フュー・オ・ビ (Fy og Bi) デンマーク

北欧諸国 [Nordic Countries]より

Fy og Bi (Carl Schenstrøm & Harald Madsen) Autographed Postcard

1920年代欧州で人気のあったデンマーク出身コメディ・ユニット。ローレル&ハーディー、アボット&コステロと似た凸凹タイプの組みあわせで一時期英語圏にも「Long & Short」の名で紹介されていました。写真左側がのっぽのカール・シェンストローム(Carl Schenstrøm、1881 – 1942)、右がちびのハラルド・マドセン(Harald Madsen、1890 – 1949)になります。

40年代初頭にかけ55本の作品を残していてその多くはラウ・ラウリッツェン監督の手によるものでした。ハリウッドが得意としたような起承転結の明快な構成ではなく、作品毎にシチュエーションを設定し(多くは浮浪者二人組)、その枠で二人がドジっぷり・間抜けっぷりを発揮し別なシチュエーションに移っていく「ユルい」展開を好みます。残念ながら日本では公開された記録がありません。

本国デンマークでも戦後になると忘れ去られていくのですがドイツ限定で根強い人気があり、1960~80年代には無声版を30分~1時間にまとめ独語ナレーションを加えたTVドラマ版「パットとパタション(Pat und Patachon)」が放映されていました。テレビの黄金時代で記憶に残っている人も多く今でもDVDで入手可能、一部でカルト的な人気を誇っています。

独キネマトグラフ誌 1925年11月第979号

ドイツTV版「パットとパタション」オープニングより。別投稿した『凸凹の密輸人退治』(1925年)の映像を使っています。

脇を固める俳優に実力者を揃えていたのがシリーズの強みでした。初期常連メンバーだったのがベテラン俳優クリスティアン・シュレーダー(Christian Schrøder)とスティーナ・ベウ(Stina Berg)。

ヒロイン役ではリリィ・ラニ(Lili Lani)が準レギュラー扱いで出演数が多く、他に渡米前のグレタ・ニッセン(Greta Nissen)、1929年の『ライラ』で名を上げたモナ・マールテンソン(Mona Mårtenson)、ドイツ映画界でも活躍したアグネス・ペテルセン(Agnes Petersen)、マリア・ガーランド(Maria Garland)、マーガレット・ヴィビー(Marguerite Viby)の姿も見られます。

リリィ・ラニ(Lili Lani)
1924年『Polis Paulus’ påskasmäll』

マリア・ガーランド(Maria Garland)
1924年『Professor Petersens Plejebørn』

モナ・マールテンソン(Mona Mårtenson)
1931年『I Kantonnement』

グレタ・ニッセン(Greta Nissen)
1924年『Lille Lise Letpaataa』

アグネス・ペテルセン(Agnes Petersen)
1924年『Raske Riviera Rejsende』

マーガレット・ヴィビー (左、Marguerite Viby)と
ニナ・カルカー (右、Nina Kalckar)
1929年『Højt paa en kvist』

1920年代欧州では国境を越えて成功した喜劇は少なく、仏マックス・ランデと並びフュー・オ・ビは数少ない例外でした。元々欧州には自由な放浪者への憧憬が文化の一つとしてありますし、チャップリン初期短編やルノワールの『素晴しき放浪者』にもそういった要素を見ることができます。フュー・オ・ビの二人組はこの理想、神話を上手く形にし持続可能なロールモデルを作り出した点で評価できると思います。


[IMDb]
Carl Schenstrøm

[Movie Walker]


[出身地]
デンマーク(コペンハーゲン)

[誕生日]
11月13日


[IMDb]
Harald Madsen

[Movie Walker]


[出身地]
デンマーク(シルケボー)

[誕生日]
11月20日


1925 – 35mm 『凸凹の密輸人退治』断章 (スヴェンスク・フィルムインドゥストリ社、グスタフ・モランデル監督) 独プリント

« Polis Paulus’ påskasmäll » (1925, Svensk Filmindustri, dir/Gustaf Molander) 1920s German « Pat und Patachon als Polizisten » 35mm Fragments

