1926年4月17日 – 9.5mm 個人撮影動画『ニースにて/アントワーヌ・ジャロン一家』 Nice. Famille Antoine JALON 17-04-26

「9.5ミリ動画 05b 個人撮影動画」より

9.5mm Film d’amateur. « Nice. Famille Antoine JALON 17-04-26 »

昭和元年(1926年)に南仏ニースで撮影されたホームムービー。以前にデジタル化した『イラン・ゴレスタンの小さな家』と同一のカメラで撮影されたもの。ラベルの日付に従うならイラン編(1926年4月18日)の前日の動画。登場してくる人物も一部重なっています。

撮影場所は南仏の都市ニースの市街地。建物から出てきた家族連れが乗用車に乗りこむ前の様子を捉えています。カメラを意識している少年と蝶ネクタイの初老の男性はイラン編にも出ていました。少女が手にしている小さな傘は和傘でしょうか。彼の地でアジア趣味が好まれていた様子も伝わってきます。

デジタル化に際して幾つか問題がありました。撮影の途中フィルムが上手く回らず噛んでしまい、その部分が何度も露出され多重露出で白くなっていたのです。

sample08

フィルムを送る穴(パーフォレーション)のダメージもこの前後に見られます。フィルム送りが上手くいかなかった部分は動画化するとコマ落としした感じになってしまいました。個人による撮影なのでこの手のトラブルは時折あったと思われます。

アントワーヌ・ジャロン(Antoine Jalon)という人物が戦前フランスにいた記録は残っており末裔もご健在です。同姓同名の可能性もありますがひとまず連絡を取って確認を試みていきます。

1920年代後半 – 9.5mm 『サイゴンのフンヴーン廟/雄王庙』 戦前・アジア旅行記 2/7(ベトナム編)

「9.5ミリ動画 05b 個人撮影動画」より

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The Hùng Kings Temple / Đền Hùng (Vietnam late 1920s)
US Tourists in South and South East Asia 02

以前に紹介したマレーシアでのペナンヒル登頂動画の続編。貴重な映像ですが、フィルムの状態があまり良くありません。汚れが多く、また以前湿気に触れた状態で放置されていたようで一部の映像が流れてしまっています。悪しからずご了承ください。

冒頭、地元の馬車が映し出され、川辺の風景が映し出されます。しばらくして登場してくるのが中華風の宗教建築物。カメラを引いていくと龍の欄干が見えます。往来を繰り返しているのはお参りしている人たちでしょうか。辮髪姿も見えます。

調べてみたところ紀元前にこの地を統治したとされるHùng王(雄王)にまつわる霊廟、フンブーン廟でした。元々はヴェトナムが仏領だった1926年に大戦の死者を弔うため建立されたもので、1975年にフンブーン廟と改名されています。隣接しているサイゴン動植物園も一瞬ですが登場しています。

[1966年頃のフンブーン廟]
vietnammoi.vnより

1931 – 16mm 『殉教血史 日本二十六聖人伝』を見る (池田富保、後半第2リール、仏語サウンド版)

「池田富保 関連コレクション」より

1931年に公開された池田富保監督の歴史物。純商業作品ではなく国内外に向け日本のキリスト教徒のイメージアップを図る目的で製作されたものです。

『殉教血史 日本二十六聖人伝』16mm 仏語サウンド版
The 26 Martyrs of Japan / Les 26 Martyrs du Japon (c1950s Kodak 16mm Print w/French Narration, 2nd and last reel)

現存は以前から知られていましたが、近年海外のサレジオ会修道院で発見されたプリントが修復され、2017年2月にヴァチカン市国で上映されています。また国内でも2017年10月に企画「シネマの冒険 闇と音楽 2017」の一環として国立映画アーカイブ所蔵のプリントが上映されていました。

本作の成立背景については『日本研究 第41巻』に収録された山科淳氏の論文(「映画『殉教血史 日本二十六聖人』と平山政十 : 一九三〇年代前半期日本カトリック教会の文化事業」 PDF)に詳しいためこちらでは割愛させていただきます。

成立過程の特殊さゆえ宗教映画・プロパガンダ映画の側面に光が当たりがちな作品です。しかし純粋に1930年代初頭の無声映画として見ても興味深い点が多いものです。

1)日活でオールスター時代劇を任される機会の多かった池田監督の作品であり、本作も同社の重要俳優が多く出演しています。普段と異なった役柄は力量ある役者(山本嘉一、澤田清)にとって実力を発揮する良いチャンスとなりました。

日本二十六聖人伝 山本嘉一
ペトロパプチスタ神父役の山本嘉一(Yamamoto Kaichi as Pedro Bautista)
日本二十六聖人伝 澤田清
ヨハネ諏訪野正道役の澤田清(Sawada Kiyoshi as Suwano Masamichi)

