1913 – 16mm グヴェンドリン・ペイツ主演 米パテ社作品『凍てついた道の果てに(The Frozen Trail)』

Gwendoline Pates from 1913 Motion Picture Story Magazine January Issue
グヴェンドリン・ペイツ
『モーション・ピクチャー・ストーリー・マガジン』1913年1月号グラビアより

或る町にうら若き乙女マドレーヌ(グヴェンドリン・ペイツ)が住んでいた。この娘に想いを寄せる男が二人、ジョンとチャーリーの兄弟であつた。チャーリーは性格に難があり、かつとなると何をしでかすか分からない男であつた。マドレーヌが心を決めた相手はジョンであつたが、さうと知つたチャーリーは血相を変えて娘を責め始めた。やつてきたジョンと取っ組みあいの喧嘩が始まる。「二人でこの街を離れよう」、ジョンの言葉に娘はうなずいた。マドレーヌは荷物をまとめジョンとともに町を離れるのであつた。

五年後、アラスカの自然に取り囲まれながら、小さな丸太小屋で娘と暮らしている夫婦の姿があつた。貧しくはあつたが幸せであつた。或る日、二人の住み家から少し離れた酒場に無精ひげの男がふらり姿を現した。五年の間マドレーヌたちを探し続けたチャーリーであつた。酒場で得た情報を元に夫婦の家に向ったが、あいにくに天候に阻まれ遭難、ちょうどそこを通りかかったジョンに助けられた。

ジョンは仇敵の兄を助けたとは露知らず、男を小屋に連れて帰った。マドレーヌの懸命な介護のおかげでチャーリーは一命をとりとめる。しかし悪漢の心に感謝の気持ちはなかつた。夫婦が出かけた隙に犬ぞりを用意し、戻ってきたマドレーヌを拉致しようと試みる。驚いて自室に逃げこんだ女。男はマドレーヌの娘を人質にとり、自らの素性を明かして女に出てくるよう促した。子供の命には代えられず、マドレーヌは部屋の鍵を開けた。チャーリーは女を抱え上げると犬ぞりに放りこんで一路町を離れた。

自宅に戻ってきたジョンの気がついた異変。妻が見知らぬ男と駆け落ちしたと勘違いしてしまう。猟銃を手に追いかけていく。幸いにも愛娘を取り返すことはできたが、後の二人は手の届かない先へと消えてしまっていた。

ところがである。しばらくして丸太小屋の外で物音がした。扉を開けると妻が倒れていた。「何をしに戻ってきた」、ジョンの言葉は冷たかった。「雪に埋もれて死んでいるのはあなたのお兄樣ですのよ」。マドレーヌの蒼白な唇から放たれたのは驚くべき言葉であった。「あの方は私が貴方を愛しているのを逆恨みしてやってきたのでございます。たつた今…撃ち殺して参りました」。女は証拠として一枚の写真を取り出した。それはかつて、幼き頃のマドレーヌがジョン宛に送った自身の写真であつた。真実を知つたジョンは妻と娘をかたく抱きしめるのであつた。

◇◇◇

パテ社監督のレオ・ウォートンはサラナックレイクへのロケを目論んでいる。大規模なスタッフを同行予定で、チャールズ・アーリングとグヴェンドリン・ペイツが含まれている。雪景色を添えた大掛かりな長編映画が出来上がる予定である。(モーション・ピクチャー・ストーリー・マガジン1913年3月号)

Leo Wharton, Pathé director, contemplates a trip to Saranac Lake Region. Wharton will take with him a large company, including Charles Arling and Gwendoline Pates, and will produce some large feature pictures with winter backgrounds. (The Motion Picture Story Magazine, 1913 March Issue)

1913年米パテ社公開の短編映画。この前後のハリウッドは新興映画社(ヴァイタグラフ、ビオグラフ、エッセネイ、クリスタル、タンホイザー、パテ・フレール、カレムなど)による群雄割拠の時代となっていました。各社が発掘してきた俳優たち(アリス・ジョイス、ノーマ・タルマッジ、フローレンス・ラバディ、ブランシュ・スウィート、リリアン・ギッシュ、ルース・ローランド、パール・ホワイト)も粒ぞろいで、1910年代を通じて活躍していく重要な才能がそろい踏みしています。

米パテ社が1911年に契約したグヴェンドリン・ペイツもまたそんな新進女優の一人でした。幼いころからボードヴィルで鍛えられていたため舞台慣れしていてすぐに同社花形に出世していきます。しばらくは自身と同じ「グヴェンドリン」をヒロイン名とした軽喜劇に主演、知名度が上がるにつれて本格的なドラマにも進出。雪景色のアラスカ(撮影は近場のサラナックレイク)を舞台とした2リール物の情念ドラマ『凍てついた道の果てに』主演を果たしています。

