大正8年(1919年)『活動之世界 新年特別号』

Katsudou no Sekai (Moving Picture World)
1919 January New Year Special Issue

故鐵處は良き種子(たね)を播きました。併しそれを今後なほ偉きく培ひ育てなければなりません。私の雑誌は今日迄我國映畫界の爲に幾分かの貢獻をして來たと思ひます。けれども歐州対戰の終りを告げた今日、斯界の現状は、今後の趨勢は、本誌の大努力と大發奮とを必要として居ります。私達の爲すべき仕事は愈々多く、私達の負うべき責任は益々重う御座います。私は這の重大なる秋に際し、故人の遺志を體し、本誌の主義を翳して、自分の有てる力の總てを抛つて、何處までも、我國映畫界の爲、本誌のためそして亦敬愛せる愛讀者諸兄姉の爲に竭す所存で御座います。

おゝ這の榮えある新春に -年頭及び就任の辭に代えて-
活動之世界社新社主 鈴木百合子

1918年11月、活動之世界の創設者である井手正一氏が病気で亡くなりました。同氏の未亡人・鈴木百合子氏が新たに社主となった新生「活動之世界」の第1号がこちら大正8年新年特別号です。百合子氏による決意表明「おゝ這の榮えある新春に」、井手氏の功績を振り返る追悼記事が掲載されています。

新年ということもあり、各界(映画界、出版社、ブロマイド制作会社)から謹賀新年の広告が寄せられています。後年の映画雑誌と違っていて、俳優やスタッフ陣が個人名義あるいは連名で出している挨拶も多く含まれていました。

表紙イラストはクララ・キンボール・ヤング。1918年末に公開されたモーリス・トゥールヌール監督作『モデルの生涯(トリルビー)』が人気を博していたのを受けたものです。巻頭グラビアにはマルガリータ・フィッシャーが登場、その他ビリー・ローズやドロシー・フィリップス、モリー・キングらの写真が並んでいます。邦画部門では旧劇界より澤村四郎五郎、新劇界から山本嘉一のポートレート写真を掲載。

活動之世界には読み物として脚色された粗筋が幾つか含まれています。グラビアと連動する形で『トリルビー』、新派劇『不知火』(衣笠貞之助主演)、旧劇『神宮左馬之助』(澤村四郎五郎主演)が紹介されていました。

新年号としてお祝いムードを演出しようとしているものの、実はあちこちに訃報が含まれていて不穏な雰囲気も漂っています。1918年11月には新派の女形で日活や天活で活躍した立花貞次郎氏が病没。また当時猛威を振るっていたスペイン風邪の影響が顕著になっていた時期でもあります。

米國政府各地の市衛生局にては、公衆の集合は非常に風邪の傳染を容易ならしむる事を愁ひ、各州各都市の活動常設館主に對して、暫く閉館す可き事を嚴命せり。

西班牙風邪に襲はれたる米國活動寫眞界の大混亂

ブルーバード社の花形として活躍していた女優マートル・ゴンザレスやメトロ映画社の人気男優ハロルド・ロックウッドが相次いで亡くなり、映画の上映・撮影が次々と中止され、その余波を受け映画雑誌がページ数を縮小せざるをえなくなった…という流れも見えてきます。

以前にハンガリーの初期映画史を追っていた時、1918年秋にスペイン風邪関連の記録を見つけました(女優セントジョールジイ・マールタとバンキー・ユディットが相次いで病死)。他の国々でも同様の状況が発生していたはずですが被害の全体像や影響をまとめた論考は存在していないようです。この辺りも深堀りすると面白い発見が出てきそう。

また以前に紹介したようにこの号からの新企画として通年の読者人気投票が告知されています。4月号まで中間報告が続くもそこで廃刊となり最終結果まで辿りつくことができませんでした。その後「活動花形」誌が鈴木百合子氏の許諾を得て1921年に「活動之世界」再興を試みていきます。