先日ドイツのイーベイで題名不詳の35ミリフィルム数本がオークションにかけられていました。そのうちの一本がこちら。

ホテルのレストランで開かれているパーティーが舞台となっていて
 1)仮面姿の女性が燕尾服の男の背後にそっと近づいてキスをして逃げ去る場面
 2)年配の男女4人が談笑し食事をしている場面
 3)仮面をかぶった背の高い男性が投げキッスを送る場面
 4)会食中の女性が嬉しそうに微笑むクローズアップ
と展開していきます。

最初に目に留まったのはクローズアップされたぽっちゃり系の女優さんでした。

Stina Berg in « Polis Paulus’ påskasmäll »

1910~20年代北欧で活動していた名脇役スティーナ・ベウです!見覚えがあったため手持ちのデータを確認したところ1925年公開のスウェーデン作品『Polis Paulus’ påskasmäll』断章と判明しました。日本未公開作品で邦題はなく、英題(The Smugglers 「密輸人」)をそのまま訳出しています。

本作はデンマークの喜劇ユニット「フュー・オ・ビ(Fy og Bi)」が主演した喜劇連作の一作。同シリーズはデンマークのラウ・ラウリッツェン監督の手による物が多いのですが、本作で初めて国外(スウェーデン)の製作会社・監督に委ねられることになりました。

物語はディナ(スティーナ・ベウ)が自身の経営するホテルに姪アンヌ・マリー(リリィ・ラニ)を招待したことから始まります。アンヌ・マリーとステン(エリック・バークレイ)の恋愛模様と、町の警察官(ハラルド・マドセン=凹)と浮浪者(カール・シェンストローム=凸)の追跡劇が同時進行していく中で最後は地元で暗躍している犯罪グループが摘発されてハッピーエンド。

グスタフ・モランデルの監督・演出はこなれたもので喜劇要素を大事にしつつも多層的な展開を上手くまとめあげており、凍りついた湖や森などの美しい自然描写を随所に盛りこんでいます。

オーストリアとデンマークの映画協会がそれぞれ不完全な35ミリ版を所蔵しており、2009年に両者を組みあわせて1時間42分のリストア版が制作されています。入手した断片はこの修復版の中盤、50分20秒~52分40秒辺りに対応している部分でした。

[IMDb]
Polis Paulus’ påskasmäll

[Movie Walker]


[公開]
1925年4月6日

1928 – 『凸凹の狼狩人』 (Ulvejægerne、1925年、ラウ・ラウリッツェン監督) 仏語小説版 « フィルム・コンプレ »

« Loup, y es-tu? » (Le Film complet du jeudi, N° 514, 7 juin 1928)
based on 1925 Danish Film « Ulvejægerne »

「連休は父親の所に行ってこようかな、と。ユトランドのブレケルシュタット育ちって話しましたっけ。次いでにちょっと運動してこようと決めました」
ホテルレストランのオーナーは大きく目を見開いた。
「運動なんて毎日してるんじゃないか」
笑い出だした青年。
「今回はちょっと特別なんです。ユトランドの森に狼が沢山出てるみたいなんです」
ニコレ氏の驚きは驚愕に変わった。
「狼って。デンマークの森にまだ狼がいるなんて知らなかったよ」
ポール青年はうなずいた。
「僕もです。でも本当らしいんですよね。この記事見てもらえますか」
オーナーに差し出した新聞は朝刊のもので、該当記事に目をやったニコレ氏は得も言われぬ感情に体が震えるのを感じた。

– Je vais chez mon père, patron. Ne vous ai-je pas dit que j’étais de Brekerstatt, dans le Jutland…
« Je me promet, d’ailleurs, de faire du sport.
Le patron ouvrit les yeux tout grands.
-N’en faites-vous pas tous les jours?
Le jeune homme se mit à rire.
-Cette fois, il s’agit d’un sport un peu particulier. On annonce que les forêts du Jutland sont infestées par les loups.
L’étonnement de M. Nicolet se changea en ahurissement.
– Des loups! Je ne savais pas qu’il y avait encore des loups dans le Denmark.
Paul Lindsomm acquiesça.
– Moi non plus, mais c’est pourtant certain, lisez ce journal.
Il tendit au patron une feuille imprimée, qui datait du matin et M. Nicolet, dès qi’il eût jeté les yeux sur l’article qu’on lui signalait, se mit à trembler d’émotion.


