1930年代 – 9.5mm『北海道アイヌの熊狩』(伴野版)

「9.5ミリ 伴野商店」より

Ainu Bear Hunting in Hokkaido (Banno Co. early-mid 1930s)

仏パテ社の『消えゆく民、アイヌの人々』と並ぶもう一本のアイヌ関連9.5ミリフィルム。

『消えゆく民、アイヌの人々』が古いオルソクロマチック形式のフィルムで撮影されていたのに対し『北海道アイヌの熊狩』はパンクロマチック式フィルムで撮られていて1930年代前半頃の動画と推定できます。

既に1920年代、アイヌの文化変容は急激に進んでおり、撮影された映像が当時の、アイヌの生活ぶりを忠実に記録したものではなく、既に日常からは消えようとしている、あるいは消えたものを復元し映像化したと言うことである。(東京シネマ新社ホームページ「アイヌと民族誌映像」より)

『北海道アイヌの熊狩』も「昔時のアイヌ熊狩のいでたち」の字幕で始まっています。服装や装備に近代化の跡が見られ、時代の流れや同化政策によって伝統が失われつつある危機感を伺いとることもできます。

動画では雪の巣穴に閉じこもった熊の進路を木で塞ぐ「穴狩」、発見した熊を徒歩で追いつめていく「追狩」の2種類の猟法が紹介され、最後は獲物を囲んで祈りをささげる猟師の姿で幕を閉じます。

最後の場面では熊を中心に座った猟師たちが両手をこすりあわせ、手のひらを上に向けたまま上下させる「オンカミ」の動作が見られます。クマ=神への畏敬と感謝の意であり、アイヌの民と自然とが独自の思想・世界観でつながっている様子が映像からも伝わってきます。

[邦題]
アイヌの熊狩り

[英題]
Ainu Bear Hunting in Hokkaido

[発売元]
伴野商店

[カタログ番号]
044

[フォーマット]
20m×1巻

1912 – 9.5mm 『消えゆく民 アイヌの人々』(仏パテ・フレール社作品)

「9.5ミリ 科学/歴史/地誌/産業」より

1912 - Les Peuple qui disparaissent. Les Ainos
Les Peuple qui disparaissent. Les Ainos (French Pathé)

1912年末にフランスで公開されたほぼ同名の作品を9.5ミリ用に再編集したもの。この作品については海外の映像研究家が論文を発表(『オリエンタリア』2017年第17号)しているため、一旦そちらを参照させていただきます。

アイヌの民が登場してくるもう一つの1912年映像作品は『消えゆく民 アイヌの人々』(英題:The Hairy Ainos)で、パレ・フレール社の製作によるものであった。同社は1902年に映画技術の特許を購入、時事映像の分野でリュミエール兄弟の後を継いだ。忽ちにしてパテ・フレール社は当時最大の映画製作会社となり、1909年に日本にも拠点を設立している。『消えゆく民 アイヌの人々』は長さにして僅か三分足らずの作品である。冒頭ではチセ(アイヌ式住宅)の前に立った四人の男性、次いで四人の女性が映し出される。字幕により、アイヌの人々は大半が猟と漁で生活しているとの説明が入る。次の場面では、海を背景として女性と子供とが歩いてくる。さらに丸木舟に乗った二人の男性が登場。

『消えゆく民 アイヌの人々』が公開された時期、原初の映画術でもたらされた驚きはすでに乗り越えられていた。このパテ社作品には儀式などの伝統から一旦距離を置き、日常生活に密着したいとの意思を読み取ることができる。旧来の時事映像作品と違い、リュミエール兄弟の下でアイヌ民族を撮っていたジレル氏が描いた古い舞踏であるとか、その他の特徴的な要素は本作にない。その代わりとして、朽ちた小屋の前で子供をあやしている女性が登場するのだ。広角レンズで撮影された老人も儀式用の服は着ておらず、頭にラウンペはなく、髭もほとんど見ることはできない。(マルコス・センテノ=マルティン「表象外の眼差し:初期映画におけるアイヌ民族の描写について」『オリエンタリア』2017年第17号)

The other film featuring the Ainu people in 1912 is entitled Un peuple qui disparaît, les Aïnos (aka The Hairy Ainos) and was produced by Pathé Frères Company, which had bought the cinematograph patents in 1902 and succeeded the Lumière brothers in the production of actulités. Very soon, Société Pathé Frères became the biggest film production company of the time, and in 1909, it established headquarters in Japan. Un peuple qui disparaît, les Aïnos, which only lasts for three minutes, begins with four men followed by four women posing before a chise and an intertitle explaining that the Ainu were mainly hunters and fishers. In the next scene, a woman and a child are seen walking with the sea in the background and afterwards, two men enter scene on a chip (Ainu canoe). […]

