1924 – 9.5mm 『ニーベルンゲン 第1部 ジークフリート』(フリッツ・ラング監督)1930年代初頭 英パテスコープ版

フリッツ・ラング関連 [Fritz Lang Related Items] より

Siegfried (« Die Nibelungen: Siegfried », 1924, UFA/Decla-Bioscop, dir/Fritz Lang) Early 1930s UK Pathescope 9.5mm Print

ラング監督によるニーベルンゲン第1部『ジークフリート』の9.5ミリ版。ノッチ有の4巻構成で映写時間は1時間10分ほど、オリジナルの半分ほどに縮約されています。

戦前9.5ミリフィルム特有の粒子感は見られるものの良いプリントです。

『クリームヒルトの復讐』紹介で触れたように9.5ミリ版はウーファ社の輸出用ネガを元にしたプリントで、国内向けネガを元にした現行のデジタル版の別アングル、別テイクから構成されています。第1リール(鍛冶屋での修行、火龍との闘い、小人族が守るニーベルンゲンの秘宝)をスキャンし、デジタル版および戦後フランス製の8ミリ版と比較してみました。

左から順にデジタル修復版、仏フィルム・オフィス8ミリ版、英パテスコープ9.5ミリ版。

鍛冶屋の場面から出立まで

火龍との戦い

小人族とニーベルンゲンの秘宝

一部トリミングされているため完全一致とはなりませんが、仏8ミリ版はデジタル修復版と同じドイツ国内用ネガをベースにしていると分かります。一方で英9.5ミリ版は別カメラによるショットで構成されているためアングル、構図が変わってきます。また単にカメラが別なだけでなく、使用されているテイクが異なっているケースが多く表情や体の動き、人や物の位置関係も微妙に異なっていました。

1925年2月末、帝劇で『ジークフリート』がプレミア上映された時、映写機にかかっていたのは輸出用フィルムだったはずです。弁士を徳川夢聲氏が務める中、観客の凝視するスクリーンに映し出されていたのは右側、9.5ミリ版と同じイメージでした。

[公開年]
1924年

[IMDB]
Die Nibelungen: Siegfried

[メーカー]
英パテスコープ社

[メーカー記号]
SB729

[9.5ミリ版発売年]
1931年8月

[フォーマット]
9.5mm 100m×4巻 白黒無声 ノッチ有

1924 – 9.5mm 『ニーベルンゲン 第1部 ジークフリート』(フリッツ・ラング監督)イリス商会1925年製 二折りリーフレット

フリッツ・ラング関連 [Fritz Lang Related Items] より

Die Nibelungen: Siegfried (2-Folded Leaflet Made by C. Illies & Co. for 1925 Japanese Première)

ジークフリート物語

いつの頃と確とは知らず。ただゲルマン人々の血に潜み、骨に徹して傳へ来りし物語よ。

ネーザーランド王ジークムントは公子ジークフリートに稀代の劍鍛つ業収めしめんとてその頃鍛冶の誉高かりしニーベルング族の老傴僂ミーメの洞に遣はしぬ。日毎夜毎劍鍛つ業公子に勵む内三年五年は束の間よ。公子は眉秀で眼圓らに肉緊りて、心智く、業も一極優れて逞しき若者とはなりぬ。今はミーメに別れを告げグラニと呼ぶ雪白の名馬に跨りてアルベリツヒの崫に「ニーベルンゲンの寶」を得んと勇み行きぬ。やがてウオルムスの深き谿へと來れば地を轟かし森を震して、大な火龍熖を吹きて丘の如く道を阻みぬ。ジークフリートは名劍バルムンクを揮ひて火龍を殺しぬ。血奔りて掌を燒けるに思はず唇を當つれば不思議や、彼は梢なる小鳥の歌を解し得ぬ。

「人は知らぬ」火龍の秘密よ、血潮に浴せば不死身になるぞ。人は知らぬ、われ等のみ知る、火龍の秘密よ。ジークフリート喜びて裸身にて血の池に浴びぬ。此時上よりライムの枯葉一つ舞い落ちかゝりて、脊に拳程の肌、血に染みざりしを彼は知らざりしぞ悲しき禍の源なる。アルベリツヒの許には崫々に寶物數多充み滿たれば、之を獲んとて遂にアルベリツヒを倒しぬ。アルベリツヒは最後の際に「ニーベルンゲンの寶」に呪を與へ自ら石と化して死せり。ジークフリートは、隠身の蓑を携へて今は只管にラインを指して急ぎぬ。

旅衣はるかに、ジークフリートはラインの邊に來りぬ。彼方突几と高く聳ゆるグンター城には、ブルガンデイーの美と徳との徴、髪長く眸淨らなる王妹クリームヒルトなる乙女ありぬ。彼は必ず得て永く共に契らんと心決めぬ。され共、グンター王の股肱、心剛く知惠深きハーゲン、トロンエは優れたる若者を憚りて、クリームヒルトを許す爲に一つの難題を與へぬ。「我は十二人の王を統べたり。いかで、グンター王の配下に立たん!」と怒るジークフリートを優しくクリームヒルトは難題を受けよと乞ひぬ。 ジークフリート心を決めて、北極光紫に映ゆる氷島で強勇の女王ブルンヒルダと戰技を競ふ、グンター王を助け勝たしめ女王を得て歸城しぬ。

ブルガンデイーの城内に祝の頌歌高く擧りぬ。王はブルンヒルダと、ジークフリートはクリームヒルトと、婚宴の夜は歡びに溢れれぬれど、胸の中秘かにジークフリートを慕へるブルンヒルダはグンター王に冷やなりければ王の氣を入れ、變身の蓑もてグンター王に化身し、女王の心を試みしが、この秘密を覺りしブルンヒルダは、怨み憤り、さきに、クリームヒルトを欺きて不死身の秘密を知れるハーゲン、トロンエと計りて、鹿猟に事寄せて彼を失んとしぬ。其の日、トロンエは、ジークフリートの渇けるに乗じ、美しき池に到り脊後より鋭き槍を投げてジークフリートを殺しぬ。あはれ、若き王、ジークフリートは、かの呪はれし寶の爲に命を果てぬ。愛惜と悔恨に胸破れてブルンヒルダも亦、彼が亡體の側に自ら死せり。しかも、心深く、永く呪と復讐の誓を刻みし。クリームヒルトは只黙して冷たき涙を流してありぬ。

さもあればあれ、今とは樣變わりて、古の世、人心義に厚く、仇には剛くありしこそ、あはれ掬めども盡きぬ味かな。

◇◇◇

1925年2月、日本で二ーベルンゲン第一部『ジークフリート』が封切りされた際に先行して配布された2色刷りの粗筋・配役紹介。

木版画調の枠に飾られた4枚のスチル写真が大きくあしらわれ、下に粗筋がまとめられています。筋をまとめた人物の名は明記されてはいませんが堂々とした擬古文の調べは素人離れしておりそれなりに名の知れた活動弁士、又はそれに類した経験を積んだ持ち主と思われます。硬質なゲルマン古神話が「もののあはれ」に違和感なく置き換えられているのには驚きました。

1927 – 『大いなる跳躍』 (アーノルド・ファンク監督) 1930年代 英パテスコープ社プリント

Gita the Goat-Girl (Der große Sprung, UFA, dir/Arnold Fanck)
UK Pathescope 9.5mm Print 1st reel

イタリアはチロル地方の小さな村に「羊娘」とあだ名される少女ジータが暮らしていた。快活な性格と麗しい容貌に言い寄る若者も少なくなかつたが本人はピンとこないようである。「三本針」と呼ばれる巨大な奇岩によじ登って男たちを煙に巻くのであつた。

そんな或る日、ジータが水辺で羊と戯れているとどこかから悲鳴が聞こえた。目を上げると湧水を流してくる懸樋の先に男が引つかかつている。観光客が足を滑らせ流されてきたようである。ジータは懸樋に昇ると絡まつていた紐を噛み切つて男を助けたのであつた。

数日後、ジータが「三本針」で涼んでいると見慣れない高級車が見えた。降り立つたのは先日の観光客。都会から来たミカエルという名の若社長で、ジータに一目惚れし求婚に訪れたのであつた。想いを伝えたい一心でミカエルは切り立つ岩をよじ登つていく。地元青年のトニも負けじと追いかけたがミカエルが一歩早かった。「お嬢さん、貴女の御手を頂戴してもよろしいでせうか?」…リタは自分の手のひらを見つめ小首をかしげた。はてさて、高さ十数メートルの決死のプロポーズの行方や如何に。

