1926 – 9.5mm『切紙細工 西遊記 孫悟空物語』(大藤信郎)

「9.5ミリ動画 05c 伴野商店」より


日本アニメーションの創始期、切紙細工アニメによる独自活動を展開した大藤信郎氏代表作の一つ。日本アニメーション映画クラシックス(JAFC)によるデジタル版がすでに公開されています。

JAFC版『切紙細工 西遊記 孫悟空物語』

JAFC版は現存するものとして最もオリジナルに近い16mm短縮版(約8分)を元にしています。伴野9.5mm版はその半分弱程の長さ。

JAFC版は大きく1)三蔵法師の出発、2)孫悟空の弟子入り、3)猪八戒登場と弟子入り、4)沙悟浄登場と弟子入り、5)怪物との闘いと霊山登場、6)経典の受け取りの6つの場面から成り立っています。伴野版は5)が完全にカットされ、天竺に辿りついた時にすでに雄宝殿がそびえている流れになっていました。

しかし伴野版にはJAFC版にはない場面や間字幕も含まれています。三蔵法師と悟空が出会う場面での説明字幕「石の下に五百年 大罰に苦しむ 孫悟空」はJAFC版には含まれていません。また沙悟浄登場の段では、伴野版だとピンホールショット風に沙悟浄が登場し、八戒に近づいて闘いの場面となっており、JAFC版ではこの流れが省略されています。

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ピンホールショット風沙悟浄の登場場面(伴野版のみ収録)

また伴野版で孫悟空、沙悟浄、猪八戒が登場する際の字幕に飾りでシルエットが描かれています。

もう一点大きな違いとして、雄宝殿で経典を受け取る描写がJAFC版と伴野版では左右反転した形となっています。JAFC版では当初は一行が左から右へ進んでいたのに4分ごろから右から左への移動に変わります。コンティニュイティーの視点からすると確かに不自然な気もします(日本人の感覚からすると天竺は西=左にあるイメージなので、16ミリ版の布置も理解できるところではありますが)。

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JAFC版より。三蔵法師一行が左を向いていて、経典を運ぶ竜が右向きに飛翔しています。

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伴野版。向きが左右真逆になっています。
切紙細工のストップモーションアニメは原理上手前から奥へ、あるいは奥から手前への遠近感表現を苦手としていて、左右の水平移動が中心となっていきます。大藤作品では回転や明滅など様々なアイデアを組みこむことで単調さを回避する工夫が施されています。またつぶらな目のキャラクターの愛らしさも印象的。妙に人間臭いのが特徴で、大藤作品独自の「体温」が伝わってきます。
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悟空にあしらわれクルクルと回転する猪八戒

[タイトル]
西遊記 孫悟空物語

[メーカー]
伴野商店

[公開]
1926年

[カタログ番号]
115

[フォーマット]
20m(ノッチ有)×2 白黒 無声 16fps 3分40秒

中村 梅太郎 (マキノ梅太郎 1907 – 没年未詳)

「日本 [Japan]」より

Nakamura Umetaro Autographed Photo
Nakamura Umetaro Autographed Photo
マキノ省三に見いだされ、「マキノ梅太郎」名義で1927年に銀幕デビュー。 「マキノ青年派」(潔、久夫、登六、政美、梅太郎)の一角を担う若手のホープとして『神州天馬侠』4部作に主演しました。その後帝キネに移り市川百々之助主演作や明石緑郎主演の時代劇で準主役を演じるも、1930年の『地獄絵巻』を最後に出演記録が途切れています。

[JMDb]
マキノ梅太郎
中村梅太郎

[IMDb]
Umetarô Makino

[出身地]
日本(兵庫県神戸市)

[誕生日]
12月30日

[データ]
11.0 × 15.2cm

ネヴァ・ガーバー Neva Gerber (1894 – 1974) 米

「 合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

Neva Gerber Autographed Photo
Neva Gerber Autographed Photo

ネヴァ・ガーバー嬢は、一千八百九十五年、米國のシカゴ市に生れた、同地の小學校を卒業をシカゴ聖心女學院に學んだ。その頃から演劇が好きで、學科の中でもピアノには特に秀でてゐた。

