1917-22 忘れじの独り花(19)ヒルデ・ウォルテル Hilde Wolter (1898 – ?)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Hilde Wolter c1920 Inscribed Postcard
Hilde Wolter c1920 Inscribed Postcard

1918年、ハンス・ハインツ・エーヴェルス原作の怪奇小説『アルラウネ(妖花アラウネ)』が初めて映画化されています。魔草マンドラゴラを通じて生を受けた人造人間アルラウネを主人公としたSF仕立ての物語で、ヒロインを演じていたのがヒルデ・ウォルテルでした。初期ハンガリー映画界名匠オイゲン・イッレーシュ監督による大作は評判を呼びました。

Die Neue Kino Rundschau 1919-02-09-45
ノイエ・キノ・ルントシャウ誌1919年2月1日付
『アルラウネ』宣伝
同作の成功を受けて独ミュートスコープ&ビオスコープ社が契約に乗り出し、1919年には早くも女優自身の名を冠した映画シリーズが製作されています。しかし大きな成功を収めることはできぬまま1920年代初頭に契約を解消してオルプリート映画社に転籍。1922年にフレート・ザウエル監督作品で再起を図りますがこちらでも結果が出ないまま、ニルス・クリサンダー監督&主演作、『燃え上がる世界』(Die Welt in Flammen、1923年)を最後に姿を消していきました。
Die-Neue-Kino-Rundscha-1919-08-23-28-hilde-wolter
「ヒルデ・ウォルテル主演映画シリーズ」告知。ノイエ・キノ・ルントシャウ誌1919年8月23日付

[IMDB]
Hilde Wolter

[Movie Walker]

[誕生日]
6月19日

[出身]
ドイツ(ベルリン)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Verlag « Ross » Berlin S.W. 68. 359/1 Deutsch Mutoskop u. Biograph Film. Becker & Maass. phot.

1917-22 忘れじの独り花(17)ガード・エゲーデ=ニッセン Gerd Egede-Nissen (1895 – 1988) ノルウェー

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Gerd Egede-Nissen Autographed Postcard
Gerd Egede-Nissen c1920 Autographed Postcard
今までにも数度名前が出てきている北欧の人気女優アウド・エゲーデ・ニッセンの妹に当たるガードさん。エゲーデ・ニッセン家は元々俳優一家で、アウドと妹弟含めて6名が劇の道に進んでいます。

1918年9月7日付ノイエ・キノ・ルントシャウ紙より 主演作『復讐の女神』の広告
1918年9月7日付ノイエ・キノ・ルントシャウ紙より 主演作『復讐の女神』の広告

姉アウドとは異なりガードさんはノルウェーの舞台を中心とした活動を続け、戦後までの長いキャリアを築いていきます。それでも折に触れて映画に出演、当初はデンマークでスィランダと共演を重ね、次いで1918年からは(姉アウドを中心とした)ドイツ拠点のエゲデ・ニッセン映画社作品に出演し始めました。地元ノルウェーに戻って制作された『パン』(1922年)は商業的な成功も収めています。

『パン』(1922年)より
『パン』(1922年)より

[IMDB]
nm0250791

[Movie Walker]

[誕生日]
4月21日

[出身]
ノルウェー(ベルゲン)

[サイズ]
8.5 × 13.4cm

[データ]
Verl. Herm. Leiser, Berlin Wilm. 7477.
メッセージ面に1916年11月21日に独ケルンでタイプ打ちされた文章有。

1917-22 忘れじの独り花(13)ペギー・ロンガルト(ロンガード) Peggy Longard (1896 – ?)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Peggy Longard c1920 Autographed Postcard
Peggy Longard c1920 Autographed Postcard

1910年代末に女優デビュー、19年頃からメディアで名前を見かけるようになります。

Peggy Longard in 1919 Elegante Welt issue 14
エレガンテ・ヴェルト誌14号(1919 Elegante Welt)より

クレジットされていないものの1919年公開された『不思議な話』(Unheimliche Geschichten)に出演。コンラート・ファイトら男女優3名が悪魔に扮した背徳的な幻想譚です。後半に令嬢役で数カット登場している女性がペギーさんでした。

Peggy Longard in Unheimliche Geschichten (1919)
『不思議な話』(1919年, Unheimliche Geschichten)より

1921年に3部作『フォルチュナート』の女主人公に抜擢されましたが、同作はさほど話題にならず埋もれていきます。ペギー・ロンガルトも何がしかの理由でこの後映画界を離れてしまっています。実質的活動は三年ほどでした。

Die neue Kino-Rundscha 1921-01-29-21
ノイエ・キノ・ルントシャウ誌1921年1月29日号よりペギー・ロンガルト主演『フォルチュナート』3部作広告

[IMDB]
nm1800486

[Movie Walker]

[誕生日]
不明

[出身]
不明

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
« Ross » B.V.G. Berlin S.W. 68. Balász W30, Phot.

