エルンスト・マトレイ Ernst Matráy (1891 – 1978) ハンガリー

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Ernst Matray 1920 Autographed Postcard

ハンガリー出身の舞踏家、俳優、監督兼振付師。

1910年代初頭にマックス・ラインハルトに才能を見いだされ舞台デビュー。ラインハルト劇団で話題を呼んだ『奇跡』(マリア・カルミ主演、1911年)に出演し、ダンスパートの振付も担当しました。

Ernst Matray in Hilde Warren und der Tod (1917)
1917年作品『ヒルデ・ワーレンと死神』(ヨーエ・マイ作品、脚本フリッツ・ラング)

映画では牧神、道化師、悪魔など異形の役どころが多く回ってきていたようです。フリッツ・ラングが脚本を書いた『ヒルデ・ワーレンと死神』では放蕩の生活を続け、最後母親に銃で撃ち殺されるろくでなしの息子を演じていました。

俳優時代のルビッチとも共演歴があり、短期間ながらも共同で映画会社を設立、両者の名前からMalu映画社と名付け経営を行っています。同時期に監督業にも進出し1916年に『オペラ座の怪人』を残しました。フィルム自体は現存していないものの、この小説の最初の映像化で初期ホラー愛好家が見たがっている作品の一つです。

トーキーの時代となり、1930年代にハリウッドに渡ってから新たなキャリアが開けてきます。当時の妻だった女優マリア・ソルヴェクと振付師のチームを組み、MGMなど大手作品のダンス場面を担当したのです。

Waterloo Bridge (1940)
『哀愁』(1940年)のバレエ場面

日本でもよく知られた『哀愁』(1940年)や『心の旅路』(1942年)の舞踏場面はマトレイ夫婦が振付したものでした。メロドラマ作品に一瞬現れるダンスやバレエを意識する機会はあまりないため、こんな形で無声映画の血流が続いていくのかと驚かされました。

絵葉書の写真は『吸血鬼ノスフェラトゥ』と重なります。サインの年号(1920年)を見ると同作公開より前になっています。

[IMDB]
nm0559305

[Movie Walker]
Ernst Matray

[誕生日]
5月27日

[出身]
ハンガリー(ブダペスト)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Photochemie, Berlin. K.2289. Phot. Nicola Perscheid, ,Berlin

クレール・ロットー Claire Lotto (1893 – 1952) 独

Claire Lotto Autographed Postcard
Claire Lotto Autographed Postcard

名優カール・デ・フォグト(Carl de Vogt)の奥さんでもあった女優で、1920年代前半~中盤のサインと思われます。

20年代前半のドイツで人気を得て幾つかの作品は日本でも公開されていました。芸歴は意外と長く1910年代中頃からすでに活躍。下積み時代にハンガリー映画に多く出演しており、マイケル・カーティス(ケルテース・ミハーイ)の初期短編の常連でもありました。

Claire Lotto in Az utolsó hajnal
Claire Lotto in Az utolsó hajnal (1917, Kertész Mihály)

1917年作品『最後の暁』マイケル・カーティス作品

カーティス初期作は現存しているものが多く、何かの機会に観ることがあればクレールさんがひょいと登場している可能性もありえます。

[異表記]
Cläre Lotto, Kläry Lotto

[IMDB]
nm0521556

[Movie Walker]
クレール・ロットー (Claire Lotto)

[誕生日]
9月23日

[出身]
ドイツ(ポメラニア)

[サイズ]
9.1 × 14.0cm

[データ]
Verlag Herm. Leiser, Berlin Wilm. 3833 Westi

リリアン・ハーヴェイ Lilian Harvey (1906 – 1968) 独

Lilian Harvey Autographed Postcard
Lilian Harvey Late 1920s Autographed Postcard

日本でも人気の高い『会議は踊る (1931年)』『ガソリン・ボーイ三人組(1930年)』などの初期ドイツ製オペレッタで主演を務めた女優さん。キャリアのピークが30年代初頭ですのでサイレント映画女優というより初期トーキーのスターの呼び方がしっくりきます。

今回入手したのは1920年代後半のサイン絵葉書。髪型、まつ毛の作りかた、眉の描き方が30年代と違っています。サインの書き方も後年に比べ字がやや大きく筆跡もダイナミック。

30年代中盤以降、ナチス政権下で不遇をかこちキャリア後期に失速を見せました。それでもヴィリー・フリッチらとの共演で見せた眩さは褪せる気がしません。

1931-Der Kongreß tanzt
『会議は踊る』でのリリアン・ハーヴェイ

[IMDB]
nm0367613

[Movie Walker]
リリアン・ハーヴェイ(Lilian Harvey)

[誕生日]
1月19日

[出身]
イギリス(ロンドン)

