1913 – 『プロテア』(エクレール社、ヴィクトラン・ジャッセ監督) 仏シネマテーク・フランセーズ 2Kデジタル版を見る

「『ジゴマ』/ヴィクトラン・ジャッセ [Zigomar / Victorin-Hippolyte Jasset]」より

Protéa (1913, Eclair, dir/Victorin-Hippolyte Jasset)
La Cinémathèque Française 2K Restauration

『ジゴマ』(1911年)で知られるジャッセ監督による犯罪活劇物で、1913年に他界した同監督の遺作となったものです。不完全なフィルムの現存は以前から知られており、1998年に複数のネガ(35mm/16mm)を元に修復版が作成され、2013年に2Kデジタル化が行われました。

デジタル版はシネマテーク・フランセーズの公式サイトで視聴可能。中盤にフィルムの見つかっていない個所があり字幕で補完する形になっています。

物語の大枠としては、欧州の架空の国メッセニア、セルティア、スラヴォニア3国の緊張関係を背景とし、セルティアとスラヴォニア間で秘密裏に締結された条約にメッセニアの外務大臣が危機感を抱きます。指示を受けた同国の警視総監(シャルル・クラウス)は旧知の女スパイ・プロテア(ジョゼット・アンドリオ)に条約の草案奪取を依頼します。

プロテアは収監中である相棒の「ウナギ(アンギーユ)」の釈放を条件に依頼を引き受けます。

ウナギ(アンギーユ)役のリュシアン・バタイユ

ウナギ(アンギーユ)と合流したプロテアはセルティアに向かうのですが同国ではすでに間諜潜入の知らせを受けており、二人の捕縛に乗り出していきます。プロテアとウナギ(アンギーユ)は次々と姿を変えながら条約の草案を盗み出し、お尋ね者の身となりながらメッセニアへの国境に向かっていく…

物語はシンプルながら登場人物が多いためフランス語字幕では関係が見えにくいかもしれません。春江堂から出ていた日本語小説版が内容理解の助けになるかと思います。

『探偵活劇 プロテア』
(1916年、春江堂、筑峰 翻案)

見どころについては実際に見てもらうのが一番だと思います。個人的に指摘しておきたいポイントが2つ。

1点目は冒頭の人物紹介の場面です。『ジゴマ』、『ファントマ』など当時の仏連続活劇では冒頭で主人公が様々な姿に身を変えて変装の達人ぶりを強調しています。『プロテア』も同じ「型」をなぞっているのですがフレームを使用することで絵のように見せています。枠のデザインはアールヌーヴォーの影響を受けており若い頃に画家を志していたジャッセ監督の趣味を強く反映しています。

プロテアの相棒「ウナギ(アンギーユ)」の紹介では枠そのものにウナギのデザインを採用。やはりアールヌーヴォー期の日本趣味、東洋趣味にインスパイアされた発想です。1:1.33の画面を使って何をどう見せるか、卓越した構図力がジャッセの強みだった訳で『プロテア』では冒頭からそのセンスを発揮しているといえます。

もう1点は作品中盤、プロテアと相棒が機密書類を盗みに入る場面。この時に二人がまとっていたタイトな黒装束は後にフイヤード監督作『レ・ヴァンピール』(1915年)のミュジドラ、さらに同作へのオマージュである『イルマ・ヴェップ』(1996年)のマギー・チャンに受け継がれていくものです。

『レ・ヴァンピール』(1915年)でのミュジドラ

『イルマ・ヴェップ』(1996年)でのマギー・チャン

暗闇に乗じて暗躍する悪党団の不気味さ、身体のラインを強調したフェティッシュなエロスを混在させる想像力はフランス連続活劇特有のもので、ハリウッド物との差別化を図る重要な要素となっていました。

[原題]
Protéa

[公開年]
1913

[IMDB]
Protéa

1930年代前半 – 9.5mm 『廟行鎭肉彈三勇士模擬戰』(陸軍省撮影、伴野商店版)

「伴野商店」より

”Three Human Bombs, Sham Battle of Miao Hang Zhen” (1932)
Early 1930s Banno Co. 9.5mm Print