『聖山』(1926年)や『死の銀嶺』(1929年)で知られる山岳映画の名匠ファンク監督の手による喜劇作品。前半は奇岩「三本針」の周辺で繰り広げられる恋の駆け引きを、後半はヒロインのパートナーを目指して繰り広げられる大掛かりなスキー大会を描いており、2本組で発売された9.5ミリ版の各巻が対応しています。

1924年6月、膝を怪我してしまい長期間舞踏から離れざるをえなくなりました。この時期にアーノルド・ファンク監督の『アルプス征服(Der Berg des Schicksals)』を見て、とても感銘を受けファンク氏に会いにいきました。お会いできたことで『聖山(Der heilige Berg)』の踊り子ディオティマ役を頂戴する結果になつたのです。一年半をかけ同作でご一緒させていただき、その後すぐに2作目の『大いなる跳躍(Der große Sprung)』が続きました。

「レニ・リーフェンシュタール」
『映画芸術家:自分自身を語る』(1928年)

Im Juni 1924 hatte ich mir das Knie verletzt, so daß ich lange Zeit mit dem Tanz aussetzen mußte. In dieser Zeit sah ich den Arnold Fanck-Film „Der Berg des Schicksals », der einen so starken Eindruck auf mich machte, daß ich Arnold Fanck aufsuchte. Die Folge dieser Begegnung war, daß mich Dr. Fanck für die Rolle der Tänzerin Diotima in seinem Film „Der heilige Berg » engagierte. Anderthalb Jahre arbeiteten wir an diesem Film, dem sofort der zweite „Der große Sprung » folgte.

Leni Riefensthal
Filmkünstler; wir über uns selbst (1928, Sibyllen-Verlag, Berlin)

シリアスな人間ドラマで見慣れているはずのリーフェンシュタールやトレンカーがとぼけた顔で荒唐無稽な恋愛ファンタジーを演じている様子は必見。十数メートルの高みでリーフェンシュタールが両腕を広げゆっくりと立ち上がる場面、燕尾服姿で大きな花束を抱えたシュニーベルジェが垂直の岩肌を登る場面など各々の身体能力の高さも存分に発揮されています。

『大いなる跳躍』は2020年にデジタル版(DVD/ブルーレイ/ストリーミング)が発売されており英語字幕付きで見れるようになりました。9.5ミリ版と比較した所、一ヶ所気になる部分が見つかりました。

若社長ミカエルが「三本針」を登るジータに求婚する場面です。頂上に辿りついたミカエルがシルクハットを上げて挨拶する場面が、デジタル版と9.5ミリ版では左右反転しています。

燕尾服の胸ポケットに注目してみます。上の写真で分かるように上着の左胸にポケットがあってハンカチ(又は手袋)らしき白い布が覗いています

帽子をとって挨拶する場面では右胸にポケットがあって白い布が見えています。またデジタル版ではジータが青年に手を貸して自分の体の右隣に引き上げるのですが、三人並んだ場面でミカエルは左隣にいます。コンティニュイティー(連続性)視点からデジタル版が左右反転していると見てよさそうです。

フィルムの表裏は一般に思われている以上に見分けにくく編集や修復(ダメージのある個所を置き換える)時のヒューマンエラーはありえるものです。最新のデジタル版にまでエラーが継承されている可能性がゼロではないため、できるだけオリジナルに近いプリントを参照する必要性を実感します。

[公開年]
1927年

[IMDB]
Der große Sprung – Eine unwahrscheinliche, aber bewegte Geschichte

[メーカー]
英パテスコープ社

[メーカー記号]
SB748

[9.5ミリ版発売年]
1932年8月

[フォーマット]
9.5mm 100m×2巻 白黒無声 ノッチ有

2021 – DVD デジタル修復版『ティーミン』(1919年、ルイ・フイヤード監督)

「ルイ・フイヤード」より

Tih-Minh (1919, Gaumont, dir/Louis Feuillade, 4K Digital-Restored Version)

『ジュデックス』は重要な転換点となった。以後、フイヤード監督は悪漢でなく、犯罪者に正しく立ち向かう者が視聴者の共感を得るような見せ方、タイトルの選び方をしていく。記憶に残すほどの作品ではないものの『續ジュデックス』でも同様だったし、その後の二作『ティーミン』(1918年)と『バラバス』(1919年)にしてもそうであった。両作とも12章仕立て、物語は灰色がかったパリ郊外から離れ、花と棕櫚のニース、かぐわしい香草が生い茂りドライストーンの一軒家が点在する同地近郊の丘陵地を舞台に展開していくのである。 […] 『ティーミン』では所々にシュールレアリズム風のキラリとした光があって(修道女に変装した悪党団、木々と花々の合間の隠しマイク、庭で踊る狂女など)同作を『レ・ヴァンピール』に次ぐ作品としている。

『フイヤード』 フランシス・ラカサン著
(アンソロジー・デュ・シネマ第15巻、1966年)

JUDEX marque un tournant important ; désormais, ce n’est plus le criminel que Feuillade désigne à la sympathie du public, mais son loyal adversaire. Il en sera ainsi encore dans LA NOUVELLE MISSION DE JUDEX, film à oublier, et dans les deux suivants : TIH MINH (1918) et BARRABAS (1919), tous deux en douze épisodes, qui se déroulent non plus dans la grisaille de la banlieue parisienne, mais parmi les fleurs et les palmiers de Nice ou dans les collines de l’arrière-pays, parfumées du thym et parsemées de petits villages aux maison de pierres sèches. […] Le premier est embrasé à certains endroits par des éclats surréalistes (bandits déguisés en religieuses, microphones cachés dans les fleurs et les arbres, folles dansant dans un jardin, etc.) qui le placent immédiatement derrière LES VAMPIRES.

Feuillade, Francis Lacassin
Anthologie du Cinéma, No.15
(supplément à l’Avant-Scène du Cinéma No 59 de Mai 1966)

※本作の粗筋については仏語小説版の紹介を参照してください。

1918年前半に撮影、翌年初頭に公開された12幕物の活劇でフイヤード監督にとっては『ファントマ』『レ・ヴァンピール』『ジュデックス』『續ジュデックス』に次ぐ第5作目の連続劇に当たります。撮影開始百年の節目となる2018年から4Kによるデジタル修復プロジェクトが始動、公開から一世紀に当たる2019年に新版が完成。2020年にボローニャ復元映画祭でのプレミアを経た上で先日円盤(DVD/ブルーレイ)の流通が始まった所です。

フイヤードの監督キャリアを1)初期短編、2)初期活劇、3)中期活劇、4)後期連作と中長編に区切った時、『ティーミン』は第3期の始まりを告げる一作となっています。これまでDVDなどで市販されてきたフイヤード作品は第1と第2期のみでしたので、今回初めて中~後期の作品を見ることができるようになった次第です。

長らく幻の作品とされていた『ティーミン』は幾つかの点で旧作と異なっています。

同作が制作・公開された1918~19年は大戦が終わりをつげ欧州が新たな回復基調に向かい始めた時期に当たります。社会・文化・政治の価値観そのものがリセットされ、次の1920年代を見据えた動きがあちこちで見られるようになりました。映画業界、そして連続活劇ジャンルも例外ではありませんでした。

『ファントマ』~『ジュデックス』の成功もあり、以前より自由に作品を撮れるようになったフイヤードは活動拠点を生れ故郷の南仏に移します。『ティーミン』は風光明媚な観光地として知られるニースやコートダジュールで撮影されたものです。

作品のあちこちに海が登場、浜辺に沿った大通り、堤防や船着き場、岩場や岸壁など港町の利を生かしたロケーションの選定が行われています。地中海の明るい光、開かれた水平線がコントラストや構図に与える影響は大きく、パリ主体で製作された旧来型の連続劇と雰囲気が大きく変わりました。

第11章では悪漢たちがアパルトマンの屋根伝いに逃亡を図ります。活劇ではお約束の展開ではあるもののカメラはその先の尾根や緑に囲まれた住宅街も捉えています。建物が密集し整然と立ち並ぶパリ中央部でこういう絵にはならない訳で、撮影拠点の変更が市街地での撮影にも影響を及ぼしているのが分かります。

