1917 – 16mm 『チャップリンの勇敢』第2リール 米コダック社シネグラフ琥珀染色版

「16ミリ 劇映画」より

« Easy Street » (1917, Mutual Film Co., dir/Charles Chaplin)
Late 1920s Kodak Cinegraph 16mm Amber Tinted Print 2nd Reel

一文無しに落ちぶれ果てたチャーリー君は伝道所に迷いこんでしまひ、そこで更生を果たした。まず成し遂げた善行は、盗んだばかりの募金箱を返したことであつた。次いで警察に勤めはじめ「イージー・ストリート」を任されるに相成つた。警官が担架で自宅送りされるのが当たり前といふ町一番に治安の悪い一画である。しかしチャーリーは悪番長をやつつけてしまい、教会で自身の更生を手伝つてくれた麗しき女性を助けその心を掴むのである。誰もが好きにならずにいられないチャップリン定番喜劇で、最初から最後まで笑い転げる程に面白い。

「コダスコープ・レンタル用フィルムカタログ詳細版」(1932年、初年度版)

Charlie, a down-and-outer, wanders into Hope Mission where he is reformed, his first good act being to give back the collection plate which he had stolen. He then joins the police force and is assigned to Easy Street, the city’s worst section from which as a regular thing the policemen are brought home on stretchers. But in a characteristic manner he overcomes the ring leader of the ruffians and rescues and wins the beautiful mission worker who had reformed him. A regular Chaplin comedy of the kind everybody likes. Uproariously funny from end to end.

Descriptive Catalogue of Kodascope Library Motion Pictures (1st Edition, 1932)

米コダック社が1920年代にレンタル権を獲得して扱いを始めたコダック・シネグラフ16ミリ版の『勇敢』。このシリーズは質の高いプリントと美しい琥珀色の染色で知られています。元々2巻物で今回入手したのは後半第2リール。

ミューチャル期短編について復習しておくと現行のプリントは米国内用(Aネガ)と海外用(Bネガ)の異なった二種から派生してきたものです。コダック版の大元はAネガですが一度改編が施されたものであるため早期に派生した亜種(A’ネガ)の扱いをされることもあります。今まで入手してきた『勇敢』(仏パテ9.5ミリ版、英パテスコープ9.5ミリ版、東和スーパー8版)はいずれもBネガ由来。今回初めて戦前Aネガ系の実物が手に入ったことになります。

左がコダック版16ミリ、右が東和プリント版スーパー8。

エリック・キャンベル演じる悪番長との乱闘場面で言うとコダック版(Aネガ由来)は右に置かれたカメラから撮影されており、二人の姿を斜め前から撮っています。東和版(Bネガ)は左に置かれたカメラで撮影されており、二人の姿をほぼ真横からのアングルで撮っています。近景にある物(通りの名が入ったプレート)と遠景の事物(窓枠)との位置関係がずれているのも分かるかと思います。

2021年GWは遠出ができなかったため、家時間を利用して16ミリフィルムをデジタルスキャンする簡易装置を製作していました。白飛び/黒潰れがありますが悪くないかな、と思います。綺乃九五式とは違って単発のスキャンのみなのでここまできたら16ミリ用自動連続スキャナーを作るしかない気がしてきました。

1930年頃 – 16mm『チャップリンのスケート』抜粋 +『チャップリンの伯爵』抜粋 仏パテ・コダック社プリント

「16ミリ 劇映画」より

« Charlot Bout en Train » & « Charlot en Soirée »
(« The Rink » & « The Count » excerpts, 1916, Mutual Film Co., dir/Charles Chaplin)
c1930 French Pathé-Kodak 16mm Print, Ciné « Kodagraph »

※2021年5月にスキャンを行いスクリーンショットをアップデートしました。


1927年にジョルジュ・イーストマンとシャルル・パテの合意を元に仏「パテ・コダック社」が設立されます。コダック製のカメラや映写機の輸入は同社を介して行われるようになりました。

エクセルシオール紙1928年5月24日付掲載の広告より

1928年の仏パテ・コダック社の広告。右下を見るとチャップリン作品も引き合いに出しつつ16ミリフィルムのレンタルサービスとして「コダスコープ(Kodascope)」が紹介されており、その下に市販用16ミリフィルムのブランドとして「コダグラフ(Kodagraphs)」の名称が使用されています。

仏パテ・コダック社が実際に市販していたのがこのような外箱入りのフィルムでした。右下に「フランス製(Fabriqué en France)と印刷され、フィルム本体のパーフォレーション部分にも「仏コダック」の文字があります。

ブザンソン市の写真店フォト・コステ社のラベルが貼ってあり、薄くなったタイプライターの印字は「Charlot Bout-en-train/Charlot en Soirée」となっています。改題されているもののそれぞれ『チャップリンのスケート』と『チャップリンの伯爵』の有名な場面を100フィートずつ抜粋したものです。フォト・コステ社が16ミリのレンタル用に2本のフィルムを繋ぎあわせたと考えられます。

