1924 -『ニーベルンゲン』独プレミア上映用パンフレット

フリッツ・ラング関連 [Fritz Lang Related Items]より

« Die Nibelungen: Ein Deutsches Heldenlied »
(Decla-Bioscop / UFA, Germany, 1924. Original program for the German premiere of the film « Die Nibelungen: Sigfried » on February 14, 1924)

デクラ=ウーファ社作品『ニーベルンゲン』は1924年2月14日、ベルリンのウーファ・パラスト・アム・ツォー館にて封切られた。

Der Decla=Ufa=Film « Die Nibelungen » wurde am 14. Februar 1924 im Ufa=Palast am Zoo in Berlin das erste Mal öffentlich ausgeführt.

1924年2月14日、ニーベルンゲン2部作の第1部『ジークフリート』がプレミア公開された際の公式パンフ。12.5×17.5センチで全24頁。冒頭に見開きでスタッフ名/キャスト名の一覧。

何よりニーベルンゲン映画で20世紀に神話の世界を生き生きと蘇らせたかったのです。生き生きと、見た人が信じてしまうほどの迫真さで。

「ニーベルンゲン映画の着地点」フリッツ・ラング

Vor allem aber hoffte ich, im Nibelungen=Film die Welt des Mythos für das 20. Jahrhundert wieder lebendig werden zu lassen, – lebendig und glaubhaft zugleich.

« Worauf es beim Nibelungen=Film ankam », Fritz Lang

内容は監督ラング、脚本テア・フォン・ハルボウの寄稿文と、二部作のあらすじを収録。ラング、ハルボウに登場人物8名を加え計10枚の写真があしらわれています。

『ニーベルンゲン』最初の公式紙資料であり、監督・脚本のエッセイが掲載されていることから史料価値が高く、先日触れたドキュメンタリー映画『ニーベルンゲンの遺産』でも紹介されていました。

[内容]
「ニーベルンゲン映画とその製作」(Vom Nibelungen=Film und seinem Entstehen)テア・フォン・ハルボウ
「ニーベルンゲン映画の着地点」(Worauf es beim Nibelungen=Film ankam)フリッツ・ラング
「ニーベルンゲン第一部『ジークフリート』あらすじ」(Inhaltsangabe für Nibelungen I. Teil « Sigfried »)
「ニーベルンゲン第二部『クリムヒルトの復讐』あらすじ」(Inhaltsangabe des 2. Teiles der Nibelungen « Kriemhilds Rache »)

『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』 映写招待パンフレット(1929年、ベルギー)

「『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』[La Merveilleuse vie de Jeanne D’Arc, 1929]」より

1929年5月にベルギーの映画館トリアノン・オベール・パレス座で『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』が公開された際に招待券兼パンフレットとして配布された小冊子。表紙には手書きで「座席確保済み(Reservé)」と書かれています。

冊子は二つ折りでキャストなどが記載され、映画の写真を印刷した一回り小さな紙が貼りつけられています。

1936 – アラ・ナジモヴァ主演舞台劇『ヘッダ・ガブラー』 出演者寄せ書き Alla Nazimova

夫人が初めて米國へ渡って紐育の劇場に現はれたのは一千九百五年の事であつた。その頃は未だ花形といふ程ではなかつたが、三年間といふもの、殆ど日夜の差別も無い位に研究勉励して、やがて紐育に於ける第一位の女優となる事が出来た。今では夫人は世界的に名を成してゐる。夫人の得意な演物は主としてイブセンの作品で「人形の家」「建築士」「野鴨」「ヘッダ・ガブラー」などは何れも好評嘖々たるものであつた。

初めてレンズの前に立つたのは一千九百十七年セルツニック會社の依頼に依つて「戦争の花嫁」を撮影した時であつた。これは舞臺劇としては夫人の名を高らしめたものであつたが映畫劇としては餘り面白く行かなかった。第二回目の作品はメトロ会社のスクリーン・クラシク映畫「天啓」(卽ち今春キネマ倶樂部に上場された「奇蹟の薔薇」)で、これは極めて評判が好かつた。最近天活會社は夫人の出演映畫を全部輸入する計畫を立てたといふから、何れ續々吾々の目の前に現はれる事であらう。近く「紅燈」がキネマ倶樂部に上場される筈になつてゐる。

『活動名優寫眞帳』(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)

昭和11年にブロードウェイで上演された舞台劇『ヘッダ・ガブラー』のパンフレットに主演ナジモヴァと他の出演者6名がサインしたもの。

ナジモヴァは1910年代にロシアから渡米し成功を収めた一人です。クセのある風貌で米女優では得難い退廃の雰囲気を見せつけました。映画では『椿姫』(1921年)と『サロメ』(1923年)がよく知られています。

プログラムの左上からグレース・ミルズ(Grace Mills)、レスリー・ビンガム(Leslie Bingham)、ナジモヴァ。右上からマッケイ・モリス(McKay Morris)、ハリー・エラーブ(Harry Elerbe)、エドワード・トレヴァー(Edward Trevor)、ヴィオラ・フレイン(Viola Frayne )。

[Movie Walker]
アラ・ナジモヴァ

[IMDB]
nm0623417

[誕生日]
5月22日

[出身]
ロシア

[コンディション]
B+

[入手年月日]
2017年9月

大正2年 仏オデオン座プログラム寄書き(マリア・ヴァントーラ他)

このプログラムは1913年オデオン座の一冊で、表紙をマリア・ヴァントーラが飾り直筆サインが残されています。中を開くと他にも4名(ジャック・グレティア、ロミュアルド・ジュベ、ドゥ二・ディネス、ジルダ・ダルシー)のサイン有り。

マリア・ヴァントーラは1909~13年まで舞台女優と映画女優を並行して続けています。『レ・ミゼラブル』が最初に完全映画化された時(1912年)コゼットの母ファンティーヌを演じたのが彼女でした。

Marie Ventura in Les Misérables (1912)
1912年版『レ・ミゼラブル』より