自転車修理士として小銭を稼ごうとしていた凸と凹はペテンを見破られてあえなく廃業。

折しも新聞では狼が確認されたという報せが。狼狩に向かう村人たちに凸凹二人も合流します。

水辺でキャンプを張ろうとした一団でしたが先客の水着美女たちに見つかって追い払われてしまいます。 その後仲直り、思いもかけぬハーレム状態に何をしに来たのか忘れ果ててしまう始末

油断している一行の前に現れた狼の群れ、果たして狩人たちの運命や如何に…と物語は続いていきます。

「フィルム・コンプレ」は毎週木曜日に発行されていた16頁冊子形式の映画小説専門紙です。空気に触れているとボロボロになりやすい酸性紙で普段表に出さないのですが久しぶりに引っぱり出してきました。

フュー&ビの連作喜劇にはスラップスチックな追っかけ、サイドストーリーで絡んでくる恋愛要素、突然登場してくる謎の水着美女集団など幾つかの定型パターンがあります。『狼狩人』はそういった約束事を守った正統派の一作。今回見直してみてマック・セネット喜劇の影響が強いことに気が付きましたが、それも作品世界によく馴染んでいます。

[タイトル]
Loup, y es-tu?

[原題]
Ulvejægerne

[IMDb]
Ulvejægerne

[発行所]
Le Film complet du jeudi

[出版年]
1928年

[フォーマット]
26.0 × 18.0 cm、16頁

アスタ・ニールセン(1881 – 1972)、1949年の書簡

北欧諸国 [Nordic Countries]より

Asta Nielsen 1949 Singed Letter

1949年10月11日
親愛なるフィッシャー樣

お問いあわせ心より感謝しております。
(そうそう、ドイツ語で書かないといけないですよね)
「スイス画報」誌のためとの話で心より感謝申し上げます。 御誌への好奇心がムクムク湧いてきています。
最近撮った写真は手元に御座いませんのでご了承くださいませ。
貴殿と御誌のご発展を心よりお祈り申し上げます。
かしこ

アスタ・ニールセン

11.10.49

Käre Her Redaktör Fischer.

Hjertelig Tak for Deres Henvendelse For mi (det er sandt, jeg maa jo skrive Tysk)
Also, herzlichem Dank für Ihre Bemühung mit der Schweizer Illustrierten, nun bin ich neugierig, ob ich etwas davon höre.
Wie ich Ihnen schon hier sagte, bin ich nicht im Besitz von Bildern aus der letzte Zeit.
Ich hoffe, dass es Ihnen beide nach Wunsch geht und sende dir herzlichste Grüsse.
Ihre sehr ergebene,

Asta Nielsen

アスタ・ニールセンが戦後の1949年、スイスの雑誌の編集者に送った書簡。記事用に近影の写真を所望した編集者にやんわりと断りを入れた内容です。折りたたんで封をすると三辺にミシン目ができるタイプの封筒を使用。印刷された15オーレの切手の脇に5オーレの切手が追加で貼ってあります。

最初はデンマーク語で書き出しながらすぐドイツ語に変わるのですが、狙ってやったわけではなく間違えに途中で気づいてそのまま修正し書き続けたように見えます。ミスタイプを打ち直した個所も多く、秘書に打ってもらったのではなく本人がタイプしているのではないのかな、と。

オスロ(ノルウェー)のホテルに滞在しているスイスの雑誌の編集者に宛て、デンマークからドイツ語の手紙を書く…欧州を股にかけて活躍した名女優さんらしいスケールの大きな話です。

1926年12月、ケルンで残されたと思われる
サイン入り絵葉書

Asta Nieslen Signed Card

雑誌切抜きを貼りつけた手製カードに
(戦後、1940年台後半から50年台始め)

アスタ・ニールゼン、彼女の名は今や我愛活家の腦裡より忘れられようとして居るけれどもニールゼンはその藝能に於て又技巧に於て、他の追從を許さぬ獨得の領域を持つた名女優であつた。幻惑的な嫋弱[たおやか]なすつきりした姿、人の胸に迫る沈痛な面持。ニールゼンには斯うした北歐の女性の備ふる典型を持つて居る。さうしてその五體より湧き出る彼女の表現、夫[それ]はあの物寂たビオスコツプ藝術映畫に缺くべからざる權威でもあつた。『ハンナ嬢』の如き、『愛の叫び』の如き、『女優の末路』の如き、『浮縁の血統』の如き、實に彼女の藝術の一旦を伺ふにて遺憾なきものであつた。