旧作との印象の違いは植生にも現れています。

アフリカ原産の多肉植物や地中海周辺に自生する草花が多く登場。天に向かって広がる曲線、あるいは放射状に広がる葉が映りこんで画面に異様な装飾性と緊張感を付け加えています。

地中海周辺の植物相(フローラ)を構図に取りこんでいく手法は『ティーミン』の有名な場面でも見て取ることができます。

第8章『慈悲の枝』では駕籠ごと崖から落とされたティーミンが木の枝に引っかかって九死に一生を得ています。崖の岩場に手をかけてよじ登ろうとしているヒロインを上から捉えたのがこの一枚。高所から落ちかけて危機一髪の設定は旧来活劇の焼き直しですし、見る人によっては「またこのパターンか」となりそうです。

ティーミンを助けた「枝」はゴツゴツした針葉樹で日本の松に似ています。地中海東部を原産とするトルコ松(ターキッシュ・パイン)ではなかろうか、と。フランスでは南部にしか自生していない樹木がヒロインを助けるのがポイントで、上部に聖性を帯びた「慈悲の枝」が広がり、その下で必死のヒロインが岩場に手をかけている構図がフイヤードの思考形態、宗教観や郷土愛を如実に反映しています。『ティーミン』そのものが南仏の風景によって連続活劇の紋切り型を再解釈・再構築していくプロジェクトであった。そんな風に言い換えることもできるのでしょう。

◇◇◇

『ティーミン』を理解していく上で避けて通れないのが「心」をめぐる問題です。

第1章半ばで悪党団に拐かされ第4章で救出されるまで姿を現さない。その後は薬品の影響で記憶と言葉を失い友人や恋人も判別できず不安定な表情、所作が目立つ。第7章で記憶を取り戻すも以後の物語展開に大きな貢献はしていない…5時間半近い本作を見ていると主人公ティーミンの活躍がほとんど描かれていない点が気になってきます。

ティーミンの存在意義とは、フイヤードが彼女に託した役割は果たして何だったのか。ひとつの仮説を立てることができると思います。

心に受けた傷が要因となって記憶や振舞いに異常を生じるも、あるきっかけから記憶が蘇りそこから治癒と回復に向かう。ティーミンが作中で生きた物語には初期精神分析の提案した心的外傷、トラウマの概念が色濃く反映されています。第3話では専門医も登場、記憶を失ったティーミンが心身の不調と闘っている様子が描かれていきます。ティーミンは若い頃に父親を殺害される辛い体験をしていて、第7章では最近の記憶と同時に当時の事件の記憶と言葉を取り戻し、悪党団の暗躍する理由を解き明かす鍵となっていく…

ティーミンは心の軌跡によって物語を中盤で好転させていく役割、いうなればゲームチェンジャーの機能を果たしているのです。

1910~20年代にかけ心をめぐる新しい知見を取りこんだ文芸の流れ(『失われた時を求めて』、『ユリシーズ』、シュールレアリズム)が一つのトレンドとなっていました。例えば『ユリシーズ』の連載は1918年3月に始まっていて『ティーミン』撮影と重なっています。直接の影響云々ではないにせよ、フイヤードが時代の最先端を意識したという仮説は十分に成り立つと思います。

とはいえ視覚芸術である映画の枠組みで「心」を描くのは容易ではありません。冒頭からティーミンに感情移入して見ていれば話は変わるのでしょうが、そもそも登場頻度が少なく存在感の希薄なヒロインに字幕一つで「そう、思い出した!」と言われても受け手側が共感しづらい流れになってしまっています。

『ティーミン』構想時のフイヤードが精神分析に興味を持っていたと仮定すると他のいくつかのエピソードも理解しやすくなります。上の2枚は記憶と理性を失った女性たちが幽閉されているキルケー館のエピソードより。下の2枚は助けにやってきた外交官が策略により妄想癖、虚言癖のある危険人物とみなされ隔離されるエピソードから。理性と狂気、意識と無意識、ノーマルとアブノーマルなど連続活劇の世界観には似つかわしくない不穏で重めの空気が流れます。

こういった傾向は一般的に「幻想的な場面が所々含まれている」の形で解釈されています。冒頭に引用したラカサンの例でいうなら「所々にシュールレアリズム風のキラリとした光があって」の部分です。ただ、この見方は厳密には不正解なのだろうと思います。

『ティーミン』には通常の「アクション活劇」の側面もあって、善対悪の丁々発止も描かれています。一方ではヒロインに託された「心の物語」が並走していて、キルケー館や隔離部屋のエピソードはその世界観を補完する意味で挿入されたと考えれば整合性がでてきます。

しかしこの試みは上手くいかなかった。

記憶喪失、失語症、心の病と闘うティーミンの物語が十全に機能せず作中でぼやけてしまったことでそれを補完するはずのエピソード群も本来の意味を失ってしまった。結果的に視聴者にとってはやや奇妙な、幻想的な質を帯びた描写があちこちに散らばっているように見えてしまう、というのが実際の所だったのでしょう。次作『バラバス』以降にこの種の試みが見られなくなったのにはフイヤード監督なりの思いが反映されているはずです。

◇◇◇

『ティーミン』での試行錯誤はブラッシュアップされ翌年の『バラバス』へと結実していきます。例えば南仏の美しさを伝えるためにフイヤード作品史上初の空撮が登場、物語の展開もスムーズで分かりやすいものとなっていきます。一方で『ティーミン』に過渡期ならではの面白さがあるのも否定できません。今回のデジタル版がフイヤード中期~後期活劇の再評価につながる第一歩になってほしい。海外の一愛好家として切に願っています。

[出版年月日]
2021年12月8日

[出版者]
ゴーモン・ビデオ(Gaumont Vidéo)

[EAN]
3607483290484

[再生時間]
324分

[フォーマット]
19.3 x 13.6 x 1.7cm 180g

大正14年(1923年)頃 35ミリ齣フィルム 30枚

c1923 35mm nitrate film fragments

大正末期に個人コレクターが集めた35ミリ齣フィルムのセット。革製の表紙に金文字で商品名をあしらった蛇腹型フィルムブックに収納されています。写真や絵葉書を貼るアルバムと違い、4か所のスリットに囲まれた中心部に四角い切り抜きがあり、光に翳すとコンテンツが見える仕組みになっていました。

齣フィルムは全部で30枚。邦画(8枚)、洋画(15枚)、相撲(7枚)の三種に大別できます。

邦画では尾上松之助と阪東妻三郎のフィルムが収められていました。その他のフィルムもすべて時代劇/旧劇のみで新派劇や現代劇は含まれていません。

一番充実していたのは米国映画でした。左はパール・ホワイトの中期活劇『電光石火の侵入者』(1919年)の広告をあしらったもの。名脇役ワーナー・オーランド演じるアジア系の悪漢に銃を突きつけている場面です。左はフェアバンクス短編からの一コマ。

アクション多めのヒーロー活劇が好きだった様子は他のフィルムからも伝わってきます。左はエディー・ポーロ。右は西部活劇からの一枚。

最も登場回数の多かったのがチャールズ・ハッチソン。以前に『ハリケーン・ハッチ』(1921年)の説明本『スピードハッチ』(1923年)の齣フィルムを紹介済。上の4枚はその両作の間に制作・公開された『豪傑ハッチ』(Go Get ‘Em Hutch、1922年)用のスチル写真をベースにしています。右上の一枚にはヒロイン役のマーガレット・クレイトンが登場、右下で驚いた顔をしているのは悪役のリチャード・ニール。

他に一枚ハリー・ケイリー(Harry Carey Sr.)も含まれていました。長いキャリアを持つ西部劇俳優で自国では根強い人気を誇っています。残り6枚は現時点で未特定。

角界関連の齣フィルムは初めて目にしました。

最上段のベテラン力士、第19代横綱・常陸山を除くと若手が並んでいます。中段左から伊吹山末吉、常陸島朝吉、阿蘇ヶ嶽寅吉と続き下段左から若葉山鐘、東雲衑藏、福栁伊三郎。

「故常陸山」とあるように常陸山は1922年の夏に亡くなっています。また阿蘇ヶ嶽は1924年春に廃業。阪妻が1923年初頭にマキノ等寺院に入社し知名度を上げ始めた点も考慮すると齣フィルム全体が1923年に流通したと見て間違いないと思われます。

1928 – Super8 『放浪三昧』 (千恵プロ、稲垣浩監督) 東映/サングラフ版

「8ミリ 劇映画」より

Hôrô Zanmai (« The Wandering Gambler », 1928, Kataoka Chiezo Productions, dir/Inagaki Hiroshi)
Toei/Sungraph Super8 Print

