西條 香代子 [Saijô Kayoko]
日本・女優 & 女優別絵葉書ギャラリーより 本名は中村香代子、明治卅九年正月の元日に神奈川縣鶴見に生れる、女學校卒業後、大正十四年五月一日日活へ入社、「闇の中の顔」へ出演好評を博す。「ダンスとピアノと琴が好きでイ … 続きを読む : 西條 香代子 [Saijô Kayoko]
日本・女優 & 女優別絵葉書ギャラリーより 本名は中村香代子、明治卅九年正月の元日に神奈川縣鶴見に生れる、女學校卒業後、大正十四年五月一日日活へ入社、「闇の中の顔」へ出演好評を博す。「ダンスとピアノと琴が好きでイ … 続きを読む : 西條 香代子 [Saijô Kayoko]
秘宝館・『ジゴマ』 & 映画史の館・フランスより 1992年、伊ポルデノーネ無声映画祭でエクレール社初期作の回顧上映会が開催されました。この企画にあわせフランスの映画史専門誌『1895』からエクレール社の特集号が … 続きを読む : 1992 – 『1895』誌 第12号 特集:エクレール撮影所 1907-1918(仏映画史研究協会編)
以前から何度か投稿で扱ってきた雑誌『冨士』の付録、今回は1936年度版で表紙は山路ふみ子さん。タイトルの通り映画と歌劇の二本立てで構成されています。歌劇編(松竹・宝塚)も充実して面白かったのですが今回は映画編のみの紹介と … 続きを読む : 昭和11年(1936年)1月: 『映画とレビュー 人氣花形大寫眞帖』冨士新年號附録
サイン館・合衆国/カナダ/オーストラリア より ブランシュ・スウィート嬢はシカゴで生れ加州バークレーカリッジにて教育を受けた。幼い頃から舞臺に立ち始めチェインシー・オルコット氏や他の著名役者と共演している。舞臺を離れ銀幕 … 続きを読む : ブランシュ・スウィート Blanche Sweet (1896–1986)
芳三郎の身は漸く危險を免れたが、哀れや遊女の此花は、此の騒ぎの最中に、南蠻虎の手下の爲めに拉し去られて、南蠻寺の隠れ家に連れて行かれた。惡漢の大將なる南蠻虎と彌六の辰、鮟鱇の重は不思議にも捕手を逃れて行き方知れずになつて … 続きを読む : 1926 - 高木新平主演 『南蠻寺の怪人』(東亞、長尾史録監督) 説明本・出版者不明
湯川明文館による映畫文庫の第2番として公刊されたのが『雄呂血』でした。公開から約4か月後の1926年3月5日に初版。同月の10日までに十五版を重ねています。全124頁。表紙は二色刷り。冒頭に4枚のスチル写真があり、はしが … 続きを読む : 1925 – 『雄呂血』(阪妻プロ、二川文太郎監督) 湯川明文館・映畫文庫
嶮しいだらだら坂を下りて、もう麓も近いと思はれた頃、ふと眞十郎は歩みをとゞめて、 「靜に。」 と皆を制した。 「あれは何んだらふ。」 眞十郎が指さす方を見下すと、木の間がくれに白いものが飜つてゐる。 「はて何でせう。 … 続きを読む : 1925 – 『落武者』(松竹蒲田、清水宏監督) 湯川明文館・映畫文庫
大正五年に日本で公開された『呪の列車』はキネマ文庫(榎本法令館)など当時の説明本文庫で取り扱われることはありませんでした。唯一、子供向けの読み物雑誌として人気のあった「飛行少年」誌の大正五年十二月号に「繪もの語」版6頁が … 続きを読む : 1916 – 「活動繪もの語:呪の列車」(『飛行少年』大正5年12月号所収、日本飛行研究會)
『呪の列車』は元々ヴァイタグラフ社が新たに立ち上げたブルーリボンレーベルの第一弾として製作・公開されたものです。ブルーリボンは4巻物以上の(当時の基準としては)尺の長い「特作長編」に特化した制作会社の位置付けをされていま … 続きを読む : 1916 -『活動之世界』 大正5年(1916年)12月号より『呪の列車』関連記事
北欧諸国 [Nordic Countries]より 1949年10月11日親愛なるフィッシャー樣 お問いあわせ心より感謝しております。 (そうそう、ドイツ語で書かないといけないですよね) 「スイス画報」誌のためとの話で心 … 続きを読む : アスタ・ニールセン(1881 – 1972)、1949年の書簡
