1918 – 『活動畫報』 大正7年1月 新年特別號
情報館・雑誌(和書) より 大正7年に公刊された『活動画報』の新年号。各社による謹賀新年の広告が雑誌を賑やかに飾っています。 巻頭カラーグラビアにヴァージニア・パーソン。単色グラビアでベッシー・バリスケール、メアリー・マ … 続きを読む : 1918 – 『活動畫報』 大正7年1月 新年特別號
情報館・雑誌(和書) より 大正7年に公刊された『活動画報』の新年号。各社による謹賀新年の広告が雑誌を賑やかに飾っています。 巻頭カラーグラビアにヴァージニア・パーソン。単色グラビアでベッシー・バリスケール、メアリー・マ … 続きを読む : 1918 – 『活動畫報』 大正7年1月 新年特別號
情報館・雑誌(和書) より 『活動倶楽部』誌の1919年11月号で、旧称の『活動評論』から改称して3冊目、通巻で12冊目となる初期の一冊。素敵な配色の表紙を飾っているのはメイ・アリソンです。 彩色グラビアに『活動評論』誌 … 続きを読む : 1919 – 『活動倶楽部』 大正8年11月 新進女優號
サイン館・フランス & ナピエルコウスカより 君はスタシア、ナピエルコウスカ(Mlle. Stacia Napierkowska)を知つてゐるだらふ?パテーの畫に度々出たからね、あれもポーランド種だ、コンスタンチ … 続きを読む : スタシア・ナピエルコウスカ Stacia Napierkowska (1886 – 1945) 仏
サイン館・北欧諸国 より 曾て『最後の一壘』なるノルヂイスク社の軍事活劇が、大正四年九月帝國館に封切された事があつた。その映畫にゴルドン中尉として、非凡な堅實な藝風を示したのは、丁抹第一流の俳優たるヴァルデマー・サイラン … 続きを読む : ヴァルデマー・シランダー Valdemar Psilander (1884 – 1917)
情報館・雑誌(和書) より 1922年1月号は「新年特別増大號」と題され本文146頁+グラビア32頁+折込+付録の豪華版となりました(付録は入手できず)。表紙はコンスタンス・タルマッジです。 グラビアはポートレート写真と … 続きを読む : 1922 – 『活動倶樂部』 大正11年1月号 新年特別増大號
情報館・雑誌(和書) より 大正10年末に発売された『活動倶楽部』の12月号。巻頭カラーはルイーズ・ラブリーで、メアリー・マイルズ・ミンター、ミルドレッド・ハリスなど当時日本でも人気の高かったハリウッド女優が並びます。 … 続きを読む : 1921 – 『活動倶楽部』 大正10年12月号
情報館・雑誌(和書) より 活動倶楽部誌の1921年11月号は花形ローマンス號と題され、ドロシー・ダルトンが表紙を飾っています。 巻頭原色カラーにファニー・ワード。グラビアが多く、ルイズ・グローム(コロタイプ)、ジーン・ … 続きを読む : 1921 – 『活動倶樂部』 大正10年11月号 花形ローマンス號
情報館・雑誌(和書) より 性と映畫號の副題で発売された1921年7月号。表紙はセダ・バラ。 巻頭の彩色グラビアが一枚欠けていて、二色グラビアにプリシラ・ディーン。コロタイプ印刷でベティ・コンプソン。二度刷りにドロシー・ … 続きを読む : 1921 – 『活動倶樂部』 大正10年7月号 性と映畫號
情報館・雑誌(和書) より 追憶俳優號と名付けられた活動倶楽部誌1920年12月号、表紙はプリシラ・ディーン。 巻頭彩色グラビアはミルドレッド・ハリス。モノクロのグラビアにはクララ・キンボール・ヤング、ナジモヴァ等が登場 … 続きを読む : 1920 – 『活動倶樂部』 大正9年12月号 追憶俳優號
情報館・雑誌(和書) より 名優列傳號と題され、前身の活動評論誌を含めると通巻22冊目となる一冊。表紙はノーマ・タルマッジ。執筆陣の充実し始めた時期に当たりビジュアルとテキストが適度に配分された良内容になりました。 巻頭 … 続きを読む : 1920 – 『活動倶樂部』 大正9年9月号 名優列傳號