『スケート』『伯爵』両作品ともチャップリンがミューチャル社と契約していた時期の短編です。同社は配給時に米国内用ネガ(Aネガ)、輸出用ネガ(Bネガ)二種類を用意していたことで知られています。フランスで市販されていたこのフィルムはどちらを元にしたものでしょうか。

他のフィルムと照らしあわせてみたところ個人的な予想と裏腹にAネガを元にしていました。親会社のコダックが合衆国拠点だったため、という話なのでしょうね。一方で同時期にフランスで市販されていたパテ社9.5ミリ版『伯爵』はBネガ由来でした。同じ国で同時期に同名チャップリン作品が売られていても実はネガは違っていた(=厳密に言えば同一作品ではなかった)という興味深い結論がでてきます。

1924 – 16mm 『ニーベルンゲン第2部:クリームヒルトの復讐』(フリッツ・ラング監督) 英語字幕US版

フリッツ・ラング関連 [Fritz Lang Related Items]より

今年の正月休みに『クリームヒルトの復讐』16ミリ版を鑑賞しました。

2013年4月に入手したもので実写は今回が初めてです。1100フィート2本組で英語字幕、ダブルパーフォレーション無声。上映時間は約63分でオリジナルの半分に編集されています。製作会社のクレジットは無くプリントも無銘ですが、傷が少なく個人で視聴する分には十分でした。

デジタルリストア版の基になったドイツ国内用ネガ、9.5ミリ版の基になった輸出用ネガのどちらとも異なったアングル・テイクを含むもので、UFAが合衆国向けに準備したネガから派生したコピーだと思われます。アッティラ王による求婚をめぐる王家の紛糾、ハーゲンがその在り処を知るニーベルンゲンの財宝をめぐる駆け引きといった前半のエピソードが多く省略され、その代わりにできる限り後半の戦闘場面を残そうとしていました。

この16ミリ版には1)クリームヒルトによる「回想場面」が多く含まれています。前篇『ジークフリート』の名場面が幾つか映し出される趣向はデジタルリストア版には無いものです。2)また結末部、クリームヒルトは本来刺されて亡くなる設定ですが16ミリ版では復讐を遂げたことで精魂尽き果てて息絶える展開に改変されています。

このフィルムはメディア・ライブラリーが旧蔵していた「Ex-Library Film」と呼ばれる類のプリントです。到着した時に図書館名が黒塗りで消されていたので不安になり、消された文字を解読して見ました。アラスカ州の「アンカリッジ市立図書館(Anchorage Municipal Library)」と判明しホームページ経由で確認。「以前に売却処分したフィルムの一つですので持っていて構わないですよ」の回答でホッとしたのを今でもよく覚えています。

1931 ‐ 『活動寫眞撮影術』(歸山教正&原田三夫共著、日本教材映画 [小型映画講座1])

Katsudou Shashin Satsueijutsu [Filming Moving Pictures] – Kaeriyama Norimasa (1931)

初期日本映画の発展に大きな影響を与えた映画理論家、歸山教正氏の残した概説書シリーズの一冊。「小型映画講座」の枠組みで、9.5ミリと16ミリを中心に動画カメラの原理、フィルムの種類、映画光学の基礎、照明、間字幕の作り方などについてまとめています。

技術面に特化した書籍ながら、巻頭に置かれた48頁の写真群は歸山氏の趣味やこだわり、人脈が反映されたものとなっています。洋画では現在でも無声映画の代表作とされる諸作(『裁かるるジャンヌ』『ニーベルンゲン』『戦艦ポチョムキン』)のスチルを収録。他にも独ウーファ社の作品が目立ちます。

国産映画の珍しい画像(撮影中のショット含む)が多く含まれていました。

「或映畫場面のコンポジション(映畫藝術協會)」と題された一枚。さらっと紛れこんでいますがもしかして『深山の乙女』(歸山教正監督、花柳はるみ主演)ではないですか。

「「撮影と照明(1)松竹蒲田映畫」と題された一枚。八雲恵美子さんの姿が見えます。

「實物の室内撮影と照明(日活映畫)」。写真上、左から峰吟子、夏川静江、一人置いて中央に村田實監督でしょうか。そうだとすると『この太陽』(1930年)の撮影風景になります。