學生生活を終ると、暫く両親の膝下にあつて、家事の見習ひをしてゐたが、生來の芝居好きな心は、間もなく嬢を驅つて映畫界に身を投ぜしめた。最初に嬢が這入つたのはカレム會社であつた。同社では「探偵の妹」や「大秘密」などを撮影した。しかし、その頃は未だ大して評判にはならなかつた。カレム會社を去るとバルボア會社に移つて「分離された家」「運命の悪戯」などに出演し、更らにフェーボリット・プレイアー會社に轉じて「高壓手段」を製作した。この映畫はカーライル・ブラックウェル氏と共演したもので、嬢の役はエドナといふ娘であつた。大正五年の四月に東京倶樂部に上場された「總選擧」は、卽ちこの映畫の改題されたものである。嬢の名聲が次第に昻つて來たのは實にこの時代からの事である。

その後、同社を去つてアメリカン會社に轉じ、「雛菊」「各自の心」「家なき人」「母の忙しい日」「アニタの蝶」など數多の映畫に出演した。その中でも「家なき人」は特に評判の好かつたものである。嬢の評判が傳へられるに及んで、幸運な日が続いた。

一千九百十六年の夏、ユニヴァサル會社は辭を低うして嬢を招いた。嬢はアメリカン會社を去つてユニヴァサル會社に移つた。そして「望みなき城」「アイドル・ワイヴス」などを撮影した。「アイドル・ワイヴス」は大正六年の五月に帝國館に上場された。その映畫では、嬢は活動寫眞を見る娘を演じてゐた。嬢の入社後間もなく、ユ社は莫大な費用を投じて連續寫眞「電話の聲」を撮影したが、その時、嬢は選ばれて女主人公ポリーを演じベン・ウィルソン氏を相手にして活躍した。この映畫が大正六年の六月に帝國館に上場されて以来、嬢の名は我國にも喧傳されるやうになつた。

『活動名優寫眞帖』(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)

1910年代中盤にカレム~バルボア社の短編劇で下積みを経た後、ユニヴァーサル社連続活劇で名を上げたのがネヴァ・ガーバーでした。『電話の聲』(1917年)を皮切りとしてベン・F・ウィルソン監督の手による活劇にヒロインとして登場、同時期の初期ジョン・フォード西部劇でハリー・ケリーとも共演を重ねています。

20年代になって大手との契約が切れた後もベン・F・ウィルソン監督作品に安定して出演を続けており、幾つかの作品の現存が確認されています。

キャリア初期に監督のウィリアム・デズモンド・テイラーと婚約していた時期があり、1922年に同監督が怪死を遂げ大スキャンダルとなった時にメディアで二人の関係(死の直前まで頻繁に金銭授受があった理由など)が取り沙汰されていました。

[IMDb]
Neva Gerber

[Movie Walker]
ネヴァ・ガーバー

[出身地]
合衆国(イリノイ州アルジェンタ)

[誕生日]
4月3日

[撮影]

1919年4月『活動之世界(最終号)』各国映画俳優人気投票

1919年4月『活動之世界』人気投票
『Katsudou no Sekai (Moving Picture World)』
« Hall of Fame » Poll (April 1919)