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監督はレオポルド・ウォートン。10代初めから自身ステージに登場しローラースケートの軽業を披露していました。俳優として米パテ社に合流後ほどなくして監督業に携わるようになり、グヴェンドリン・ペイツとチャールズ・アーリングを主演とした軽喜劇でヒットを飛ばすようになります。1914年にパテ社から独立。弟のテオドアと共にウォートン映画社を設立、同社作品をパテ社経由で配給していくようになりました。実力を買われ1914年にはルイ・ガスニエと共にパール・ホワイト主演の『拳骨』監督に抜擢、この作品の成功で連続活劇の道が開け、以後『ミラの秘密』(1916年)、『パトリア』(1917年)、『ベアトリクス・フェアファックス』(1920年)などの名作を製作・監督していきました。

『凍てついた道の果てに』はウォートンが1)俳優、2)短編喜劇監督、3)短編ドラマ監督、4)連続活劇監督とステップアップしていく3)に位置しています。『拳骨』で名を上げる監督がその一年前にどのような作品を撮っていたのか見えるという話であり、ハリウッド活劇発展史の一断片としても興味深いものです。

一方のグヴェンドリン・ペイツは1914年にはパテ社を離れ夫と共に自身の会社(グリュー・ペイツ・プレイヤーズ)を設立、舞台に専念していきます。元々運動能力が高かったようで、1914年秋にはパテ社の許可を得た『ポーリーンの危難』舞台版の主演も勤めていました。この後映画史から忘れられてしまうのですが、短期間ではありながらもウォートン作品のメイン女優として活躍した功績は強調されても良さそうです。

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1923 – 9.5mm ノーマ・タルマッジ主演作 『愛の唄』(The Song of Love)

1923 9.5mm Fleur des sables (The Song of Love) starring Norma Talmadge

サハラ砂漠では進駐フランス軍とイスラム系遊牧民の間に対立が起こっていた。「族長が息子と共に反乱を企てている」の情報をキャッチした軍部は若き士官レイモン(ジョセフ・シルドクラウト)をスパイとして送りこむ。そこで出会ったのが踊り子のヤスミナ(ノーマ・タルマッジ)とだった。当初は情報源に利用するつもりだったが演技は次第に本物の愛情へと変わっていく。ヤスミナをだまし続けている訳にはいかない、レイモンは自分がイスラム教徒ではないと告げ、傷ついた女を残して関係を絶つのであった。

族長たちによる謀叛は深夜に決行と相成った。「例のフランスのスパイは手酷く拷問してやれ。殺してくださいと自分から嘆願するほどにな」、殺気立った人々の会話を聞いたヤスミナはいてもたってもいられなくなりレイモンの元に向かった。残された時間は少ない、武装反乱軍たちはフランス軍の基地を今まさに陥落せんとしているところであった…

1910年代にヴァイタグラフ社を代表する女優となったノーマは映画プロデューサーと結婚後、自身の映画製作会社「ノーマ・タルマッジ映画社」を設立して拠点を移しました。

制約の多い大手を離れ自身のプロダクションで活動する例は大半が短命に終わったなかで、ノーマ・タルマッジ映画社は『復讐の灰』(1923年、フランク・ロイド監督)や『キキ』(1926年、クラレンス・ブラウン監督)などヒット作をコンスタントに発表し続け無声映画末期まで最前線での活動を続けていきます。

『愛の唄』も同社制作、合衆国ではファースト・ナショナル社、フランスではパテ社からの配給となりました。『シーク』(1921年)でヴァレンチノ人気が爆発していた時期に当たり北アフリカのエキゾチックな設定を組みこんでいます。

セットや衣装、ライティングに贅を凝らした出来で反乱軍と仏軍の抗争場面も大掛かりに描写されています。とはいえ制作費と完成度が比例しているかというとそうでもなく、型通りの戦争メロドラマを一通りなぞっただけで終わってしまっています。士官役ジョセフ・シルドクラウトは悪くないのですがノーマ自身の演技が大袈裟で、ヒステリックな空気が出過ぎていて興を削がれました。

1920年代となり若手が次々台頭する中でベテラン女優が様々な試行錯誤をしながら生き残りを図っていた様子は伝わってきます。1910年代と20年代の「壁」は相当に厚く、この壁を乗り越えた役者は僅かだったと思いあわせるなら健闘とも言えます。『老いらくの戀』と比べるなら、20年代特作より初期のヴァイタグラフ作品をお勧めしたいです。

[タイトル]
Fleur des sables

[原題]
The Song of Love

[公開年]
1923年

[IMDB]
The Song of Love

[メーカー]
仏パテ社

[メーカー記号]
804

[9.5ミリ版発売年]
1925年

[フォーマット]
9.5mm 無声 10m×6巻 白黒・ノッチ有

1913 – スタンダード8 『老いらくの戀(An Old Man’s Love Story)』(米ヴァイタグラフ社、ノーマ・タルマッジ主演)

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1913 - An Old Man's Love (Vitagraph) starring Norma Talmadge