初期の日活向島が有していたグラスハウス型スタジオ。

『活動寫眞撮影術』は「小型映画講座」と題された6冊物の第1巻に当たります。他の巻も歸山氏が絡んでおり共著に村田實、夏川静江、徳川夢聲氏の名が挙がっています。

1930年代中盤 中村パテー商会 パテースコープ5型 9.5/16ミリ両用映写機

Mid 1930s Nakamura Pathe co., N.M. Pathe Scope 9.5-16mm Silent Projector Model 5

1930年代に日本の中村パテー商会が製造・販売していた9.5ミリ/16ミリ両用のサイレント映写機。シリアル番号は7004。

レンズは五藤光学研究所のF=50mmを使用。ランプは75V500W。

土台部分に3つのスイッチがあって左から順にM(モーター)、L(ライト)、P(パイロットランプ)。メインホイール側の側面にある二つのつまみがモーターの回転数と光量調整用。背面の下にノブがあって左右に回すと映写機の仰角を調整できます。


9.5ミリと16ミリの切り替えはゲージ等関連パーツを取り換えることで可能。金具の形状などボレックスDA〜G916映写機に似ています。一方で金属製ベルトをねじって掛ける形はパテックス社200B映写機に影響を受けています。

「モーターが動いたり動かなかったりする」という状態で入手。コードを繋いでスイッチを入れると確かに反応したりしなかったり。動いている時も回転数が不安定で火花が飛んでいます。

モーター部のカバーを外してみました。ブラシ式のモーターでルーターを挟みこむようにカーボン製のブラシがセットされています。このブラシの劣化・摩耗が火花、接触不良の原因かもしれません。交換して結果を見てみたいと思います。

折角の機会ですので他の部分もメンテナンスしておきます。モーターの軸は逆側で冷却ファンを回転させています。こちらもかなり埃がたまっていました。

今の状態であまり長く動かしたくはないのですが、フィルム送りの確認も兼ねて数分回してみました。数十センチ前の壁に映写したため小さくしか映っていませんがレンズ自体は良い感じ。F=50ですので3メートルの距離で映写すると綺麗に映せそうでした。

1913 – 16mm グヴェンドリン・ペイツ主演 米パテ社作品『凍てついた道の果てに(The Frozen Trail)』

Gwendoline Pates from 1913 Motion Picture Story Magazine January Issue
グヴェンドリン・ペイツ
『モーション・ピクチャー・ストーリー・マガジン』1913年1月号グラビアより

或る町にうら若き乙女マドレーヌ(グヴェンドリン・ペイツ)が住んでいた。この娘に想いを寄せる男が二人、ジョンとチャーリーの兄弟であつた。チャーリーは性格に難があり、かつとなると何をしでかすか分からない男であつた。マドレーヌが心を決めた相手はジョンであつたが、さうと知つたチャーリーは血相を変えて娘を責め始めた。やつてきたジョンと取っ組みあいの喧嘩が始まる。「二人でこの街を離れよう」、ジョンの言葉に娘はうなずいた。マドレーヌは荷物をまとめジョンとともに町を離れるのであつた。

五年後、アラスカの自然に取り囲まれながら、小さな丸太小屋で娘と暮らしている夫婦の姿があつた。貧しくはあつたが幸せであつた。或る日、二人の住み家から少し離れた酒場に無精ひげの男がふらり姿を現した。五年の間マドレーヌたちを探し続けたチャーリーであつた。酒場で得た情報を元に夫婦の家に向ったが、あいにくに天候に阻まれ遭難、ちょうどそこを通りかかったジョンに助けられた。

ジョンは仇敵の兄を助けたとは露知らず、男を小屋に連れて帰った。マドレーヌの懸命な介護のおかげでチャーリーは一命をとりとめる。しかし悪漢の心に感謝の気持ちはなかつた。夫婦が出かけた隙に犬ぞりを用意し、戻ってきたマドレーヌを拉致しようと試みる。驚いて自室に逃げこんだ女。男はマドレーヌの娘を人質にとり、自らの素性を明かして女に出てくるよう促した。子供の命には代えられず、マドレーヌは部屋の鍵を開けた。チャーリーは女を抱え上げると犬ぞりに放りこんで一路町を離れた。

自宅に戻ってきたジョンの気がついた異変。妻が見知らぬ男と駆け落ちしたと勘違いしてしまう。猟銃を手に追いかけていく。幸いにも愛娘を取り返すことはできたが、後の二人は手の届かない先へと消えてしまっていた。

ところがである。しばらくして丸太小屋の外で物音がした。扉を開けると妻が倒れていた。「何をしに戻ってきた」、ジョンの言葉は冷たかった。「雪に埋もれて死んでいるのはあなたのお兄樣ですのよ」。マドレーヌの蒼白な唇から放たれたのは驚くべき言葉であった。「あの方は私が貴方を愛しているのを逆恨みしてやってきたのでございます。たつた今…撃ち殺して参りました」。女は証拠として一枚の写真を取り出した。それはかつて、幼き頃のマドレーヌがジョン宛に送った自身の写真であつた。真実を知つたジョンは妻と娘をかたく抱きしめるのであつた。