When Un peuple qui disparaît, les Aïnos was released, the astonishment produced by primitive cinema was already overcome. Pathé film demonstrated an interest to move away from ritualized traditions and a willingness to get closer to everyday chores. Unlike previous actuality films, this footage does not contain traditional dances or other distinctive elements depicted by Girel. Instead, the sequence features a woman and her child before a dilapidated hut; a wide shot framing an elderly man who does not wear the ceremonial clothes nor any raunpe on his head, and his beard can be hardly seen.(enteno Martín, Marcos P. “Gazes outside the Representation. Early Film Portrayals of the Ainu People (1897-1918)”, Orientalia, issue 17, 2017, pp. 189-211)

筆者センテノ=マルティン氏は実際に北海道を訪れ、アイヌ民族についてのドキュメンタリー映画(“Ainu. Pathways to memory”)も監督されている人物です。論考後半では、タイトルの「消えゆく」という表現が同時期にアメリカン・ネイティヴに使われていた(1925年出版のゼイン・グレイの小説『滅び行く民族(原題:The Vanishing Americans)』)点にも注意を促していました。

映画の発明当初から少数民族への興味は見られたものの、独自の踊りや入墨、髭といった表層的な関心が優先されていたのに対し、『消えゆく民 アイヌの人々』では生活に密着していく発想が顕著となり、結果として表現されている「リアリティ」の質が変化している、というのがセンテノ=マルティン氏の主張の一つです。

当初の好奇の眼差しが次第に研ぎ澄まされていくという話は一般的に見ても分かりやすいのではないかと思われます。


[タイトル]
Les Peuples qui disparaissent. Les Ainos

[原題]
Un peuple qui disparaît, les Aïnos

[メーカー]
仏パテ・フレール社

[公開]
1912年

[IMDb]


[メーカー]
仏パテ・フレール社

[仏パテ社版カタログ番号]
1230

[フォーマット]
20m(2707フレーム、14fps、3分)、無声、ノッチ有

c1930 – 9.5mm 『日本八景 泉都別府』(伴野商会)

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「日本八景」は昭和二年(1927年)、鉄道省の後援の下に大阪毎日新聞社と東京日日新聞社が選定したものです。
・ 華厳滝
・ 上高地
・ 狩勝峠
・ 室戸岬
・ 木曽川
・ 別府温泉
・ 雲仙岳
・ 十和田湖

官界や学会などの有識者の協力のもと以上の八か所に決定。小型映画ブームと重なったこともあり、伴野商会からそれぞれの見どころをピックアップした9.5ミリ動画版も発売されていました。こちらは別府温泉を扱った20mフィルムです。

ちなみに1928年に公刊された書籍版は国立国会図書館の電子アーカイブで閲覧可能。幸田露伴、高浜虚子、北原白秋、泉鏡花など錚々たる作家が寄稿し企画を盛り上げていきました。高浜虚子による「別府温泉」から一部を抜粋してみます。

先ず龜川温泉を過ぎて血の池地獄を見た。十年に一度大活動をはじめるさうで、今年が丁度その十年目に當たり、大荒に荒れるさうである。今朝も大活動をやつたとのことである。ほとりの樹木など澤山に枯死してゐるのはその熱泥を吹き上げた處である。赤い泥の佛々と煮え立つてゐる光景は相變らず物すごい。[…]

芝石温泉といふ、湯瀧のある、谿谷に臨んだ温泉を過ぎて、紺屋地獄を見た。これは紺色をした泥池の底から、同じく怒るが如くつぶやくが如く熱氣を吐いてをるのである。驚くべきことには近所の靑田の中にも數ヶ所同じやうな處がある。一歩誤ればその中に落ち込んで命を落さねばならぬのである。現に誤つて死んだといふ人も澤山あるのださうである。鶏卵をその泥土からわく湯氣に置くと二三分で半熟になり殻が眞黒になる。その眞黒な鶏卵を一つ食べてみた。

高浜虚子「別府温泉」『日本八景』(鐵道省/大阪毎日新聞社、1928年)

9.5ミリ版は船と飛行機ふたつからの町の眺めを示したのち、地獄めぐりを進めていきます。温泉玉子作りの様子が映し出された後、名物砂風呂で幕を閉じています。

[タイトル]
日本八景 泉都別府

[原題]
日本八景 泉都別府

[メーカー]
伴野商会(大阪毎日新聞社主催)