01:ウォーレン・ケリガン(761) Warren Kerrigan [IMDb]
02:山本嘉一(725) Yamamoto Kaichi [JMDb]
03:ルース・クリフォード(695) Ruth Clifford [IMDb]
04:ヴァイオレット・マースロウ(662) Violet Mercereau [IMDb]
05:ダグラス・フェアバンクス(657) Douglas Fairbanks [IMDb]
06:マルガリータ・フィッシャー(591) Margarita Fischer [IMDb]
07:メアリー・マクラーレン(580) Mary MacLaren [IMDb]
08:ドロシー・フィリップス(513) Dorothy Phillips [IMDb]
09:メアリー・マイルズ・ミンター(470) Mary Miles Minter [IMDb]
10:ウィリアム・S・ハート(465) William S. Hart [IMDb]
11:フランシス・ブッシュマン(457) Francis X. Bushman [IMDb]
12:ベッシー・バリスケール(435) Bessie Barriscale [IMDb]
13:パール・ホワイト(433) Pearl White [IMDb]
14:モンロー・ソールズベリー(408) Monroe Salisbury [IMDb]
15:メアリー・ピックフォード(397) Mary Pickford [IMDb]
16:グレース・ダーモンド(379) Grace Darmond [IMDb]
16:フランチェスカ・ベルティーニ(379) Francesca Bertini [IMDb]
16:メイ・マレー(379) Mae Murray [IMDb]
19:カーメル・マイヤーズ(361) Carmel Myers [IMDb]
20:ベッシー・ラブ(343) Bessie Love [IMDb]
21:チャールズ・チャップリン(305) Charles Chaplin [IMDb]
22:ルース・ローランド(295) Ruth Roland [IMDb]
23:ウィリアム・ダンカン(293) William Duncan [IMDb]
23:モリー・キング(293) Mollie King [IMDb]
25:ジェラルディン・ファーラー(265) Geraldine Farrar [IMDb]
26:ピナ・メニケリ(233) Pina Menichelli [IMDb]
27:ノーマ・タルマッジ(207) Norma Talmadge [IMDb]
28:片岡長正(201) Kataoka Chosei [JMDb]
29:クレイトン・ヘイル(199) Creighton Hale [IMDb]
30:藤野秀夫(177) Fujino Hideo [JMDb]
31:ウィリアム・ラッセル(151) William Russell [IMDb]
32:尾上松之助(147) Onoe Matsunosuke [JMDb]
33:エラ・ホール(141) Ella Hall [IMDb]
34:エディー・ポロ(125) Eddie Polo [IMDb]
35:衣笠貞之助(113) Kinugasa Teinosuke [JMDb]
36:アニタ・スチュワート(112) Anita Stewart [IMDb]
37:早川雪洲(98) Hayakawa Sessue [IMDb]
37:澤村四郎五郎(98) Sawamura Sirogoro [JMDb]
39:ハリー・ケリー(93) Harry Carry [IMDb]
40:ウィリアム・ファーナム(90) William Farnum [IMDb]
41:ドロシー・ダルトン(79) Dorothy Dalton [IMDb]
42:ビヴァリー・ベイン(72) Beverly Bayne [IMDb]
43:フランク・マヨ(69) Frank Mayo [IMDb]
44:東猛夫(65) Azuma Takeo [JMDb]
45:ネヴァ・ガーバー(65) Neva Gerbar [IMDb]
46:アルフレッド・ホイットマン(57) Gayne Whitman [IMDb]
47:アリス・ブラディー(50) Alice Brady [IMDb]
48:アール・フォックス(42) Earle Foxe [IMDb]
49:ベン・ウィルソン(37) Ben F. Wilson [IMDb]
50:セダ・バラ(22) Theda Bara [IMDb]
51:アラン・ホルバー(21) Allen Holubar [IMDb]
52:ジュエル・カーメン(17) Jewel Carmen [IMDb]
53:クララ・キンボール・ヤング(15) Clara Kimball Young [IMDb]
54:ブロニー・ヴァーノン(12) アグネス・ヴァーノン(Agnes Vernon)誤記 [IMDb]
55:ルイズ・グローム(9) Louise Glaum [IMDb]
56:モリー・マローン(8) Molly Malone [IMDb]
57:レオン・バリー(5) Léon Bary [IMDb]
57:ガブリエル・ロビンヌ(5) Gabrielle Robinne [IMDb]
59:フランセリア・ビリントン(3) Francelia Billington [IMDb]
59:アーヴィング・カミングス(3) Irving Cummings [IMDb]
59:花柳はるみ(3) Hanayagi Harumi [JMDb]