マーシャム夫婦には見栄っ張りなところがあり、身の丈にあわない生活を続けているうちにいつしか家計は火の車となっていた。夫婦にとつての一縷の望みは美しく成長した一人娘エスター(ノーマ・タルマッジ)で、金持ちの男と結婚してさえくれれば…と食事中にも口にする始末であつた。

旧友である富裕な老人グレイソーン氏を招いたのはエスターとの結婚話を今度こそ決めてしまうためであつた。エスターには以前から心を決めた若者フランクがいたのであるが、両親を悲しませる訳にもいかず、心に悲しみを秘めながら老人の求婚を受け入れたのであつた。

フランクと会う事は普段から諫められていたため、若き二人の通信手段は木の幹をポスト代わりに使った手紙が全てであつた。エスターが婚約の件を手紙で伝えると、「君を失うのであれば僕はもう町を出る」の返信。絶望に打ちひしがれたエスターが木の幹にもたれかかって泣いているのを偶然見つけたのがグレイソーン氏であつた。若者たちの置かれた状況を理解したグレイソーンは一世一代の芝居を売ってみせるのであった…

タルマッジ姉妹の長女ノーマの初期主演作8ミリ版。家族の軋轢から生み出されてくるメロドラマになっています。途中でオチが読める単純な物語ながら役者が持ち役をカッチリ演じきっているため思った以上に心地よい作品となっていました。ノーマのお姫様ぶりも堂に入ったもので、ヴァイタグラフ社でアニタ・スチュワートと並ぶ花形だったのもうなずけます。

確認できた限り、以下の3つの形でデジタル版が市販されています。
『ノーマ・タルマッジ ヴァイタグラフ短編集』(グレープヴァイン社) Norma Talmadge Vitagraph Shorts
『俳優:ノーマ・タルマッジ希少作品集 第一巻』 The Actors: Rare Films Of Norma Talmadge Vol. 1
・米ハーポデオン社は自社サイトおよびアマゾン・プライム・ビデオでデジタル版を市販・公開中

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ハーポデオン社で公開されている市販動画のスキャン。

ハーポデオン社も8ミリベースでスキャンしているようです。

[公開年]
1913年

[IMDB]
An Old Man’s Love Story

[メーカー]
米ブラックホーク社

[メーカー記号]
810-34-819

[フォーマット]
Standard 8mm 200フィート (60m)

1924 – 9.5mm 『氷島の漁夫』(ジャック・ド・バロンセリ、仏パテ版)

「9.5ミリ 劇映画」より

Pêcheur d'Islande (1924,  Jacques de Baroncelli) 9.5mm French Pathéé
Pêcheur d’Islande (1924, Jacques de Baroncelli) 9.5mm French Pathé Version
Pêcheur d'Islande (1924,  Jacques de Baroncelli) 9.5mm French Pathéé 01

フランス西部、ブルターニュ地方で遠洋漁業を営む漁師たちの物語で、19世紀末に出版された同名小説の二度目の映画化となるものです。

タイトルにある「氷島」はアイスランドを指しています。2月から8月にかけ港町パンポルからタラ漁の船がでるのですが、当時は危険と背中合わせで命を落とした漁師も多くいたそうです。パンポル港を見下ろす丘には「未亡人の十字架」が建ち、映画版はこの十字架を含むブルターニュの風景が多く使用されています。

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物語は首都パリから生まれ故郷に戻ってきたヒロイン(サンドラ・ミロワノフ)と、彼女をめぐる二人の男性(シャルル・ヴァネル、ロジェ・サンジュアン)のぎこちない恋愛模様を軸に進んでいきます。

地方色溢れる衣装や景色、建物、地元民の表情など興味深いショットが多く含まれています。絵としては綺麗。ただ監督バロンセリにはメリハリをつけたストーリーを語る力が不足していて、本作も曖昧な鬱展開の物語が淡々と進んでいくだけで終ってしまいます。個性派女優ミロワノフ、演技派ヴァネルを配しているだけに残念。

何にせよエキストラとして登場してくる地元民の皆さんが良い味を出しています。Vimeoに35ミリデジタル版の抜粋がありますがフィルムの再生速度を誤っていて(24コマ毎秒?)動きが早くなってしまっています。

[タイトル]
Pêcheur d’Islande

[公開年]
1924年

[IMDB]
Pêcheur d’Islande

[Movie Walker]
氷島の漁夫

[メーカー]
仏パテ社

[メーカー記号]
952

[9.5ミリ版発売年]
1926年

[フォーマット]
9.5mm 無声 10m×12巻

ジェーン・ノヴァック Jane Novak (1896–1990)