1916 -『活動之世界』 大正5年(1916年)12月号より『呪の列車』関連記事

『呪の列車』は元々ヴァイタグラフ社が新たに立ち上げたブルーリボンレーベルの第一弾として製作・公開されたものです。ブルーリボンは4巻物以上の(当時の基準としては)尺の長い「特作長編」に特化した制作会社の位置付けをされていました。

本国では1915年3月7日にプレミア上映、翌4月に一般公開開始。日本では一年半遅れの大正5年(1916年)10月11日に淺草電氣館で封切られています。

まだ『活動画報』や『キネマ旬報』はありませんでした。雑誌では老舗『キネマ・レコード』があって、それに対抗すべく『活動之世界』が創刊されたのが大正5年。同年10月号で『呪の列車』が紹介されたと思われるのですがこちらは未見で、2ヶ月後の12月号に関連記事を二つ見つけました。

「アニタ・ステアート嬢の消息」

電氣館に上場された『呪の列車』にラスキン嬢、ルイズ嬢の二役を演じたアニタステアート嬢は、ヴアイタグラフ社撮影所の近くに、嬢のお母さんと弟と三人で住んで居る。

[…] 嬢の人氣をよんだヒルムは『女神』と『森の中のすみれ』とで今春以來風邪がもとで、嬢の氣分はあまり勝れなかつた。そして一月前までは、病氣の爲に、暫く休んで居たが、やつと快復して再びヒルムを撮ることになつた。

嬢の相手役は、アール、ウヰリアム氏で、氏は本年三十六歳、米國キネマ界の人氣俳優である。嬢の二十一歳の花盛りと相俟つて、その撮つたヒルムは人氣をよんで居る。

最近報ずるところによれば嬢は一週間一五〇〇弗(三千圓)の給料を得て、メトロ社へ移つるといふ。

「アニタ・ステアート嬢の消息」まこと
『活動之世界』1916年12月号

「映畫新舊譚」

外國の活劇や人情劇の中に、本物の列車が衝突したり、鉄橋から墜落したりする場面がある。現に、十月十一日から淺草電氣館に上場された米國ヴアイタグラフ社の『呪の列車』の最後の場面に、三臺の客車から成つてゐる列車が、腐れ鐵橋の上から河中に墜落する所がある。

[…] 列車の衝突、墜落等にも、活動寫眞が始まる以前から、米國には老朽の汽車を買ひ受けて之を衝突させたり、墜落させたりする商賣をしてゐる人がある。それが、現今では活動寫眞業者間に流行して來て、前期の樣な場面を撮影しなければならない時は、古い汽車を買ひ受けて、何月何日午前幾時から何處に假設の鐵道、鐵橋を設けて、衝突或いは墜落をせしめる、と云ふ辻ビラを街の隅々迄も貼り附ける。一人の觀覧料は五十銭から一圓位迄であるが、物見高い米國人の事であるから、忽ち數千の人々が集つて來る。それで莫大な觀覧料が得られるさうである […]。

「映畫新舊譚」四影生
『活動之世界』1916年12月号

アニタ・スチュワートは大正4~5年頃(1915〜16年)から日本の活動愛好家に知られるようになっています。大正7年(1918年)にヴァイタグラフを退社、メイヤーの援助を受け自身の映画会社を立ち上げるものの思った成功を収めることはできませんでした。それでも大正8年(1919年)の『活動之世界』誌人気投票では全体で36位、海外女優で21位に入っています。日本でも一定数のフアンを抱えていた訳で、そういった人々は少なくとも『呪の列車』の名を知っていたと思われます。

1920年代になると映画界の勢力図は大きく変わり愛好家も入れ替わっていきます。大正10年(1921年)7月に発行された『活動花形改題 活動之世界』のヴァイタグラフ社沿革紹介で、アニタ・スチュワートは「かつての花形」の位置付けになっています。5、6年間で過去の扱いとされ作品を見たことのない人々が多数派となっていくのです。流行の慌ただしい変遷に紛れ『呪の列車』の記憶は日本でも失われていきました。

大正10年(1921年)『活動花形改題 活動之世界 7月号:海の美人號』

表紙
映画雑誌の先駆けとして知られる『活動之世界』は1919年に廃刊となっています。大正10年(1921年)7月号の文字を見つけた時は二度見しました。「活動花形改題」?

