結城 一朗 (1904 – 1988)

「日本 [Japan]」より

<Yuki Ichiro Autographed Postcard

本名松崎一郎。明治卅七年東京に生る。原籍は長野縣。日本大学美學科に學び大正十三年松竹蒲田へ入社、後一時松竹を去つて大正十五年十一月再度蒲田の人となる。主な近作は「微笑む人生」「巨船」等。身長五尺六寸。體重十七貫。趣味はスポーツ、麻雀。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

[JMDb]
結城一郎

[IMDb]
Ichirô Yûki

[出身地]
日本(東京)

[誕生日]
7月20日

[データ]
8.5 × 13.5cm

衣笠 淳子 (1910 – 没年未詳)

「日本 [Japan]」より

Kinugasa Junko 1931 Autographed Postcard
Kinugasa Junko 1931 Autographed Postcard

本名伊藤英子。明治四十三年東京市神田に生る。兄は衣笠貞之助監督。映畫界の第一歩は十五歳の時。後マキノ、日活等に出演し片岡千恵蔵プロダクシヨン創立と共に入社ヴアンプ型を以て立つ。主な近作は「渦潮」「逃げ行く小傳次」「戀車」等。映畫鑑賞、散歩。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

[JMDb]
衣笠淳子

[IMDb]
Junko Kinugasa

[出身地]
日本(東京神田)

[誕生日]
3月25日

[データ]
8.5 × 13.5cm

岩田 祐吉 (1887 – 1980)

「日本 [Japan]」より

Iwata Yukichi Autographed Postcard
Iwata Yukichi Autographed Postcard

深刻な藝風は當代その比を見ない。性格俳優としてフアンの人氣を一身に集めてゐる。人情物、悲劇物が得意と共に、叉喜劇物の主人公をもやりこなせる人だ。先づ外國の俳優と比べても恥ずかしくない人だらう。松竹入社は大正九年六月趣味は讀書、素人寫眞。

『世界のキネマスター』
(1925年5月、報知新聞社出版部)

明治廿年三月岐阜縣大垣市で生る。廿一歳の時河合武雄の門に入り新派俳優として各地に巡業したことあり、大正九年六月松竹キネマ創設と共に映畫界に入り現に蒲田の古参の大幹部として重きを爲す。『奉仕のばら』が初演で爾来『妖女の舞』『一太郎やい』『船頭小唄』『父』『黑川博士』『虹晴』『乃木將軍』『廣瀬中佐』等枚挙に遑がない。最近では『久遠の像』『人生の浪』等の主演がある。性格俳優として益々老熟の演技を見せフアンの人氣がある。

『玉麗佳集』(1928年2月、中央書院)

本名岩田祐吉明治廿年大垣市に生る。郷里の中學校竝びに藤澤幾次郎經營の俳優學校を卒業。初め河合武雄の門に入り大正九年蒲田撮影所創立と共に入社。主な近作は「棘の樂園」「3善人」「レヴユーの姉妹」「父」等。身長五尺三寸八分、體重十四貫八百目。趣味は讀書、園藝。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

[JMDB]
岩田祐吉

[IMDB]
Yûkichi Iwata

[出身]
日本(岐阜県大垣市)

[サイズ]
14.2 × 10.1 cm

及川 道子 (1911 – 1938)

「日本 [Japan]」より

Oikawa Michiko Autographed Postcard
1930s Oikawa Michiko Autographed Postcard

本名及川道子。明治四十五年東京市に生る。東京音樂學校一ツ橋分教場聲樂科三年修學。昭和三年第一外國語學校英語科を卒業その間劇研究を續けること前後六年、昭和四年松竹蒲田に入社す。主な近作は「不壊の白珠」「女よ汝の名を汚す勿れ」等々。身長五尺一寸五分。體重十一貫。趣味は音樂、讀書。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

清麗白蓮の氣高さを持つ及川は蒲田エクランが誇る永遠の處女である。彼女は熱心なキリスト教徒で、その清純無垢の娘らしさがスクリーンにもにじみ出て居り、こゝに彼女の誇りがある。東京澁谷の生れで東京音樂學校分教場で聲樂を學び、芽生座、築地小劇場を経て、昭和四年松竹蒲田に入社した。以来その典雅な風貌と巧みな演技で一作毎に人氣を博し、今や本邦の代表女優と稱されている。身長五尺一寸五分。體重十一貫五百。本名及川道子、二十三歳。

『處女作・出世作・代表作 映画花形大寫眞帖』
(1934年1月、冨士新年號附録)