「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

Jane Novak Autographed Photo
Jane Novak Autographed Photo

ジェーン・ノヴァックはミズリー州のセントルイスで生れ、同地で名高いノートルダム高校の卒業生である。父親はセントルイスの新聞編集員で、うら若きジェーン孃が女優になりたいと聞いた時にも反対をしなかった。最初の出演機会はボードヴィルで、その後喜劇調のミュージカルに進出していく。ロスアンゼルスからの招きで孃は映画デビューを果たし、『流転する罪業』で大きな成功を収めた。遂に孃はウィリアム・S・ハート氏作品のヒロイン役を射止め、自力でスターダムへと辿りついたのであつた。映画界での多年に渡る活動も嬢には何の変化も及ぼさず、デビュー当初に見られた甘えの無い魅力を今も尚持ち続けている。水泳を得意としゴルフの達人で、一人娘がいる。丈は五尺七寸、體重は十五貫十両、金髪と表現豊かな碧眼を有す。

『銀幕著名人録』(ジョージ・H・ドーラン社、1925年)

JANE NOVAK was born in St. Louis, Missouri, and is a graduate of the famous Notre Dame Convent of that city. Her father was a newspaper editor in St. Louis and offered no objections when youthful Jane suggested she become an actress. Vaudeville offered her the first opportunity, and later she entered the musical comedy field. Los Angeles beckoned and beautiful Jane made her debut in pictures, appearing with great success in « Eyes of the World. » Finally she became leading lady for William S. Hart, and then graduated to stardom in her own right. Years of picture work have left no mark upon her, she still possessing that unspoiled charm which characterized her first public appearance. She is a splendid swimmer, plays golf excellently, is the mother of a wonderful daughter, and is 5 feet 7 inches tall. She weighs 125 lbs., has blond hair and expressive blue eyes.

Famous film folk; a gallery of life portraits and biographies (New York; George H. Doran company, 1925.)

ヴァイタグラフ社で1913年に女優デビュー、ユニヴァーサル社~クリューン映画社へと移っていき、1918年頃にはモンロー・ソールズベリー、トム・ミックス、トム・ムーア主演の西部劇で重用されていました。1919年にウィリアム・S・ハートとの共演が始まり『猛虎』『大金を護りて』『開拓者』など5作で実力を発揮していきます。

ハート作品の多くは「弱みを抱えながら大事なものを守るために立ち上がる主人公」が活躍する物語で、家族や生まれ故郷、一家の名誉などが守られるべき存在として登場してきます。ジェーン・ノヴァックは主人公が守りたくなる「はかなげな(fragile)」空気感を出すのが上手い女優さんでハート作品の世界観によく馴染んでいました。

Jane Novak in Wagon Track (1919)
『開拓者』(Wagon Track、1919年より)

現代物もこなし第一次大戦を背景にした情念物『扉の蔭』(1919年)やヒッチコック脚本による『ブラックガード』(1925年)が現存しています。

またアンソニー・スライド氏の『サイレント・プレイヤーズ』に晩年のインタビューを元にした思い出話が多数収録されています。決して悪口を言わない、柔和で温かい言葉が彼女の性格をよく伝えています。唯一の例外がモーリス・トゥルヌール。戦前名監督の一人ながらパワハラ体質だったようで、スタッフに怒鳴り散らしているのに腹を立てたジェーンさんが「私にそれしたら速攻辞めますからね」と啖呵を切って黙らせたそうです。彼女のタフで逞しい一面を垣間見せるエピソードでもあります。

[IMDb]
Jane Novak

[Movie Walker]
ジェーン・ノヴァック

[出身地]
合衆国(ミズリー州セントルイス)

[誕生日]
1月12日

[撮影]
Hoover Art Co.

[データ]
18.5 × 23.8 cm

レネ・ビョルリンク Renée Björling (1898 – 1975) スウェーデン

「国別サインリスト 北欧諸国 [Nordic Countries]」より

Renee Bjorling 1920 Autographed Postcard
Renee Bjorling 1920 Autographed Postcard

派手な注目を浴びる機会こそ少なかったものの安定した演技力でスウェーデン映画を半世紀に渡って支えた女優さん。

1919年にセルマ・ラーゲルレーヴの『ひな鳥』(Dunungen、1919年)が映画化され成功を収めた時、三角関係のはざまに揺れるうら若きヒロインを演じていたのがビョルリンク嬢でした。翌年にはシェストレム監督作品の『感激の夜(センドミールの修道院)』で城主の妻エルガに使える侍女役で登場。1923年には女性群像を描いた『ノールトゥル地区の仲間たち』で主要な女性キャラの一人エヴァを演じます。

Renee Bjorling in Klostret i Sendomir
1920年の『感激の夜(センドミールの修道院)』より

1924年の『田舎暮らし』(Livet på landet)でモナ・マルテンソンの脇を務める等、どちらかというと準ヒロインで力を発揮するタイプの女優さんでした。戦後になっても1950年代のイングマール・ベルイマン諸作(『不良少女モニカ』『愛のレッスン』『女たちの夢』)に端役で登場しています。

[IMDb]
Renée Björling

[Movie Walker]

[出身地]
スウェーデン(ローベン島)