◇◇◇

パテ社監督のレオ・ウォートンはサラナックレイクへのロケを目論んでいる。大規模なスタッフを同行予定で、チャールズ・アーリングとグヴェンドリン・ペイツが含まれている。雪景色を添えた大掛かりな長編映画が出来上がる予定である。(モーション・ピクチャー・ストーリー・マガジン1913年3月号)

Leo Wharton, Pathé director, contemplates a trip to Saranac Lake Region. Wharton will take with him a large company, including Charles Arling and Gwendoline Pates, and will produce some large feature pictures with winter backgrounds. (The Motion Picture Story Magazine, 1913 March Issue)

1913年米パテ社公開の短編映画。この前後のハリウッドは新興映画社(ヴァイタグラフ、ビオグラフ、エッセネイ、クリスタル、タンホイザー、パテ・フレール、カレムなど)による群雄割拠の時代となっていました。各社が発掘してきた俳優たち(アリス・ジョイス、ノーマ・タルマッジ、フローレンス・ラバディ、ブランシュ・スウィート、リリアン・ギッシュ、ルース・ローランド、パール・ホワイト)も粒ぞろいで、1910年代を通じて活躍していく重要な才能がそろい踏みしています。

米パテ社が1911年に契約したグヴェンドリン・ペイツもまたそんな新進女優の一人でした。幼いころからボードヴィルで鍛えられていたため舞台慣れしていてすぐに同社花形に出世していきます。しばらくは自身と同じ「グヴェンドリン」をヒロイン名とした軽喜劇に主演、知名度が上がるにつれて本格的なドラマにも進出。雪景色のアラスカ(撮影は近場のサラナックレイク)を舞台とした2リール物の情念ドラマ『凍てついた道の果てに』主演を果たしています。

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監督はレオポルド・ウォートン。10代初めから自身ステージに登場しローラースケートの軽業を披露していました。俳優として米パテ社に合流後ほどなくして監督業に携わるようになり、グヴェンドリン・ペイツとチャールズ・アーリングを主演とした軽喜劇でヒットを飛ばすようになります。1914年にパテ社から独立。弟のテオドアと共にウォートン映画社を設立、同社作品をパテ社経由で配給していくようになりました。実力を買われ1914年にはルイ・ガスニエと共にパール・ホワイト主演の『拳骨』監督に抜擢、この作品の成功で連続活劇の道が開け、以後『ミラの秘密』(1916年)、『パトリア』(1917年)、『ベアトリクス・フェアファックス』(1920年)などの名作を製作・監督していきました。

『凍てついた道の果てに』はウォートンが1)俳優、2)短編喜劇監督、3)短編ドラマ監督、4)連続活劇監督とステップアップしていく3)に位置しています。『拳骨』で名を上げる監督がその一年前にどのような作品を撮っていたのか見えるという話であり、ハリウッド活劇発展史の一断片としても興味深いものです。

一方のグヴェンドリン・ペイツは1914年にはパテ社を離れ夫と共に自身の会社(グリュー・ペイツ・プレイヤーズ)を設立、舞台に専念していきます。元々運動能力が高かったようで、1914年秋にはパテ社の許可を得た『ポーリーンの危難』舞台版の主演も勤めていました。この後映画史から忘れられてしまうのですが、短期間ではありながらもウォートン作品のメイン女優として活躍した功績は強調されても良さそうです。

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米ベル&ハウエル社 57型 16mmサイレント映写機

ベル&ハウエル社フィルモ映写機の初期機種。側面に特許の更新履歴が記録されていて1927年春が最後となっているため27~28年頃に生産された一台と思われます。

発売当初の初期モデルでは土台が円形で映写機が垂直に立っていたのに対し、後期モデルは楕円形の土台を採用し機体を傾けることで独特なフォルムに変わっています。また本体に差しこむ電源プラグの金具が通常の現在の日本と同じ「II」の平行型ではなく、直列「- -」型の規格を採用していました。

1928年に大幅なモデルチェンジが行われ「57-R」「57-ST」の枝番を与えられたフィルモ・マスターが発売、その役目を終えました。米16ミリ映写機のデザイン面ではこの57型と129D型、コダック社のコダスコープB型辺りが頂点ではないでしょうか。

[発売年]
1927~28年

[メーカー名]
米ベル&ハウエル社

[ランプ]
DAG(500W 120V, P46l)

[レンズ]
B&H 2 inch Projection Lens

[シリアルナンバー]
53410

1931 – 16mm 『殉教血史 日本二十六聖人伝』を見る (池田富保、後半第2リール、仏語サウンド版)

「池田富保 関連コレクション」より

1931年に公開された池田富保監督の歴史物。純商業作品ではなく国内外に向け日本のキリスト教徒のイメージアップを図る目的で製作されたものです。

『殉教血史 日本二十六聖人伝』16mm 仏語サウンド版
The 26 Martyrs of Japan / Les 26 Martyrs du Japon (c1950s Kodak 16mm Print w/French Narration, 2nd and last reel)