情報館・雑誌(和書) より 女性美號と題された1920年7月の活動倶楽部で表紙はメーベル・ノーマンド。 巻頭彩色グラビアはエルシー・ファーガソンとドロシー・ダルトン。単色グラビアにはこの時期の常連メンバー(ノーマ・タルマ … 続きを読む : 1920 – 『活動倶樂部』 大正9年7月号 女性美號
以前から何度か紹介してきている月刊誌『冨士』の付録、今回は1935年度版で表紙は霧立のぼるさん。トーキーがほぼ定着した状況で、映画を彩ってきた音楽と同時期に隆盛を誇り多くのスターを生み出していた歌劇とをメインに据えた構成 … 続きを読む : 昭和10年(1935年)9月: 『小唄と主題歌 映画・レビュー大写真帖』冨士9月號附録
情報館・ノベリゼーション [日本]より 活動寫眞興業者は觀客吸引策に就いてニ六時中その頭腦をなやめてゐる。東京電氣館がニコニコ大會を前後數囘開催して非常なる成功を遂げてから、此事あつて日本全國の常設館に於いてニコニコ大會 … 続きを読む : 1916 – 『滑稽喜劇 ニコニコ大會』 (河野紫光、春江堂)
自由気ままに生きる放浪の男(アンリ・クロース)が小さな村にやつてきた。普段から自然に慣れ親しんでいる男は不思議な知識の持ち主で、羊たちが謎の病気で死に始めた時にも手を貸して伝染病の拡散を防いだのであつた。村娘のトワネット … 続きを読む : 1917 – 『浮浪者』 (仏パテ・フレール社、アンリ・クロース監督)
「伴野商店」より Nagisa (“Science On The Shore”, c1932, Tokio Cinema Co.) c1932 Banno Co. 9.5mm Print 夏休みの … 続きを読む : 1930年頃 – 『趣味の理科 渚』(東京シネマ商会、撮影・川谷庄平) 伴野商店9.5ミリプリント
『國なき人』此の畫程私の心に深く刻まれたものはありません。ビオスコップの藝術的な映畫とは實に此の樣なジプシーの乙女の戀を描いた中に深刻な心氣が漂ふてゐるからです、『國なき人』の —舞つたあの姿はそゞろ私の頭に … 続きを読む : 1912 – 『国なき人』(独ビオスコップ社、ウアバン・ガーズ監督)
風説と流言、妄言の戦前邦画史 これは蒲田撮影所が未だ、蒲田村の眞中に建てられてから間もない頃のお話です。主要な役割を演ずる女優さんやそのお相手に廻った方の名は、便宜上假名とさせて戴きます。 山田と言ふのは、當時、映畫劇製 … 続きを読む : 1928 -「明暗二女優物語」 (水口菊夫、『劇と映画』 昭和3年12月号収録)
毎月我國へ輸入せらるゝ處の陰陽のフイルムは尺數に於て實に何十萬呎を算するのであるがその割合に映畫商及び映畫會社の倉庫に充滿しないのは如何なる原因かと沈思默考したあげく漸く會社その他映畫商の内幕から魂膽を知る事が出來た。[ … 続きを読む : 大正4年 – 「フイルムの行衛」(森田 淸、『キネマ・レコード』 1915年6月 通巻第24号)
「映画往来」「劇と映畫」「キネマ旬報」誌への寄稿で知られる淡路浪郎氏らを中心に編集された日活専門のファン雑誌。表紙は岡田嘉子さんで巻頭に西條香代子、澤村春子、岡田嘉子らのグラビアを収録。画質は並ながらも雰囲気の捉え方が上 … 続きを読む : 大正14年(1925年) – 『日活映画』 9月号(映畫世界社)
情報館・雑誌(和書) より 故鐵處は良き種子(たね)を播きました。併しそれを今後なほ偉きく培ひ育てなければなりません。私の雑誌は今日迄我國映畫界の爲に幾分かの貢獻をして來たと思ひます。けれども歐州対戰の終りを告げた今日、 … 続きを読む : 大正8年(1919年)『活動之世界 新年特別号』