ブロニスラヴァ・リヴィア Bronislava Livia (1901 – ?) ルーマニア/チェコ/日本

「オランダ~東欧~バルト三国 [Netherlands, Eastern Europe & Baltic States]」より

Bronislava Livia 1928 Autographed card
Bronislava Livia 1928 Autographed card

ルーマニアの家系に生れ早くから芸能の道を志し1920年にプラハに移り、映画会社主催のミスコンで優勝したことからキャリアが開けました。

スロヴァキア初の長編歴史大作『義賊ヤーノシーク』(1921年)で脇役として登場、その後もチェコ映画を作り上げた初期監督(スヴァトプルク・インネマン、カレル・ラマーチ、グスタフ・マハティ)らに寵愛されていました。

Bronislava Livia in Lásky Kačenky Strnadové
『カチェンカ・ストルナドワ恋愛放浪記(Lásky Kacenky Strnadové、1926年)』より
Bronislava Livia in Batalion
『バタリオン(Batalion、1927年)』より
『カチェンカ・ストルナドワ恋愛放浪記(Lásky Kacenky Strnadové)』では小間使いに振り廻される映画女優役、鬱蒼としたプロレタリア作品『バタリオン(Batalion)』では青年将校との不義を見咎められる不実な妻として登場。黒髪で艶のある雰囲気で個性的な脇役として重宝されていたようです。

彼女の経歴で興味深いのが「1901年長崎生まれ」。明治の終わりがけ、どのような経緯があってやってきたのか不明ながら親近感が湧いてきますね。

[IMDb]
Bronislava Livia

[Movie Walker]

[出身地]
日本(長崎)

[誕生日]
11月18日

[データ]
手製カード。「1928年12月18日プラハにて」(「Praha 18/12 ’28」)

[サイズ]
9.0 × 14.0 cm

大正2年 仏オデオン座プログラム寄書き(マリア・ヴァントーラ他)

このプログラムは1913年オデオン座の一冊で、表紙をマリア・ヴァントーラが飾り直筆サインが残されています。中を開くと他にも4名(ジャック・グレティア、ロミュアルド・ジュベ、ドゥ二・ディネス、ジルダ・ダルシー)のサイン有り。

マリア・ヴァントーラは1909~13年まで舞台女優と映画女優を並行して続けています。『レ・ミゼラブル』が最初に完全映画化された時(1912年)コゼットの母ファンティーヌを演じたのが彼女でした。

Marie Ventura in Les Misérables (1912)
1912年版『レ・ミゼラブル』より