1919年初頭、雑誌『活動之世界』新年号で人気投票の開催が告知されました。当時合衆国で行われていた形に倣ったもので、年間を通じて票を募集し、各号で途中経過を発表しながら年明けに最終結果を発表するものです。残念ながら『活動之世界』誌はこの年の四月号で廃刊となったため最終結果の発表には至りませんでした。それでも最終号の第3回中間発表を見ていると当時の傾向が幾つか見えてきます。

人名表記は現在のものを使用。3票以上を獲得した61名の男女比は27名(44%)対34名(56%)、国別内訳は以下となっています。
アメリカ:48名(79%) 日本:9名(15%) イタリア:2名(3%) フランス:2(3%)

ハリウッド俳優ではヴァイタグラフ社が安定した人気ぶり(転籍していますがアニタ・スチュワートやノーマ・タルマッジも同社出身)。国内で安定して配給・宣伝されていたため知名度が高かったと思われます。一方でギッシュ姉妹やグロリア・スワンソンらが選外に漏れてしまいました。

アクションを十八番とする男優(ウィリアム・ダンカン、エディー・ポロ、ハリー・ケリー)が健闘、また連続活劇女優の人気が根強かった様子も伺えます。1910年代末はパール・ホワイトやルース・ローランドらの先駆者に続く第二世代(グレース・ダーモンド、モリー・キング、ネヴァ・ガーバー)が台頭していた時期で、ランキングにもその状況が反映されています。

国内組に目を転じると1917年に日活向島に入社した山本嘉一と藤野秀夫、東猛夫、衣笠貞之助に票が集まっています。松之助人気も健在。正式デビュー前で得票数は伸びていないものの(『深山の乙女』は1919年8月公開)日本初の女優花柳はるみさんが早くも食いこんでくる形になっています。

二名ながらもイタリア女優が上位にランクイン(ベルティーニ、メニケリ)。ドイツや北欧、ロシアの俳優名はありません。

この5年後になると日本でも女優ブームにブロマイドが飛ぶように売れ、連続活劇人気は収まり、イタリアの代わりにドイツ映画が存在感を増していく時代となりました。「映画」の言葉からイメージされる世界の広がりが20年代前半にガラリと変わっている訳で、この人気投票はそれ以前、ちょうど一世紀前の映画理解を反映している点で興味深く思われます。

なお、それぞれの国外俳優の写真は国立国会図書館所蔵の『活動花形俳優』(1921年)や『活動名優寫眞帖』(1919年)で見る事ができます。

1913 – スタンダード8 パール・ホワイト主演 『紙人形(ペーパー・ドール)』

「8ミリ 劇映画」より

1913 Pearl White in Paper Doll
Pearl White in The Paper Doll (1913) Standard 8 Blackhawk Print

『ポーリンの危難』公開の前年、1913年のパール・ホワイトはクリスタル映画社と契約を結んでいて、この年だけでも百作を超える短編に出演する人気を見せていました。

観衆から暖かく受け入れられているのは劇場に顔を出す度に響き渡る万雷の歓声からも伺える。ホワイト嬢を「我らがパール」と呼ぶのが多くの者の習わしとなっていた。

ヴィックスバーグ・イヴニング・ポスト紙
1913年5月10日付

The warm place she holds in the estimation of the public is forcibly illustrated in the applauses accorded to her personnal appearance in any theater. « Our Pearl » has become the popular characterization of Miss White.

Vicksburg Evening Post
May 10, 1913

クリスタル社作品で現存が確認されており、8ミリで市販されていた一本が『紙人形』でした。不幸な偶然の重なりで恋人に殺人の嫌疑をかけられてしまった女性主人公アリス(パール・ホワイト)が間一髪でその疑いを晴らす内容です。

冒頭はグラスハウスでの撮影で、登場人物が一通り紹介されると屋外撮影に切り替わりピクニックとなります。思惑のすれ違いから彼氏のクレメンツ(チェスター・バーネット)とアリスに想いを寄せるレイナー(ジョゼフ・ベルモント)との諍いが生じ、カップルは喧嘩別れしてしまいます。