ニールゼンの生國は平和に満ちた丁抹である。北歐劇壇にニールゼンの名が漸く表れ始めた頃、彼女は故国を後にして独逸伯林の都に來て、劇作家ウルバン、ガツトウ氏と知り、兩者は戀にも生き、結婚して共々ビオスコツプ社の招聘により、ガツトウ氏劇作指導の下にニールゼン映畫を作る事となり、數十の映畫を撮影したのであつたが、折から戰亂となり、嬢は夫君と共に避けて故國丁抹に歸つた。

「歐州活動女優物語:アスタ・ニールゼン嬢」
『活動画報』 1919年8月号

身振りの多様さと表情の豊かさは、アスタ・ニールセンの場合驚嘆に値する。

「アスタ・ニールセン:その愛の演技と老け役の演技」
ベラ・バラージュ『視覚的人間』岩波文庫版所収
(佐々木基一、高村宏訳)

1921年『女ハムレット』より


[Movie Walker]
アスタ・ニールセン

[IMDb]
Asta Nielsen

[出身地]
デンマーク(コペンハーゲン)

[誕生日]
9月11日

カルロ・ヴィート Carlo Wieth (1885–1943) デンマーク

「国別サインリスト 北欧諸国 [Nordic Countries]」より

Carlo Wieth Autographed Postcard

1885年コペンハーゲン生まれ。1900年代に舞台俳優として修業を積んだ後、1910年にウアバン・ガーズの監督処女作でもある戦争メロドラマ『1864年の一徴兵』の主人公役でスクリーンデビュー。

Carlo Wieth in En rekrut fra 64 (1910)
『1864年の一徴兵』での負傷した兵士役

その後ノルディスク社と契約しオーガスト・ブロム(『モルモン教の犠牲となり/Mormonens offer』1911年)、シェストレム(『聖職者/Prästen』1914年)、ホルガー・マドセン(『永遠の平和/Pax aeterna』1917年)、ドライヤー(『サタンの書の数ページ』第4エピソード)など北欧サイレント映画の全盛期に安定した演技で貢献していきました。また私生活では以前に紹介したクララ・ヴィートの最初の夫でもありました。

1920年代前半に舞台へと戻り映画主演が途切れていましたが、30年代後半に復帰し9作のトーキーに出演。1943年に心臓発作で亡くなっています。

[IMDb]
Carlo Wieth

[Movie Walker]

[出身地]
デンマーク(コペンハーゲン)

[誕生日]
12月11日

[サイズ]
8.8 × 13.4 cm

[データ]
Photochemie, Berlin K.1765

1917-22 忘れじの独り花(26)マリア・ヴィダル Maria Widal (生没年不詳) デンマーク


「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Maria Widal Autographed Postcard
Maria Widal Autographed Postcard
1910年のアスタ・ニールセン銀幕デビューはデンマーク国内のみならず全世界的な話題を呼び、同嬢は1912年に拠点をドイツへと移し個性的な活動を展開していくこととなりました。この展開を支えたのが夫でもあったウアバン・ガーズ監督です。

同監督は1916年までニールセン短編シリーズを手掛けておりましたが、夫婦仲の悪化に伴い共同作業を解消、1917年からサチュルヌ映画社で再出発を図ります。新シリーズのヒロインとして抜擢されたのがマリア・ヴィダルという無名の新人女優でした。

Maria Widal in Die Gespensterstunde (1917)
『丑三つ時』 (Die Gespensterstunde、1917年)
現存する『丑三つ時』 Die Gespensterstundeではニルス・クリサンダーと共演。しかしニールセン程の成功を収めることは出来ず、1918年頃までサチュルヌ社に作品を残し大戦終了後に姿を消していきました。
Luzzy Werne01
1914年デンマーク『フィルメン』誌より
現代のメッサリナ』広告での「Luzzy Werne」
Maria Widal in Ned med våbnene (1915)
『武器を捨てよ!』(1915年公開、
ノルディスク社、ホルガー=マドセン監督作品)
主人公の友人である男爵夫人役として登場
(左から二番目のティアラ姿の女性)
1917年より前に「マリア・ヴィダル」が活動していた記録はありません。ドイツ的な要素を強調していたにも関わらず、その正体はデンマーク初期映画でLuzzy Werren(或いはWerne)として活躍していた女優さんでした。ガーズ監督がニールセンとの関係解消後、同郷の知己だった中堅女優を「ロンダリング」してドイツで再デビューさせたのが実際だったようです。

