アニー・オンドラ Anny Ondra/Ondráková (1902 – 1987) チェコ

オランダ~東欧~バルト三国 [Netherlands, Eastern Europe & Baltic States] より

Anny Ondra 1929 Inscribed Postcard

パリで共に過ごした時間の想い出に
アニー・オンドラ
1929年4月25日

Zur Erinnerung an die zusammen verbrachten Stunden in Paris.
Anny Ondra
25 IV 29


ヒッチコックの『恐喝(ゆすり)』は無声版の撮影が1929年1月〜3月に行われ、その後サウンド版用の追加撮影が同年6月に始まっています。合間にヒロイン役のアニー・オンドラがパリを訪れていて、知人宛に自筆メッセージを残したのがこちらの絵葉書。名前の下にもカッコ書きで単語が書かれているのですがそちらは解読できませんでした。

アニー・オンドラはヒッチコックの後期サイレント作品(『恐喝(ゆすり)』、『マンクスマン』)主演女優として記憶されています。元々プラハで学生時代を過ごし、アニー・オンドラコヴァ名義でチェコ演劇界にデビュー、最初の映画出演もチェコ作品でした。1920年代前半の出演作は幾つか現存しており初々しい姿を確認することが出来ます。

1925年の歴史物ファンタジー『Lucerna』より

1920年代末にヒッチコック作品で国際的な花形女優となり、ドイツの国民的スターでもあったヘビー級ボクサー、マックス・シュメリングと結婚、拠点をドイツに移します。チェコ時代から付き合いのあった同郷の俳優・監督カレル・ラマーチ(カール・ラマック)と共に「ラマーチ=オンドラ映画社」を設立、舞台女優時代に培った歌や踊りのセンスを生かしトーキー時代になっても高い人気を維持し続けました。

この時期の作品で重要なのが1932年のオペレッタ喜劇『理想の先生』。ラマーチ=オンドラ映画社製作ではないのですが、ラマーチと共に主演、初期トーキー秀作としてチェコ映画史に再度名を残すことになりました。

『理想の先生(Kantor Ideál)』より

チェコ映画は東欧映画界でも際立った個性で知られています。1950~70年代に秀作や傑作が集中しているのですが、そこに辿りつくまで長い紆余曲折がありました。ラマーチやオンドラを含めた才能ある戦前チェコの映画人が基礎を築いていった点を強調しておきたいと思います。


[IMDb]
Anny Ondra

[Movie Walker]
アニー・オンドラ

[出身地]
タルヌフ(現ポーランド)

[誕生日]
5月15日

1929 – 9.5mm アニー・オンドラ主演『恐喝(ゆすり)/無声版』 (アルフレッド・ヒッチコック監督) UKパテスコープ版

9.5ミリ 劇映画より

Blackmail, early 1930s UK Pathescope 9.5mm print


戦前の英パテスコープ社からはヒッチコック初期作品の9.5ミリ版が4作発売されていました。

『リング』(1927年公開)… SB30029 (1933年1月発売)
『シャンパーニュ』(1928年)… SB30036 (1933年4月)
『マンクスマン』(1929年)… SB30070 (1934年6月)
『恐喝(ゆすり)』(1929年)… SB30027 (1932年10月)

サスペンス物ばかりではありませんがどの作品にも若きヒッチコック監督の野心や実験が含まれています。とりわけ無声映画として最後に撮られた(そしてトーキー第一作として公開された)『恐喝(ゆすり)』は後のサスペンス巨匠を予想させる一作として評価の高いものです。

『恐喝(ゆすり)』は無声映画として企画され1929年初頭に撮影が行われたのですが、途中でトーキー版の企画が持ち上がり同年夏に撮り直しを行っています。国内では劇場の仕様に応じ、無声版/トーキー版両方が公開されていました。

英パテスコープ社9.5ミリ版は80分強のオリジナルを120メートルリール2巻物の30分程度に縮約しています。画質やトリミングの傾向などを確認するため現行のDVD版と比較してみました。