1911年、東京に生まれる。東京音楽学校の一ツ橋分教場声楽科在学中に、小山内薫の紹介で築地小劇場に加入。初舞台は1924年。1928年には「そら豆の煮えるまで」で主役に抜擢され、次いで「青い鳥」ではチルチル役、「三人姉妹」ではハ-プ弾きの少女を好演する。

1929年、映画批評家・内田岐三雄の推薦で松竹に入社し、『不壊の白珠』で映画デビュー。『恋愛第一課』や『抱擁』では、岡田時彦の相手役として出演し、知的でスマ-トな演技をみせた。その他に鈴木傳明の妹を演じた『野に叫ぶもの』や、トーキー初期の『頬を寄すれば』『愛の防風林』『港の日本娘』などで、島津保次郎や清水宏といった有名監督の作品に出演し、活躍。田中絹代、川崎弘子と並ぶ人気を獲得したが、病身のため、せっかく出演が決まったのに、代役を立てなければならないことがあったという。

『家族会議』のヒロイン・仁礼泰子役が映画出演の最後となり、1938年に夭折した。昭和ひとケタ時代の女優の中で、インテリ層に特に人気が高かったという。松竹蒲田の映画作品に新鮮な息吹を与えたばかりでなく、稀にみる清楚なイメージのキャラクターであった。

『日本無声映画大全』
(2000年、マツダ映画社監修)

[IMDB]
nm1508894

[JMDB]
p0080800

[出身]
日本(東京)

[生年月日]
10月20日

東郷久義、昭和5年(1930年)の暑中見舞い

「戦前・戦中 髙島栄一・康彰氏旧蔵の葉書群」より

東郷久義、暑中見舞い
Togo Hisayoshi 1930 Summer Greeting Card

Togo Hisayoshi 1931 Portrait

東郷久義(1898年3月26日 – 没年不詳)

本名品川久義。明治卅三年島根縣に生る。上京して海城中學を了へ、尚ほ関西大學法科を卒業後三年間歐州を漫遊す。大正十五年四月、招かれてマキノキネマへ入社、スポーツ劇を以て立つ。主なる近作は「常陸丸」「侠骨日記」等。身長五尺六寸、體重二十二貫。柔道四段。趣味は各種スポーツ。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

[JMDB]
p0304430

[IMDB]
nm1798357

[誕生日]
3月26日

[出身]
日本(島根県)

[サイズ]
8.9 × 14.2cm

[データ]
髙島栄一氏宛、昭和5年(1931年)8月3日西陣の消印有。

若葉馨、昭和3年(1928年)の転職報告ハガキ

「戦前・戦中 髙島栄一・康彰氏旧蔵の葉書群」より

Wakaba Kaoru 1928 postcard
Wakaba Kaoru 1928 postcard announcing his career change
(« I resumed my acting career,
this time as a Jidai-geki actor at Nikkatsu » etc. )

若葉馨 (1900 – 没年不詳)

本名須田庄一。明治三十四年、前橋市に生る。東京齒科醫專を中途退學し、舞臺を經て映畫へ、日活松竹を經て昭和四年九月帝キネに入社。各社に佳作を残す。最近の作品は「曲馬團の娘」「最後の女性」「浅草紅團」等々。身長五尺四寸八分。體重十四貫。趣味は俳句寫眞、雑誌の發行。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

Wakaba Kaoru 1931

髙島栄一氏宛、昭和3年(1928年)4月16日付西陣の消印有。「先日は失礼いたしました。又御土産まで頂戴いたし誠に有りがたく御礼申上ます」の直筆メッセージが左上に残されています。

[JMDB]
p0162750

[IMDB]
nm2121629

[出身]
日本(群馬県前橋)

[サイズ]
14.0 × 9.0 cm

若月 孔雀 (1911 – 没年不詳)

「国別サインリスト 日本 [Japan]」より

Wakatsuki Kujaku Autographed Postcard
Wakatsuki Kujaku Autographed Postcard

本名宮原八重。明治四十四年、東京市浅草に生る。女學校卒業後昭和二年松竹蒲田に入つたのが映畫の第一歩。後映畫に實演に活躍、松竹京都撮影所入社は昭和三年五月。主な近作は「小金井小次郎」「甘酒屋甚九郎」等。嵌役は娘藝者等。身長五尺四寸。體重十一貫二百目。趣味は舊劇、三味線。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

Wakatsuki Kujaku 1931

[JMDB]
p0161510

[IMDB]
nm5667925

[出身]
日本(東京)

[サイズ]
13.5 × 8.6 cm