1917-22 忘れじの独り花(10)イーフェン・アンデルゼン Iven Andersen (生没年不明) デンマーク

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Iven Andersen c1920 Autographed Postrcard
Iven Andersen c1920 Autographed Postrcard

かつて「蛇身の舞」に於て妖艶万人を悩殺し去ったイーフェン・アンデルゼン嬢の主演映画 […]。

『恋に死ぬまで』(公開年不明)
キネマ旬報映画データベース

松竹がドイツ映画を多数輸入した第一回公開映画である。無声。

『蛇身の舞』(1919年公開)
キネマ旬報映画データベース

キネマ旬報映画データベースには1919年に「松竹がドイツ映画を多数輸入した」の記述がふくまれています。今回「忘れじの独り花」で紹介している流れに対応するもので、この時に第一弾公開『蛇身の舞』に主演していたのがイーフェン・アンデルゼンでした(Jven表記もあり)。ヘッダ・ヴェルノンの夫であり、第一次大戦前に彼女の主演作を多く監督していたフーベルト・モエストが発掘してきた女優さんです。

第一次大戦でドイツ映画の紹介が一時途絶えていたこともあり、同作の公開は歓迎され一部からの評価が高かった様子もうかがえます。

Iven Andersen in ...um eine Stunde Glück (1918)
第二主演作『束の間の幸運』(1918年製作)宣伝。ノイエ・キノ・ルントシャウ誌1919年2月9日付
Iven-andersen in Kinema (1919)
「デンマークの優美な花形」。スイス『キネマ』誌1919年の広告ページより

1919年の映画雑誌では「デンマークの優美な花形」と紹介され、記事中にもやはりデンマークへの言及があります。

この後数作で映画界から引退、その後の詳しい消息は不明ながら数年後、英国のリトルシアターで踊りを披露した記録(バラエティー誌1923年9月号)は見つかっています。映画の役柄でも踊り子役が多くこちらが本職だったのでしょう。

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英バラエティー誌1923年9月号より。リトルシアターで行われたパフォーマンスの紹介記事。

[IMDB]
nm1949675

[Movie Walker]
イーフェン・アンデルゼン

[誕生日]
不詳

[出身]
不明

[サイズ]
8.8 × 13.7cm

[データ]
Photochemie, Berlin. K.2866. phot. Atelier MacWallen, Berlin.

1917-22 忘れじの独り花(6)マルガ・キールスカ Marga Kierska

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Marga Kierska c1920 Autographed Postcard
Marga Kierska c1920 Autographed Postcard

1919年公開の『フィレンツェのペスト(Die Pest in Florenz)』は独デクラ社が海外市場を意識して製作した大作の第一弾でした。監督に連続劇『ホムンクルス』のオットー・リッペルト、脚本にフリッツ・ラングを配しています。

Marga Kierska in Die Pest in Florenz
『フィレンツェのペスト』(Die Pest in Florenz、1919年)より

ルネサンス期を舞台とした歴史パニック劇で実質的な主人公を演じていたのがマルガ・キールスカ(マルガ・フォン・キールスカ)。市中に広まっていく災禍に目を背け、贅沢と享楽に身を滅ぼしていく悪女の位置付けです。

とは言え「私の信じてる神は愛だけなの!」と言い放ち宗教者をたじろがせる場面や、地獄巡りの道中に自分の末路を重ねあわせ怯える場面など単純な善悪に収まらない多層的な性格付けを見ることもできます。セットや衣装に費用をかけるだけが大作ではない訳でリッペルトの演出、ラングの脚本共に一段高いレベルを目指している様子が伝わってきます。

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雑誌広告(ノイエ・キノ・ルントシャウ誌1919年10月11日号)より。

ヒロインに抜擢されたマルガ・キールスカもまた来るべき新映画の要請に応えています。この後ポーラ・ネグリやアスタ・ニールセンの脇に回った作品数作でフェイドアウトしてしまったのが惜しく思われます。

[IMDB]
nm0902524

[Movie Walker]
マラガ・フォン・カイエルスカ

[誕生日]
未詳

[出身]
不明

[サイズ]
8.8 × 13.5 cm

[データ]
Photochemie, Berlin. K.3315 phot. Bildnis Karl Schenker, Berlin.