[誕生日]
7月10日

[データ]
Ferd. Flodin Norrmalmstorg Stockholm

[サイズ]
8.7 × 13.3 cm

1919年4月『活動之世界(最終号)』各国映画俳優人気投票

1919年4月『活動之世界』人気投票
『Katsudou no Sekai (Moving Picture World)』
« Hall of Fame » Poll (April 1919)

01:ウォーレン・ケリガン(761) Warren Kerrigan [IMDb]
02:山本嘉一(725) Yamamoto Kaichi [JMDb]
03:ルース・クリフォード(695) Ruth Clifford [IMDb]
04:ヴァイオレット・マースロウ(662) Violet Mercereau [IMDb]
05:ダグラス・フェアバンクス(657) Douglas Fairbanks [IMDb]
06:マルガリータ・フィッシャー(591) Margarita Fischer [IMDb]
07:メアリー・マクラーレン(580) Mary MacLaren [IMDb]
08:ドロシー・フィリップス(513) Dorothy Phillips [IMDb]
09:メアリー・マイルズ・ミンター(470) Mary Miles Minter [IMDb]
10:ウィリアム・S・ハート(465) William S. Hart [IMDb]
11:フランシス・ブッシュマン(457) Francis X. Bushman [IMDb]
12:ベッシー・バリスケール(435) Bessie Barriscale [IMDb]
13:パール・ホワイト(433) Pearl White [IMDb]
14:モンロー・ソールズベリー(408) Monroe Salisbury [IMDb]
15:メアリー・ピックフォード(397) Mary Pickford [IMDb]
16:グレース・ダーモンド(379) Grace Darmond [IMDb]
16:フランチェスカ・ベルティーニ(379) Francesca Bertini [IMDb]
16:メイ・マレー(379) Mae Murray [IMDb]
19:カーメル・マイヤーズ(361) Carmel Myers [IMDb]
20:ベッシー・ラブ(343) Bessie Love [IMDb]
21:チャールズ・チャップリン(305) Charles Chaplin [IMDb]
22:ルース・ローランド(295) Ruth Roland [IMDb]
23:ウィリアム・ダンカン(293) William Duncan [IMDb]
23:モリー・キング(293) Mollie King [IMDb]
25:ジェラルディン・ファーラー(265) Geraldine Farrar [IMDb]
26:ピナ・メニケリ(233) Pina Menichelli [IMDb]
27:ノーマ・タルマッジ(207) Norma Talmadge [IMDb]
28:片岡長正(201) Kataoka Chosei [JMDb]
29:クレイトン・ヘイル(199) Creighton Hale [IMDb]
30:藤野秀夫(177) Fujino Hideo [JMDb]
31:ウィリアム・ラッセル(151) William Russell [IMDb]
32:尾上松之助(147) Onoe Matsunosuke [JMDb]
33:エラ・ホール(141) Ella Hall [IMDb]
34:エディー・ポロ(125) Eddie Polo [IMDb]
35:衣笠貞之助(113) Kinugasa Teinosuke [JMDb]
36:アニタ・スチュワート(112) Anita Stewart [IMDb]
37:早川雪洲(98) Hayakawa Sessue [IMDb]
37:澤村四郎五郎(98) Sawamura Sirogoro [JMDb]
39:ハリー・ケリー(93) Harry Carry [IMDb]
40:ウィリアム・ファーナム(90) William Farnum [IMDb]
41:ドロシー・ダルトン(79) Dorothy Dalton [IMDb]
42:ビヴァリー・ベイン(72) Beverly Bayne [IMDb]
43:フランク・マヨ(69) Frank Mayo [IMDb]
44:東猛夫(65) Azuma Takeo [JMDb]
45:ネヴァ・ガーバー(65) Neva Gerbar [IMDb]
46:アルフレッド・ホイットマン(57) Gayne Whitman [IMDb]
47:アリス・ブラディー(50) Alice Brady [IMDb]
48:アール・フォックス(42) Earle Foxe [IMDb]
49:ベン・ウィルソン(37) Ben F. Wilson [IMDb]
50:セダ・バラ(22) Theda Bara [IMDb]
51:アラン・ホルバー(21) Allen Holubar [IMDb]
52:ジュエル・カーメン(17) Jewel Carmen [IMDb]
53:クララ・キンボール・ヤング(15) Clara Kimball Young [IMDb]
54:ブロニー・ヴァーノン(12) アグネス・ヴァーノン(Agnes Vernon)誤記 [IMDb]
55:ルイズ・グローム(9) Louise Glaum [IMDb]
56:モリー・マローン(8) Molly Malone [IMDb]
57:レオン・バリー(5) Léon Bary [IMDb]
57:ガブリエル・ロビンヌ(5) Gabrielle Robinne [IMDb]
59:フランセリア・ビリントン(3) Francelia Billington [IMDb]
59:アーヴィング・カミングス(3) Irving Cummings [IMDb]
59:花柳はるみ(3) Hanayagi Harumi [JMDb]

