1917-22 忘れじの独り花(16)エディット・メラー Edith Meller (1897 – 1953)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Edith Meller c1920 Autographed Postcard
Edith Meller c1920 Autographed Postcard
第一次大戦中の1916年にデビューし1922年頃まで旺盛な活動を見せていたハンガリー出身の女優。

初期はナチオナール映画社やPAGU社作品に多く出演。このうち助演した1917年の « Der feldgraue Groschen »が現存しており、オンラインで動画が公開されています。

« Der feldgraue Groschen »でのエディット・メラー(右端)

1920年にPAGU社で製作された恋愛アドベンチャー『熱国の呪』(Indische Rache)は日本でも公開されています。

Edith Meller in Die wilde Ursula (1918)
キノベジッツァー誌 1918年5月13日付
初期主演作 « Die wilde Ursula » の紹介記事

[IMDB]
nm0577914

[Movie Walker]
エディット・メラー

[誕生日]
9月16日

[出身]
ハンガリー(ブダペスト)

[サイズ]
8.6 × 13.6cm

[データ]
Film-Sterne 133/4. J.Brass

1925 – スーパー 8 『月形半平太』(澤田正二郎主演、衣笠貞之助監督)

「8ミリ 劇映画」より

1925 Super8 月形半平太(衣笠貞之助監督/沢田正二郎主演)
Super8 « Tsukigata Hanpeita »
(1925, dir. Teinosuke Kinugasa, starring Shojiro Sawada)

『国定忠治』と並ぶ澤正映画の代表作で監督は衣笠貞之助。

フィルムの長さにして30m、映写時間7分弱の再編集版で、内容は大きく1)遠景で捉えられた橋の上での立ち回り、2)祇園での芸妓との会食、3)襲撃してきた新撰組とのチャンバラの3つに分けることができます。

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冒頭の橋での斬り合いはロングショットで撮影されカメラの切り返しなどはありません。抜いてから終わるまでが一瞬で凄まじい速さ。

この後、夜に浮かぶ花などが映し出され、祇園の華やかな雰囲気が醸し出されていきます。久松喜代子、春野歌子、二葉早苗など新国劇の女優陣が舞妓、芸妓として登場、荒ぶる幕末の風景にロマンチックな色合いを添えていきます。

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その後夜道を歩いていた主人公を覆面姿の男たちが襲撃、「長藩、月形半平太と知つてか。卑怯者、名を名乗れ」「新撰組!」のやりとりがあって立ち回りになだれこんでいきます。

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カメラアングル、構図に対する意識、コントラストの強い絵作りなど、マキノ省三監督の『国定忠治』と比べても衣笠監督の美的センスをより鮮明に感じ取ることができる内容。殺陣にしても舞台の動きを単純に撮影したものではなく、エディティングで効果を強めていく意思が伝わってきます。

澤正の殺陣を見ていくと、敵との対峙場面でカメラを正眼に直視した際、刀身をまっすぐに立てているため、顔を縦断する細い線に見えています。

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刀のデザイン性を考えるとやや斜めに立てた方が見栄えが良いのでしょうが、一瞬でも早く相手を斬った方が勝ち、そんな命がけの闘いにポージングは要らないのかな、という気もします。舞台では見れないこの角度と距離感、映画でこそ表現可能となった「澤正の本気度」なのでしょう。

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[タイトル]
月形半平太

[公開年]
1925年

[JMDb]
ba001650

[IMDB]
tt0016460

[フォーマット]
スーパー8
白黒30メートル 18コマ/秒 約7分
株式会社サングラフ

1925 – スーパー8 『国定忠治』(澤田正二郎主演、マキノ省三監督)

1925 - 国定忠治(スーパ8)
Super8 « Kunisada Chuji »
(1925, dir.Shozo Makino, starring Shojiro Sawada)