[サイズ]
9.0 × 14.0cm

[データ]
Verlag Herm. Leiser, Berlin Wilm. 6007 Phot.Rembrandt

カローラ・テーレ (Carola Toelle 1892 – 1958) 独

Carola Toelle Autographed Postcard

フリッツ・ラング監督初期作のひとつ『彼女をめぐる四人』(Vier um die Frau、1921年)で主演を務めたのがこちらのカローラ・テーレです。

第一次大戦終戦前後にドイツで数多デビューしてきた女優の一人で、当時はヘラ・モヤと並んで知名度が高かったようです。デビュー間もない時期の主演作『Das Lied der Colombine』でのリュートを手に歌う場面が印象的で、今回入手したサイン絵葉書はその場面をモチーフにしています。

本作のヒロインを演じているカローラ・テーレは品があって愛らしく、演技にも共感できる。

Carola Toelle, die hier die Hauptrolle inne hat, ist eine anmutige, liebreizende Erscheinung, deren Spiel sympathisch berührt.(Neue Kino-Rundschau vom 17. Oktober 1918. S. 59)

Carola Toelle in Das Lied der Colombine (1918)
『Das Lied der Colombine』(1918年)より
Carola Toelle in Vier um die Frau (1921, Fritz Lang)
『彼女をめぐる四人』より

[IMDB]
nm0865438

[Movie Walker]
カローラ・テーレ(Carola Toelle)

[誕生日]
4月2日

[出身]
ドイツ(ベルリン)

[サイズ]
8.6 × 13.4cm

[データ]
Verlag Herm. Leiser, Berlin Wilm. 5661 Phot. Deutsche Bioscop Ges.

ディオミラ・ヤコビニ (Diomira Jacobini 1899 – 1959) 伊

Diomira Jacobini 1929 Autographed Postcard

若くしてデビューした姉のマリア・ヤコビニを追うように1912年に女優デビュー、第一次大戦中に20作以上の映画に出演し知名度を上げていきます。

終戦後イタリア映画界が陰りを見せ始めるとマリアを含む多くの俳優は海外に活躍の場を求めました。ディオミラもドイツに渡り再スタートを切っています。

『死の花嫁』(1928年)
『死の花嫁』でのディオミラ(右はカリーナ・ベル)

この時期の作品で、1928年の歴史メロドラマ『死の花嫁』(Revolutionshochzeit)が現存。ディオミラは結婚式当日に革命派に見つけ出され、軟禁されてしまう花嫁を演じています。名監督A・W・サンドベルグの力量が発揮された同作は評判を呼び日本でも公開されました。

姉マリアの圧倒的な存在感、実績にややもすると隠れがちですが、『死の花嫁』からはお姉さんにはない硬質な透明感も伝わってきます。

[IMDB]
nm0414293

[Movie Walker]
ディオミラ・ヤコビニ

[誕生日]
5月21日

[出身]
イタリア(ローマ)

[サイズ]
9.0 × 13.9cm

[データ]
「1929年10月29日ベルリンにて」 « Ross » B.V.G. Berlin SW 68

ギルダ・ランガー Gilda Langer (1896 – 1920) チェコ/独

Gilda Langer Autograph/Autogramm/Autographe

1910年代後半、名プロデューサーのカール・メイヤーの目に留まり、ベルリンにやってきて舞台女優としてのキャリアを積み始めます。1917年に映画女優としてデビュー、フリッツ・ラングの最初期作『混血児』『愛のあるじ』(後者ではヒロイン役。どちらも現存せず)に出演を果たしています。

カール・メイヤーが『カリガリ博士』の映画化企画に着手した際、ヒロイン役にギルダ・ランガーを念頭に置いていたそうです。しかし1920年1月にインフルエンザで体調を崩しそのまま病没、わずか24歳にしてそのキャリアを閉じました。

[IMDb]
nm0486300

[出身]
チェコ(オストラヴァ プジーヴォス)

[誕生日]
5月16日

[データ]
Verl. Herm Leiser, Berlin-Wilm. 2222. phot Zander & Labisch

[サイズ]
8.7 × 13.4cm

ニルス・オラフ・クリサンダー Nils Olaf Chrisander (1884–1947) スウェーデン

映画産業の初期に北欧~ドイツ~アメリカを渡り歩いた経歴の俳優さん。ドイツ時代(1910年代後半~20年頃)と思われる直筆サインです。

1910年代半ば、スウェーデンのハッセルブラッド映画社ではイェオイ・アフ・クレルケル監督作品に多く主演して人気を集めました。同社の花形女優マリー・ヨンソンとの共演作(『目覚め』『ノーベル賞を獲る者』)も現存しています。

次第にドイツに拠点を移しウアバン・ギャズ監督に重用されます(1918年『丑三つ時』)。また監督業にも乗り出し、エゲデ・ニッセンやユーシ・エレオートとの共演作を残しています。

さらに新天地を求め監督としてハリウッドに渡り、20年台後半にジェッタ・グーダル主演作などを撮っていますが成功を収めることは出来ず映画界から離れていきました。

[Movie Walker]
ニルス・オラフ・クリサンダー

[IMDb]
nm0159633

[出身]
スウェーデン(ストックホルム)

[誕生日]
2月14日