9.5ミリ版
サイレント版DVD
トーキー版DVD
1)ヒロインがバレリーナ用衣装に着替える場面
2)青年画家のバストショット
3)ヒロインが絵を引き裂いた場面

1)は青年画家の部屋を訪れたヒロインが、バレリーナ用の衣装を見つけて着替える場面です。サイレント版では「背中のファスナーが閉まらない」と青年画家に手伝ってもらう展開となっていました。トーキー版は脚本を大きく変更。青年画家がピアノを弾き語りする隣で着替える構図となり、ファスナーも自力で閉めています。9.5ミリ版はサイレント版のプリントをそのまま使用。

ヒロインが服を着替え直そうとしている間に青年画家が女性の服を持っていってしまう場面が2)、襲われたヒロインがカーテンの陰から現れ、手にしたナイフを落とし、画家の描いた道化師の油絵を破いてしまう場面が3)です。

「サイレント版DVD」と「トーキー版DVD」の3)を比較してみると絵の破れ方が違っています。サイレント版では上辺と右辺が破れて穴が三角形になっているのに対し、トーキー版では左辺まで縦に裂けて台形の穴になっています。

2)でも同様のことが言えます。トーキー版ではつい立てにかかった洋服の袖口に細い切れ目が見えるのですがサイレント版にはそれがありません。洋服の向きが微妙に違っているのです。

『恐喝(ゆすり)』では登場人物の会話が発生している場面は後日撮り直したショットを使っています。会話のない場面はわざわざ撮り直す必要はなさそうですが、「ネガ」は一つしかないため「サイレント版」「トーキー版」両方に使い回すことはできません。そのため最初に撮影された場面の「別テイク」を流用しています。

以前にチャップリンのミューチャル期作品で触れた問題と似ています。チャップリン作品の場合は同じ場面を二台のカメラで撮影することで二通りのネガが発生していました。『恐喝(ゆすり)』の場合は別テイクを元に二通りの異なったネガが作り出されていたことになります。9.5ミリ版はこのうちサイレント版を縮約したものであることも確認できました。


[IMDb]
Blackmail

[Movie Walker]


[[公開年]
1929年

[メーカー]
英パテスコープ社

[メーカー記号]
SB30027

[9.5ミリ版発売年]
1932年10月

[フォーマット]
9.5mm 無声 120m×2巻 ノッチ無

1930 – 9.5mm『麗しき悪女』(Une belle garce、マルコ・ド・ガスティーヌ監督)

「9.5ミリ 劇映画」より

『ジャンヌ・ダルクの驚異の一生』に次いで製作されたガスティーヌ監督初のトーキー作品。英9.5ミリ版は無声で英語字幕入り。

舞台は波止場で営業を続けている小さなサーカス一座。猛獣使いのラバス(ガブリエル・ガブリオ)は妻子ある立場にも関わらず新入りの娘ロゼッタ(ジーナ・マネス)に惚れ上げてしまいます。ところが女はラバスの息子レオに色目を使い、ラバスの心は乱れるばかり。ある日のショーで、ロゼッタに良い所を見せようとライオン二頭を相手に無理な芸を披露したところ…と続いていきます。

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曲芸団を舞台にした不貞と愛憎のドラマとしては1925年のドイツ作品『ヴァリエテ』が有名です。『ヴァリエテ』が生々しい欲望を劇的に描き上げていたのと比べると『麗しき悪女』はウエットなメロドラマ感が強く出ています。また幾つかのサイドストーリーが展開されていて、そちらに監督の趣味性が色濃く反映されています。

1)野生動物への愛着:

ガスティーヌは1932年にはパテ社を離れ短編ドキュメンタリーを撮り始めます。この時に多く主題とされていたのがアフリカの野生動物でした。『麗しき悪女』に登場するサーカス一座の猿やライオンはこういった監督の個人的な好みを反映したものです。