『サアサア、行け行け、今日こそは思ひのまゝに腕だめしをしてやるぞつ…』と、乾分どもはわいわいと出かけて行くので、今や大利根一帶の沿岸は殺氣滿ち充ちて今にも血の雨、血の川は目前に現はれ出るやうな氣がして來るのであつた。 斯 … 続きを読む : 1929 – 『大利根の殺陣』(東亞、嵐寛壽郎主演、後藤岱山監督、山中貞雄助監督) 瀧本時代堂 説明本
或る夜のこと、京都三條の橋の畔り淋しい所を通つて行くと彼方なる暗がりの物影より突然現はれ出た、四五人づれの壯漢があつた。 『ヤアツ…來たぞ』とばかりに、彼等がさゝやきの聲の未だ絶えぬ間に、最ふ彼等の白刄は半平太の前後左右 … 続きを読む : 1929 – 『月形半平太』(東亞、草間實主演、枝正義郎監督) 瀧本時代堂 説明本
以前にも何度か紹介した雑誌『冨士』新年特別号の昭和8年度版。同誌が1930年代に残した映画関連特別号は以下の6冊になります。 昭和6年(1931年)1月: 『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』 昭和8年(1933年)1月: … 続きを読む : 1933 – 『東西映画 人氣花形寫眞大鑑』 冨士新年號附録
日本・女優より 大正八年七月麻布區霞町元明治座の事務員藤田昌宏の次女に生る、大正十三年二月、姉藤田房子と共に松竹蒲田スタヂオに入る。古參役者として可愛がられ人氣がある。初舞臺は柳咲子の『猫』で鳴門のお鶴に扮して転載を認め … 続きを読む : 藤田 陽子 [Fujita Yoko]
初期日本映画の発展に大きな影響を与えた映画理論家、歸山教正氏の残した概説書シリーズの一冊。「小型映画講座」の枠組みで、9.5ミリと16ミリを中心に動画カメラの原理、フィルムの種類、映画光学の基礎、照明、間字幕の作り方など … 続きを読む : 1931 ‐ 『活動寫眞撮影術』(歸山教正&原田三夫共著、日本教材映画 [小型映画講座1])
帝政ロシア/ソヴィエト初期映画史再訪 [03] 1927年初めに公刊された書籍で、当時発展しつつあったソ連映画の現状を紹介したもの。『アエリータ』(1924年)や『戦艦ポチョムキン』(1925年)が公開された後に書かれて … 続きを読む : 1927 – 『新ロシア藝術:映画編』(ルネ・マルシャン&ピエール・ワインスタイン)
絵葉書と『演劇生活 Színházi Élet』誌から見る1910年代ハンガリー映画(05) 1896年、役者夫婦の娘としてミシュコルツに生れる。正式に演劇の勉強を学ぶことなく10代半ばにしてコメディ劇場で初舞台を踏む。 … 続きを読む : レンケッフィ・イツァ Lenkeffy Ica(1896–1955)と『シュラムの乙女(Szulamit)』(1916年、イレシュ・イェネー監督)
日本・女優より 若き日の榮えよ、めでたさよ!この一句を光川京子の讃とする。當年わづかに十七歳の京子の、現在の人氣はどうだろう!『お駒ちやん』といふ名で、蒲田撮影所員んみんなから可愛がられてゐるが、この名こそ第一囘作品『初 … 続きを読む : 光川 京子 [Mitsukawa Kyôko]
日本・女優より 本名瀧澤昇子。明治四十五年東京市赤坂區に生る。靑山女學校修業。大正八年帝國劇場にて初舞臺後引継ぎ舞臺にあり映畫界入りは大正十四年マキノ入社は昭和五年二月。娘役が得意、主な近作は「鴨川小唄」「光を求めて」「 … 続きを読む : 浅間 昇子 [Asama Shôko]
絵葉書と『演劇生活 Színházi Élet』誌から見る1910年代ハンガリー映画(03) 1890年代末から本格的に演劇活動を始め、劇場を転々としつつ下積みを重ね、1900年代に人気役者の仲間入り、映画産業の勃興した … 続きを読む : ベレギ・オスカー Beregi Oszkár (Sr.) (1876 – 1965) と『黄金の男』(1919年)&『怪人マブゼ博士』(1933年)