1919年初頭、雑誌『活動之世界』新年号で人気投票の開催が告知されました。当時合衆国で行われていた形に倣ったもので、年間を通じて票を募集し、各号で途中経過を発表しながら年明けに最終結果を発表するものです。この第3回中間発表を見ていると当時の傾向が幾つか見えてきます。

人名表記は現在のものを使用。3票以上を獲得した61名の男女比は27名(44%)対34名(56%)、国別内訳は以下となっています。
アメリカ:48名(79%) 日本:9名(15%) イタリア:2名(3%) フランス:2(3%)

ハリウッド俳優ではヴァイタグラフ社が安定した人気ぶり(転籍していますがアニタ・スチュワートやノーマ・タルマッジも同社出身)。国内で安定して配給・宣伝されていたため知名度が高かったと思われます。一方でギッシュ姉妹やグロリア・スワンソンらが選外に漏れてしまいました。

アクションを十八番とする男優(ウィリアム・ダンカン、エディー・ポロ、ハリー・ケリー)が健闘、また連続活劇女優の人気が根強かった様子も伺えます。1910年代末はパール・ホワイトやルース・ローランドらの先駆者に続く第二世代(グレース・ダーモンド、モリー・キング、ネヴァ・ガーバー)が台頭していた時期で、ランキングにもその状況が反映されています。

国内組に目を転じると1917年に日活向島に入社した山本嘉一と藤野秀夫、東猛夫、衣笠貞之助に票が集まっています。松之助人気も健在。正式デビュー前で得票数は伸びていないものの(『深山の乙女』は1919年8月公開)日本初の女優花柳はるみさんが早くも食いこんでくる形になっています。

二名ながらもイタリア女優が上位にランクイン(ベルティーニ、メニケリ)。ドイツや北欧、ロシアの俳優名はありません。

この5年後になると日本でも女優ブームにブロマイドが飛ぶように売れ、連続活劇人気は収まり、イタリアの代わりにドイツ映画が存在感を増していく時代となりました。「映画」の言葉からイメージされる世界の広がりが20年代前半にガラリと変わっている訳で、この人気投票はそれ以前、ちょうど一世紀前の映画理解を反映している点で興味深く思われます。

なお、それぞれの国外俳優の写真は国立国会図書館所蔵の『活動花形俳優』(1921年)や『活動名優寫眞帖』(1919年)で見る事ができます。

大正8年(1919年)公開 『ぶどう月』 (ルイ・フイヤード監督) 撮影風景写真3枚

「ルイ・フイヤード関連コレクション」より

1919 - Vendémiaire (Louis Feuillade)
1919 – Vendémiaire (Louis Feuillade) 3 photos de tournage

第一次大戦終戦の大正7年(1918年)に撮影され、翌8年(1919年)に公開された劇作品『ぶどう月』撮影中の写真三点。販促用スチルではなく、撮影関係者が内々のやりとりで保管していたもので、ここにある以外現存していない貴重な資料と思われます。

フイヤード監督の作品は1)初期習作(1913年まで)、2)前期活劇(1914~17年)、3)後期活劇と逝去(1922年まで)の大きく三つに分けることができます。

『ファントマ』『レ・ヴァンピール』『ジュデックス』『後のジュデックス』など大戦中の作品で仏活劇に旋風を巻き起こした後、戦後からやや作風に変化が見られるようになってきます。『ティーミン』や『バラバス』といった後期作品は、アクションの要素を抑えドラマの流れや一貫性を重視し、さらに幻想色を加えたものに変わっていくのです。

前期から後期への橋渡しとなった作品が『ぶどう月(Vendémiaire)』でした。

この監督は「フイヤード組」と呼ばれた固定メンバーを軸に作品作りを進めるのが常だったのですが、終戦の前後に大きな入れ替えがありました。『レ・ヴァンピール』『ジュデックス』で存在感を見せたミュジドラ、喜劇の要素を加えていたマルセル・ルヴェスクの二人が一座を離れるのです。その代わりにアジア風の繊細さを持つ女優マリ・アラルドが加入、ルヴェスクの代わりに若い喜劇俳優ビスコが参加します。また『ジュデックス』主役を演じたルネ・クレステもこの後しばらくして『ティーミン』製作後に離脱しています。

『ぶどう月』はマリ・アラルドやビスコが初めて登場したフイヤード作品となります。

『ぶどう月』の物語は、軍隊を離れ、新たな生活を始めようと南仏にやってきた退役軍人(ルネ・クレステ)を軸に進んでいきます。盲目の貴族(エドゥアール・マテ)が所有するワイン園で雇われるのですが、ジプシーと間違われ追い払われそうになっていた貧しい未亡人(マリ・アラルド)を助け、次第にロマンスが生まれてきます。一方では敗走したドイツ兵(ルイ・ルーバ)が身分を偽ってワイン園に潜りこみ、盗みを重ねながらその罪を貧しい未亡人に押しつけようとしていく。未亡人の濡れ衣を晴らすため主人公は…という展開を持つ映画です。