2)映像デザインとしての照明

画家として名を上げ、デザイナーとして映画業界に関わりはじめたガスティーヌにとってセットやコスチュームのデザインは大きな意味を持っています。『麗しき悪女』は照明を上手く使った構図が幾つか見られました。

サーカス一座の踊り子がダンスを披露する場面や、猛獣使いがライオンと対峙する場面では照明が画面上でキラキラする効果を強調しています。

3)女優の選択

中年男の心を狂わせる「美麗な悪女」を演じたのは演技派ジーナ・マネス。ガスティーヌ旧作で主役を張ってきた女優は古風なタイプが多いのですが、本作には自由奔放で気の強い新時代の女優を抜擢、フェミニズム的な流れを多分に意識した配役でもあります。

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一方で踊り子としてシモーヌ・ジュヌヴォワも出演。彼女自身がこの時期の書簡で「モダンな女性を演じたい」と語っていて、ガスティーヌが願いを叶えてあげた形になっています。上の写真で二人並んで踊っている右側がジュヌヴォワです。

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以前に『恋山彦』の投稿で触れたように無声映画からトーキーへの移行期はカメラの移動が重くなり今見るとぎこちない印象を与える作品が多かったりします。『麗しき悪女』にもその欠点は見られ、トーキー肯定派と否定派が激論を交わしていた1930年のフランスで賛否両論を引き起こしていました。正直どちらの言い分も分かるのですがそれでもガスティーヌ監督の個性やセンスは随所に見て取れると思います。

[タイトル]
Jealousy in the Circus

[原題]
Une belle garce

[公開年]
1930年

[IMDB]
Une belle garce

[メーカー]
英パテスコープ社

[メーカー記号]
SB846

[9.5ミリ版発売年]
1937年5月発売

[フォーマット]
9.5mm 無声 120m×2巻 ノッチ無

ビリー・バーク Billie Burke (1884 – 1970) 米

「合衆国・カナダ・オーストラリア」より

ビリー・バーク 1909年頃直筆サン入り絵葉書
Billie Burke c1909 Autographed Postcard

ビリー・バークは1939年の名作ミュージカル『オズの魔法使い』出演で多くの人々に記憶されています。主人公ドロシー(ジュディー・ガーランド)を導いていく「北の良い魔女」グリンダです。

Billie Burke in The Wizard of Oz
『オズの魔法使い』でのビリー・バーク

魔女グリンダの性格設定は(おそらく非現実の世界にしか存在しない)「包容力のある美しき母」でした。ビリー・バークの温かみのある、時にユーモラスな演技はあの役柄にマッチしていて他の女優さんでは替えが効かないのではないかと思います。

その芸歴は長く1900年代に舞台デビュー、若くしてブロードウェイの人気者になります。1910年代に映画に進出、パラマウント社初の連続劇『グロリア物語』(1916年)主演で成功を収めています。1914年には興行界の大物フローレンツ・ジーグフェルド・ジュニアと結婚しており二人のロマンスは後に『巨星ジーグフェルド』(1936年)として映画化もされました。

Billie Burke in Motography Magazine 1916 April 29 Issue
モトグラフィー誌1916年4月29日号より『グロリア物語』の先行予告スチル

彼女は良く知られた美人さんというだけでなく、他に例を見ないほど完璧に演技の修練を収め、人を引き寄せる魅力に高潔な心、並々ならぬ人間力を備えている。その動きに見られるしなやかな才能は例外的と言ってよいだろうし、「銀幕値(スクリーン・バリュー)」も備えているのだがそれが「銀幕の天才」と呼べる位に達している。(モトグラフィー誌1916年4月22日号より。『グロリア物語』原作を手掛けた作家ルパート・ヒューズのインタビュー)

