1916 – 『滑稽喜劇 ニコニコ大會』 (河野紫光、春江堂)

情報館・ノベリゼーション [日本]より 活動寫眞興業者は觀客吸引策に就いてニ六時中その頭腦をなやめてゐる。東京電氣館がニコニコ大會を前後數囘開催して非常なる成功を遂げてから、此事あつて日本全國の常設館に於いてニコニコ大會 … 続きを読む : 1916 – 『滑稽喜劇 ニコニコ大會』 (河野紫光、春江堂)

1917 – 『浮浪者』 (仏パテ・フレール社、アンリ・クロース監督)

自由気ままに生きる放浪の男(アンリ・クロース)が小さな村にやつてきた。普段から自然に慣れ親しんでいる男は不思議な知識の持ち主で、羊たちが謎の病気で死に始めた時にも手を貸して伝染病の拡散を防いだのであつた。村娘のトワネット … 続きを読む : 1917 – 『浮浪者』 (仏パテ・フレール社、アンリ・クロース監督)

1930年頃 – 『趣味の理科 渚』(東京シネマ商会、撮影・川谷庄平) 伴野商店9.5ミリプリント

「伴野商店」より Nagisa (“Science On The Shore”, c1932, Tokio Cinema Co.) c1932 Banno Co. 9.5mm Print 夏休みの … 続きを読む : 1930年頃 – 『趣味の理科 渚』(東京シネマ商会、撮影・川谷庄平) 伴野商店9.5ミリプリント

1912 – 『国なき人』(独ビオスコップ社、ウアバン・ガーズ監督)

『國なき人』此の畫程私の心に深く刻まれたものはありません。ビオスコップの藝術的な映畫とは實に此の樣なジプシーの乙女の戀を描いた中に深刻な心氣が漂ふてゐるからです、『國なき人』の —舞つたあの姿はそゞろ私の頭に … 続きを読む : 1912 – 『国なき人』(独ビオスコップ社、ウアバン・ガーズ監督)

1928 -「明暗二女優物語」 (水口菊夫、『劇と映画』 昭和3年12月号収録)

風説と流言、妄言の戦前邦画史 これは蒲田撮影所が未だ、蒲田村の眞中に建てられてから間もない頃のお話です。主要な役割を演ずる女優さんやそのお相手に廻った方の名は、便宜上假名とさせて戴きます。 山田と言ふのは、當時、映畫劇製 … 続きを読む : 1928 -「明暗二女優物語」 (水口菊夫、『劇と映画』 昭和3年12月号収録)

大正4年 – 「フイルムの行衛」(森田 淸、『キネマ・レコード』 1915年6月 通巻第24号)

毎月我國へ輸入せらるゝ處の陰陽のフイルムは尺數に於て實に何十萬呎を算するのであるがその割合に映畫商及び映畫會社の倉庫に充滿しないのは如何なる原因かと沈思默考したあげく漸く會社その他映畫商の内幕から魂膽を知る事が出來た。[ … 続きを読む : 大正4年 – 「フイルムの行衛」(森田 淸、『キネマ・レコード』 1915年6月 通巻第24号)

大正14年(1925年) – 『日活映画』 9月号(映畫世界社)

「映画往来」「劇と映畫」「キネマ旬報」誌への寄稿で知られる淡路浪郎氏らを中心に編集された日活専門のファン雑誌。表紙は岡田嘉子さんで巻頭に西條香代子、澤村春子、岡田嘉子らのグラビアを収録。画質は並ながらも雰囲気の捉え方が上 … 続きを読む : 大正14年(1925年) – 『日活映画』 9月号(映畫世界社)

大正8年(1919年)『活動之世界 新年特別号』

故鐵處は良き種子(たね)を播きました。併しそれを今後なほ偉きく培ひ育てなければなりません。私の雑誌は今日迄我國映畫界の爲に幾分かの貢獻をして來たと思ひます。けれども歐州対戰の終りを告げた今日、斯界の現状は、今後の趨勢は、 … 続きを読む : 大正8年(1919年)『活動之世界 新年特別号』

1920 – 「丹稲女史の過激派宣傳」 凩亭山人 、活動画報・大正9年12月号掲載

映画史・日本より 斯くて今度現はれた所は、大阪は西の方西宮と云ふ神戸との間の小さな町の夷屋と云ふ劇場であつた。彼女は最早その誇りとしてゐる聲樂のみでは舞臺に立つてゐられなくなつた。[曾我廼家] 五九郎のところに出て淺草公 … 続きを読む : 1920 – 「丹稲女史の過激派宣傳」 凩亭山人 、活動画報・大正9年12月号掲載

1925 – スーパー8 『国定忠治』(澤田正二郎主演、マキノ省三監督)

「8ミリ 劇映画」より 映畫劇ではない。澤正一派が舞臺では十八番の「國定忠次」をその儘撮影したに過ぎない映畫である。然し澤田正二郎氏の忠次は立派に成功して居る。舞臺で聞く彼獨特の沈痛な臺詞こそ聞かれないが、彼一流の力強い … 続きを読む : 1925 – スーパー8 『国定忠治』(澤田正二郎主演、マキノ省三監督)