片岡千恵蔵がマキノから独立して立ち上げた千恵プロ初期作のスーパー8版。VHSやDVDでも市販された記録がありますがVHSは松田春翠氏の語り付きで60分版、DVDは無声の40分版と内容に異同があります。サングラフ版スーパー8は上映時間12分ほどで光学録音に竹本嘯虎氏、カセットに花村えいじ氏の語りが収録されていました。

江戸詰めの職務を終え、山道を越えて故郷へと戻らんとする武士たちの列に伊達主水の姿があつた。妻のつゆと一人息子の小太郎との再会を目前に主水の心は躍るのであつた。

その頃、自宅にて留守を守っていたつゆの元に怪しげな来訪者があつた。以前からつゆに横恋慕していた関口荘六である。荘六は江戸で主水が勤王派の志士と知己になつたのを知り、「この一件が明るみになればお前の夫の将来はないぞ」と脅しにかかる。主水が勤王派とやりとりした手紙と引き換えに自分のものになれと云ふのであつた。

自宅に帰り着いた主水であるが、家は奇妙なほどに静まりかえっていた。仏間に入った主水は驚きのあまり凍りつく。仏壇の前には自害してこと切れた哀れなつゆの姿があつた。残された書置きから全ての経緯を知つた主水は関口荘六の家に乗りこみ、妻の仇を容赦なく切つて捨てるのであつた。

脱藩し一子小太郎との流浪の旅に出た主水。やがて二人は京都へとたどり着く。折しも京の町は佐幕派と勤王派の抗争に血なまぐさい空気を漂はせていた。

主水が勤王派と繋がつていると信じた新選組が主水をつけ狙う。近藤勇は配下の者に小太郎を誘拐させ、主水を屯所におびき寄せる。

主水の危急を知った勤王派の志士たちが駆け参じ、佐幕勤王入り乱れた死闘が繰り広げられる。果たしてこの死地を逃れることが出来るのか、小太郎を胸に抱きかかえた主水の運命や如何に。

内容は前半「復讐編」、後半「幕末京都篇」の大きく二つに分かれています。流浪の武士と子供による二人旅の設定は前年の『忠次旅日記 第2部』(伊藤大輔)と重なってきますし、新選組が暗躍する京都を舞台にした作品としては同年の『坂本龍馬』(枝正義郎)があるため、比較していくと色々発見がでてきます。

9.5ミリ版紹介で触れたように『坂本龍馬』では三点照明法を採用することで薄暗い室内でも人物の髪の輪郭がくっきり見えるようになっていました。『放浪三昧』にそういった発想はなく、室内撮影ではスポットの当たった中央一点が極端に明るく周囲が減光、なおかつ頭の輪郭の黒が背景に埋没してしまっているショットが目立ちます。枝正義郎氏との技術力・経験値の差が出てしまっている部分なのかなとは思います。

酔いで視界がぶれて像が4重に見える場面

Rhythm 21 (Hans Richter, 1921) from MoMA Collection

一方で『放浪三昧』は自然描写や静物(屋台の鍋や囲碁盤)を合間に挟み流れにリズム感を生み出すセンスが光っています。また屋台で酔っ払った主人公が店を出た時、視界がブレて通りの光が4重になって見える場面がありました。ハンス・リヒターの前衛アニメーション作品『リズム21』(1921年)と強くリンクした動的・抽象的表現です。稲垣浩氏にとって二回目の監督作品ながらも新人離れした才能、そして野心は見え隠れしている訳です。

しばしば指摘されているように初期千恵蔵の殺陣は軽快で明るさを湛えています。傅次郎の豪胆や妻三郎の壮絶は欠けているものの、テンポの良いスポーティーな立ち回りは見ていて心地良いものでした。

脇を固める俳優陣にも注目。小太郎を演じた中村寿郎は本作が子役デビュー作。以前に16ミリを紹介した1931年日活作品『殉教血史 日本二十六聖人』にも山本礼三郎と滝沢静子の子供役で出演していました。主人公の妻・つゆを演じたのは衣笠貞之助の実妹・淳子さん。戦後までコンスタントに活動されておりますが現存作品が少なく今回初めて動いている姿を見ました。写真では物静かで地味な印象を受けましたが和服姿で髪を上げると品の良い香りが立ちます。

[JMDb]
放浪三昧

[IMDb]
Hôrô zanmai

[公開]
1928年8月1日

[8ミリ版製作]
東映/サングラフ

[カタログ番号]
807

[フォーマット]
60m×1、18コマ毎秒、白黒、光学録音、語り:竹本嘯虎&花村えいじ

1924 – 『靑春の歌』(日活京都、村田實監督) 鈴木傳明&高島愛子 絵葉書

Suzuki Denmei & Takashima Aiko in « Seishun no Uta »
(A Song of Youth, 1924, Nikkatsu Kyoto, dir/Murata Minoru) Postcard

村田實氏の「運轉手榮吉」に次ぐ作品は新加入の高島愛子孃と鈴木傳明氏共演になる學生ローマンス劇と決し、目下脚本選定中である。

撮影所通信
『キネマ旬報』 大正13年(1924年)11月1日付第176号

村田實氏は既報の如く高島愛子孃第一回作品として田中總一郎氏原作脚色になる戀愛詩劇の「靑春の譜」と決し愈々監督を開始した。俳優は高島愛子孃鈴木傳明氏南光明氏東城坊恭長氏等にて、技師は横田達之氏擔當である。

撮影所通信
『キネマ旬報』 大正13年(1924年)11月11日付第177号

村田實氏の監督中なる高島愛子孃鈴木傳明氏共演の第壹回作品は「靑春の歌」と改題されて近日完成される筈である。尚既報出演俳優の外近藤伊與吉氏がリューコデー張りの敵役で出演して居る。ロケーションは阪神沿線の芦屋へ出張した。

撮影所通信
『キネマ旬報』 大正13年(1924年)11月21日付第178号

畧筋 – スポーツマンとして其名を知られた工科大學生瀨戸は歴史学を専攻して居る津田とは親友で、津田の師たる原文學博士の令孃美代子とは淡い初戀の仲であつた。四年の後、米國へモーターの研究に留學して居た瀨戸は歸朝して來て、彼の發明したモーターをもつてオートバイ競爭に現はれ、優勝の月桂冠を戴いた。彼は絶ゑて久しく美代子と再會したが、美代子は今や父博士の助手たる津田に戀されて居る身であつた。瀨戸は親友たる津田が美代子を戀して居ると知つて、戀を諦めやうとしたが、美代子としては初戀の儚忘れ難く瀨戸を愛して居たのである。

近作映畫紹介
『キネマ旬報』 大正13年(1924年)11月21日付第178号

比較的に短いので倦怠を來さないといふ事が唯一の取柄である所の情ない映畫である。あの原作とあの俳優では少し位監督が氣を効かした所で全然無駄である。表はす可き事を少しも摑まずに、本筋とは無關係な御説教や饒舌やで好い氣になつてゐる脚色は特に笑止である。[…]

俳優は皆駄目。元來活劇專門たる可き人達をかういふ所に使ふのが間違ひである。近藤氏はも少し重味があつたらと思はれる。

どうせあの顔觸れである以上、も少し活劇味をふんだんに盛らなければ成功しないことは初めから判り切つた事である。映畫全躰としての弱點は茲にある。

主要映畫批評 岩崎秋良
『キネマ旬報』 大正14年(1925年)1月1日付第181号


高島愛子日活入社第一回作品として新人鈴木傳明其他素晴らしい配役で自働車、馬を飛ばしての大活劇。

『映画と劇』 大正14年(1925年)新年号

さて「靑春の歌」は良いのかと云はれると誠に困るのである。名監督の評ある村田實だつて、如何に大家の作でも内容の貧弱さと空虚なのは救はれやうがない。それでも此の監督だから、あれだけ興味のあるものとして觀られたのだ、部分ゝゝに良い味が出てゐた、小手先の利いていることが特に目立つていた。[…]

批評家は口を揃へて傳明も愛子も演技が下手だと誹してゐる、が傳明も愛子もあのタイプだけで今の人氣は湧いて來たのである、二人の演技はこれからの問題なのである。それ程に今の映畫俳優の演技は役者じみた極りきつたものになつてしまつていて、どれも、これも、時代離れのした性格の表現しか出來ないのである。この物足りなさの中へ、フアンの生きてゐる時代のある一面を代表した、清新なタイプの人間がスクリーンに現れて來た。そこに彼等の人氣の根據がある。