She is not only a famous beauty, but an actress of unusually thorough schooling and magnetism, high spirit and peculiarly human appeal. She has also an extrordinarily flexible pantomimic gift, and what is known as « screen value, » to a degree that might be called « screen genius. » (Rupert Hughes Interview in Motography Magazine 1916 April 22 Issue)

『オズの魔法使い』は技術・技法的に、そして美学的にも戦前ハリウッドの集大成と呼べる一作でした。そこに初期ブロードウェイやサイレント映画時代の経験値を持ちこんでいたのがビリー・バークだった、と見ることもできます。

サイン入りの絵葉書は英ロータリー・フォトグラフィック・シリーズの一枚で、英国南部の町ボーンマス在住のS・マクブロック嬢宛に送られています。消印はロンドン局1909年5月26日付。もう一枚同嬢が所有していたサイン無しの絵葉書とセットで入手したものです。

[IMDb]
Billie Burke

[Movie Walker]
ビリー・バーク

[出身地]
合衆国(コロンビア)

[誕生日]
8月7日

[データ]
8.8 × 13.7 cm

リリアン・ハーヴェイ Lilian Harvey (1906 – 1968) 独

「国別サインリスト ドイツ/オーストリア [Germany/Austria]」より

Lilian Harvey Autographed Postcard
Lilian Harvey Late 1920s Autographed Postcard

日本でも人気の高い『会議は踊る (1931年)』『ガソリン・ボーイ三人組(1930年)』などの初期ドイツ製オペレッタで主演を務めた女優さん。キャリアのピークが30年代初頭ですのでサイレント映画女優というより初期トーキーのスターの呼び方がしっくりきます。

今回入手したのは1920年代後半のサイン絵葉書。髪型、まつ毛の作りかた、眉の描き方が30年代と違っています。サインの書き方も後年に比べ字がやや大きく筆跡もダイナミック。

30年代中盤以降、ナチス政権下で不遇をかこちキャリア後期に失速を見せました。それでもヴィリー・フリッチらとの共演で見せた眩さは褪せる気がしません。

1931-Der Kongreß tanzt
『会議は踊る』でのリリアン・ハーヴェイ

[IMDB]
nm0367613

[Movie Walker]
リリアン・ハーヴェイ(Lilian Harvey)

[誕生日]
1月19日

[出身]
イギリス(ロンドン)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Verlag Herm. Leiser, Berlin Wilm. 6007 Phot.Rembrandt

グラディス・クーパー (Gladys Cooper 1881- 1971) 英

Gladys Cooper 1914 Autographed PostcardGladys Cooper 1919 Autographed Postcard

第一次大戦前に人気のあった英女優グラディス・クーパーのサイン物2点。当時のイギリスで5本指に入る人気にも甘んじることなく研鑽を積み『マイ・フェア・レディ』(1964年)の老貴婦人役を含む息の長い活躍を見せました。

初期サイレント作品では歴史ロマンスの『ボヘミアン・ガール』(1922年)が現存。美形俳優として知られたアイヴァー・ノヴェロとの共演作で、物語は単純ながら丁寧に作られています。また後にディートリヒとの二人三脚で名を馳せるスタンバーグ監督が初めてクレジット(助監督)された作品としても知られています。

2枚の絵葉書は同一所有者の旧蔵品で、裏面にはそれぞれ「1914年7月」「1919年9月」の入手日が記入されていました。

[IMDB]
nm0178066

[Movie Walker]
グラディス・クーパー(Gladys Cooper)

[誕生日]
12月18日

[出身]
イギリス(ロンドン)