日本精神の精髄を外國までも傳へんとする意圖から、十六日の廟行鎭に於ける三勇士爆死實演の模擬演習は午前十一時半開始され午後一時終了した。日本義勇隊が支部兵に假装して支那塹壕陣地に着き、これに對し碇少佐の率ゆる一個大隊の歩兵は松下大尉引率の一個中隊の工兵掩護の下に鉄條網を越えんとして攻撃を開始し、小銃と地雷火、手榴弾など列爆中を三勇士は爆弾を背負つて鐵條網破壊に突進し、爆破作業を完了し、模造の三勇士の死體が空中に吹上げられるまで實に巧妙に演出された。陸軍省撮影隊の外フオツクス、ユニバーサルその他外國撮影會社も約五會社参加し、この感激的情景は完全にフイルムに収まつた。

「三勇士」模擬戰 – 各國撮影班を前に
キネマ週報 第百三號 昭和七年三月廿五日付


「大橋幸太郎主宰の軍事劇太陽団は、(中略)二十一日から二十八日まで八日間、昼夜二回南座で開演する。だしものは軍事社会教育連鎖劇「国の光人の妻」十三場(中略)昨年度陸軍特別大演習実況映画を映写する。特等八十銭、一等六十銭、二等四十銭。」(「大阪朝日新聞(京都版)」 4.17 ) ○「呼物は(中略)肉弾三勇士の鉄条網爆破の廟行鎮における模擬戦実写等いづれも一行の統率者大橋幸太郎氏が、講演する内容の一部として上場する時局中心の劇と映画である。」(「京都日出新聞」 4.20 )

昭和七年四月二十一~(二十八)日
京都南座 軍事社会教育連鎖劇『国の光人の妻』
近代歌舞伎年表京都篇: – 270 ページ

先日ご紹介した『復興帝都御巡幸』と同じ東北在住の9.5ミリ小型映画愛好家の旧蔵品。

肉弾(あるいは爆弾)三勇士については1932年3月初頭に映画会社6社競作でフィクション作品が発表されていました。こちらは陸軍省主導により実際の兵士を動員して「再現」した模擬演習を撮影したものです。

キネマ週報の記事によると1932年3月16日の昼に1時間半ほどかけて演習を実施。中隊長から命令の下達後、決死隊の青年兵に水盃が振る舞われ、その後煙幕に紛れ敵陣(廟行鎮/びょうこうちん)に進んでいきます。「勇壮なる哉三勇士 肉弾を以つて爆破」の字幕の直後に爆破による煙が立ち上がり、それを合図に兵士たちが突撃を開始。現場に立てられた木製の碑の映像でフィルムは終了。

鉄条網への突撃の場面に関しては敵地からの銃撃を避け、破壊筒を地面に置きながらしゃがみこむようにじりじりと進んでいく形で描かれていました。三兵士が大きな筒を小脇に抱えて勇ましく突進しているイメージが強いのですが、この作品の描き方はそういった一般に流布したイメージとは異なっています。

『廟行鎭肉彈三勇士模擬戰』が強調しているのは部隊全体による複合的なオペレーションです。煙幕を張る者たち、後方で掩護射撃を担当する兵士たち、鉄条網破壊後に突入を任されている面々が連携し、敵陣からの銃撃に苦労しつつも最後は攻略を成功させた。ただ、そのために若き兵士3名の命が失われた。当時のメディアによる過剰でいびつな神格化に対し、陸軍が「公式版」でその神話の微修正を図った痕跡、と個人的に読みました。

1932 – 35mm 『凱旋』(東活、安東太郎監督作品)

35mm « Gaisen » (1932, Tôkatsu, dir/Tarô Andô) 35mm excerpt

解散した東亞キネマの後継として設立され、短期間(1931年夏から32年後半)活動していたのが東活映画社でした。東亞の残党が多く在籍、この後に誕生した寶塚キネマの原型ともなっています。

東活映画社が活動していた時期、満州事変の影響を受け愛国的傾向を持つ作品が多く作られていました。最も有名な作品が肉弾(あるいは爆弾)三勇士で、東活からも32年3月に『忠烈肉弾三勇士』が発表されています。

その翌月に公開されたのが愛国映画『凱旋』でした。主演は帝キネ〜河合〜東亞で活躍した里見明。脚本は『忠烈肉弾三勇士』と同じ小国京二氏が担当。史実とされている出来事を元にした『忠烈肉弾三勇士』とは異なり『凱旋』は小国氏が原作を担当したフィクションです。

今回入手した35ミリ版は結末近い殉死場面のみの抜粋です。劇場公開版は7巻物の長編で女優陣(都賀静子、浅間昇子、小川雪子)の名もクレジットされており、大陸での戦闘場面だけではなく国内での家族や恋人との物語展開も含まれていたと思われます

[JMDb]
凱旋

[IMDb]
Gaisen