1917-22 忘れじの独り花(2)マンヤ・ツァッツェーワ Manja Tzatschewa (1900 – 1975) ブルガリア

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Manja Tzatschewa c1920 Autographed Postcard
Manja Tzatschewa c1920 Autographed Postcard

ムルナウという監督は弱い者への温かい眼差しと幻視者の目を備えた数少ない映画人でした。ドイツ時代の『吸血鬼ノスフェラトゥ』『ファウスト』『最後の人』、渡米後の『サンライズ』『都会の女』等、幸いなことに代表作のほとんどが現存しているものの初期作の幾つかを見ることが出来なくなっています。

1921年製作の『マリッツァ』については10分程の断片(イタリア版プリントの第一リール)のみ現存。冒頭で一瞬猫がクローズアップされ、猫を抱きかかえて眠るヒロインが登場。名カメラマン、カール・フロイントによる美しい映像が観る者を引きこんでいきます。

Marizza (1922)

Manja Tzatschewa in Marizza (1922)
From « Marizza, genannt die Schmuggler-Madonna » (Murnau, 1922)

ヒロインのマリッツァ役を演じていたのはマンヤ・ツァッツェーワ。ブルガリア出身とされています。エキゾチックな血と顔立ちを生かしアジア女性や踊り子などの役柄を多く演じました。キャリアの盛期は1918~22年でその後表舞台から姿を消していきました。

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ルプ・ピック監督作品『ミスター・ウー』(1918年公開)でヒロインを務めた際の雑誌広告(ノイエ・キノ・ルントシャウ誌1918年7月13日号より)。

[IMDB]
nm0879266

[Movie Walker]
マンヤ・ツァッツェーワ

[誕生日]
12月27日

[出身]
ブルガリア

[サイズ]
8.6 × 13.5cm

[データ]
Verlag « Ross » Berlin S.W. 68. 296M Becker & Maass Phot.

1917-22 忘れじの独り花(1) ステラ・ハルフ Stella Harf (1890 – 1979) 独

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Stella Harf Autographed Postcard
c1920 Stella Harf Autographed Postcard

嗚呼、挙げるべき名の何たる多き事か。生ける繊細さとも云ふべきエルナ・モレナ嬢、聖母の自愛に満ち、澄ました様子のマリア・カルミ嬢、朗らかなハンニ・ヴァイス嬢、叙情派ヘッダ・ヴェルノン嬢、若々しき毒気に溢れたステラ・ハルフ嬢、芸術家肌なるヴァンダ・トロイマン嬢、北欧の輝ける太陽エゲデ・ニッセン嬢、その明るさに心躍るカローラ・テーレ嬢、優美なるギルダ・ランガー嬢、誰からも等しく愛される優しげなロッテ・ノイマン嬢、うら若く、ピリツとしたブルガリア生まれのマンヤ・ツァッツェーワ嬢は心沸くような蛇の舞を披露したものであつた。

『映画(キノ)』マックス・プレルス著 (1919年)

Ah, wie viele wären noch zu nennen! Erna Morena, die feinnervige, Maria Carmi, die Madonnenfühle, etwas Gegierte, die lustige Hanni Weiss, die lyrische Hedda Vernon, die von jugendlich ungezierter Unmut beseelte Stella Harf, die artistische Wanda Treumann, der nordisch blonde Sonnenschein Egede-Nissen, Carola Toëlle, die muntere, lichte, dann die empfindsame, viel umschwärmte Lotte Neumann, die zierliche Gilda Langer, die junge, pikante Bulgarin Mania Tzatschewa, die aufregende Schlangentänze zeigte und gewagten Situationen mit lochender, zugreifend harmloser Natürlichkeit alles Peinliche nimmt.