イリーナ・レオニドフ Ileana Leonidoff (1893 – 1968) 露/伊

Ileana Leonidoff 1924 Autographed Photo
Ileana Leonidoff 1924 Autographed Photo

露國に生れ、露國劇壇に薫陶された南歐映畫女優は數多ある。エレナ・マコウスカ孃、ダイアナ・カレンヌ夫人、最近に至つてはタチアナ・パプロワ孃の如き、其れである。イレーナ・レオニドツフ孃も又露國生れの女優として一九一七年以来南歐に表れた女優である。我々は『アチラ』に於てイルヂゴに扮した孃を始めて見た。さうして孃もまた妖婦女優として、確に相當の技能を有する事を認め得た。その後『不滅の血路』に於ても近く孃の技藝に接し得て、その妖婦女優としての腕を認める事が出來た。尚孃のパスクワリ會社時代の映畫(アルマンドヴエイ發賣)『酒の罪』が日活に輸入されて居る。一九一七年以來アンブロジオ會社に結び、主腦女優として『アチラ』『不滅の血路』等數種の映畫に出演し、その後パスクワリ會社に一時契約し、昨年ベルチニ會社の主腦女優となり、數種の映畫に出演して名聲を得て居る。

「南歐映畫俳優月旦 イレーナ・レオニドツフ孃」
『活動画報』1919年4月号

イタリア未来派の代表作『Thais』 (1917年)でヒロインに抜擢され注目を浴びたのがイリーナ・レオニドフでした。

Ileana Leonidoff 03
『アッチラ』(1918年)より

ロシア生まれで若くしてイタリアに移り住み当初はオペラ歌手の修業を積みます。まず映画女優として名を上げて歴史映画(『アッティラ』)や恋愛ドラマに出演、1922年を境にバレエに活動を移していきました。ローマを拠点とし自身のバレエ団を結成海外公演を行っていた記録があり、1924年にロンドン公演を行っています。このサイン入り写真はその際の一枚と思われます。

綺麗な写真ですが数か所の汚れ、右下に目立つ破れがあります。

Ileana Leonidoff 1924 Autographed Photo

[サイズ]
15.0 × 20.0 cm

[IMDB]
nm0503064

[出身]
ロシア/ウクライナ

[誕生日]
3月3日

[コンディション]
C+

ウィリアム・ダンカン William Duncan (1879 – 1971)

「 合衆国・カナダ・オーストラリア [USA/Canada/Australia]」より

William Duncan Autographed Photo
William Duncan Autographed Photo

生れながらに體力が人に勝れてゐた處から自ら體育方面の事に興味を持つて、暇さへあれば乗馬や水泳や拳闘やその他さまざまな戸外運動に熱中していゐた。その結果、マックファーデンの體育學校設立に際して、氏はその創立委員の一人に選ばれて四方に奔走した。また氏自身で體育學校を経営した事もある。

その後、有名な體育家のサンドウと一座をして地方巡業などをしたが、間もなくそれから離れてフォアバウ劇團に加入し、その主役を勤めて相當の人氣を呼んだが、やがて亦それから離れて今度は自分で一座を組織した。市は文筆の才を持つてゐたので、自分で脚本を書いてそれを一座の者共に演らせたりもした。その映畫経験はセリグ會社に這入つたのが最初で、その後ヴァイタグラフ會社に轉じ、今尚同社の俳優兼撮影監督として重要な位置を占めてゐる。氏の出演映畫の輸入されたものには今年の春電氣館に上場された連續寫眞「戰闘の跡」、同じくキネマ倶樂部に上場された連續寫眞「佳人の復讐」がある。共にヴァイタグラフ會社の作品である。

『活動名優寫眞帳』(花形臨時増刊、大正8年、玄文社)

1910年代に米ヴァイタグラフ社の花形男優として多くの活劇に出演していたのがウィリアム・ダンカンです。元々はイギリス生まれ、奥さんでもあったイーディス・ジョンソンをヒロインとした西部劇に多く登場。現存作品が少ないため知名度は低いものの全盛期はフェアバンクスを凌ぐ高給取りだったそうです。

[Movie Walker]
ウィリアム・ダンカン

[IMDB]
nm0242139

[出身]
イギリス(ダンディー・シティ、スコットランド)

[誕生日]
12月16日

[撮影]
Evans L.A.