1915 -「小供俳優(其二):ウイリー・ランダース君」 (森田淸『キネマ・レコード』誌1915年3月号)

ゴーモン在社時代のボビー君が演じたその喜劇シリーズが盛んに輸入された過去二三年は恰も我が活動界は此の少年俳優の無邪氣な喜劇によつて蹂躙されてゐたが間も無く此処に同じ佛國エクレール會社の少年俳優ウイリー君の演じた喜劇のシリ … 続きを読む : 1915 -「小供俳優(其二):ウイリー・ランダース君」 (森田淸『キネマ・レコード』誌1915年3月号)

1921年 『◆感想◆ あゝさらば、さらば靑春よ!』 若樹華影 (活動倶楽部・大正10年12月号)

夢の樣な淡い内にも非常な華かな戀が、大學生マリオと、下宿屋の娘ドリナとの間に結ばれた戀でした。三年の間、彼等の樂しい生活が續けられた時、マリオは、ある富豪の妾をして居るエレナといふ美人の戯れに魅せられた。この結果として、 … 続きを読む : 1921年 『◆感想◆ あゝさらば、さらば靑春よ!』 若樹華影 (活動倶楽部・大正10年12月号)

昭和11年(1936年)1月: 『映画とレビュー 人氣花形大寫眞帖』冨士新年號附録

以前から何度か投稿で扱ってきた雑誌『冨士』の付録、今回は1936年度版で表紙は山路ふみ子さん。タイトルの通り映画と歌劇の二本立てで構成されています。歌劇編(松竹・宝塚)も充実して面白かったのですが今回は映画編のみの紹介と … 続きを読む : 昭和11年(1936年)1月: 『映画とレビュー 人氣花形大寫眞帖』冨士新年號附録

1916 -『活動之世界』 大正5年(1916年)12月号より『呪の列車』関連記事

『呪の列車』は元々ヴァイタグラフ社が新たに立ち上げたブルーリボンレーベルの第一弾として製作・公開されたものです。ブルーリボンは4巻物以上の(当時の基準としては)尺の長い「特作長編」に特化した制作会社の位置付けをされていま … 続きを読む : 1916 -『活動之世界』 大正5年(1916年)12月号より『呪の列車』関連記事

アスタ・ニールセン(1881 – 1972)、1949年の書簡

北欧諸国 [Nordic Countries]より 1949年10月11日親愛なるフィッシャー樣 お問いあわせ心より感謝しております。 (そうそう、ドイツ語で書かないといけないですよね) 「スイス画報」誌のためとの話で心 … 続きを読む : アスタ・ニールセン(1881 – 1972)、1949年の書簡

ルートヴィヒ・トラウトマン(Ludwig Trautmann、1885 ‐ 1957)と『天馬』の記憶

「ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]」より 独逸のフイルムが上野みやこ座へ盛んに出た時分澤山にあらはれたブラウン探偵としてその顔は諸君の記憶に深ひことゝと思ふ。本誌十號にもこのことについて述べてある … 続きを読む : ルートヴィヒ・トラウトマン(Ludwig Trautmann、1885 ‐ 1957)と『天馬』の記憶

大正13~14年(1924~25年) 私家版・キネマ旬報合本(167~185号)を読む

1920年代中盤、大正末期に発行された167号から185号まで全19冊の『キネマ旬報』を合本にしたもの。 グラビアを重視しゴシップ記事も織りこんだ『活動倶楽部』や『活動画報』と異なり、『キネマ旬報』は網羅的な映画評を主と … 続きを読む : 大正13~14年(1924~25年) 私家版・キネマ旬報合本(167~185号)を読む

大正10年(1921年)『活動倶楽部』12月号

大正10年末に発売された『活動倶楽部』の12月号。冒頭は通常通りのグラビア。巻頭カラーはルイーズ・ラブリーで、メアリー・マイルズ・ミンター、ミルドレッド・ハリスなど当時日本でも人気の高かったハリウッド女優が並びます。 メ … 続きを読む : 大正10年(1921年)『活動倶楽部』12月号

大正8年(1919年)『活動畫報』4月号・活動新人紹介號

「活動新人紹介號」と題された一冊でグラビア、新人紹介、新作紹介、筋書などを中心とした102頁の内容となっています。 エリッヒ・フォン・シュトロハイムの第一回監督作『アルプス颪(Blind Husband)』がユニヴァーサ … 続きを読む : 大正8年(1919年)『活動畫報』4月号・活動新人紹介號

大正10年(1921年)『活動花形改題 活動之世界 7月号:海の美人號』

映画雑誌の先駆けとして知られる『活動之世界』は1919年に廃刊となっています。大正10年(1921年)7月号の文字を見つけた時は二度見しました。「活動花形改題」? この年、『活動花形』誌の編集体制が変わります。同誌を立ち … 続きを読む : 大正10年(1921年)『活動花形改題 活動之世界 7月号:海の美人號』