冒頭、主人公はブドウ園の管理人に身分証明書を見せ、雇ってもらうことに成功します。この時ジプシーと勘違いされ雇用を断られた女性に話を聞くと、大戦で夫を亡くしたばかりとのこと、クレステはブドウ園の管理人に話をし、「ジプシーではなく英雄の妻だ」と誤解を解いてあげました。

ゴーモン社所有のプリントでは以下のような映像が続いていきます。

主人公を演じたクレステを中心に、未亡人を演じたマリ・アラルド、管理人を演じたエミール・アンドレを左右に配して撮影されたのが一枚目の写真。作中でマリ・アラルドは頭に布を巻いていましたが、こちらでは首の後ろに下ろしています。

この後悪役ドイツ人が登場、国籍を偽って農園に入りこみ、窃盗を繰り返していきます。途中にベルギー人の同僚が内緒話をしているのを見つけ、小耳を立てる場面がありました。

悪漢を演じたルイ・ルーバを撮影したのが二枚目の写真です。映画では正面と真横からのアングルでしたが、写真は斜め前からのアングルになっています。

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最後の一枚はカメラマン。『ぶどう月(Vendémiaire)』撮影時に実使用された内の一台と思われます。

いずれの写真も裏側に手書きの説明が付されています。

別投稿で紹介したルネ・クレステ直筆の年賀メッセージ葉書と同じ出所で、1919年頃にクレステと親交のあった関係者が保管していた資料の一つです。

『ぶどう月』は長きに渡る対立を背景とした反独感情や、ロマ民族への差別意識を含みこんでおり、またフイヤード監督が王党派の国粋主義者だった痕跡も見て取れる作品でした。その是非はともかくとして、フイヤード作品史上で重要な位置を占めている作品ですので再評価の機運が高まってほしいと願わずにいられまん。

[IMDb]
Vendémiaire (1918)

1917-22 忘れじの独り花(11)グズロン・ブルーン・ステフェンセン Gudrun Bruun Stephensen (1892–1946) デンマーク

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」・「北欧諸国 [Nordic Countries]」より

Gudrun Bruun Stephensen c1920 Autographed Postcard
Gudrun Bruun Stephensen c1920 Autographed Postcard
デンマーク映画初期から活動していた女優さん。スィランダ主演の短編『大都会の誘惑』(Ved Fængslets Port、1911年、ノルディスク社)でもパーティー場面に端役で登場している姿を確認できます。

女優キャリアの中心は1917年から23年で、フリッツ・マグヌッセンやラウ・ラウリッツェン監督作品に多く登場、脇役からヒロインまでこなす安定感を見せていました。

Gudrun Bruun in Der Gang in die Nacht (1921, Murnau)
『夜への旅』(Der Gang in die Nacht、1921年)より

1910年代の北欧映画はドイツでも人気があり、次第に知名度を高めていく中で1921年にはムルナウ作品『夜への旅』の主演を果たします。同作では初老の眼科医師(オラフ・フォンス)と不倫仲になりながら、患者としてやってきた盲目の画家(コンラート・ファイト)に鞍替えし自身の破滅を招いていくヒロイン役を務めていました。

『夜への旅』はややミスキャスト気味で終始の鬱展開、あまり高い評価を得ていない一作です。それでも随所にこの監督らしい緊張感を見て取ることができます。

[IMDB]
nm0116801

[Movie Walker]

[誕生日]
9月22日

[出身]
デンマーク(コペンハーゲン)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Verl. Herm. Leiser, Berlin-Wilm. 3133

1917 – 9.5mm ベッシー・ラヴ主演 『ソウダスト・リング』(The Sawdust Ring)

「9.5ミリ動画 05a 劇映画」より

ワードプレスの某映画サイトに英映画史家・フィルム蒐集家のケヴィン・ブラウンロー氏(Kevin Brownlow)のインタビューが掲載されていて、興味深い逸話が紹介されていました。

1954年、舞台巡業でベッシー・ラヴが英国を訪れた際、ケヴィン氏は女優宛に手紙を書いたそうです。同氏が初期作品の9.5mmフィルムを所有していると伝えると「観たい」とのこと。家にベッシー・ラヴが来るという話になって大騒ぎに。若い頃の作品を久しぶりにみたベッシーは大喜びだったとか。

件の映画は1916年公開ということで『シスター・オブ・シックス(Sister of Six)』ではないかと思われますが、彼女が主演した作品でもう一つサーカス物の『ソウダスト・リング』が9.5ミリ化されています。

現時点では両作とも16ミリ、35ミリプリントが見つかっておらず9.5ミリ形式でのみ現存。ハルポディオン社が9.5ミリ版を元にデジタル化を行っていて2ドルでストリーミング視聴可能です。