喜劇の印象が強い高勢実がキリスト教徒弾圧を目論む僧侶として登場、憎々しい演技で気を吐いています。また池田映画でおなじみの怪優・新妻四郎は教会に盗みに入りながら、神父の言動に心動かされ改心していく強盗・北海熊を好演しています。

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トマス小崎彦太郎役の中村政登志(Nakamura Masatoshi as Kozaki Hikotaro)
日本二十六聖人伝 片岡千恵蔵
フランシスコ大工伝吉役の片岡千恵蔵(Kataoka Chiezo as Denkichi)
日本二十六聖人伝 市川小文治
前田玄意役の市川小文治(Ichikawa Kobunji as Maeda genni)
日本二十六聖人伝 金平軍之助
高山右近太夫長房役の金平軍之助(Kanehira Gunnosuke as Takayama Ukon)
日本二十六聖人伝 山本礼三郎
コスマ竹屋吉郎兵衛役の山本礼三郎(Yamamoto Reizaburo as Takeya Kichirobei)

映画の後半は弾圧・殉教篇で、ここでは子役たち(中村英雄、中村政登志、尾上助三郎)の芸達者ぶりが目を引きます。慈悲心を備えた僧侶として市川小文治、大工役の千恵蔵がそれぞれ持ち味を出していました。

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細川ガラシャ夫人役の伏見直江(Fushimi Naoe as Gracia Hosokawa)
右にマダレナ桜木役の山田五十鈴
日本二十六聖人伝 滝沢静子
竹屋女房お仙役の滝沢静子(Takizawa Shizuko as Osen)
右に吉松役の中村寿郎
日本二十六聖人伝 浦辺粂子
お久役の浦辺粂子(Urabe Kumeko as Ohisa)

出演場面は短いながら女優陣も健闘。伏見直江は堂々たる細川ガラシャ夫人姿を披露、その脇に山田五十鈴の姿も見えます。山本礼三郎の妻として登場する滝沢静子の豊かな感情表現。そして物語最後、十字架にかけられた我が子を探し泥だらけの姿で刑場へやってくる母親は演技派・浦辺粂子さんでした。

2)また本作からは日本無声映画の技法が成熟期に入っている様子も伝わってきます。『殉教血史 日本二十六聖人』の制作・公開された1930~31年は、欧米でカメラ移動の可能性が追及されていた時期でもあります。米キング・ヴィダー監督が映画史に残るクレーン撮影の長回しを披露した(『群衆』『街の風景』)のがこの時期でしたし、ドイツでは長尺で凝ったトラベリング撮影が好んで使用されていました(『令嬢エルゼ』『会議は踊る』)。

『日本二十六聖人』後半は聖職者と信者たちが長崎まで長距離護送されていく展開でトラベリングが多用されています。大掛かりではないものの緊張感と豊かな空間性をもたらす効果を出しており、製作陣が当時の最先端の感覚を取りこんでいる様子が伝わってくるのです。

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A martyr and his cross

また、信者たちが牢獄に閉じこめられている場面では祈りを捧げる際に格子の影が十字に浮かびあがります。『裁かるゝジャンヌ』(1928年)や『サンライズ』(1927年)にも見られた発想です。後者はキネマ旬報洋画部門の一位を取った作品でもあり、当時の邦画界もノウハウとして共有していたと思われます。

手元にあるプリントはフランスから輸入したもので後半第二リールのみ。リード部分にはフランス語でタイトルが付されています。字幕はなく音声付きの形でした。ナレーションの語り口や音楽から1940年代後半~50年代のプリントと思われます。

『殉教血史 日本二十六聖人伝』は製作者・平山政十の奮闘にもかかわらず欧州で一般公開されぬままで山科論文でもフィルムの動きは掴めていないままでした。この16ミリ版は平山氏が現地に残したプリントが何らかの形で編集され、仏語圏のキリスト教徒の集いで上映されていた痕跡と考えることができます。第一リールに含まれている内容(秀吉の変心や慶長伏見地震)は欧米人に馴染みにくいため第二リールの受難篇だけを単独で上映していたのではないでしょうか。現在Youtubeに完全版がアップロードされておりますので、興味のある方は是非一度ご覧ください。

『殉教血史 日本二十六聖人伝』

[タイトル]
殉教血史 日本二十六聖人伝

[公開年]
1931年

[JMDb]
bg004370

[IMDB]
tt0422548

[フォーマット]
16mm シングルパーフォレーション サウンド版 仏語ナレーション入り 500メートル(約45分)

1930年代 – 9.5mm 『時代祭 (京都平安神宮)』(伴野商店)

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Jidai Festival (1930s Kyoto, Japan. Banno Co.)