この年、『活動花形』誌の編集体制が変わります。同誌を立ち上げた富田孝久氏が経営を退き、友人の齋藤芳太郎氏が社長に就任。

曾て大正五年一月より「活動之世界」を發刊せられたる井出正一氏と、井出氏の逝去の後井出夫人鈴木百合子氏に依りて繼續せられた活動之世界が、幾何もなくして廢刊の悲運に遇ひ、其後鈴木氏は映畫説明者の第一人者生駒雷遊氏に嫁したる爲め、再び活動之世界の出現を見る能はざるを遺憾とし、此處に活動之世界と改題した次第であります。

(「花形改題大發展に就きて」齋藤芳太郎)

井出氏元夫人で、すでに業界を離れていた鈴木百合子氏に許可を取った上での改題だったようです。意地悪な見方をするとブランド価値が残っている時点で名を乗っ取った展開ですよね。生駒雷遊との再婚話も含め、当時の映画雑誌業界の裏舞台が透けて見える興味深い内容です。

雑誌は「海の美人號」と題され水着姿を中心としたグラビアが前半1/3程を占めています。ミルドレッド・デイヴィスやノーマ・タルマッジ、マリー・プレヴォストなど現在でも名前が知られている女優たちが登場。ダグラス・フェアバンクスとの共演で知名度を上げていったアイルランド系のアイリーン・パーシーの顔も見えます。

記事では齋藤芳太郎氏による決意表明「花形改題大發展に就きて」、ヴァイタグラフ社の沿革紹介、ドイツ映画界の注目すべき女優紹介「正直なレンズ」、井上正夫主演『寒椿』作品評、読者による人気投票の中間発表が目を引きます。

映画を読み物化したコーナーには『陸軍のパール』『喘ぐ靈魂(ボディ&ソウル)』『寒椿』『甲賀伊賀守』の4作を収録。1921年はパール・ホワイト人気に陰りが見え始め、連続活劇から離れていた時期に当たります。愛好家が物足りなさを覚えているタイミングで唯一日本未公開だった『陸軍のパール』が封切られ盛り上がったようです。『甲賀伊賀守』は松之助の後期作で脇を固めるのは片岡松燕、長正、嵐瑠珀、大谷鬼若ら馴染みの役者たち。

呪文を稱へると二人の體は宙を飛んで今しも渡船を上つて意氣揚々として來かゝる團野逸平の行手を擁し忍術の極意を見せて奇々怪々の現象を演じ出し散々に逸平等を惱ました。

(『甲賀伊賀守』)

個人的な収穫は鈴木笛人氏による「独逸映畫界の今日此頃」でした。ハリー・ピール監督活劇『天馬』への言及を見つけました。

『天馬(てんば)』(ヴァイタスコープ社の作ルドウイツヒ・トロウトマンの演じたブラウン、探偵劇の中で最も成功したものです。戰前独逸探偵活劇の隆盛は此の映画の出現に依つて初まりました。)此の映畫程客を呼んだ映畫はありません。餘り頭腦の明晰でない-と云つては失礼かも知れませんが事實だから仕方ありません-活動屋さんも、此の『天馬』のことだけは末に記憶して居ます。そのブラウン探偵事トラウトマン氏は現在自社を設けて居ます。

『天馬』は『松竹8mmライブラリー 日本映画史 前編』に抜粋が収められていました。原題が不明だったのですが古い『キネマ・レコード』誌から1914年公開の「Die Millionenmine」だと分かりました。

