1917-22 忘れじの独り花(1) ステラ・ハルフ Stella Harf (1890 – 1979) 独

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Stella Harf Autographed Postcard
c1920 Stella Harf Autographed Postcard

嗚呼、挙げるべき名の何たる多き事か。生ける繊細さとも云ふべきエルナ・モレナ嬢、聖母の自愛に満ち、澄ました様子のマリア・カルミ嬢、朗らかなハンニ・ヴァイス嬢、叙情派ヘッダ・ヴェルノン嬢、若々しき毒気に溢れたステラ・ハルフ嬢、芸術家肌なるヴァンダ・トロイマン嬢、北欧の輝ける太陽エゲデ・ニッセン嬢、その明るさに心躍るカローラ・テーレ嬢、優美なるギルダ・ランガー嬢、誰からも等しく愛される優しげなロッテ・ノイマン嬢、うら若く、ピリツとしたブルガリア生まれのマンヤ・ツァッツェーワ嬢は心沸くような蛇の舞を披露したものであつた。

『映画(キノ)』マックス・プレルス著 (1919年)

Ah, wie viele wären noch zu nennen! Erna Morena, die feinnervige, Maria Carmi, die Madonnenfühle, etwas Gegierte, die lustige Hanni Weiss, die lyrische Hedda Vernon, die von jugendlich ungezierter Unmut beseelte Stella Harf, die artistische Wanda Treumann, der nordisch blonde Sonnenschein Egede-Nissen, Carola Toëlle, die muntere, lichte, dann die empfindsame, viel umschwärmte Lotte Neumann, die zierliche Gilda Langer, die junge, pikante Bulgarin Mania Tzatschewa, die aufregende Schlangentänze zeigte und gewagten Situationen mit lochender, zugreifend harmloser Natürlichkeit alles Peinliche nimmt.

1918年、第一次大戦の終戦によって従軍兵が帰国、製作会社も国威高揚を考える必要がなくなったため、ドイツ映画産業は新展開を見せるようになりました。「フィルム・クリエ」「映画芸術」「映画世界」など映画雑誌が次々と創刊されていきます。

『映画(キノ)』に名の挙がった女優たちは、この時期に活躍し、映画誌の表紙を飾り注目を浴びたものです。当時のドイツはデクラ社やユニオン映画社、ステルヌ社等を筆頭に多くの映画社がひしめきあっている状況でした。名の知れた俳優(ヘラ・モヤ、ヘンニ・ポルテン、フェルン・アンドラ、リュ・シンド)が自身の制作会社を立ち上げ、競争は熾烈になっていました。ある研究書に興味深い記述が残されています。

スターの立場に辿りつくには全力のマーケティングが必要で、映画会社は必ずしも乗り気ではなかったし実力的に無理なケースも多く、個々の俳優に委ねられているのが実情であった。[…] それほど知名度のない某男優など、雑誌の宣伝欄とベルリンの地下鉄駅構内の壁に数週にわたって写真を提供していたそうである。女優リー・パリーはシャウブルク映画館で自作プレミア上映があった際、客に数百枚の写真をばらまいていた。

『デンマーク現代性の偶像:
ゲーオア・ブランデスとアスタ・ニールセン』
ジュリー・K・アラン著 (2013年)

Achieving star status required extensive marketing, which studios were not always willing or able to provide, leaving it up to the individual actors to accomplish. […] one relatively unknown actor […] plastered his own picture on every advertising column and subway station wall in Berlin for weeks, and […] Lee Parry throwing hundreds of photographs of herself into the audience at the premiere of one of her films at the Schauburg cinema palace.

この傾向は1923、4年頃まで続きます。20年代も半ばになり始めるとファッションや考え方の現代的な女性が評価され、1910年代デビュー組は次第に取り残されていき、余程の実力者でない限りかつてのようにメディアで取り上げられる機会が少なくなっていくのです。

UFA社の躍進も要因となりました。巨大資本を元に大掛かりな作品を全国展開していくUFAを前に、俳優が自身で立ち上げた小さな映画社は太刀打ちできなくなっていました。

UFAは長く存続したこともあって古い作品も多く残されています。ドイツ映画の戦前期を語る際に同社のイメージが中心になるのも致し方ないところです。映画史そのものが上書きされてしまい、結果としてそれ以前、1917~22年頃に賑わった一部のドイツ映画が見失われることになりました。

Vergessene Filmgesichter (UFA magazine 1927-01-06)

「他の多くの者も、映画年鑑に当たらないと思い出せないくらい完全に記憶から消し去られていて[…]」

「映画界の忘れられた顔」(ウーファ・マガジン 1927年1月6日号)

Viele andere, die man so gründlich aus dem Gedächtnis verloren hat, daß man in Almanachen forschen muß […]

1927年に公刊された「ウーファ・マガジン」では多くの映画人が「あの人はどこに」の扱いを受けています。ヘラ・モヤヘッダ・ヴェルノンレッセル・オルラヴァンダ・トロイマンマリア・カルミ…まさに『キノ』で賛美されていた女優が並びます。

一世紀経った現時点から見ると、忘れ去られてしまった1910年代デビュー組と映画史に名の残った20年代組(例えばカミルラ・ホルンやブルギッテ・ヘルム)の差は実力差より「時の運」だったかなという感じです。

ステラ・ハルフは1910年代後半にデビュー、当時人気だったウェッブス探偵物の常連として活躍、探偵役を演じたエルンスト・ライヒャーと結婚しています。ウェッブス物の成功の勢いをかって一般のドラマにも出演、『カリガリ博士』(1920年)で知られるロベルト・ヴィーネ監督の作品でヒロインを演じたりもしていました。

『キノ』(1919年)掲載のポートレート
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1918年の主演作品『ベラニアの皇女』の雑誌広告より(ノイエ・キノ・ルントシャウ誌1918年7月13日号)

しかし20年代は伸び悩み29年『セント・ヘレナのナポレオン』の端役を最後に映画界を離れています。初期ウェッブス探偵物は海外にも輸出されていて、当時日本のスクリーンでも彼女の姿を見れたようです。

現在、各国の映画協会やアーカイヴを中心にこういったマイナーな俳優の出演作も発掘されるようになっています。「リタ・クレルモントやステラ・ハルフ、レオンティーン・キューンベルクらほぼ忘れ去られてしまった者たち」(ジュリー・K・アラン、前掲書)に再度光が当たる可能性も零とは言えない気がしています。

[IMDB]
nm0362880

[Movie Walker]
Stella Harf

[誕生日]
8月12日

[出身]
ドイツ(ドレスデン)

[サイズ]
8.8 × 13.6cm

[データ]
K-2328 Photochemie, Berlin. Alba-Film Berlin.