現存は以前から知られていましたが、近年海外のサレジオ会修道院で発見されたプリントが修復され、2017年2月にヴァチカン市国で上映されています。また国内でも2017年10月に企画「シネマの冒険 闇と音楽 2017」の一環として国立映画アーカイブ所蔵のプリントが上映されていました。

本作の成立背景については『日本研究 第41巻』に収録された山科淳氏の論文(「映画『殉教血史 日本二十六聖人』と平山政十 : 一九三〇年代前半期日本カトリック教会の文化事業」 PDF)に詳しいためこちらでは割愛させていただきます。

成立過程の特殊さゆえ宗教映画・プロパガンダ映画の側面に光が当たりがちな作品です。しかし純粋に1930年代初頭の無声映画として見ても興味深い点が多いものです。

1)日活でオールスター時代劇を任される機会の多かった池田監督の作品であり、本作も同社の重要俳優が多く出演しています。普段と異なった役柄は力量ある役者(山本嘉一、澤田清)にとって実力を発揮する良いチャンスとなりました。

日本二十六聖人伝 山本嘉一
ペトロパプチスタ神父役の山本嘉一(Yamamoto Kaichi as Pedro Bautista)
日本二十六聖人伝 澤田清
ヨハネ諏訪野正道役の澤田清(Sawada Kiyoshi as Suwano Masamichi)

喜劇の印象が強い高勢実がキリスト教徒弾圧を目論む僧侶として登場、憎々しい演技で気を吐いています。また池田映画でおなじみの怪優・新妻四郎は教会に盗みに入りながら、神父の言動に心動かされ改心していく強盗・北海熊を好演しています。

26-martyrs-of-japan-21-nakamura-masatoshi
トマス小崎彦太郎役の中村政登志(Nakamura Masatoshi as Kozaki Hikotaro)
日本二十六聖人伝 片岡千恵蔵
フランシスコ大工伝吉役の片岡千恵蔵(Kataoka Chiezo as Denkichi)
日本二十六聖人伝 市川小文治
前田玄意役の市川小文治(Ichikawa Kobunji as Maeda genni)
日本二十六聖人伝 金平軍之助
高山右近太夫長房役の金平軍之助(Kanehira Gunnosuke as Takayama Ukon)
日本二十六聖人伝 山本礼三郎
コスマ竹屋吉郎兵衛役の山本礼三郎(Yamamoto Reizaburo as Takeya Kichirobei)

映画の後半は弾圧・殉教篇で、ここでは子役たち(中村英雄、中村政登志、尾上助三郎)の芸達者ぶりが目を引きます。慈悲心を備えた僧侶として市川小文治、大工役の千恵蔵がそれぞれ持ち味を出していました。

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細川ガラシャ夫人役の伏見直江(Fushimi Naoe as Gracia Hosokawa)
右にマダレナ桜木役の山田五十鈴
日本二十六聖人伝 滝沢静子
竹屋女房お仙役の滝沢静子(Takizawa Shizuko as Osen)
右に吉松役の中村寿郎
日本二十六聖人伝 浦辺粂子
お久役の浦辺粂子(Urabe Kumeko as Ohisa)

出演場面は短いながら女優陣も健闘。伏見直江は堂々たる細川ガラシャ夫人姿を披露、その脇に山田五十鈴の姿も見えます。山本礼三郎の妻として登場する滝沢静子の豊かな感情表現。そして物語最後、十字架にかけられた我が子を探し泥だらけの姿で刑場へやってくる母親は演技派・浦辺粂子さんでした。

2)また本作からは日本無声映画の技法が成熟期に入っている様子も伝わってきます。『殉教血史 日本二十六聖人』の制作・公開された1930~31年は、欧米でカメラ移動の可能性が追及されていた時期でもあります。米キング・ヴィダー監督が映画史に残るクレーン撮影の長回しを披露した(『群衆』『街の風景』)のがこの時期でしたし、ドイツでは長尺で凝ったトラベリング撮影が好んで使用されていました(『令嬢エルゼ』『会議は踊る』)。

『日本二十六聖人』後半は聖職者と信者たちが長崎まで長距離護送されていく展開でトラベリングが多用されています。大掛かりではないものの緊張感と豊かな空間性をもたらす効果を出しており、製作陣が当時の最先端の感覚を取りこんでいる様子が伝わってくるのです。

26-martyrs-22-sawada-kiyoshi-and-his-cross
A martyr and his cross

また、信者たちが牢獄に閉じこめられている場面では祈りを捧げる際に格子の影が十字に浮かびあがります。『裁かるゝジャンヌ』(1928年)や『サンライズ』(1927年)にも見られた発想です。後者はキネマ旬報洋画部門の一位を取った作品でもあり、当時の邦画界もノウハウとして共有していたと思われます。