「高島愛子と鈴木傳明 – 『靑春の歌』を觀て」東四郎
『映画と劇』大正14年(1925年)2月号

日活に転じた高島愛子さんの第一回主演作品『靑春の歌』スチール写真をあしらった絵葉書一点。

『靑春の唄』は前々から気になっていた作品でもあって今回上映前後の情報をまとめてみました。1924年11月のキネマ旬報で企画から製作の流れが丁寧に追われており、日活による広告も二度挟まれています。ただし公開後の同誌批評欄は酷評と呼べる内容でした。キネ旬のみならず批評家筋の評価はのきなみ低かったようで、それに対し東四郎氏が『映画と劇』に擁護の一文を寄稿した…という流れになっています。

東氏にしても作品が「貧弱」で「空虚」な点や、両主演の演技力に問題のあることを否定している訳ではありません。それでも現在という「時代」につながった「清新」な人物像(タイプ)が登場してきている、という点を強調したがっているのです。こういう議論って往々にして古い形式や価値観と新しいそれが入れ替わる端境期に見られるものですよね。旧来の表現や形式が停滞を見せる中、若い感性が(ヌーヴェルヴァーグ的な)一瞬の切り込みを見せたとも解釈できる流れで、その切れ味の怜悧さは絵葉書の写真からも伝わってきます。

[JMDb]
青春の歌

[IMDb]
Seishun no uta

1920年代 東南~南アジア旅行記 03 『マレーシア、ペナンヒルのケーブルカー登頂とジョージタウンの水上住宅』

« Penang And Up The Peak » (Malaysia late 1920s) Penang Hill & George Town
from US 9.5mm Home Movies shot in South and South East Asia

1920年代後半に東南アジアを訪れた米国人観光客が記録した7本のフィルムより、現在マレーシアの一部となっているペナン島周辺で撮影された映像をまとめたもの。フィルムケース側面には「Penang And Up The Peak」の手書き文字があります。

冒頭に宗教建築物の遺構が映し出され、手前に立っている旅行者の姿が見えます。次いで川下りとなり、ボートを操舵している男の後ろ姿。跳ねる水に迫力があります。

その後、ペナンヒルを登っていくケーブルカーが登場。上りと下り列車がすれ違う個所だけ複線になっています。現在は高速ケーブルカーとして人気を呼んでいますがその開通は1923年。初期の車両を捉えたものと思われます。

ケーブルカーから山麓を見下ろし、おそらく中間駅(左下)で働いている地元民を捉えた後に動画は船上視点に切り替わり、海岸に密集する集落、船を追走してくるボートを映し出していきます。

湾岸に小さな家が立ち並ぶ風景は京都伊根町の舟屋にも似ていて趣があります。

ペナン島の玄関口に当たるジョージタウンの湾岸部には、華僑の一族が暮らす水上住宅があったことで知られています。

現在のジョージタウン(クリエイティヴ・コモン:ソース Flickr

ウィキに転載されていたジョージタウンの近影。背景の丘や木立の感じから見てこの画像の赤枠で囲った部分とその少し左側、見切れている部分が動画に映っています。

1920年代 東南~南アジア旅行記 02 『 サイゴンのフンヴーン廟/雄王庙 』 (Golf at Saigon)

« Golf at Saigon » (Vietnam late 1920s) The Temple of Hung King
from US 9.5mm Home Movies shot in South and South East Asia

1920年代後半に東南アジアを訪れた米国人観光客が記録した7本のフィルムより、ベトナムのホーチミンで撮影された映像をまとめたもの。フィルムケース側面には「Golf at Saigon(サイゴンでゴルフ)」の手書き文字があります。

フィルム前半はゴルフをしている姿が記録されています。地元の子供さんがキャディーを務めているようです。コース内の移動に使用されれている馬車がカメラの前を横切っていきます。フィルム半ばで木々が鬱蒼と茂る川辺の映像に切り替わり、しばらくすると中華風の宗教建築物が映し出されました。

カメラを引いていくと龍の欄干を配した石段。往来を繰り返しているのはお参りしている人たちでしょうか。紀元前にこの地を統治したとされるHùng王(雄王)にまつわる霊廟、フンブーン廟です。

こちらはグーグルマップに登録されている現在の外観。元々はヴェトナムが仏領だった1926年に大戦の死者を弔うため建立されたもので、1975年にフンブーン廟と改名されています。隣接しているサイゴン動植物園も一瞬ですが登場していました。

1925 – 9.5mm 『江戸怪賊伝 影法師』 (東亜マキノ等持院、二川文太郎監督) 伴野商店プリント

Edo Kaizokuden Kagebôshi (1925, Tôa Makino Tôjiin, dir/Futagawa Buntarô)
Episode 1 – 3, Late 1920s Banno 9.5mm Print

1925年に公開された阪東妻三郎主演作の9.5ミリ版。同作は国立フィルムアーカイヴ、マツダ映画社、プラネット映画資料図書館が16ミリまたは35ミリ断片を所蔵、VHSとDVDで発売されたこともあり阪妻初期作としては名の知れた一作となっています。

以前に紹介した『坂本龍馬』(1928年)伴野版9.5ミリは1930年代のプリントで120m×2本、ノッチ無しで市販されたものでした。『影法師』は1920年代末のプリントで、長編から5つのエピソードを抜粋した5作(ノッチ有)を独立して市販する形をとっていました。伴野社のナンバリングに従うと171、173、175、177、257番の5本で、それぞれ20m×2本の構成です。

今回入手したのは当時のコレクターが全巻をつなぎ合せて120mリールに再マウントしたものです。第1~第3エピソードまでを一巻にまとめ前編とし、第4~第5エピソードを後編にまとめたようで、入手できたのはその前編。伴野カタログの171、173、175番に相当します。

9.5ミリ化に当たり伴野商店はそれぞれのエピソードに独自の副題をつけています。171番は「活躍篇」、173番は「任侠篇」、175番は「出沒篇」となっていました。エピソード毎に画質の差があって、最初の「活躍篇」が一番綺麗なプリントで、「出沒篇」がそれに続き、「任侠篇」は粒子感の強い粗めの画面になっています。

「影法師 第一篇活躍篇」(伴野商店、171番)20m×2本

 影法師…阪東妻三郎
 流星十太…高木新平
 お美江…生野初子

「活躍篇」は現行DVD版の12:38~17:53の流れをまとめたもので、旗本の娘お美江(生野初子)がスリに簪(かんざし)を盗られたのを影法師が取り上げて返したところ、巡回していた岡っ引きが影法師の姿を認め詰問~チャンバラに展開していきます。

幾つかのフレームをDVD版と比較してみました。

DVD版は情報密度は高いもののかすれた感じが強く全体的に低コントラスト。9.5ミリ版は逆にコントラストが高めで暗い部分が黒飛びしています。また9.5ミリ版の縦のアスペクト比が若干狂っていてDVD盤と比べ2.5%ほど縦に圧縮されています。同一フレームでも印象が変わりますね。

「影法師 第二篇任侠篇」(伴野商店、173番)20m×2本

 影法師…阪東妻三郎
 流星十太…高木新平
 盲権次…中根龍太郎
 似非影法師…美浪光

「任侠篇」はDVD版24:21~26:59に対応している部分で、民家に強盗に入った「似非(えせ)影法師」を本物が退治するエピソードです。ただしDVD版はエピソードの冒頭部が欠落しており、いきなり少女が影法師一党に助けを求める場面から始まっていました。

上のキャプチャ―画面のように似非影法師が夫婦を脅し、それに気づいた子供が逃げ去る一連の流れが冒頭にありました。この点に関しては2012年に神戸映画資料館で「江戸怪賊伝 影法師」が上映された際、「欠落部を京都のコレクター田渕宇一郎が入手した9.5ミリプリントから補完した」の記録が残されています。

9.5ミリ版「任侠篇」にはもう一つ重要情報が含まれています。似非影法師を演じた俳優名です。「美浪光(みなみひかる)」は以前に東亞キネマのサイン帳で紹介した尾上紋弥の初期芸名だそうです。右門捕物帳で「あばたの敬四郎」を演じた名脇役です。

