1922年頃 35ミリ齣フィルム30枚(米パテ社連続活劇とロイド喜劇)

35mm nitrate film fragments (positive, toned) on pierced papers, c1922
Eddie Polo, Charles Hutchison, Harold Lloyd etc.

1922~23年頃と思われる35ミリ齣フィルム30枚のコレクション。切込み(スリット)を入れた自作台紙3枚にまとめたものです。幾つかの齣では縁の部分にメーカー名(丸印に「愛」「平」「モ」)を見て取れます。

エディ・ポーロ 1922年『キャプテン・キッド』

チャールズ・ハッチソン 1922年『スピードハッチ』

ハロルド・ロイド 1922年『豪勇ロイド』

ウォーレス・リード 1922年『ゴーストブレイカー』

1910年代から連続活劇で活躍していたエディー・ポーロが一番多く、次いでチャールズ・ハッチソン、ハロルド・ロイド、ウォーレス・リードの順になっています。いずれも本国では1922年に公開、齣フィルムもこの時期と見て良さそうです。

旧所有者さんが連続活劇好きだったのは疑いの余地のない所。女優を主人公にした作品はなく、またアントニオ・モレノのような華奢な美形男優ではなくエディー・ポーロやハッチソンなど肉体派を好む傾向を見て取れます。

男優の裸身(しかも肉付きや筋肉を強調するポージング)が多いのも偶然ではないのでしょう。1922年頃、大正末期の日本でよほど気心の知れた相手との内緒話でもなければ「男優の裸体に妄想を掻き立てられる、興奮する」と公言するのは不可能でした。家族に見つかった女学生は映画館立入り禁止でしょうし、既婚女性であれば三下り半、男であれば社会的に抹殺されてもおかしくない時代です。それでも業界は一定のニーズがあると分かっていてこういった場面を投入している訳です。

ヘレン・ホームズ~パール・ホワイト~ルース・ローランドなどを中心に流れていく連続活劇史そのものがヘテロ男性の見方なのだろうなと、以前から薄々は感じていました。異なった性的指向の人には全く違った風景が見えている。映画史そのものが違う。当たり前といえばその通りで一世紀前のリアルな物証を目の当たりにして新鮮な驚きはあります。

1921-22 『ハリケーン・ハッチ』(米パテ・エクスチェンジ社、ジョージ・B・サイツ監督)

« Hurricane Hutch » (1921-22, US Pathe Exchange, dir/George B. Seitz) 1924 Enomoto Shoten Novelization

蹴倒す、投げ出す、打倒す、ハツチは鬼の如く荒廻つた末遂に二人の幽閉されてゐる室へ飛び込んだのである、それツと二人の婦人を抱いて船室から飛び出ようとする時であつた、どうして焔へ上つたか船は炎々たる紅蓮の炎に包まれてゐるのである、もう仕方がない、ハツチは兩人を抱いたまゝザンブと海中へ躍り込んだのである、船はと見れは地獄の如く阿鼻叫喚の修羅の巷と替り果てゝ了つてゐる、ハツチとナンシー嬢は流れ來る破片に縋り、従妹テツド嬢は漂ひ來る木片に取り縋るのであつた[…]。

『ハリケン・ハッチ』(榎本書店 活動文庫、1924年)

『ハリケーン・ハッチ』は1921年秋から22年初頭に公開された米パテ社の15幕物連続活劇です。主演チャールズ・ハッチソンは旧作『伯林の狼』や『大旋風』で日本でも名を知られており、またパテ社の大掛かりなプロモーションが功を奏したこともあって人気を呼び、『豪傑ハッチ』『スピードハッチ』と次作以降も紹介が続いていきます。


『ハリケーン・ハッチ』の脚本を書いたのはハッチソン自身であるが、本人はこの作品でのアクションを「古びたもの」と切り捨てている。バイクに乗った主人公のハッチがまさに真下を機関車が雷鳴を立てて通り過ぎていく瞬間に壊れた橋を9メートルもジャンプして飛び越えていく。オーセイブルの急流に飛びこみ、その滝を泳ぎ切っていく。丸太に乗って木製の水路を流れていき、そのまま木材で埋め尽くされた川に突入する。ハドソン川の真上30メートルの端にかかったロープを滑り降りていき、揺れたまま通りすがりの帆船のマストに飛び移る。他にも観ているだけで血の気が引くようなアクション満載なのだが「古びたもの」だそうだ。

「ピクチャーゴーア」誌 1921年12月号

Hurricane Hutch was written by himself, but he dismissed his exploits therein as « old stuff. » When Hurricane Hutch is released, you will see « Hutch » leap thirty feet across a broken bridge on a motor-cycle just as a train thunders by beneath him. Also plunge into Ausable Rapids and swim over the falls there ; « ride » a lumber-sluice on a log into a river jammed with other logs; slide down a rope from a hundred-foot bridge over Hudson river, and swing to the mast of a passing schooner, and numerous other blood-curdling stunts. Old stuff!