1930年代の時代祭を収めた1リール物のドキュメンタリー。

明治維新の維新勤王隊から始まり神幸列までを丁寧に捉えています。沿道に多くの客が並び、通りに面した家の二階にも行列を楽しんでいる姿が見えます。

自転車や乗用車、路面電車なども映りこんでいて、1930年代の街の風景として見ても興味深いと思います。「水月食堂 サクラビール」「藤井大丸呉服店」「ユニオンビール」など看板の文字も解読できました。

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「水月食堂 サクラビール」
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「藤井大丸呉服店」
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「ユニオンビール」

以前、個人が撮影した時代祭の9.5mm動画をデジタル化しました。その際のアングルとほぼ同じと思われる映像も含まれています。

左が伴野商会版、右の個人撮影動画はやや低めのアングルから撮影されています。

1917 – スーパー8 『移民』(Bネガ 東和版 1970年代初頭)

「8ミリ 劇映画」より

手持ちとしては4種類目となる『移民』のプリント。チャップリンがミューチャル社と契約していた時期に制作された作品はしばしば「ミューチャル短編」と括られます。しかし実際にミューチャル社のロゴを持つ最初期のプリントは『午前一時』を除くと見つかってないそうです。

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(左)東和版8mm (中)UK版9.5mm(右)フリッカー・アレイ版DVD

左二つは国外向けBネガ由来で、船酔いした左のロシア人がカメラを見ています。右のAネガ由来のDVDではチャップリンがカメラを直視しています。


credit
« Towa Company, Ltd.
Presents »

ネガやアウトテイクの流れをタイムラインで追っていくと次のようになります。

1919年、『移民』の制作元であるローン・スターフィルム社がミューチャル短編をクラーク・コーネリアス社に売却。この売却には米国内用のネガ(Aネガ)、輸出向けネガ(Bネガ)、さらに75万フィートに及ぶアウトテイクが含まれていました。

クラーク・コーネリアス社はロゴと字幕を新たに作り直し「チャップリン・クラシック・デラックス」シリーズと名付け、1920年から米国内での再公開を行っていきます。クラーク・コーネリアス社は1923年に一度発展解消、CCピクチャー社と名前を変えます。それでも「チャップリン・クラシック」のロゴは生き続け、1925年まで国内各地で上映が続けられていきました。

しかし時代に波にのまれ次第に売り上げは低迷、多額の負債を抱えたCCピクチャー社は借財返済のため二種類のネガとアウトテイクをオークションにかけます。1925年3月、国内向け/輸出向け2種類のネガの版権を買い取ったのがルイス・オーバック(Louis Auerbach)でした。同氏は自身が社長となり設立したミューチャル・チャップリン社に権利を売却します。

この時期に米コダスコープとの話が持ち上がり同社が16ミリのレンタル権を取得します。また国外向けに仏パテ/英パテスコープとの契約が結ばれ9.5mm形式のフィルム販売が行われていきます。両者の元になったのはチャップリン・クラシック版ですが16mm/9.5mmいずれも元々の形ではなく、細かな改変が行われたそうです。

1917~18年に実写されていたミューチャル版が発見されれば全ては解決されるはずですが、それが叶わない現在、1920年代前半に使用されていた「チャップリン・クラシック」を元に「正規版」の再構成が行われています。2014年にフリッカー・アレイ社から発売された『チャップリンのミューチャル喜劇 1916-1917』に至るまで、専門家が集まってできる限りオリジナルに近づけようとしているのです。

しかしながら「チャップリン・クラシック」版をベースにしていくと足りないパーツがあるようだ、ということが分かってきます。1917年のオリジナル公開時、著作権登録のために作品を要約した文章が残されていて、そこに書かれている幾つかの場面が見当たらないのです。

例えば(1)冒頭、船上でチャップリンが船酔いしたロシア人と出会った後、臭気に耐え兼ね船の逆側に逃げ出したところ、母に背をさすられ嘔吐している息子の場面があったとされています。また(2)食堂でヒロインと出会ったチャップリンが、食堂を出た後の場面があったとも記されています。

この場面は現時点では確認されておらず、フリッカー・アレイ版のDVD/ブルーレイにも収められておりません。ただ、数人の専門家が「昔TVで観た版にはあった」と記憶を頼りに証言。しかもその一人は「2000年頃、日本のテレビで見た『移民』にその場面があった」とのこと。

Two missing scenes from the Flicker Alley’s 2014 Blu-ray/DVD version. (left) « with his mother’s assistance he manages to empty the contents of his anatomy in a series of volcanic spasms »(right) « … necessitating a hasty grip on his mouth and a dash to therailing outside »