[フォーマット]
9.5mm 30ft(無声、ノッチ有)

c1930 – 9.5mm 『雪掻車の活躍』(伴野商店/鉄道省)

「9.5ミリ 伴野商店」より

映画と列車は浅からぬ縁があります。リュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1895年)を皮切りとし、ハリウッドでも『大列車強盗』(1903)や »鉄道活劇 »『 ヘレンの冒険』(1915-17)、キートンの『大列車追跡』(1926)など枚挙に暇がありません。

日本でも戦後8ミリの時代には多くの蒸気機関車がフィルムに収められて市販されていました。そういった傾向のルーツの一つとして、戦前の鉄道省が監修・製作した本作品を含めても良いのではないかと思います。

雪国の厳しい自然を背景にロータリー車やラッセル車、広巾雪掻車の実動している様子そして働く人々が映し出されていきます。


[原題]
雪掻車の活躍

[メーカー]
伴野商店

[カタログ番号]

[仏パテ社版カタログ番号]

[フォーマット]
9.5mm、無声、ノッチ有、20メートル

9.5mm – 『日本雪景色』 Le Japon sous la neige (仏パテ社・1923年)

日本語字幕を付けてありますので画面下「字幕ボタン」を押してお楽しみください

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Le Japon sous la neige (Pathé, 9.5mm)

仏パテ社が9.5ミリを市販化した最初の時点(1923年10月)で発売されたフィルムで、日本の雪景色にテーマを絞って様々な風景をまとめあげた一本です。

第一次大戦前の1910年代中盤から20年ごろ(大正初頭)にかけての複数動画をまとめたと思われます。雪に取られた足元を直している通行人の姿、軒先で竹馬に興じる子供たち、雪合戦など、おそらく当時の日本人にとって冬には当たり前の風景だったのではないでしょうか。むしろ海外の視線の方がその魅力に反応しやすかったのかもしれません。

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ゴーモン・パテ社動画アーカイヴには「VMJA 27 2830」の管理番号で編集順の異なった別字幕の35ミリ版が保管されています(竹馬の場面など収録されておらず)。「VMJA」は「街並みと建物/日本/時事(Villes et Monuments/Japon/Actualité)」の略のようで、他にも数本1910~20年代の映像をまとめた時事動画が制作されています。

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ゴーモン・パテ社動画アーカイヴス「VMJA 27 2830」より

またパテ社は1929年(昭和4年)にも同名タイトルのニュース短編を製作。1929年版は全体にモダンになっていて、洋装の人々がアイススケートに興じる場面なども収められています。

Le Japon sous la neige [1929 version]
1929年版『日本雪景色』(「PR 1929 52 3」)より

1930年代前半 – 9.5mm『海豹島の膃肭獸』 (伴野商店、樺太/オットセイ)

「9.5ミリ動画 05c 伴野商店」より

海豹島(露名、チェレニ島、ロッペン島)は樺太の東海岸、オホーツク海にうかぶ絶海の孤島で、敷香から海上八十浬、長さ二百五十間、幅三十間、全島第三紀の岩層からなる、テーブル状の小さな岩山の四周を、寂然たる砂浜がとり巻いている。

米領ブリビロッツ群島、露領コマンドルスキー群島とともに、世界に三つしかない膃肭獣(おっとせい)の蕃殖場で、この無人の砂浜は、毎年、五月の中旬から九月の末ごろまで、膃肭獣どもの産褥となり、逞しい情欲の寝床となる。[…]

明治三十八年、この特異な島が日本のものになると、猟獲を禁じ、樺太庁では、年々、この島に監視員を送って膃肭獣を保護していたが、四十四年に日米露間で条約(一九一一年の「膃肭獣保護条約」のこと)を締結する見通しがあったので、条約締結と同時に猟獲を開始することにし、同年夏、大工と土工を送り、膃肭獣計算櫓、看視所、剥皮場、獣皮塩蔵所、乾燥室などの急造にとりかかった[…]。

『海豹島』 久生十蘭
(初出: 『大陸』1939(昭和14)年2月号)
[青空文庫]

樺太東部に位置する海豹島は、時期になると数万頭のオットセイがやってくる繁殖地として知られていました。海岸を埋め尽くすオットセイの群れは壮観で多くの観光客が船でやってきていたそうです。

『海豹島の膃肭獸』はその戦前の様子を今に伝える映像です。前半は島の全景と、オットセイたちが映し出されていきます。後半は岩場に集うロッペン鳥が登場、最後は樺太庁による保護と捕獲の話題に転じ、海岸の社屋と海風にたなびく日本国旗の映像で幕を閉じています。