映畫劇ではない。澤正一派が舞臺では十八番の「國定忠治」をその儘撮影したに過ぎない映畫である。然し澤田正二郎氏の忠治は立派に成功して居る。舞臺で聞く彼獨特の沈痛な臺詞こそ聞かれないが、彼一流の力強い演技は映畫に於ても充分味へられた。舞臺から映畫に移つた俳優の誰よりも巧い事は確かである。決して映畫俳優の演技ではない彼の演技が見る者に何の不自然さも感じさせず思はず拍手を惜しませぬ、彼の力強い演技には全く敬服した。その型の好き敏捷な動作は舞臺同様觀客を唸らせずに置かない。牧野省三氏の監督は映畫劇としては成功して居ないけれど澤正を活かした事は成功して居るそして舞臺俳優を使つて短日時の内にこれ丈のものを作り上げる事は恐らく氏以外にはあるまいと思はせた。老練と云ふ言葉が滿ちている監督振りである。俳優は澤正以外全くゼロで澤正ピカ一である事は止むを得ない。場面では山形屋の痛快さで唸らせ最後の落入りで十分泣かせて居る。

「主要映画批評:國定忠治」 山本綠葉
(キネマ旬報183号 大正14年1月21日付)

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赤城山と山形屋の二場面を収めた縮約版。牧野翁はひたすら職人肌の裏方に徹しています。

澤田正二郎は忠治をめぐる諸々の神話に忠実であろうとし、そこにストイックで硬質な、生々しい息吹を注ぎこもうとしています。後年の伊藤大輔が大河内というデフォルメの天才を通じて再解釈した病気がちで情けない忠治とのコントラストも興味深く思えます。
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[タイトル]
国定忠治

[公開年]
1925年

[JMDb]
ba000200

[IMDB]
tt5253540

[フォーマット]
スーパー8
白黒50メートル 18コマ/秒 約10分
株式会社サングラフ

小阪 照子 (生没年不詳)

「日本 [Japan]」より

小阪照子 サイン入り絵葉書
Kosaka Teruko Autographed Postcard

1924年帝キネで女優デビュー。『孔雀の光』など尾上紋十郎主演作品に出演。後に東亜キネマへ移籍し、やはり時代劇で雲井龍之介作品などで活躍を見せます。東亜キネマの解消と共に映画界を離れていますが、キャリア後期はヒロイン役での登場も増え地力、人気をつけていた最中でした。

[JMDB]
p0172280

[IMDB]
nm2361872

1912- 9.5mm 『ナピエルコウスカ嬢のカンボジア風舞踏』(1912年)

「9.5ミリ動画 05a 劇映画」より

Pathé-Baby 9.5mm « Mademoiselle Napierkowska : Danses Cambodgiennes »
(Extrait de « La Fièvre de l’or », 1912, dir.Leprince & Zecca)

1912 9.5mm Napierkowska : Danses Cambodgiennes

仏パテ社が9.5ミリ小型映画を最初に売り出した時にカタログに含まれていた初期のフィルムで、1912年に公開された中編映画(『La Fièvre de l’or』)の一場面を抽出したもの。

映画全体は金銭欲に取りつかれた男が亡父の銀行を乗っ取り投資ブームを仕掛け、人々が踊らされていく内容を描いています。途中の祝宴場面に使用されていたのがスタシア・ナピエルコウスカによるカンボジア風の舞踏でした。

[タイトル]
Danses Cambodgiennes

[原題]
La Fièvre de l’or

[製作年]
1912年

[IMDB]
tt0250381

[メーカー]
仏パテ社

[カタログ番号]
47

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有) 10m *1リール

1910年頃 古写真 スタシア・ナピエルコウスカ Stacia Napierkowska (1886 – 1945) 仏

「ルイ・フイヤード関連コレクション」より

Stacia Napierkowska c1910 Cabinet Photo (Reutlinger, Paris)
Stacia Napierkowska c1910 Cabinet Photo (Reutlinger, Paris)

1910年代を中心に活躍した踊り子・女優スタシア・ナピエルコウスカのキャビネット写真。撮影は当時ファッション写真家として名を馳せたルーランジェ写真店(Reutlinger)によるものです。

ナピエルコウスカはポーランド人の父親の娘として1886年パリで生まれています。幼少時に数年トルコに滞在、その後フランスへ戻りますが直後に父親が亡くなり、生計を立てるためオデオン座やオペラ・コミーク座に立ち始めました。この時14才。異国情緒と優雅さを兼ね備えた舞踏が話題となり、舞台雑誌やモード誌で頻繁に取り上げられていきます。