「ノーカット版」とされた今回の日本語字幕版8ミリはその意味で興味深い物でした。実際に「母親が嘔吐する息子の背中をさすっている場面」「食堂から出ていくチャップリンの後ろ姿」、他にもフリッカー・アレイ版に存在していない短い場面が幾つも含まれています。

食堂でのチャップリン/エドナを捉えている角度から、この8mmプリントがBネガ(輸出用ネガ)を元にしているのも確認できます。『移民』の日本初公開は1918年ですので、その際に輸入されたプリントから派生してきたものであるとすると「チャップリン・クラシック」以前、ミューチャル社配給によるプリント(ただしBネガベース)なのかなという印象です。

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1917-the-immigrant-jp-super8-10

(left) Japanese super8 (center) UK pathescope 9.5mm (right) Kodascope 16mm

同じBネガ由来の英パテスコープ版と比べてみると、UK版はアスペクト比(縦横比率)がおかしくなっていて、やや横が圧縮されていると分かります。東和版のエドナの方がややふっくらして見えますがこちらが元の比率。ただしトリミング幅も大きいです。コダスコープ版はAネガ由来のため撮影角度が異なっています。

正規版は本国初公開版(Aネガ)の再構成を目指していてBネガの出番はあまりないとも言えます。また2リール物=約24分程度にまとめたい、という整合性の問題も発生します(東和版は30分ほどの長さ)。それでも、本国の専門家すら見たことのない場面が日本のお茶の間で普通に放送されていたのが面白いところ。子供の頃に何度も見たあの『移民』にはお宝が隠されていたのでした。

参考文献
Chaplin’s Vintage Year: The History of the Mutual-Chaplin Specials / Michael J Hayde (2014年) Google Booksにて購入

1930年代 – 9.5mm『捕鯨の話』(第2リール)

『捕鯨の話』
Whaling in Japan (« Hogei no Hanashi » Reel No.2, 9.5mm, 1930s, Banno Company)

1930年代の捕鯨の様子を記録したドキュメンタリー動画。

元々フランスのパテベビー映写機は子供をメインターゲットの一つに据えており、初期アニメなどの娯楽作品の他にも理科や社会につながる作品を出していました。産業を扱った作品も多く、農作物の収穫や工場の様子、また狩猟や漁(イノシシ猟、牡蠣漁、ニシン漁、イワシ漁)を記録した動画を見ることができます。

日本の伴野商店が制作した『捕鯨の話』もその流れに連なる作品です。後半の第2リールのみ入手のため全体像は不明ですが、マッコウクジラの群れを見つけ、銛で仕留め、港に運びこんで解体するまでの流れが追われています。

[メーカー]
伴野商店

[カタログ番号]
196

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有) 20m*2リール(第2リールのみ)

1920年代中頃 9.5mm ベルギー 個人撮影フィルム 6本

「05b 個人撮影動画」より

1920年代中盤にベルギーで撮影された家族動画。仏パテ社の20mリール×6本。元々フィルム1本+3本の組みあわせで購入したのですがが、2本おまけを付けてくれました。

自然に囲まれ、多くの動物(ウサギやヤギ、猫)を飼っている若夫婦一家を舞台とし、おそらくネリーさんという名前の娘の成長を追った内容。

1920年代中頃 9.5mm ベルギー 個人撮影フィルム 6本
Mid 1920s Belgium 6 Private Films

[01] 『絵本』Le Livre d’images – 1924
    ・テーブルで熊の人形と一緒におままごとをしている様子
[02] 『ピトゥチュ一家』La Famille de Pitoutch – 1925
    ・1925年8月30日、娘さんの3歳の誕生日に撮影された一本
[03] 『ネリーの友達』Les Amis de Nelly – 1925
    ・家で飼っているウサギや猫を主に撮影したもの
[04] 『無題』
    ・母親と一緒にヤギと戯れている様子
[05] 『無題』
    ・前半は猫を抱いてお座りしている様子、後半は屋内での入浴
[06] 『無題』
    ・この一本だけ数年の時間を置いて撮影されており、
     一人で自転車に乗っている場面と母親との菜園いじりが収められています。

9.5mm動画カメラが市販されて間もない1924年の年号が見られ、時期の特定できている手持ちのフィルムとしては最も古いものです。一部に手書き字幕が挿入されているなど技術力が伝わってきます。

2013年2月に購入したセットで何度か映写機で実写しています。左が今回行った解像度4800dpiでのスキャニング、右は1920年代末のアレフ映写機での実写(2015年7月)。アナログは上下トリミングされて粒子感が強く、画面四隅にレンズの球面収差によるボケが出ています。それでも25ワットの微弱な光源でこの解像度はなかなかではないかと。