その後レイナーは拳銃の暴発事故で亡くなってしまうのですが、直前にクレメンツがレイナー宅を訪れていた様子が目撃されていました。動機もあり、状況証拠も揃っていることからクレメンツが殺人犯として逮捕されてしまうのです。事件を知ったヒロインが悲しみに暮れていると幼い妹がやってきます。さて二人が如何にして無罪を証明していくか…が見どころとなっています。

物語のメリハリや伏線が上手く機能しており、1911~13年頃の脚本術や演出術の高い水準を伺わせる好編となっています。

1913-paper-doll-11

1910年代前半の映画流儀にならい、『紙人形』の大半は膝上ショット(ミディアム・フル・ショット)で撮影されています。手紙等を見せる場面では手元の接写が使われたりするのですが、本作では拳銃に寄った場面が含まれていました。単調な流れに視覚的アクセントが生まれてくる訳で、こういった経験が蓄積されていく中で数年後に表情や事物のクローズアップ法とそのヴァリエーションが確立されていくことになります。

[タイトル]
The Paper Doll

[製作年]
1913年

[IMDB]
tt0003252

[メーカー]
米ブラックホーク社

[メーカー記号]
810-424

[フォーマット]
Standard 8mm 400フィート

パウル・ヴェゲナー Paul Wegener (1874 – 1948)

「ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]」より

Paul Wegener Autographed Postcard
Paul Wegener Autographed Postcard

「ある特定のタイプの役柄が好きだったりするのですか?」
「総じて一つの役柄しか演じていないのですよ。つまり自分自身という役柄です。素朴で圧のある人物という役をありとあらゆるニュアンスを駆使して演じています。私のゴーレムを覚えていますか?あれは私自身の適性、感性、理解力から生み出されてきたのです」

ザッペルンデ・ラインヴァント誌1921年第10号

« Haben Sie eine Vorliebe für besondere Partien im Film? »
« Ich spiele überhaupt nur eine, nämlich meine Partie. Ich spiele sie in allen Schattierungen: es ist die Rolle des Naiv=Wuchtigen. Erinnern Sie sich an meinen Golem? Er war meiner Eignung, meinem Gefühl, meinem Verstand entwachsen. »

« Paul Wegener » in
Zappelnde Leinwand, 1921 nummer 10

1920 - Der Golem, wie er in die Welt kam (1920)
『巨人ゴーレム』でのヴェゲナー

[IMDb]
Paul Wegener

[Movie Walker]
パウル・ヴェゲナー

[出身地]
ポーランド(ヤラントビツェ)

[誕生日]
12月11日

[データ]
[Verlag Ross Berlin SW 68, Becker & Maaß Berlin W9, 1582/2] 13.5 × 8.8cm

櫻井 京子 / 桜井 京子 (1912 – 没年不詳)

「日本 [Japan]」より

Sakurai Kyoko Autographed Postcard
Sakurai Kyoko Autographed Postcard

本名池田善子。大正元年東京市日本橋區に生る。千代田高等女學校修業後、松竹蒲田スタヂオに入り昭和三年六月日活時代劇部に入社。最近の主な出演は「白井權八」「酒中浪人」「逃げ行く小傳次」等。純情可憐な藝風。身長五尺一寸五分。體重十一貫五百目。邦樂と踊りが趣味。

『芝居と映画 名流花形大寫眞帖』
(1931年1月、冨士新年號附録)

デビュー当初は糸浦柳子名義で衣笠貞之助監督・林長二郎作品に多く出演。昭和3年(1928年)に日活に籍を移し太秦撮影所で辻吉朗や清瀬英次郎監督作品に登場しています。日活を離れ、日本映画等に参加した後昭和10年(1935年)に極東と契約を結びます。仁科熊彦監督の下で羅門光三郎と共演を多く重ね、この内『荒木又右衛門』がVHSの形でソフト化されていました。

[JMDB]
桜井京子

[IMDB]
Kyoko Sakurai

[出身]
日本(東京)

[サイズ]
13.4 × 8.4 cm