JMDb(およびそれを下敷きにした「影法師」のウィキページ)には似非(えせ)影法師を演じた俳優名は記載されていません。国立映画アーカイブマツダ映画社の作品紹介ページに美浪光の名前が見つかりましたが「鴉の仙太」役として登録されています。「鴉の仙太」は第一エピソード「活躍篇」に登場したスリの名前です。

本当だ、どちらも尾上紋弥です。

「かんざし泥棒のエピソード」で懲らしめられた悪役・鴉の仙太が後に「似非影法師」として再登場、今度も本物に見つかって斬られて果てる…という流れになっていることが分かります。『江戸怪賊伝 影法師』の理解・解釈で見過ごされてきた要素です。

「影法師 第三篇出没篇」(伴野商店、175番)20m×2本

 影法師…阪東妻三郎
 盲権次…中根龍太郎
 赤鬼喜蔵…中村吉松

「出沒篇」はDVD版の23:21~24:21に対応するエピソードです。DVD版では短い断片しか残っておらず、影法師(阪東妻三郎)と権次(中根龍太郎)が囲碁をしている所に誰かがやってきた場面でフェードアウト。

この場面は岡っ引きの喜蔵を中心としたエピソードで、影法師の所在地を突き止めようと「編み笠」を頼りに捜査を進めていきます。聞き込みで浮かんできたのは「碁會所・金鷹」。配下の者とともに捕縛に向かうも影法師が動きを察知、如何にして喜蔵たちから逃れるか…が描かれていきます。

DVD版では脈略を欠いた場面に見えていたのは独立したエピソードが隠されていたことになります。

お茶目さを備えた権次(中根龍太郎)、くせ者の気配を漂わせた十太(高木新平)、端正な正義漢の喜蔵(中村吉松)、憎々しい仙太(尾上紋弥)…3つのエピソードには脇役のキャラを立てる発想が強く出ています。『影法師』第一作時点で既にシリーズ化が念頭に置かれていたと思われ、次作以降も使いまわしの効く世界観、人間関係を第一作で組み立てておこうとしたと考えられます。

1929年8月19日 – 9.5ミリ個人撮影動画 『ツエ伯号着の三井より望む』

c1929 Japanese 9.5mm Home Movies including
« The Graf Zeppelin, watched from the Mitsui Building »

この前の伴野版『君戀し』(1929年)の所有者が撮影、保管していた7本の個人撮影動画。全て手書きのタイトルが付されています。

『ツエ伯号着の三井より望む』
『格納庫内のツエ号及利根渡り』
『ツエ号の雄姿 1929.8.19-20』
『国立公園大觀峰』
『嵐山(1)』
『嵐山(2)』
『宮島と岩国』

4本は観光地(富山、京都、広島&山口)での映像ですが、それに加えて昭和4年、世界一周航行の折に日本に寄港したドイツの飛行船グラーフ・ツェッペリン号(通称「ツエ伯号」)を記録した動画が3本含まれていました。

1本目の動画『ツエ伯号着の三井より望む』は昭和4年8月19日に飛来したツェッペリン号と、それを見守る観衆を日本橋の三井のビル屋上から捉えたものです。

屋上に「エムプレス食堂」の看板が設置された向かいのビル(三越?)に人が集まっている様子。カメラがそのまま視点を左に移動させていくと、通りを挟んで撮影者のいるビル屋上が写り込んできます。

その後空を写した映像がしばらく続きます。フィルムにダメージ(湿度による細かな割れ)が多いのですが、飛行船を先導している複葉機の機影が捉えられていました。

市街地の俯瞰からカメラは三井ビル屋上へと戻り、ツエ伯号飛来を一緒に見ている友人たちの映像がさしはさまれます。カメラがそのまま再び空を捉えると、今度は三角形のフォーメーションを組んだ3機の複葉機が飛んでいます。

そしていよいよツエッペリン号の登場です。

万国旗で飾られた尖塔の先、画面の中央部上側に飛行船が写っています!

最初は後尾が見えていて、進路をゆっくりと左に変えて進んでいきます。観衆の反応なども記録しつつ、ちょうど飛行船の半身がこちらを向いたところでフィルムが終了しました。

ツエ伯号飛来は当時国内で大きな話題を呼んだ出来事でした(リアルタイムの反応については国立国会図書館HPの「本の万華鏡」が詳しいです)。ニュース動画としての需要もあり伴野商店から複数の9.5ミリ動画が市販されていました。

『ツエ伯號霞ケ浦到着』(178番)
『ツエ伯號霞ケ浦出發』(180番)
『訪日のツエツペリン伯號』(205番)

今回入手した動画は個人撮影で手振れが目立ちます。それでも周囲が盛り上がっている中で撮影された臨場感は十分伝わってくるものです。

また撮影場所が三井ビルの屋上でそこからの眺望が多く含まれていたのも興味深いところです。

本サイトでも9.5ミリ動画で追ったことがあるように東京が関東大震災(大正12/1923年)から復興していく様子は帝都復興祭(昭和5年/1930年)で記録されていました。今回の映像はその半年前に当たっておりアップデートされたばかりの首都が記録されていることになります。三井と向かいの三越の屋上を撮影した戦前動画はそう残っていないはずで都市開発や都市計画、建築の側面からも面白い発見が出てきそうです

1929年8月 – 9.5ミリ個人撮影動画 『格納庫内のツエ号及利根渡り』

ツエ伯号関連フィルムの2本目『格納庫内のツエ号及利根渡り』です。

飛行船の到来を東京で見た後に撮影者さんは家族と共に格納庫の位置する霞ケ浦に向かいました。利根川を渡って茨木県に移動。フィルム前半は小舟を使って乗用車を渡す様子(「利根渡り」)を記録したものです。

利根川の河畔、「取手病院」の看板を出した建物の前に乗用車が並んでいます。車から降りてくる日傘の女性陣は撮影者さんのご家族ではないかと思われます。車のナンバーは黒地に白文字で「2-863」となっていました。

もう一台の車が到着するのを待っていたようです。小舟が到着、上陸した車がカメラの前を通り過ぎていきます。制服姿で一般人ではなさそうな感じ。

この後格納庫に収まったツェッペリン号の姿が映し出されていきます。

格納庫からはみ出さんばかりの後端部、機体に書かれた「GRAF ZEPPELIN」の文字。カメラはゆっくりと船体外観を捉えていきます。

タラップ近辺に集まっている観衆とスタッフたち。そして複雑に入り組んだ格納庫の構造物…

後半、薄暗がりの中に飛行船の機体が大写しにされる流れが非常に素晴らしい一本です。

格納庫の位置する土浦市では現在でも土浦ツェッペリン倶楽部を中心にゆかりのある品の収集・保管・展示が続いています。先週、土浦市商工会議所を通じて同倶楽部にデータの一部をお渡しさせていただきました。以前の『沖縄』もそうでしたがこのレベルの専門性の高いトピックは詳しい人に見てもらうのが一番ですね。

また1920年代後半に首都近郊でも舟で車を渡していたのは初めて知りました。水運史の観点からも貴重な映像ではないでしょうか。

1929 – 9.5mm 小唄映画『君戀し』(伴野プリント、断章) 河合映画版?

「伴野商店」より

Kimi Koishi (1929)
Banno Co., c1930 9.5mm Print, 2nd reel

先日、1920年代末にパテベビー映写機と撮影機を使用されていた方のフィルムコレクション一式を入手しました。そのうちの1本に伴野商会から発売されていた『君戀し』の後半部(2巻構成の第2巻のみ)が含まれていました。

宵闇せまれば 悩みは涯なし
みだるる心に うつるは誰(た)が影
君恋し 唇あせねど
涙はあふれて 今宵も更け行く

唄声すぎゆき 足音ひびけど
いずこにたずねん こころの面影
君恋し おもいはみだれて
苦しき幾夜を 誰がため忍ばん

去りゆくあの影 消えゆくあの影
誰がためささえん つかれし心よ
君恋し ともしびうすれて
臙脂(えんじ)の紅帯 ゆるむもさびしや

二村定一歌唱による「君戀し」は昭和初期の流行歌としてよく知られたもので、楽曲のヒットにあやかり昭和4年の3~7月にかけて複数の映画会社による映画版が公開されていました。