[コンディション]
B-

[サイズ]
18.4 × 24.0cm

スイス パイヤール・ボレックス社 G916型 9.5mm/16mm両用映写機

イギリス仕様でレンズも英国製。バーミンガム在住のシネ・エキップメンツ有限会社が販売していた一台で同社ステッカーが貼られている。220Vから110V用の変圧器付属、元木箱付き。

製造: スイス
対応フィルム: 9.5mm/16mm 両用
対応電源:110~125V
コンセント:欧州仕様
レンズ: Dallmeyer Projection Lens F=50mm 181139
ランプ: 120V 750W (DDB)

[履歴]
2014年12月26日購入

ジャック・トレヴァー Jack Trevor (1890–1976) 英/墺

Jack Trevor

社会派劇の名手であるパブスト監督が1926年に『心の不思議』という毛色の変わった作品を残しています。精神分析を用いた夫婦間の愛憎劇で、主人公が嫉妬に駆られる美形青年役でジャック・トレヴァーが登場していました。また1929年の秀作『令嬢エルゼ』などにも名を見ることが出来ます。

宛名面には本人の筆跡で近作一覧(Meine neue Filme)がまとめられていて、『令嬢エルゼ』も含まれていることから1929年前半のサインのようです。

[IMDB]
nm0872465

[誕生日]
12月14日

[出身]
ドイツ

[コンディション]
B-

大正15年、タルラー・バンクヘッドTallulah Bankhead (1902 – 1968) 他2名のサイン寄書き

tallulah-tankhead

豪快な性格、奔放な私生活、ハスキーボイスで30年代合衆国の人気者となった女優がタルラー・バンクヘッドでした。

バンクヘッドは1920年代の一時期イギリスへと渡っています。舞台女優としての下積みの時期で中でもブレイクのきっかけとなったのが1926年の『彼らは欲しいものを知っていた (They Knew What They Wanted)』でした。

この作品で競演した役者3名(バンクヘッド/サム・リヴシー/グレン・アンダース)の寄せ書きがこちら。雑誌の写真を円く切り取り、黒い台紙に貼ったものをさらに画用紙にマウントしてあります。

Tallulah Bankhead
1931年のプレコード映画作品『私の罪 (My Sin)』(上)とヒッチコックの『救命艇』(下)

[IMDB]
タルラー・バンクヘッド Tallulah Bankhead (1902 – 1968) 米
グレン・アンダース Glenn Anders (1889 – 1981) 米
サム・リヴシー Sam Livesey (1873 – 1936) 英

マルヴィーナ・ロングフェロー、大正11年の書簡 Malvina Longfellow (1889 – 1962)

素敵なクリスマスカードありがとうございました。クリスマスが楽しいものになりますように、また1923年が良い年でありますことを。重ねてお礼申し上げます。

マルヴィーナ・ロングフェロー

My dear, thank you so much for your very beautiful Christmas card. I do hope you will have a very very happy Christmas and all the best for 1923. Thanking you again Malvina Longfellow

10代の頃からモデルとして活躍、1910年代半ばから女優の活動を本格化させイギリスの歴史映画に多く出演しています。

Malvina Longfellow
モデル時代の写真

こちらは1922年(大正11年)冬にロンドンで書かれた手紙でクリスマスカードへの礼がつづられています。宛先のカットクーム・マンションは大学病院に付属した病棟とのこと。

大正9年のアンナ・パブロワ・バレエ団(2)ヴェラ・カラーリィ (1889 – 1972) Vera Karalli

チャールズ・トープ氏旧蔵サイン帖より

ロシア帝政期~ソヴィエト時代に活躍した舞踏家・映画女優で、1910年代半ばのエフゲニー・バウエル作品(『瀕死の白鳥』1917年など)で重用されていました。

私生活ではニコライ二世の従弟ドミトリー大公の愛人。1916年、同大公を中心にラスプーチン暗殺が決行されます。猜疑心の塊となっていたラスプーチンをおびき出すために女性が使われたという噂もありました。関与を疑われ、警察の調査対象となった女性が二人いて、その一人がヴェラだったそうです(『真説ラスプーチン』、エドワード・ラジンスキー著)。真相は現在でも不明。