また同氏は1914年の帝國館でスチュワート・ウェブス探偵劇を見ています。

丁度、ブラウン探偵の全盛期、ブラウン探偵の向こうを張つて、ウエツブ探偵といふのが現はれました。『地下室』と云ふ題で大正三年の夏頃帝國館で見た記憶がありますが、此のウエツブ探偵劇は『ヴエリタス』の作者ヨーエ・マイ氏コンチネンタル・クンストといふ會社-勿論、現在は此の會社はありません-に居た時書いたもので、主人公ウエツブ探偵は其の頃フランクフルトの新劇場に居たエルンスト・ライヤー氏でした。

此のウエツブ探偵は現在でも大活躍をやつて居ます。そしてライヤー氏は自らスチアート・ウエツブ映畫社を起し、最近では『大盗賊』六巻を完成しました。

(「独逸映畫界の今日此頃」鈴木笛人)

アスタ・ニールセンの『女ハムレット』が高く評価され、注目すべき新進女優にエルナ・モレナが挙がっています。第一次大戦によって独映画の輸入が途絶え情報がなくなっていたところに戦後、ドイツ映画再発見の動きがチラホラと。ウーファ社大作路線や表現主義でドイツの存在感が増していく前の段階ながら、すでに鋭い愛好家は「次に来るのはドイツ映画」と予感していたのでしょう。

他にも『カマルグ王』で触れた仏パテ社作品『戀のスルタン』寸評が含まれているなど、国籍を問わず良い作品が次々と紹介されていく勢い、活気が雑誌に漂っています。いつ頃まで続いたのか定かではないものの、新生第一号は『活動之世界』の名に相応しい充実した内容となっています。

1917 – 「パール・ホワイト嬢の活劇宿命論」(『活動之世界』第二巻三月號 30~32頁)

「パール・ホワイト連続活劇 [Pearl White Serials]」より

Pearl White « Actress as A Fate » (Katsudou No Sekai « Moving Picture World » 1917 March Issue)

今から三年計り前の事、恰度、「ポーリンの危難」を撮影中、ある場面で、惡漢がポーリンの私を、地下室に落し込んで、水溜まりの掘割から水を注ぎ込んで、私を水中に沒し去らうといふ時に、四方から幾百とも知れぬ鼠を放つて私を苦しめるといふ所が御座いました。段々とやつて居りますと、水は私の首まで浸して來る、鼠は水に驚いて、わたくしの顔やら耳やらを襲ふて來る、流石の私も、可成り氣味惡く感じましたが、周圍で見て居た人ほど恐ろしいとは思ひませんでした。

又、同寫眞中、私が輕氣球に乗ると、惡漢が來て綱を切るといふ場面を撮りました。ある所から輕氣球を借りまして、ニユージヤーシー州のバラセード公園の一隅に据ゑ付け、降りる時に用ひる繩の用意など整えて、いよいよ撮影に取りかゝる事になりました。私がその輕氣球に乗ると惡漢が繩を切る、輕氣球は空へと上る、その時、私が下降用の繩の始末を忘れて居たので、球は段々と高く上つて、ハドソン河上を横切つて紐育市を越え、ロングアイランドへ向つて進んでゆく。私は珠上の眺望の見事さに、我身の危険さも忘れて飛んで居ましたが、其内球が段々大洋の上に出かゝつて來ましたので、驚いて下降用の縄を引張り、やつと水際から二三歩の沼の上に下りることが出來ました。此時は私よりも、外の人にご心配をかけた事は一通りでなく、舞臺監督のギアシニアーさんなど、まるで狂亂の姿で追かけてお出になりました。

斯んな事は、活劇女優として少しも自慢にはなりませんが、私は如何なる危險な身の毛のよだつ樣な場合にも、決して身替りを頼んだ事は御座いません。

さりとて、活劇は、實際危險です。ですから活劇を演る人は、皆んな宿命論者のやうです。[…]物事は成る樣にしか成るものではない、何うなり行くのも皆な其の人の宿命と考へまして、如何なる場合にも全力を注ぎます。