Picturegoer Magazine (1921 December Issue)


多彩なアクションが伝わってくる記事です。フィルムそのものは遺失。パテ社製作の予告編をシリアル・スカドロン社がデジタル化(『ロスト・シリアル・コレクション』DVDの2枚目に収録)しておりユーチューブでも見る事ができます。

主演チャールズ・ハッチソンについて現在まとまったオンライン記事はありません。紙ベースでは活劇史を扱った『Bound and Gagged』(1968年)の第6章で幾つか作品が触れられていました。古い雑誌で調べているとピクチャーゴーア誌のインタビューを発見。その内容によると父親がスコットランド系イギリス人、母親がアメリカ人で幼少時をイギリスで過ごしているそうです。10代後半で舞台に立ち8年の経験を積んでから映画界に参入。当初トライアンフ社で活動しその後クリスタル社など転々とします。パテ社との契約第一弾となった『伯林の狼』(1918年)成功で連続活劇界の花形となりました。

上の写真は1922年のパテ・エクスチェンジ社の広告。パール・ホワイトと並ぶ扱いを受けているのが分かります。同じ雑誌に寄稿されたパテ・エクスチェンジ社マネージャー(エドガー・オスワルド・ブルックス)の一文では、旧来型の連続活劇と方向性を変え青少年に悪影響を与えない「健全」な作風に向かう旨が記されています。興行としても内容・表現的にも行き詰まりを見せていた活劇ジャンルの再興を目論んでいるのです。しかしパール・ホワイトは次作『プランダー』をもって活劇を引退、ハッチソンも翌年にはパテ社を離れています。

1914年後半から始まったハリウッド連続活劇のブームはこの1923~24年で一旦終焉を迎えました。ハッチソンの名も忘れられていくもののその血脈は『怪傑ハヤブサ』などに受け継がれていきます。

[Movie Walker]
ハリケーン・ハッチ

[IMDb]
Hurricane Hutch

[発行者]
榎本松之助

[発行所]
榎本書店(大阪)

[出版年]
1924年

[フォーマット]
A7:10.5×7.4㎝、32頁

1927年 齣フィルム 『尊王攘夷』50枚 (日活オールスター特作、池田富保監督)

「池田富保 関連コレクション」より

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『尊王攘夷』はVHS〜DVDのソフト化がされており池田富保作品では比較的アクセスしやすい一つです。前半1/3程は江戸城の井伊直弼(大河内伝次郎)を中心に物語が進み、中盤は視点が切り替わり水戸藩士(尾上多見太郎、谷崎十郎、新妻四郎)の動きが追われ、最後に両者が絡みあい桜田門外の場面に収斂していきます。

駄菓子屋でくじ引きとして扱われていた「齣フィルム」を入手したのは今回が3度目ですが、手元に実際の動画データがあるパターンは初めてです。比べてみると色々興味深い発見がありました。

齣フィルム50枚の内訳は下の形になっています。

1)マーク入り:7枚(大河内版4枚、新妻版3枚)

2) 江戸城下での大河内伝次郎:10枚

3) 江戸城下での市川百之助、大河内伝次郎、川上弥生らを収めたロングショット:5枚
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4)井伊直弼との談判にやってきた尾張大納言慶勝(谷幹一)、一橋大納言慶喜(桂武男)らを収めたグループショット:2枚
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5)新妻四郎:5枚

6)大河内伝次郎と中村英雄:2枚
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7)脱藩水戸藩士と幕府からの命を伝える一団との衝突場面:4枚

8)水戸斉昭(山本嘉一):2枚
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9)廓での新妻四郎、桜木梅子、徳川良子:6枚
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10)廓での新妻四郎と酒井米子:2枚

11)廓での谷崎十郎と酒井米子:2枚

12)有村治左衛門(尾上多見太郎):3枚

雑誌を切り貼りして作った小袋には、中身が見えないようフィルムが小さな紙に包まれて入っています。この紙自体が作品の宣材になっていました。

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下の画像は井伊直弼(大河内)に蟄居を命じられた水戸斉昭(山本嘉一)が一旦穏やかに話を受けつつ、表情を変え凄みを見せる場面です。作品版と比較したところ背後のふすまの角度から別カメラ(スチル撮影用でしょうか)によるショットだと分かりました。厳密に言うと照明も変わっていて齣フィルムは天上背後からのライティングがありません。

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他の齣フィルムも同様で、対応する場面があっても人の並びが微妙に違ったり目線の向きが違ったりしており、撮影しているカメラ位置も変わっています。50枚全てをチェックした結果、実写用フィルムと完全一致する画像は一枚もありませんでした。

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映画館で何度もかけられて使い物にならなくなったフィルムをそのまま、あるいは巡業先で興行師がその場で切り売りしたり、また下請業者が複製・着色して子供向けに玩具として販売したりして、大正期を中心に一大ブームとなった。

「大正期から昭和初期における齣フィルムの蒐集と文化」
福島 可奈子(『映像学』2018年 99巻 p.46-68)

実写用のポジから切り出された齣フィルムも現存しておりますが、「丸愛」印のくじはそういう経緯で発生したものではなく映画会社から提供のあったスチル写真用ネガを元にしたと考えることが出来ます。「齣フィルム風の何か」だった、という訳です、

ちなみにフィルム収納の小袋に転用されていた雑誌は1927年の『映画時代』でした。マキノ省三による論考「續減資の一途」、澤田正二郎と菊池寛らの鼎談に加え日活女優の座談会「日活花形女優懇談會」が掲載されていました。

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座談会に登場していたのが澤村春子、櫻木梅子、徳川良子、夏川静江に岡田嘉子。最初の3名は『尊王攘夷』にも登場。リアルタイムならではのシンクロぶりです。

[JMDb]
建国史 尊王攘夷

[IMDb]
Son’nô jôi