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また同地は戦前作家(北原白秋、林芙美子)も多く足を踏み入れていたようです。『ジゴマ』邦訳などで知られる久生十蘭は北海道出身で、「海豹島」と題されたミステリ仕立ての奇譚を残しています。

[メーカー]
伴野商店

[メーカー番号]
042

[フォーマット]
20m(約2分半)、無声、ノッチ有

1928 – 9.5mm『輝く昭和聖代御大禮の盛儀』(伴野版)

「9.5ミリ動画 05c 伴野商店」より

昭和3年(1928年)11月に執り行われた昭和天皇即位大礼を収めた記録映画9.5mm版。今回入手したのは伴野版の二巻物(27番)ですが、同社が子供向けに発売していた「キードプレイ」9.5ミリシリーズのK5番として一巻物でも市販されていました。16ミリ版は横浜シネマ商会の「さくらグラフ」が200フィート六巻物を発売。国立映画アーカイブと山形県立博物館が35ミリ版を所有しています。

前編「東京御發輦ヨリ京都御着輦マデ」


まずは冒頭で大礼に使用される調度品が紹介されていきます。文官と武官用の纓(えい)二種(垂纓と巻纓)、小直衣(このうし)、萬歳旗など普段お目にかかる機会のない装束類が披露されていきます。

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11月6日京都に向け出発。神鏡を収めた御羽車、昭和天皇が乗車した6頭立ての馬車(「鳳輦」)、皇后の乗る4頭立ての馬車、皇族の乗る2頭立ての馬車…と続いていきます。

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東京駅を発つ御召列車が映し出されるとすぐに名古屋へ風景が切り変わります。名古屋離宮(名古屋城)で一泊されたようで城と名古屋駅(「日本ラインの秋色」)の姿を見ることができます。翌7日に京都着。京都駅前広場から御所へと向かう長い行列と、それを歓迎する観衆の映像で一巻目が終了。

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後編「大禮ノ都京洛ト伊勢大廟幷ニ御陵御參拝」

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11月19日に執り行われた大饗の儀が紹介され、「五節舞」が披露されました。この舞の場面は比較的長く収録されています。

その後伊勢神宮に行幸、さらに奈良の神武天皇陵、京都で孝明天皇陵、仁孝天皇陵、明治天皇陵への親謁の儀を進めていきます。11月25日に京都伏見桃山の明治天皇陵を訪れた天皇・皇后両陛下の姿で映像は幕を閉じました。翌日東京に戻り一連の儀式が終了します。

淡々と進んでいく行列と迎える民衆の熱気のコントラスト、大礼の全体像がスッと入ってくる要を得た編集で、単体のドキュメンタリー映画として見ても完成度は高いと思いました。

1930年代 – 9.5mm 『時代祭 (京都平安神宮)』(伴野商店)

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Jidai Festival (1930s Kyoto, Japan. Banno Co.)

1930年代の時代祭を収めた1リール物のドキュメンタリー。

明治維新の維新勤王隊から始まり神幸列までを丁寧に捉えています。沿道に多くの客が並び、通りに面した家の二階にも行列を楽しんでいる姿が見えます。

自転車や乗用車、路面電車なども映りこんでいて、1930年代の街の風景として見ても興味深いと思います。「水月食堂 サクラビール」「藤井大丸呉服店」「ユニオンビール」など看板の文字も解読できました。

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「水月食堂 サクラビール」
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「藤井大丸呉服店」
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「ユニオンビール」

以前、個人が撮影した時代祭の9.5mm動画をデジタル化しました。その際のアングルとほぼ同じと思われる映像も含まれています。

左が伴野商会版、右の個人撮影動画はやや低めのアングルから撮影されています。

1930年代 – 9.5mm『捕鯨の話』(第2リール)

「9.5ミリ動画 05c 伴野商店」より

『捕鯨の話』
Whaling in Japan (« Hogei no Hanashi » Reel No.2, 9.5mm, 1930s, Banno Company)

1930年代の捕鯨の様子を記録したドキュメンタリー動画。

元々フランスのパテベビー映写機は子供をメインターゲットの一つに据えており、初期アニメなどの娯楽作品の他にも理科や社会につながる作品を出していました。産業を扱った作品も多く、農作物の収穫や工場の様子、また狩猟や漁(イノシシ猟、牡蠣漁、ニシン漁、イワシ漁)を記録した動画を見ることができます。

日本の伴野商店が制作した『捕鯨の話』もその流れに連なる作品です。後半の第2リールのみ入手のため全体像は不明ですが、マッコウクジラの群れを見つけ、銛で仕留め、港に運びこんで解体するまでの流れが追われています。