『活動之世界』の記事から5年後となる1922年の8月、休養からの再起を図った活劇『プランダー』撮影中に事故が起こりました。パール・ホワイトのスタントを担当していた男優ジョン・スティーヴンソン氏がスタントに失敗し亡くなったという出来事でした。初期作品で体を痛めていた活劇女優が実際には危険な場面を演じてはいなかった、と正式に明らかにされたのはこの時のことでした。前々から知っている人は知っていたんでしょうね。

1922-08-11 Pearl White Plunder Accident
ニューヨークヘラルド紙1922年8月11日付記事より

1919年4月『活動之世界(最終号)』各国映画俳優人気投票

1919年4月『活動之世界』人気投票
『Katsudou no Sekai (Moving Picture World)』
« Hall of Fame » Poll (April 1919)

01:ウォーレン・ケリガン(761) Warren Kerrigan [IMDb]
02:山本嘉一(725) Yamamoto Kaichi [JMDb]
03:ルース・クリフォード(695) Ruth Clifford [IMDb]
04:ヴァイオレット・マースロウ(662) Violet Mercereau [IMDb]
05:ダグラス・フェアバンクス(657) Douglas Fairbanks [IMDb]
06:マルガリータ・フィッシャー(591) Margarita Fischer [IMDb]
07:メアリー・マクラーレン(580) Mary MacLaren [IMDb]
08:ドロシー・フィリップス(513) Dorothy Phillips [IMDb]
09:メアリー・マイルズ・ミンター(470) Mary Miles Minter [IMDb]
10:ウィリアム・S・ハート(465) William S. Hart [IMDb]
11:フランシス・ブッシュマン(457) Francis X. Bushman [IMDb]
12:ベッシー・バリスケール(435) Bessie Barriscale [IMDb]
13:パール・ホワイト(433) Pearl White [IMDb]
14:モンロー・ソールズベリー(408) Monroe Salisbury [IMDb]
15:メアリー・ピックフォード(397) Mary Pickford [IMDb]
16:グレース・ダーモンド(379) Grace Darmond [IMDb]
16:フランチェスカ・ベルティーニ(379) Francesca Bertini [IMDb]
16:メイ・マレー(379) Mae Murray [IMDb]
19:カーメル・マイヤーズ(361) Carmel Myers [IMDb]
20:ベッシー・ラブ(343) Bessie Love [IMDb]
21:チャールズ・チャップリン(305) Charles Chaplin [IMDb]
22:ルース・ローランド(295) Ruth Roland [IMDb]
23:ウィリアム・ダンカン(293) William Duncan [IMDb]
23:モリー・キング(293) Mollie King [IMDb]
25:ジェラルディン・ファーラー(265) Geraldine Farrar [IMDb]
26:ピナ・メニケリ(233) Pina Menichelli [IMDb]
27:ノーマ・タルマッジ(207) Norma Talmadge [IMDb]
28:片岡長正(201) Kataoka Chosei [JMDb]
29:クレイトン・ヘイル(199) Creighton Hale [IMDb]
30:藤野秀夫(177) Fujino Hideo [JMDb]
31:ウィリアム・ラッセル(151) William Russell [IMDb]
32:尾上松之助(147) Onoe Matsunosuke [JMDb]
33:エラ・ホール(141) Ella Hall [IMDb]
34:エディー・ポロ(125) Eddie Polo [IMDb]
35:衣笠貞之助(113) Kinugasa Teinosuke [JMDb]
36:アニタ・スチュワート(112) Anita Stewart [IMDb]
37:早川雪洲(98) Hayakawa Sessue [IMDb]
37:澤村四郎五郎(98) Sawamura Sirogoro [JMDb]
39:ハリー・ケリー(93) Harry Carry [IMDb]
40:ウィリアム・ファーナム(90) William Farnum [IMDb]
41:ドロシー・ダルトン(79) Dorothy Dalton [IMDb]
42:ビヴァリー・ベイン(72) Beverly Bayne [IMDb]
43:フランク・マヨ(69) Frank Mayo [IMDb]
44:東猛夫(65) Azuma Takeo [JMDb]
45:ネヴァ・ガーバー(65) Neva Gerbar [IMDb]
46:アルフレッド・ホイットマン(57) Gayne Whitman [IMDb]
47:アリス・ブラディー(50) Alice Brady [IMDb]
48:アール・フォックス(42) Earle Foxe [IMDb]
49:ベン・ウィルソン(37) Ben F. Wilson [IMDb]
50:セダ・バラ(22) Theda Bara [IMDb]
51:アラン・ホルバー(21) Allen Holubar [IMDb]
52:ジュエル・カーメン(17) Jewel Carmen [IMDb]
53:クララ・キンボール・ヤング(15) Clara Kimball Young [IMDb]
54:ブロニー・ヴァーノン(12) アグネス・ヴァーノン(Agnes Vernon)誤記 [IMDb]
55:ルイズ・グローム(9) Louise Glaum [IMDb]
56:モリー・マローン(8) Molly Malone [IMDb]
57:レオン・バリー(5) Léon Bary [IMDb]
57:ガブリエル・ロビンヌ(5) Gabrielle Robinne [IMDb]
59:フランセリア・ビリントン(3) Francelia Billington [IMDb]
59:アーヴィング・カミングス(3) Irving Cummings [IMDb]
59:花柳はるみ(3) Hanayagi Harumi [JMDb]