1918年、第一次大戦の終戦によって従軍兵が帰国、製作会社も国威高揚を考える必要がなくなったため、ドイツ映画産業は新展開を見せるようになりました。「フィルム・クリエ」「映画芸術」「映画世界」など映画雑誌が次々と創刊されていきます。

『映画(キノ)』に名の挙がった女優たちは、この時期に活躍し、映画誌の表紙を飾り注目を浴びたものです。当時のドイツはデクラ社やユニオン映画社、ステルヌ社等を筆頭に多くの映画社がひしめきあっている状況でした。名の知れた俳優(ヘラ・モヤ、ヘンニ・ポルテン、フェルン・アンドラ、リュ・シンド)が自身の制作会社を立ち上げ、競争は熾烈になっていました。ある研究書に興味深い記述が残されています。

スターの立場に辿りつくには全力のマーケティングが必要で、映画会社は必ずしも乗り気ではなかったし実力的に無理なケースも多く、個々の俳優に委ねられているのが実情であった。[…] それほど知名度のない某男優など、雑誌の宣伝欄とベルリンの地下鉄駅構内の壁に数週にわたって写真を提供していたそうである。女優リー・パリーはシャウブルク映画館で自作プレミア上映があった際、客に数百枚の写真をばらまいていた。

『デンマーク現代性の偶像:
ゲーオア・ブランデスとアスタ・ニールセン』
ジュリー・K・アラン著 (2013年)

Achieving star status required extensive marketing, which studios were not always willing or able to provide, leaving it up to the individual actors to accomplish. […] one relatively unknown actor […] plastered his own picture on every advertising column and subway station wall in Berlin for weeks, and […] Lee Parry throwing hundreds of photographs of herself into the audience at the premiere of one of her films at the Schauburg cinema palace.

この傾向は1923、4年頃まで続きます。20年代も半ばになり始めるとファッションや考え方の現代的な女性が評価され、1910年代デビュー組は次第に取り残されていき、余程の実力者でない限りかつてのようにメディアで取り上げられる機会が少なくなっていくのです。

UFA社の躍進も要因となりました。巨大資本を元に大掛かりな作品を全国展開していくUFAを前に、俳優が自身で立ち上げた小さな映画社は太刀打ちできなくなっていました。

UFAは長く存続したこともあって古い作品も多く残されています。ドイツ映画の戦前期を語る際に同社のイメージが中心になるのも致し方ないところです。映画史そのものが上書きされてしまい、結果としてそれ以前、1917~22年頃に賑わった一部のドイツ映画が見失われることになりました。

Vergessene Filmgesichter (UFA magazine 1927-01-06)

「他の多くの者も、映画年鑑に当たらないと思い出せないくらい完全に記憶から消し去られていて[…]」

「映画界の忘れられた顔」(ウーファ・マガジン 1927年1月6日号)

Viele andere, die man so gründlich aus dem Gedächtnis verloren hat, daß man in Almanachen forschen muß […]

1927年に公刊された「ウーファ・マガジン」では多くの映画人が「あの人はどこに」の扱いを受けています。ヘラ・モヤヘッダ・ヴェルノンレッセル・オルラヴァンダ・トロイマンマリア・カルミ…まさに『キノ』で賛美されていた女優が並びます。

一世紀経った現時点から見ると、忘れ去られてしまった1910年代デビュー組と映画史に名の残った20年代組(例えばカミルラ・ホルンやブルギッテ・ヘルム)の差は実力差より「時の運」だったかなという感じです。

ステラ・ハルフは1910年代後半にデビュー、当時人気だったウェッブス探偵物の常連として活躍、探偵役を演じたエルンスト・ライヒャーと結婚しています。ウェッブス物の成功の勢いをかって一般のドラマにも出演、『カリガリ博士』(1920年)で知られるロベルト・ヴィーネ監督の作品でヒロインを演じたりもしていました。

『キノ』(1919年)掲載のポートレート
die-neue-kino-rundscha-1918-07-13-34-stella-harf
1918年の主演作品『ベラニアの皇女』の雑誌広告より(ノイエ・キノ・ルントシャウ誌1918年7月13日号)

しかし20年代は伸び悩み29年『セント・ヘレナのナポレオン』の端役を最後に映画界を離れています。初期ウェッブス探偵物は海外にも輸出されていて、当時日本のスクリーンでも彼女の姿を見れたようです。

現在、各国の映画協会やアーカイヴを中心にこういったマイナーな俳優の出演作も発掘されるようになっています。「リタ・クレルモントやステラ・ハルフ、レオンティーン・キューンベルクらほぼ忘れ去られてしまった者たち」(ジュリー・K・アラン、前掲書)に再度光が当たる可能性も零とは言えない気がしています。

[IMDB]
nm0362880

[Movie Walker]
Stella Harf

[誕生日]
8月12日

[出身]
ドイツ(ドレスデン)

[サイズ]
8.8 × 13.6cm

[データ]
K-2328 Photochemie, Berlin. Alba-Film Berlin.