キャスリン・ウィリアムス Kathlyn Williams (1888-1960) 米

「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

Kathlyn Williams 1910s Autographed Photo

かつての銀幕花形で、初恋相手である活動写真に戻つてきた一人がキャスリン・ウィリアムス孃である。モンタナ州の町ビュートに生れ、ウェズリアン大学とニューヨーク演劇学校で学んだ。舞台では『21歳なりし頃』『デイン夫人の擁護』などに出演した。嬢はパラマウント社やアートクラフト映画社の映画に多く出演しており、『ビッグ・ティンバー』『遭難脱出』『囁きの合唱』『すべてが手に入る訳ではなし』。近作に『愛と芸術』があり、トーマス・ミーアンの相手を務めてゐる。丈は5尺5寸、體重は16貫700匁、金髪に灰色がかった青の瞳を有する。

『銀幕名鑑』(ロス出版社、1920年)

One of the old favorites of the screen to return to her first love — motion pictures — is Kathlyn Williams. Miss Williams was born in Butte, Montana, and educated at Wesleyan University and the New York School of Dramatic Art. On the stage she appeared in « When We Were Twenty One, » « Mrs. Dane’s Defence » and others. Miss Williams has appeared in many Paramount and Artcraft pictures, including « Big Timber, » « Out of the Wreck, » « The Whispering Chorus » and « We Can’t Have Everything. » One of her latest pictures is « The Prince Chap, » in which she plays opposite Thomas Meighan. Miss Williams is five feet five inches high, weighs a hundred and thirty-eight pounds and has blonde hair and grey-blue eyes.

Who’s Who on the Screen (New York: Ross Publishing Co., 1920.)

「モーション・ピクチャー・マガジン」1916年11月号表紙

1910年代初頭ビオグラフ社で女優デビューを果たし、ゼリグ社に移って製作された「キャスリンの冒険(The Adventures of Kathlyn)」活劇シリーズで人気を得ていました。会社での序列が上がるにつれて脚本などにも携わるようになり、ゼリグ社で数本自作を監督した記録が残っています。その後はドラマへと比重を移し、パラマウント系列の映画会社を拠点に活動を続けていきました。

映画製作にも関与したパイオニアの一人に位置づけられることもありWFPP(映画業界女性先駆者プロジェクト)でも大きく扱われています。ゼリグ社時代のプリントをEYE映画博物館が保存しており現在YouTubeでも閲覧できます。

『キャスリンの冒険』(1913年、ゼリグ映画社) EYE映画博物館所蔵プリント

[IMDb]
Kathlyn Williams

[Movie Walker]
キャスリン・ウィリアムス

[出身地]
合衆国(モンタナ)

[誕生日]
5月31日

アニタ・スチュワート Anita Stewart (1895 – 1961) 米

「合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

Anita Stewart Autographed Photo
Anita Stewart Autographed Photo

映畫に於ける嬢はその天分を速かに示した點で、クリフォード嬢と比較される。全く嬢の名聲は矢のやうに早く擴がつた。それには、次のような機會があつたのである。ラルフ・インス氏といへば、ヴァイタグラフ會社の重役で且つ撮影監督である事は、誰でも知つてゐるが、そのインス氏は嬢の義兄になつている。氏の夫人が嬢の姉なのである。(一説に嬢は氏の姪だとも云ふが、何れにしても親族關係がある事は事實である)インス氏は常にこの天才的な義妹を持つていゐる事を友人たちに誇つてゐた。そして何時とはなしに、ヴァイタグラフ會社の舞臺で藝を仕込んだ。仕込まれると、嬢自身も一度カメラの前に立つて見たくなつた。そこで、先ず最初の六箇月間だえは端役を演じ、一千九百十二年十一月、その第一回の主演劇として「ウッド・ヴァイオレット」を撮影した。續いて數本の映畫を作つたが、同社の特作品たるブロードウェイ特作映畫が創作されるに當つて嬢は選ばれて主役を演じ、益々名聲を昂めるに至つた。「萬雷」「二人女」「大破壊」「呪の列車」「探偵の娘」「銀彈」などは本邦に輸入されたものゝ中でも、特に印象の深かつたものである。目下はファースト・ナショナル會社に勤めてゐる。

『活動名優寫眞帳』(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)

1910年代後半を代表するハリウッド女優。当時の『モーション・ピクチャー・マガジン』誌の人気投票結果を見ていくと1914年に15位で初ランクイン。翌年には10位(152万票)とトップテン入りし、1916年と18年に6位まで順位を上げています。

コミカルで愛らしい女性像を得意としたメアリー・ピックフォードとマーゲリット・クラーク、スポーティーな女性を代表していたパール・ホワイト、妖しさを体現したセダ・バラと並ぶ人気を得ていた訳です。

ヴァイタグラフ社の稼ぎ頭で悲劇調のドラマチックな作品を得意としていました。現存作品が少ないのが残念ですが、先日紹介した『呪の列車』の他に『人の欲望(Human Desire)』がDVD化されています。

[IMDB]
nm0829171

[誕生日]
2月7日

[出身]
アメリカ合衆国(ニューヨーク)

[サイズ]
18.8 × 24.0cm

[撮影]
Hoover L.A.