1910年コメディア・イリュストレ紙10月1日号より
1910年コメディア・イリュストレ(Comoedia Illustrée)紙10月1日号より

同時期に勃興していたのが映画産業でした。短編作品に多く出演、喜劇からミステリー、歴史物まで多彩な活躍を見せていきます。

そんな彼女の名を映画史に残したのは1915年公開の連続活劇『レ・ヴァンピール』でした。第2話で主人公(エドゥアール・マテ)の婚約者として登場、劇場で踊りを披露中に何者かに毒殺されます。登場場面は短いものの「吸血鬼の舞」の禍々しさは印象深く、同作を代表する一場面として幾度となく引用されていくこととなりました。

『レ・ヴァンピール』(1915年)第2話より
『レ・ヴァンピール』(Les Vampires、1915年)第2話より

その後映画の出演は減っていき、そのまま忘れ去られてもおかしくありませんでした。しかしながら20年代になって再度脚光を浴びます。1921年『女郎蜘蛛』での女王アンティネア役です。

『女郎蜘蛛』(1921年)より
『女郎蜘蛛』(L’Atlantide、1921年)より

第一次大戦後の仏映画はリアリズムにこだわり話のテンポが悪くなる癖が抜けず、外国映画に押されてかつての勢いを失っていました。この苦しい状況で冒険やファンタジーを強く押し出した『女郎蜘蛛』は活路として期待されたのです。ナピエルコウスカは1922年に創刊された映画雑誌『シネミロワール』創刊号の表紙を飾っています。

『シネミロワール』創刊号表紙のナピエルコウスカ
『シネミロワール』創刊号表紙のナピエルコウスカ

同時期に初めて市販されたのが家庭用映写機のパテベビーでした。初期カタログにはナピエルコウスカ主演作『ミロール・ラルスイユ』(Milord l’Arsouille、1912)も含まれています。そしてもう一本、手持ちでは『カンボジア風舞踏』にも登場。これは社会派ドラマの中編『黄金に浮かされて』(La Fièvre de l’or)の一場面を抜粋したものです。

『ナピエルコウスカ嬢のカンボジア風舞踏』
『ナピエルコウスカ嬢のカンボジア風舞踏』(Napierkowska in Danses Cambodgiennes)

フランス劇映画の始まり(1910年頃)から黄金期(1912~18年)、そして停滞期(1919年~)に関わった点で重要な役割を果たした女優だと言えます。伝記面はほとんど知られていないのですが、1922年の『シネ・ミロワール』誌に前後篇2回に分けた自伝エッセイが掲載されています。

[IMDB]
nm0621051

[Movie Walker]
スタシア・ドウ・ナピエルコウスカ

[誕生日]
12月16日

[出身]
フランス(パリ)

[サイズ]
11.0 × 16.5cm

[撮影]
ルーランジェ写真店

1917-22 忘れじの独り花(14) エステル・カレナ Esther Carena (1898 – 1972)

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Esther Carena c1920 Autographed Postcard
Esther Carena c1920 Autographed Postcard

女優としての活動は大正時代の後期(1916~24年)に集中しています。1916年に舞台の仕事を探しにイタリアからドイツへやってきたのですが、仕事はなく、当初は「乗り気ではなかったのだけれど」映画で生計を立て始めました。

経験を積むにつれ映画の可能性を実感していくようになり、自身の衣装デザインを手掛けるなど積極的な自己主張を見せるようになります。ケリー・ドイチュラント探偵物(ハリー・ピール主演)やウェッブス探偵物(エルンスト・ライヒャー)などミステリー作品に多く出演、イタリア時代に心得のあったアクロバットの経験も生かし、アクションや舞踏など活動派のセンスも見せています。

der kinobesitzer, 1918-06-01, seite 11-carena
キノ・ベジッツアー誌1918年6月1日号より、ハリー・ピール監督作品『彼奴の仇敵』(Sein Todfeind)紹介記事
Esther Carena in Ikarus, der fliegende Mensch (1918)
『鳥人イカルス』(1918年, Ikarus, der fliegende Mensch)より

初期作品の一つ、第一次大戦を背景にしたメロドマラマ『鳥人イカルス』はフィルムが現存しており、ドイツ映画協会のオンラインサイト、フィルムポータル.de(filmportal.de)にてデジタル版が公開されています。

[IMDB]
nm0136824

[Movie Walker]
Esther Carena

[誕生日]
8月24日

[出身]
ドイツ(ハノーファ)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Verl. Herm. Leiser, Berlin Wilm. 3035