[IMDb]
Maria Widal

[Movie Walker]

[出身地]
不詳(推定デンマーク)

[誕生日]
未詳

[サイズ]
8.6 × 13.5cm

[データ]
Film-Sterne 112/3 phot. Nicola Perscheld Berlin W. 9

1917-22 忘れじの独り花(25)クララ・ヴィート Clara Wieth (1883 – 1975) デンマーク

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」より

Clara Wieth 1910s Autographed Postcard
Clara Wieth (Clara Pontoppidan) c1920 Autographed Postcard

1910年に映画デビュー。当初はレジア芸術映画社を拠点とし『ドリアン・グレイの肖像』や 『大都会の誘惑』(いずれも1911年)にヒロイン役で登場、若き美青年俳優W・スィランダのデビューに立ち合いました。すぐにノルディスク社に移りオーガスト・ブロム監督(『血を吸う踊り子』1912年)やホルガー・マドセン監督作品で重用され、同時期にスウェーデンでもスティッレルやシェストレム初期作でヒロインを務めます。

1920年前後にかけ出演ペースが落ちていくものの、カール・テオドア・ドライヤーの初期作『むかし、むかし』(1922年)の美しく傲慢な姫君役など北欧映画史の希少な瞬間を演じました。

Clara Pontoppidan in Der var engang (1922)
『むかし、むかし』(1922年、カール・テオドア・ドライヤー)

1920年に再婚で名字が変わります。以後はクララ・ポントピダンとして活動。20年代半ばに映画界を離れ舞台に移りますが、二次大戦後に復帰、主演作を挟み70年代までデンマーク映画を支え続けていきました。

クララ・ヴィート名義のサインは名字変更前の1910年代と断定して良さそうです。

Clara Wieth in Filmen (1915)
デンマークの映画誌『フィルメン』
1915年度第10号の紹介記事

[IMDb]
Clara Pontoppidan

[Movie Walker]

[出身地]
デンマーク(コペンハーゲン)

[誕生日]
4月23日

[サイズ]
8.6 × 13.5cm

[データ]
K.136. (Photochemie, Berlin)

1917-22 忘れじの独り花(11)グズロン・ブルーン・ステフェンセン Gudrun Bruun Stephensen (1892–1946) デンマーク

「フィア・エーマンス旧蔵サインコレクション」・「北欧諸国 [Nordic Countries]」より

Gudrun Bruun Stephensen c1920 Autographed Postcard
Gudrun Bruun Stephensen c1920 Autographed Postcard
デンマーク映画初期から活動していた女優さん。スィランダ主演の短編『大都会の誘惑』(Ved Fængslets Port、1911年、ノルディスク社)でもパーティー場面に端役で登場している姿を確認できます。

女優キャリアの中心は1917年から23年で、フリッツ・マグヌッセンやラウ・ラウリッツェン監督作品に多く登場、脇役からヒロインまでこなす安定感を見せていました。

Gudrun Bruun in Der Gang in die Nacht (1921, Murnau)
『夜への旅』(Der Gang in die Nacht、1921年)より

1910年代の北欧映画はドイツでも人気があり、次第に知名度を高めていく中で1921年にはムルナウ作品『夜への旅』の主演を果たします。同作では初老の眼科医師(オラフ・フォンス)と不倫仲になりながら、患者としてやってきた盲目の画家(コンラート・ファイト)に鞍替えし自身の破滅を招いていくヒロイン役を務めていました。

『夜への旅』はややミスキャスト気味で終始の鬱展開、あまり高い評価を得ていない一作です。それでも随所にこの監督らしい緊張感を見て取ることができます。

[IMDB]
nm0116801

[Movie Walker]

[誕生日]
9月22日

[出身]
デンマーク(コペンハーゲン)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Verl. Herm. Leiser, Berlin-Wilm. 3133

エディス・スィランダ Edith Buemann Psilander (1879 – 1968) デンマーク

「国別サインリスト 北欧諸国 [Nordic Countries]」より

Edith Buemann Psilander 1950s Leafcut Autograph
Edith Buemann Psilander 1950s Leafcut Autograph