サインは鉛筆書きで名前のみ。仏文化の影響を強く受けた帝政ロシア期の女性らしくヴェラの「e」にアクセント記号を付しています。

[IMDb]
nm0832977

[誕生日]
7月27日

[出身]
ロシア

大正9年のアンナ・パブロワ・バレエ団(1)アンナ・パヴロワ (1881 – 1931) Anna Pavlova

チャールズ・トープ氏旧蔵サイン帖より


1920年4月、アンナ・パヴロワはドゥルリー・レーン王立劇場の舞台に立ちます。パヴロワ団にとって初の長期ロンドン公演で、英語圏での知名度を決定づける内容となりました。

アンナ・パヴロワ 1920年6月5日
Anna Pavlova 5/VI 1920

数字の後にスラッシュ(/)を入れ、ローマ数字で月を表記するのはロシア語圏の慣習でした。サインは鉛筆書きで途中で芯が割れて線が二重になっています。

パヴロワ自身は映画女優の活動は行っておりませんが、チャップリン、メアリー・ピックフォードなどと対面を果たしています。

[IMDb]
nm0667816

[誕生日]
2月12日

ジーナ・パレルム Gina Palerme (1885 – 1977) 英/仏

Gina-Palerme

記憶をどこまでさかのぼつてみても自分が悪魔に憑かれていたのだと思うのであります(演劇の悪魔ですが)。十になるかならぬかの私は仲間とともに「ごっこ遊び」に熱中しておりました。今となっては可笑しいほど一生懸命に、ある時は聖王ルイとなつて正義の鉄槌を下しあるいはジャンヌ・ダルクとなって火刑台に立ち、ナポレオンとしてアルコール橋を渡ったのです。[…]

巴里で束の間舞台に立つた後、英国舞踏を習得しようとイギリスに渡りました。半年の滞在予定が気が付いてみると七年、その合間に一介の踊り子からデューク・オブ・ヨーク劇場支配人にのぼりつめていました。

「ジーナ・パレルム自分語り」
シネア誌1922年2月10日付40号

Aussi loin que je remonte dans mes souvenirs, je me vois possédée du démon… (de la comédie). A dix ans, ma passion était « les tableaux vivants ». Au milieu de mes camarades le jeu, j’incarnais, avec un sérieux comique à voir, Saint-Louis rendant la justice, Jehanne d’Arc montant au bûcher, ou Bonaparte au pont d’Arcole […]

Après un très court séjour sur les scènes parisiennes, je pars en Angleterre pour me perfectionner dans la danse anglaise. Je devais rester là-bas 6 mois, j’y reste 7 ans, pendant lesquels je gravis tous les échelons de chorus-girl à directrice du théâtre Duke of York.

Gina Palerme par Gina Palerme
Cinéa, No 40, 10 Février 1922

1910年代初頭、イギリスの軽喜劇で人気を博したのがジーナ・パレルムでした。1920年代になって生まれ故郷のフランスへと戻り(「こちらでは誰も私の名前など知りませんでした」)映画女優の活動を開始。ロジェ・リオンやアベル・ガンスの作品に出演しています。

ガンスが1920年代半ばに発表したコミカルな奇譚『ヘルプ!(Au secours!)』ではマックス・ランデ演じる主人公を正気に戻す許婚の役を演じていました。

Gina Palerme in Abel Gance's Au secours! (1924)
アベル・ガンス監督作品『助けて!』より

サイン絵葉書は、イギリスで舞台デビューを果たした『クエーカー・ガール』公演時の一枚。向かって左側、「クエーカー・ガールの思い出に!(Souvenir de Quaker Girl!)」の一文。裏面に旧所有者の筆跡で1912年の文字も残されています。