 3月2日公開:松竹蒲田版(島津保次郎監督、島田嘉七&八雲恵美子ほか出演)
 3月6日公開:森本プロ版(光田比登志監督、夢路小夜子ほか出演)
 3月8日公開:マキノ版(川浪良太監督、松浦築枝&沢田敬之助ほか出演)
 3月8日公開:河合版(丘虹二監督、環歌子&松村光夫ほか出演)
 3月8日公開:日活太秦版(三枝源次郎、滝花久子&島耕二ほか出演)
 7月6日公開:東亞版(仁科熊彦監督、雲井竜之助ほか出演)

物語は美也子という名の女性と2人の男性の恋模様を追っています。美也子は地方のカフェバーで女給をしていて、そこで客である学生・柏木に思いを寄せられます。一方お店の常連客である吉之助は許嫁のある身でありながら美也子に惚れてしまい、強引に口説こうとするのでした。

美也子と吉之助が話している様子を見た柏木は二人が仲睦まじいと勘違い、思いを断ち切って東京に帰ろうとします。やけ酒を食らい、店に足を運んだ柏木は「君戀し」のレコードが流れる店内で美也子に別れを告げます。

柏木の想いが真実であると知った美也子は港に向かいます。東京へと向かう最終便の船に乗りこもうとした柏木に追いついき、自分も一緒に東京に帰ると告げるのでした。

今回入手した第2リールの内容は以上です。9.5ミリ版の断章からも脚本やセット、衣装に贅を凝らした作品ではないと伝わってきますが途中に挿入された蓄音機の場面など小唄映画の「見せ方」を知る上で良い資料です。

制作会社や出演者・スタッフ名は明記されておらずフィルムからではどの会社の版なのかは不明。美也子を演じているのは目の輪郭や涙袋の感じからして…環歌子?吉之助を演ずる顎のほっそりした青年は葉山純之輔氏と思われるためおそらく昭和4年の河合映画版ではないか、と。

記憶違いでなければこの時期の環歌子主演の現代劇は残っていないはず。『火の車お萬』(1928年)の女侠客のように時代劇の印象が強く正直現代劇のイメージが沸かないです。この9.5ミリが河合版だとするなら、しっとりしたメロドラマ的な表情を見せる対応力も備えていたことになりますね。

映画版『君戀し』については紙資料があまり残っておらず不明な点が多いためもう少し調べてから続報をお伝えいたします。

1916-1917 DVD 『ミスタンゲット:無声映画特選集』(2016年、LCJ出版社)

Mistinguett : 3 chefs-d’oeuvres du cinéma muet
(2016, LCJ Editions & Productions)

戦前フランスで活躍し「ミス(la Miss)」の愛称で親しまれた舞台パフォーマー、ミスタンゲット。「ミス」は略称であると同時に英語の”ミス”でもあって、こと彼女に関しては「お嬢」と訳したくなる雰囲気を含んでいます。舞台デビューは19世紀末までさかのぼりその後ミュージック・ホールを中心に人気を博していくのですが、移ろ気で口の悪い愛好家も少なくない業界で長きに渡って愛されてきた例外的な芸能人でした。

初期映画界との接点も深く1908年にパテ社短編で映画デビュー、リガダン物喜劇や1914年版『噫無情(レ・ミゼラブル)』にも出演。1916年~17年の主演作3本をまとめたのがこのDVDセットです。以前に触れたように2018年に東京大学で「ミスタンゲットを発見せよ―フランス・サイレント映画の夕べ」が開催されており、その時に上映された『金髪のシニョン』が含まれています。

舞台女優ミスタンゲットの手元に次作の脚本が届けられた。「金髪のシニョン」とあだ名される町娘を演じる予定で、役になりきるためそれらしく扮装して場末の酒場に乗り出してみた。そこで出会ったのは胡散臭い3人組の男。誤って貴金属を身に着けたままだったのを気づかれ、ミスタンゲットは男たちに追われる羽目となつた…

『金髪のシニョン』(Chignon d’or, 1916, 51分)


お針子として働いていたマルゴは仕事帰りに同僚とミュージック・ホ-ルに足を向けた。「あんたって花形女優のミスタンゲットにそっくりだよね」。マルゴは自分とそっくりな女優に熱を上げ夜遅くまで舞台にかじりついていた。厳格な父親には理解されず、家出したマルゴは張り子の仕事を失い通りの花売りとなつた。ある日、そんなマルゴに偶然に目を止めたのがミスタンゲットの彼氏ポッジであつた…

『巴里の花』(Fleur de Paris, 1916, 43分)


女探偵として知られるミスタンゲットは激務の合間に婚約者ジャンとの束の間の逢瀬を楽しんでいた。ジャンは諜報機関に属しており、敵国の潜水艇の動きを調べるべく南仏ニースへと向かった。だがジャンの動きは敵に見ぬかれ、罠に落ちた男は銃撃を受け重傷を負う。電報でその知らせを受け取ったミスタンゲットは鳥打帽の男に変装し、単身で敵のアジトに侵入を試みる…

『女探偵ミスタンゲット』(Mistinguett détéctive, 1917, 30分)

『金髪のシニョン』は下町犯罪物とハリウッド製連続活劇を混ぜた発想で、ヒロインが屋根伝いに敵から逃れたり地下室で炎に巻かれるなどアクションの要素を強調。『巴里の花』はコミカルな調子で始まりつつ、次第に「人違い(quiproquo)」のドラマが展開し最後はメロドラマとして閉じていきます。『女探偵』は敵国の諜報活動をミスタンゲットが撃退する物語で第一次大戦下の愛国主義の空気も反映しています。

3作いずれも監督はアンドレ・ユゴン。1920年代作品(『カマルグの王』)の9.5ミリ版紹介で触れたようにパテ、ゴーモン、エクレール社の大手と距離を置き、自社で映画製作を行った仏インディ映画監督のさきがけでもあります。作品で個性を主張するタイプではなく、職人肌でかっちりした娯楽作をまとめるのを得意としていてこのDVDセットでもその実力を再確認することができます。

[原題]
Mistinguett : 3 chefs-D’oeuvres du cinéma muet

[出版年月日]
2016年7月15日

[出版者]
LCJ出版社(LCJ Editions & Productions)

[EAN]
3550460051502

[再生時間]
120分

[フォーマット]
18.03 x 13.76 x 1.48cm 83.16g

1925 – 9.5mm 『三人』 (トッド・ブラウンニング監督)仏フィルム・オフィス社プリント

小人症映画小史(02)

Les Trois « X » (« The Unholy Three », 1925, Metro-Goldwyn-Mayer, dir/Tod Browning) Postwar French Film Office 9.5mm Print

腹話術師のエコー(ロン・チェイニー)、小人症芸人のトウィードルディー(ハリー・アール)、怪力男のヘラクレス(ヴィクター・マクラグレン)が芸を披露している建物には今日も多くの客が集まつていた。観衆の前では愛想笑いを受かべてはいたが、彼らには裏の顔があつた。三人は手つ取り早く大金を稼ぐため奇想天外なる計画を実行するのである。

大通りに面したペットショップに変装した三人が住みこんでいた。売り物のオウムを出しにして、富裕な客の自宅を物色し貴金属を盗み出していく。計画はうまくいったかに見えた。だがエコーの情婦であるスリのロージー(メエ・ブッシュ)が店員として雇われた青年ヘクターと恋に落ちた時、三人の緻密な計画にほころびが生まれ始める…

1932年のカルト作品『フリークス』でも知られるトッド・ブラウニング監督のもう一つの代表作品。1925年のサイレント版と配役変更を行った1930年トーキー版の二つがありこちらはサイレント版。仏フィルム・オフィス社が戦後に発売していた仏語字幕物で100メートルリール4巻構成、上映時間は1時間強。

現行DVDと比べ描写が潰れており良いプリントとは言えません。ただ、今回一部をスキャンして確認したところデジタル化されているUS版とは別プリントだと判明しました。

上の2枚は仲間割れしたヘラクレスがトウィードルディーを車の助手席に押しこんで店を離れる場面です。背景に注目するとUS版DVD(左)では家から出た後の扉が完全に開ききっています。ところが仏9.5ミリ版では扉が反動で戻ってきてしまい半開きになっています(右)。

また3人組が悪だくみの相談をしている場面では9.5ミリ版(右)だと ロン・チェイニーの背後にドアノブが見えているのに対し、DVD版(左)ではカメラの角度が異なっていてドアノブが見えなくなっています。

9.5ミリ版はDVD版と共通のショットの一切ないオルタネイト・バージョンでした。チャップリンのミューチャル短編や20年代のラング作品、あるいは一部のキートン主演作と同様に国外向けに用意された別ネガを基にしているようです。トッド・ブラウンニング作品で海外向けのネガが違っているという話は聞いた覚えがなく驚かされました。