1910年代のデンマークではジャンル映画も盛んに作られており、シャーロック・ホームズ作品やSFも人気を博していました。米連続活劇やフランスの怪盗物に影響を受けた『ニコルソン博士と青いダイヤモンド』(Dr. Nicholson og den blaa Diamant 1913年)も面白い作品で、同作でヒロインを務めたのがエディス・スィランダでした。

Edith Buemann in Dr. Nicholson og den blaa Diamant
Edith Buemann in Dr. Nicholson og den blaa Diamant (1913)

本名はエディス・ブエマン。10年代一番人気の男優だったヴァルデマール・スィランダと結婚しています。1910年代末には映画界を離れ舞台に専念、1930年頃にはそちらも引退しています。こちらのサインは晩年、1950年代中頃のボールペン書きの一枚。

[IMDb]
nm0119164

[出身]
デンマーク(コペンハーゲン)

[誕生日]
5月16日

[データ]
[1950年代中頃、リーフカット・オートグラフ]

[サイズ]
11.0 × 7.0cm

クリスチャン・シュレーダー Christian Schrøder (1869 – 1940) デンマーク

「国別サインリスト 北欧諸国 [Nordic Countries]」より

Christian Schrøder Autograph/autogramm/autographeChristian Schrøder in Pat und Patachon

先日北欧物のサインをまとめ買いした中から一枚。デンマーク出身の男優クリスチャン・シュレーダー氏によるもので、1937年3月29日の日付が付されていました。

1910年代初頭、北欧映画の創始期から活躍し、舞台と並行しながら多くの短編喜劇映画の主役を務めました。20年代になると大ヒットシリーズ「フュー・オ・ビー」常連となります。「二重あごで恰幅の良いおじさん」役を得意とし、しばしば名女優スティナ・ベウとペアを組みながら作品にユーモアと温かみを加えていきました。

[IMDb]
nm0775725

[出身]
デンマーク(ミゼルファート)

[誕生日]
7月13日

[データ]
[1937年3月29日、リーフカット・オートグラフ]

[サイズ]
16.8 × 10.8cm

リリー・ヤコブソン (Lilly Jacobson 1893–1979) & グンナール・トルナエス (Gunnar Tolnaes 1879–1940)

「国別サインリスト 北欧諸国 [Nordic Countries]」より

1910年代の北欧映画を代表する女優の一人がリリー・ヤコブソンです。優美な雰囲気からお姫様の役柄を多く演じていました。『エクセルシオール号/火星への旅』(1918年)や『マハラジャ最愛の妻』(1917年)の演技は型通りで、これだけならば映画史に記憶されるほどではなかったように思われます。

1910年代末、北欧映画の衰退とともに女優業を引退しようとしていたリリー・ヤコブソンに待ったをかけたのはアスタ・ニールセンでした。

『女ハムレット』(1921年)はシェークスピアの焼き直しではなく、北欧伝説などを加味した独自解釈です。男装のニールセンが倒錯の空気を漂わせる隣でリリー・ヤコブソンはオーフィリアを演じ、淡い恋心が混乱に、狂気に変わり、自死で果てていく難しい役柄に挑戦しています。

写真はグンナール・トルナエスとの共演作『マハラジャ最愛の妻』絵葉書の連名サイン。

リリー・ヤコブソン

[IMDb]
nm0414887

[出身]
スウェーデン(ヨーテボリ)

[誕生日]
6月8日

グンナール・トルナエス

[IMDb]
nm0866184

[出身]
ノルウェー(オスロ)

[誕生日]
12月7日

ヴァルデマール・スィランダ Valdemar Psilander (1884 – 1917)

Valdemar Psilander Autographed Postcard
Valdemar Psilander 1910s Autographed Postcard

1910年代前半デンマークで最も人気のあった男優で1917年に若くして亡くなっています。

Valdemar Psilander in Den sorte drøm
Valdemar Psilander in Den sorte drøm (1911)

「P」の縦棒を下から跳ね上げるように書くのが特徴です。「⊃」も下から上に書き上げる手癖があり、それがうまく閉じ切らず先行の「V」とあわさって「W」に見えてしまっています。年号は冒頭の「1」を省略した「914」表記になっています。

Valdemar Psilander 1914 Autographed Postcard