手元にあるプリントはフランスから輸入したもので後半第二リールのみ。リード部分にはフランス語でタイトルが付されています。字幕はなく音声付きの形でした。ナレーションの語り口や音楽から1940年代後半~50年代のプリントと思われます。

『殉教血史 日本二十六聖人伝』は製作者・平山政十の奮闘にもかかわらず欧州で一般公開されぬままで山科論文でもフィルムの動きは掴めていないままでした。この16ミリ版は平山氏が現地に残したプリントが何らかの形で編集され、仏語圏のキリスト教徒の集いで上映されていた痕跡と考えることができます。第一リールに含まれている内容(秀吉の変心や慶長伏見地震)は欧米人に馴染みにくいため第二リールの受難篇だけを単独で上映していたのではないでしょうか。現在Youtubeに完全版がアップロードされておりますので、興味のある方は是非一度ご覧ください。

『殉教血史 日本二十六聖人伝』

[タイトル]
殉教血史 日本二十六聖人伝

[公開年]
1931年

[JMDb]
bg004370

[IMDB]
tt0422548

[フォーマット]
16mm シングルパーフォレーション サウンド版 仏語ナレーション入り 500メートル(約45分)

1930年代後半 – 米アンプロ社 プレシジョン NC型 16mmサイレント映写機

「映写機」より

Ampro Precision 16mm Silent Projector
late 1930s US Ampro Precision Model NC 16mm Silent Projector

1930年代にシカゴ拠点のアンプロ社が発売していた16ミリ用の映写機。

1935年頃の初期モデルではランプハウスが円筒形でした。幾度かモデルチェンジを重ねていきK型でランプハウスが四角くなります。この時点では側面のモーターベルトが剥き出しとなっていたのですが、金属製のカバーを付け、明り取りの小さなランプも標準装備したのがNC型でした。

到着時のコンディションは悪かったです。ゴムと革を張りあわせたモーターベルトが中で腐って貼りついていたので取り除き、予備用ベルトと交換。またレンズ部分が幅広の溝をスライドするような設計だったのが、歪みが発生していて動きませんでした。固定用の金具を外し、歪んだ部分をわずかにヤスリで削って油を差すとスムーズに動くようになりました。

先ほど試写をしてみました。『チャップリンのスケート』(The Rink、1916年)のローラースケート場面を抜粋した仏コダック版の16mmプリントです。

[発売年]
1930年代後半

[メーカー名]
米アンプロ社

[ランプ]
DDB-DDW(750W 120V P28)

[レンズ]
Simpson Lens 2″ E.F. F: 1.65

[シリアルナンバー]
NC-18151

1923 – 16mm パール・ホワイト主演 『プランダー』 断片(ジョン・ハンプトン・コレクションより)

「パール・ホワイト連続活劇 [Pearl White Serials]」より

16mm – Pearl White in Plunder (1923)
lower contrast 2nd negative preview
from the John Hampton Collection

1910年代に一世を風靡したパール・ホワイトでしたが、連続活劇の女王の立ち位置に複雑な思いがあったようです。パテ社との契約を終えた後パラマウント社のドラマ作品に出演を開始。しかし思うように運びませんでした。低迷する人気を前に活劇への復帰を決断、旧知のジョージ・B・サイツを監督に『プランダー』を完成させました。同作は1923年に公開され女王の帰還は好意的に受け入れられます。残念ながら撮影中にスタントマンが事故死する不幸もあり、本作を最後にパールは連続活劇を離れています。

全15章仕立て。完全版はUCLAに保存されているものの全編がソフト化されたことはなく、複数のメーカーが断片をデジタル化するのみにとどまっています。

今回入手した16ミリはリーダー部分に「John E. Hampton」の名前が記されています。

ジョン・ハンプトン氏は1942年に「オールドタイム・ムービー・シアター」を立ち上げた人物で、その無声映画コレクションは個人レベルとして当時最大級のものでした。1988年にUCLAが保存プロジェクトを発案、ハンプトン氏も売却に合意します。この時に基金を立ち上げ資金提供したのがヒューレット・パッカード社のデビッド・パッカード氏だそうです。現在UCLAに保存されている完全版『プランダー』はジョン・ハンプトン氏からデビッド・パッカード氏経由で所有権を移したプリントです。

リーダーには「低コントラスト版の第2ネガより Made from negative #II (lower contrast – second made negative)」の手書き文字。オリジナルのプリントから16ミリの複製を作成する際、条件を変えてコントラストの異なる版が作られ、その際に発生したプレビュー用の断章と推定されます。