1919年初頭、雑誌『活動之世界』新年号で人気投票の開催が告知されました。当時合衆国で行われていた形に倣ったもので、年間を通じて票を募集し、各号で途中経過を発表しながら年明けに最終結果を発表するものです。この第3回中間発表を見ていると当時の傾向が幾つか見えてきます。

人名表記は現在のものを使用。3票以上を獲得した61名の男女比は27名(44%)対34名(56%)、国別内訳は以下となっています。
アメリカ:48名(79%) 日本:9名(15%) イタリア:2名(3%) フランス:2(3%)

ハリウッド俳優ではヴァイタグラフ社が安定した人気ぶり(転籍していますがアニタ・スチュワートやノーマ・タルマッジも同社出身)。国内で安定して配給・宣伝されていたため知名度が高かったと思われます。一方でギッシュ姉妹やグロリア・スワンソンらが選外に漏れてしまいました。

アクションを十八番とする男優(ウィリアム・ダンカン、エディー・ポロ、ハリー・ケリー)が健闘、また連続活劇女優の人気が根強かった様子も伺えます。1910年代末はパール・ホワイトやルース・ローランドらの先駆者に続く第二世代(グレース・ダーモンド、モリー・キング、ネヴァ・ガーバー)が台頭していた時期で、ランキングにもその状況が反映されています。

国内組に目を転じると1917年に日活向島に入社した山本嘉一と藤野秀夫、東猛夫、衣笠貞之助に票が集まっています。松之助人気も健在。正式デビュー前で得票数は伸びていないものの(『深山の乙女』は1919年8月公開)日本初の女優花柳はるみさんが早くも食いこんでくる形になっています。

二名ながらもイタリア女優が上位にランクイン(ベルティーニ、メニケリ)。ドイツや北欧、ロシアの俳優名はありません。

この5年後になると日本でも女優ブームにブロマイドが飛ぶように売れ、連続活劇人気は収まり、イタリアの代わりにドイツ映画が存在感を増していく時代となりました。「映画」の言葉からイメージされる世界の広がりが20年代前半にガラリと変わっている訳で、この人気投票はそれ以前、ちょうど一世紀前の映画理解を反映している点で興味深く思われます。

なお、それぞれの国外俳優の写真は国立国会図書館所蔵の『活動花形俳優』(1921年)や『活動名優寫眞帖』(1919年)で見る事ができます。