中頃と思われるメッセージ&サイン入りの家族写真。

メッセージはエティエンヌ・ミシェル氏に宛てたもので、「一家の « 強き » 母である、ミュジドラ (Une « brave » mère de famille…. Musidora)」の文言になっています。先行するやり取りに同様の表現が使われていたと推察されます。

隣に写っているのは愛息のクレマンJr君、愛称「ザズー」。映画界を離れ、執筆に精を出す中で息子さんは精神的な拠り所となっていて、写真からもその溺愛ぶりは伝わってきます。1938年に出版された女性誌にも近況を伝える記事で同じ写真が掲載されています。

Musidora 01

Musidora with « Zazou » Inscribed & Autographed Photo

アイリーン・プリングル Aileen Pringle (1895- 1989) 米

「国別サインリスト 合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

1920年代の米ハリウッドで活躍された女優さん。ファッションリーダーの役目も担い、モード誌にも数多く登場、髪型や衣装で話題を呼んでいきます。

1925年にトッド・ブラウニングの『The Mystic』に出演して悪女役を演じていたのが印象に残っています。

[IMDB]
nm0697800

[誕生日]
7月23日

[出身]
合衆国

[コンディション]
B-

ポーリーン・カーリー Pauline Curley (1903 – 2000) 米

芸人一家の子として生まれ早くから舞台を踏み、1913年から映画業界にも進出。滑り出しは上々で、ダグラス・フェアバンクスや早川雪洲作品でヒロイン~準ヒロインを務めていきます。

「明らかに人を引き付ける何かがあって、爽やかキャラを確立していたにも関わらず、どういう訳かスターに成り損ねてしまい、その代わりに低予算な西部劇のヒロインとして皆のお気に入りになってしまった」

ちょうどこのサインが残された1920年頃を境として大手の庇護を離れ、B級西部劇の出演にシフトしていくのです。この傾向は引退まで続き、結果として一度として真のスター女優として扱われないまま埋もれていきました。

ところが、彼女の出演した低予算ウェスタンは型通りの1910年代以上に生き生きとしたものでした。大手の西部劇では当たり前だった「かよわい女性」を離れた役に挑戦していた風でもあり、映画史の見方に風穴を開ける存在として再評価されて良いと思われます。

[IMDB]
nm0192763

[誕生日]
12月19日