[参照]
英ガーディアン紙によるオールド・タイム・ムービー・シアターの紹介
https://www.theguardian.com/film/2000/sep/08/culture.features2
UCLA委託によるジョン・ハンプトン・コレクション目録作成についてブログ記事
http://docsrused.blogspot.com/2013/07/john-hampton-and-silent-movie-theater.html
デビッド・パッカード基金の保存フィルム一覧
https://www.packhum.org/preserved.html

[『プランダー』断章を含むDVD]
2006: Pearl White, Queen of the Serials (Grapevine Video) 数分のプレビュー動画
2008: The Lost Serial Collection (Serial Squadron)

[タイトル]
Plunder

[製作年]
1923年

[IMDB]
tt0014365

[メーカー]
非売品(保存作業時に発生したプレビュー用の第2プリント)

[フォーマット]
16mm (ダブルパーフォレーション) 無声 400フィート

1917 – 16mm 『琥珀染色版 移民』(Aネガ 米コダスコープ版 1926年)

1917 - Immigrant [Nega A - Kodascope Print] 021917 - Immigrant [Nega A - Kodascope Print] 01

The Immigrant (US Kodascope 1920s 16mm Amber-tinted Print)

1926年に米コダスコープから発売された『移民』の初期16ミリプリント。1929年初めに発売された仏パテ社の9.5ミリ版、同年末に発売された英パテスコープ社9.5ミリ版を併せ、20年代に英米仏で発売された3つが手元に揃った形になります。

『移民』初期プリントアングル比較

コダスコープ版は「Aネガ」と呼ばれる米初公開時のネガを元にしています。1917年のオリジナルネガは現存しておらず、現在市販されているバージョンは様々な版をつぎはぎして「初公開版に近いと思われる」形に再構成したものです。まだ幾つもの紛れがあるという意味では当時の観衆が見ていたものと完全に同一ではありません。

コダスコープ版も家庭映写機用に編集がされていてやはり1917年のオリジナルとは異なっているのですが、無声映画期に実際に見られていて、なおかつ完備の状態で現存しているプリントとしては最も古い一つとなります。

このプリントには琥珀色の染色が施されており、実写すると繊細な金色の情景が幻想的に浮かび上がってきます。

エルモ社 躍進號 16mm-8mm両用 サイレント映写機(1930年代後半)

「映写機」より

1930年代半ばに発売されたエルモ社による一台で、さくらスコープ(小西六)と並び戦前の日本を代表する映写機。2007年に公開された邦画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』の映写場面でも登場しています。

躍進號の特徴はアーム/レンズ部からなる独立パーツを取り替えることで複数のフィルム形式(16mm/9.5mm/8mm)に対応できる点です。ドイツのニッツオ社や仏エルクサム社が採用していた方式ですが、交換用のパーツが実際にセットになっている躍進號は今回初めて見ました。

エルモ社はこの映写機のため実用新案を10以上取得しており、他の映写機にはない仕掛けやデザインが多く見られます。

本体シリアルナンバー: Y.51481
対応フィルム: 16mm/Single 8
対応電圧:90~110v
製造国:日本
製造時期: 1930年半ば
レンズ:エルモ プロジェクション・レンズ
ランプ:100W

パイヤール・ボレックス社 DA-37型 9.5mm/16mm両用 サイレント映写機(1937年)

「映写機」より

別に紹介している1933年のDA型のアップデート版として1937年に発売されたのがこちらの通称DA-37です。

外観が一部変更され、筒型のランプハウスの横に半円状のせり出しが見られます。内部に羽が格納されていて、映写中に回転しながら光源のオン/オフを繰り返すのですが羽の大型化に伴ってこのようなデザインとなっています。その他スイッチなどに細かな仕様変更有り。

レンズは1:1.9のF=45mm、フレームのデザインが簡素化されています。最も大きな変更点は、ランプが以前の250Wから400Wに変更されたことです。

スペック、デザイン的な変更があるためDA IIとして売り出しても良さそうなものですが、実際には当時DAとして発売されており、シリアルも以前からの連番を踏襲しています。現在メーカーの公式ページではDA-37の名前で紹介されています。

シリアルナンバー: 12398
対応フィルム: 9.6/16mm
製造国:スイス
製造時期: 1937年~
レンズ: Hermagis Magister F=40mm 1:1.9 (シリアル無)
対応電圧: 110-125v
ランプ: 400w

1913 – 16mm 『エルダーブッシュ峡谷の争い』(The Battle at Elderbush Gulch)

グリフィス監督の初期短編。白人とアメリカン・ネイティヴとの争いを描いた一作で、枠組みとしては西部劇。しかし戦いの描写や物語の運びは西部劇が確立された後代と大分異なっています。