ロン・チェイニーの悲哀、メエ・ブッシュの程よい透明感、ハリー・アールの振り切れた二面性など見どころが多く個人的には『フリークス』以上に優れた作品と見ています。また悪漢三人+美悪女一人のルパン三世的フォーメーションは19世紀までの小説や演劇には見られないもので、遡っていくとこの作品(原作小説は1917年)やジョン・フォードの『三惡人』(1926年)に辿りつきます。

[原題]
The Unholy Three

[IMDb]
The Unholy Three

[Movie Walker]


[公開年]
1925年

[メーカー]
仏フィルム・オフィス社

[フォーマット]
9.5ミリ 白黒無声 120メートル×4巻 ノッチ無し

1914 – 9.5mm 『小人たちの王国 対 巨人国の王ギガス』 (1914年、仏、フェルディナン・ゼッカ)仏パテ社プリント

小人症映画小史(01)

Le Royaume nain de Lilliput contre Gigas le long, prince des géants (1914, Pathé, dir/Ferdinand Zecca) Mid 1920s French Pathé 9.5mm Print

小人国の宮廷で皇女ピッコリーナの婚約が発表された。皇女に横恋慕していた巨人国のギガス王(モーリス・シュヴァリエ)はこの知らせに激怒し姫の拉致を命ずる。新郎新婦の披露の場に向かおうとしたピッコリーナ姫は、巨人族の者たちによって馬車ごとかどわかされてしまう。

求婚したギガス王に返ってきたのは厳しい平手打ちであつた。王はピッコリーナを石牢に幽閉し心変わりを待つ。一方小人国は巨人国に宣戦を布告。皇女を奪還するため軍隊が出動し敵国へと進んでいく。

小人軍の攻撃に巨人族は総崩れとなった。ギガス王は囚われの身となり、牢から救出されたピッコリーナ姫の前に引き出される。兵たちはギガスの処刑を望むのだが慈悲深いピッコリーナはその助命を命ずるのであった。

1914年に公開された短編で、フランス初期映画に貢献の大きいフェルディナン・ゼッカ監督に帰されている一作。GPアーカイヴに15分弱の35ミリ版が現存。9.5ミリ版は2/3に短縮されたもので前半に一か所GP版に存在していない場面が含まれています。

このフイルムの連續は十八世紀に於ける生活の凡ての形ちをもつた腐敗の説明を與へてゐます。スイフトの不朽の傑作ガリヴアーの旅行は 我々を架空の國の中へと運んで行くので、其處には凡ての物が大きさを縮め 世界での最も小男達が巨人の勝利者となるのであります。

「リリツプユの王國」
(『パテーベビーフヰルム 解説書 No. 1』、大橋善次郎編集・出版、1926年)

当時9.5ミリ版は日本にも輸入され流通していました。大橋氏はタイトルを直訳し「リリツプユの王國」として紹介。フィルムを卸していた三友商会のカタログでは「小人國と大人國の戰爭」となっています。ヤフオクでは後者のタイトルで売られているのを見た覚えがあります。

この映画は1909年にパリで開催された屋外型娯楽イベント「リリパットの小人王国」から派生してきたプロジェクトでもありました。フィルムにクレジットはされていませんが主演は同イベントに参加していたドイツのツーシュケ小人一座。敵役のギガス王に(後に国際的スターとなる)若き日のモーリス・シュヴァリエが配されています。

ツーシュケ小人座(Tschuschkes Liliputaner-Truppe)の集合写真をあしらった1913年頃の絵葉書(個人コレクションより)。フィルムとの対応を下に示しておきます。

また作品途中にパイプを手にしたぽっちゃり型の王国民が登場。「トルコの一寸法師」として知られた小人症のピン芸人、ハヤティ・ハッシド(Hayati Hassid)氏です。

Hayati Hassid, « the Turkish Tom Thumb »
1909 Autographed Postcard

身体障碍(disability)と表現をめぐる近年の研究で指摘されているように初期映画で小人症の役者は「個人」として認められていませんでした。わずかな例外(仏デルファン、マルヴァル、米ハーバート・ライス、ハリー・アール)を除くと役者名のクレジットがないため映像が残っていても誰か分からないケースが目立つのです。そういった欠落を埋め、不均衡を是正していくのも後世の役割ではないかなと思います。

[IMDb]
Le royaume nain de Lilliput contre Gigas le long, prince des géants

[Movie Walker]


[公開]
1914年1月2日

[9.5ミリ版タイトル]
Royaume de Lilliput

[カタログ番号]
198

[フォーマット] 10m×7、ノッチ有、白黒無声

1925 – スーパー8 『国定忠治』(澤田正二郎主演、マキノ省三監督)

「8ミリ 劇映画」より

1925 - 国定忠治(スーパ8)

Kunisada Chûji (1925, Tôa Kinema, dir/Makino Shôzô) Early 1970s Sungraph Super8 Print

映畫劇ではない。澤正一派が舞臺では十八番の「國定忠次」をその儘撮影したに過ぎない映畫である。然し澤田正二郎氏の忠次は立派に成功して居る。舞臺で聞く彼獨特の沈痛な臺詞こそ聞かれないが、彼一流の力強い演技は映畫に於ても充分味へられた。舞臺から映畫に移つた俳優の誰よりも巧い事は確かである。決して映畫俳優の演技ではない彼の演技が見る者に何の不自然さも感じさせず思はず拍手を惜しませぬ、彼の力強い演技には全く敬服した。その型の好き敏捷な動作は舞臺同様觀客を唸らせずに置かない。牧野省三氏の監督は映畫劇としては成功して居ないけれど澤正を活かした事は成功して居るそして舞臺俳優を使つて短日時の内にこれ丈のものを作り上げる事は恐らく氏以外にはあるまいと思はせた。老練と云ふ言葉が滿ちている監督振りである。俳優は澤正以外全くゼロで澤正ピカ一である事は止むを得ない。場面では山形屋の痛快さで唸らせ最後の落入りで十分泣かせて居る。

「主要映画批評:國定忠次」
(山本綠葉『キネマ旬報』183号 大正14年1月21日付)

関東一帯の不作と、悪政に苦しむ百姓を見かねた上州長脇差・国定忠治は悪代官を血祭に上げ、一党三百名と共に、関八州の捕手を向うに廻して赤城の山に立てこもった。しかし川田屋惣次などの情義により赤城の山を降りることにした。

「赤城の山も今宵が限り、生れ故郷の国定村や、縄張りを捨て、国を捨て、可愛いい子分の手前等とも別れ別れになる門出だ。加賀の国の住人・小松五郎義兼が鍛えし技物、万年田、溜の雪水に清めて、俺には生涯手前という強え味方があったのだ」……忠治は一人旅に出る。

その道中、通りがかった権堂の宿場外れで、百姓喜衛門の難儀を知り、事情を聞いて山形屋に乗りこみ、だまし取られた金を取り戻してやる。

忠治に恥ずかしめられた山形屋は、子分と共に小松原に待ち伏せ、闇討ちせんと企てたが、白刃一閃二閃忠次に切り倒される。 忠治は再び旅へ…

今回宣材の絵葉書紹介にあわせてスキャンをし直しました。強いコントラストのプリントで白飛びが目立つものの解像度が若干改善されました。

[原題]
国定忠治

[公開年]
1925年

[JMDb]
国定忠次

[IMDb]
Kunisada Chûji

[フォーマット]
スーパー8 白黒無声 55メートル 約10分(18コマ/秒)

1928 – スーパー8『坂本龍馬・前編』(枝正義郎監督、阪妻プロ)マツダ映画社版

「阪東妻三郎関連」より

Sakamoto Ryoma (1928, Bantsuma Production, dir/Edamasa Yoshiro)
Matsuda Film Productions Super8 Print

マツダ映画社が戦後、無声映画鑑賞会の会員向けに限定で販売していた『坂本龍馬』8ミリ版。前後編100メートルずつの構成で上映時間はトータル34分。今回入手したのは前編のみで後編用ケースに収められていました。ビネガーシンドロームが進み始めた状態だったため実写はせず一部のスキャンのみ行いました。

『坂本龍馬』に関しては以前に戦前1930年代の伴野9.5ミリ版を紹介しております。比較のため対応場面を並べていきます。