[タイトル]
The Sawdust Ring

[製作年]
1917年

[IMDB]
tt0008539

[メーカー]
米パテックス社

[カタログ番号]
D-2

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有) 20m*3リール(第3最終リールのみ)

1918 – ファニー・ワード & 青山雪雄出演 『お雪さん』 (A Japanese Nightingale, ジョージ・フィッツモリス監督)

「9.5ミリ動画 05a 劇映画」より

『チート』で話題を呼んだファニー・ワードが再度日本人男優と組んで残した日本趣味色濃いメロドラマ。ハリウッド日系俳優の先駆者である青山雪雄氏がファニー・ワードの兄役で出演しています。

原作は1901年に発表された小説で、数年前の『蝶々夫人』と同質のエキゾチスムを含みこんでいます。映画の公開当時は「日本人に対する侮辱的な表現がある」とそのままの輸入ができず、不適切部分を削除した形で上映されていました。

9.5mm短縮版は1927年頃に米パテックス社が発売していたもの。同社フィルムではカタログ番号Cで始まるコメディに人気があって時折市場で見かけますが、番号Dで始まるドラマ作品はほとんど残っておらず今回初めて現存を確認しました。

[タイトル]
A Japanese Nightingale

[製作年]
1918年

[IMDB]
tt0009237

[メーカー]
米パテックス社

[カタログ番号]
D-23

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有) 20m*4リール

[コンディション]
C+ (高温下で保管されていたようで各巻冒頭を中心に歪みあり)

スーパー8 『邦画名作抄 美人女優列伝 サイレント時代・草分けの美女たち』

「8ミリ 劇映画」より

手元にあるのは第一巻。無声映画期の女優さんが登場するハイライト場面をまとめた内容です。

田中絹代さん主演の『伊豆の踊子』で始まり、松竹スタジオの外観などを挟みながら井上雪子さん主演の『与太者と海水浴』へ。浅瀬に着衣のまま飛びこんでしまう大胆な展開に。

名作『不壊の白珠』を挟んで『夜ごとの夢』。栗島すみ子さんキャリア後期の作品で子供に頬をつけて泣いている時の表情が圧倒的。最後に『金色夜叉』での寛一お宮のやりとりが紹介されています。どの女優さんも雰囲気ありますね。

二巻目以降に倍賞千恵子さん、岸恵子さんが登場するようです。

1) 不壊の白珠(1929年、清水宏監督) 及川道子、八雲恵美子ほか
2) 夜ごとの夢(1933年、成瀬巳喜男監督) 栗島すみ子、飯田蝶子ほか
3) 伊豆の踊子(1933年、五所平之助監督) 田中絹代、若水絹子ほか
4) 与太者と海水浴(1933年、野村浩将監督) 井上雪子、光川京子、高峰秀子ほか
5) 金色夜叉(1937年、清水宏監督) 川崎弘子

白黒200フィート
磁器録音(24コマ/秒)
テレキャスジャパン/大沢商会/松竹

1915 – 9.5mm 『思ひ出(アルト・ハイデルベルク)』 (ジョン・エマーソン監督、米)

「9.5ミリ動画 05a 劇映画」より

古い大学町に遊学でやってきた皇太子と旅館の看板娘の恋と別れを描いたメロドラマ。19世紀末に戯曲として出版され人気を博しました。

サイレント映画としては1927年のハリウッド版が有名ですが、その12年前に最初に映画化されたものがこちら。人気絶頂だった美形俳優のウォーレス・リードとギッシュ姉妹の妹ドロシーが主演を務めています。

後年ドロシー・ギッシュは喜劇作品に多く主演するようになり、姉(リリアン・ギッシュ)のように悲劇に出たいとこぼしていました。ただ本作でも表情や動作がやはりコメディ風なんですよね。また、薬物中毒で早世したウォーレス・リードの貴重な主演作でもあります。

[タイトル]
Alt Heidelberg

[原題]
Old Heidelberg

[製作年]
1915年

[IMDB]
tt0005823

[メーカー]
独パテックス社

[フォーマット]
9.5mm

1919 – 9.5mm 早川雪洲主演 『蛟竜を描く人』

早川雪洲青木ツルを主演に配したハリウッド作品。ここでは雪洲氏は天才画家に扮しており、その噂を聞きつけた東京の絵師の婿となるのですが、奥さんとの幸福な生活に画家としての責務を忘れてしまいます。それに対して妻の取った行動は…

縮約版で作品そのものの判断は難しいのですがドラマの起伏に乏しく仕上がりは並程度。それでも偏見が厳しかった当時のハリウッドで道を切り開いた二人にどれほど賞讃を送っても足りないと思っています。

[タイトル]
Le Peintre de Dragon

[原題]
The Dragon Painter

[製作年]
1919

[IMDB]
tt0150388

[メーカー]
仏パテ社

[フォーマット]
9.5mm (ノッチ有)