興味深いことに男中心の価値観の中で女たちの動きが丁寧に追われています。生まれたばかりの赤子を奪われ動揺する若い母親(リリアン・ギッシュ)、火の手をくぐり赤ん坊を助け出すお下げ髪の少女(メエ・マーシュ)。1912~14年はグリフィスの創造力が最も豊かだった時期で、生まれようとしている西部劇映画にみずみずしい息吹を注ぎこんでいました。

Lillian Gish & Mae Marsh in The Battle at Elderbush Gulch (16mm B&W Blackhawk Print)

[タイトル]
The Battle at Elderbush Gulch

[製作年]
1913年

[IMDB]
tt0003662

[メーカー]
米ブラックホーク社

[フォーマット]
16mm (ダブルパーフォレーション、無声)

スイス パイヤール・ボレックス社 G916型 9.5mm/16mm両用映写機

Late 1930s Paillard Bolex G916 9,5/16mm Dual Silent Projector
w/Dallmeyer Projection Lens F=50mm

D〜DA型映写機の後継機として1936年に発表され、50年代まで市販されていたボレックス名機のひとつ。

2014年にイギリスのセラーから購入。バーミンガムのシネ・エキップメンツ社が販売していた英国仕様の一台で、レンズが英ダルメイヤー製となっており、240/220Vから110Vにダウントランスする変圧器も付属していました。

D〜DA型映写機と同様、ゲージとスプロケット類を交換できる仕様になっています。

実際に使ってみた感想として、動きがなめらかかつ静かで安定しています。750Wのランプに対する排熱も上手くいっていて振動をほぼ零に抑えながら映写可能。当時の最高峰クラスのレンズを採用しているため画質も良く、1930年代の9.5ミリ用映写機としては最良のひとつと断定できます。

[メーカー名]
スイス パイヤール・ボレックス社

[製造]
スイス

[発売時期]
1936年〜50年代末

[シリアル番号]
G3716

[対応フィルム]
9.5mm/16mm両用

[対応電源]
110~125V

[コンセント]
欧州仕様

[レンズ:]
Dallmeyer Projection Lens F=50mm 181139
[ランプ]
120V 750W (DDB)

[履歴]
2014年12月26日購入

1930年代前半 – 六櫻社 さくらスコープ 16mm サイレント映写機

六櫻社 さくらスコープ 16mm サイレント映写機 00

Early 1930s Rokuo-sha Sakurascope 16mm Silent Projector

六櫻社による最初の16ミリ映写機。1931年に発売された初号機は16ミリのみに対応していました。電源はモータ部にあり、ランプハウスは円筒型、レンズは「Sakura Kine Lens E.F. 2″」を採用していました。

1932年と33年にモデルチェンジが行われ8/9.5/16ミリの3形式に対応します。電源スイッチが土台部に移りランプハウスが角型に変更。手元にあるのはこの後期型で本体シリアルが1664。レンズの名称が「Sakura Projection Lens E.F. 2″」に変わっています。

1930年代初頭に大阪の写真店が粗品で配っていたレンズクリーナーにさくらスコープ広告を見つけました。250Wと400Wの2種類のランプに対応していたのが分かります。

また、さくらスコープは海外向けに輸出されており110V対応機種も現存しています。海外ユーザーさんがSNSで紹介している実機が少なくとも3台見つかりました。1番目と2番目はオーストリアのコレクターの所蔵品、3台目はスリランカ(!)の映画博物館です。

https://www.flickr.com/photos/heritagefutures/8582173692/
http://reeldeals.com.au/sakurascope/sakurascope.htm
https://www.facebook.com/177254236061821/photos/a.177716846015560/625863461200894/

パイヤール・ボレックス社 DA型 9.5mm/16mm両用 サイレント映写機(1933年)

1933年にスイスのパイヤール・ボレックス社から発売されたのがこちらのDA型映写機です。

本体はやや扁平で、緑がかった灰色をしています。後方からフィルムを流しこみ、ゲージを通じてまた後方へと送り返す構造。実際にモーターのスイッチを入れてみると、その静かでなめらかな立ち上がりにおどろかされます。

普段とは異なるルートを使ってスペインから取り寄せた一台。注意書きのプレートがスペイン語表記になっています。

シリアルナンバー:5643
対応フィルム:9.6/16mm
製造国:スイス
製造時期:1933~37年
レンズ:Hermagis Magister F=40mm 1:1.9 (シリアル:274845)
対応電圧:110-125v
ランプ:250w

独アグファ社 レコード 16mm映写機

シリアルナンバー:E9284

対応フィルム:16mm
製造国: ドイツ (ミュンヘン)
製造時期:1939-
レンズ: Agfa Oppotar F=50mm
対応電源:110 & 220V
ランプ: 110V-50W
コンセント:欧州仕様
映写速度:可変式(1~16fps)
重さ: 2750 g
サイズ: 85 (W) x 205(H) x 230 (L) mm (アーム折りたたみ時)