[メーカー]
伴野商店

[カタログ番号]
196

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有) 20m*2リール(第2リールのみ)

1931 – 9.5mm 『ジョッフル元帥葬儀』 (Funérailles du Maréchal Joffre)

「9.5ミリ動画 05c ニュース&ドキュメンタリー」より

1931年初頭に亡くなった仏軍人ジョッフル元帥 [wiki] の国葬の模様を記録した動画。同氏は第一次大戦で指揮を執ったことで知られており、戦後も外交で活躍し1922年には家族と共に来日、「現代の偉将」としてメディアでも大きく取り上げられていました。

国葬は1931年1月7日に執り行われています。ノートルダム寺院を出発した葬列がコンコルド広場経由で移動していきます。

1931 - 9.5mm 『ジョッフル元帥葬儀』 (Funérailles de Maréchal Joffre) 02

今年のGWに国立映画アーカイヴで『明治天皇 御大葬餘影』『藤田男爵 葬式の實况』『小林富次郎葬儀』を見る機会に恵まれました。初期映画における「葬列/葬儀」の役割や意味合いを考えるようになっていて、この動画もそういった流れに含まれていくのだろうと思われます。

1931 - 9.5mm 『ジョッフル元帥葬儀』 (Funérailles du Maréchal Joffre) 03

[タイトル]
Funérailles du Maréchal Joffre

[公開]
1931年

[IMDB]

[メーカー]
仏パテ社

[カタログ番号]
3058

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有) 20m *1リール

1930年代中頃 – 9.5mm短編 『高等馬術』(伴野商店)

日本の伴野商会による9.5mmフィルムは現存数が極端に少なく、タイトルによっては十本も残っていないのではないかと思われます。こちらは陸軍の協力を得て作成されたと思われる馬術の紹介動画。

冒頭、障害物を飛び越えていく颯爽とした馬が登場。その後は「高揚歩調」「スペイン常歩」「短縮駈足運動」「三脚駈足」など難易度の高い歩法が披露されています。

以前に紹介した別フィルムにも「不燃性フヰルム」のクレジットが見られましたが、今回は同じ文字が左から右への表記に変わっています。

1929 – 9.5mm 『栄光に包まれて:ジャンヌダルク五百年祭 1429-1929』

1929年5月、ジャンヌ・ダルクのオルレアン解放から五百年を記念して行われた大規模な祭典の様子を収めたドキュメンタリー短編。6巻物で第1巻が欠。

フィルム側面のラベルが赤地となっていますが、これはキリスト教系出版社ボンヌ・プレス社が制作を手掛けたものを意味しています。

第2巻でお祝いムードに包まれるオルレアンの町と、ジャンヌにゆかりのある場所を紹介。3巻目以降は雨模様の中行われたパレード、旗の贈呈式の様子などが映し出されていきます。

自治体だけではなく、時の首相、枢機卿、アカデミー・フランセーズからの代表者、仏軍が参加した大掛かりなお祭りに街路も見物人で一杯。最後はイリュミネーションで照らされた夜の風景で幕となりました。

[原題]
Dans la gloire : Fêtes du Cinquième Centenaire de Jeanne d’Arc 1429-1929

[メーカー]
仏ボンヌ・プレス社

[公開]
1929

[仏パテ社版カタログ番号]
3042

[フォーマット]
60フィート(ノッチ有)*5

c1920 – 9.5mm『ヒトデとウニ』(科学/生物)

1923年、パテ・ベビーの動画フィルムが市販された際にNo.11として発売された最初期の作品。レトロな質感で撮影された生き物たちが幻想的な動きを見せます。海洋生物・水産物はスクリーン映えすることもあってこの後も頻繁に登場してきます。

Les Etoiles de mer et l’Oursin (Pathé-Baby 9.5mm B&W Print)

[原題]
Les Etoiles de mer et l’Oursin

[メーカー]
仏パテ社

[仏パテ社版カタログ番号]
11

[フォーマット]
30フィート(ノッチ有)

c1910 – 9.5mm 『オイルサーディンができるまで』(教育/産業)

フランスで9.5mmホームムービーが初めて導入された1923年に発売された
短編ドキュメンタリー動画に英語字幕を付けて合衆国で発売されたもの。

フランスの西北部辺りの港町で撮影されたものではないかと思われます。
百年前の手作業を捉えた興味深い映像です。

The Preparation of Sardines (1920s 9.5mm Educational Short Film)

[原題]
Préparation des Sardines

[タイトル]
The Preparation of Sardines

[メーカー]
米パテックス社

[カタログ番号]
B-11

[仏パテ社版カタログ番号]
554

[フォーマット]
30フィート(ノッチ有)