「チュヴァシ映画社」とタニ・ユン(Тани Юн、1903-1977)

帝政ロシア/ソヴィエト初期映画史再訪 [04]

Tani Yun 1929 Russian Postcard


チュヴァシ自治共和国の映画製作機関である「チュヴァシ・キノ」は共和国での国ぐるみの映画産業が見事に開花した特筆すべき例である。革命前夜の過去を描き出した『女』(Сарпиге、1927年)、チュヴァシの町での革命を描写した『ヴォルガの風』(Ял、1928年)はいずれもチュヴァシ共和国地元出身の芸術家たちによって生み出されたものである。チュヴァシ映画女優として最も名高いタニ・ユンは国外でも同様に絶大な人気を誇っている。革命十周年を祝うため、「チュヴァシ・キノ」は『チュヴァシア』と題された映画を製作。ヴラディミール・コロレヴィッチによるプロデュース作で、チュヴァシ共和国の経済、文化の成し遂げた成果をまとめ上げている。(「各共和国における映画産業」 、『ソヴィエト連邦レビュー』1929年6月号収録)


Chuvash-Kino, the film organisation of the Chuvash Autonomous Republic is extremely characteristic of the successful development of the national film industries. “Sar-Pigi” showing the pre-revolutionary past, and “Yal,” describing the revolution in the Chuvash village, were produced entirely by the native artistic forces of the Chuvash republic. Tani Yun, the most prominent Chuvash film actress, is extremely popular outside Chuvash as well. The Tenth Anniversary of the Revolution was celebrated by the ChuvashKino by a film called “Chuvashia,” produced by Korolevitch, summarizing the economic and cultural achievements of the Chuvash Republic. (« The Film Industry in the National Republics », in Soviet Union Review, 1929 June Issue, 105p.)


かつてのソ連邦で五本指に入る人口を有していた少数民族がチュヴァシ族です。1925年に自治共和国のステイタスを獲得、同時に「チュヴァシ映画社(チュヴァシ・キノ/Чувашкино)」が活動を開始します。同社の花形女優として活躍したのがタニ・ユンでした。

1903年に農家の娘として生れ、モスクワの体育学校に進学。1922年インストラクターとしてチュヴァシュの首都チェボクサリに赴いた際に見た舞台劇に感銘し女優転身を決めたそうです。劇団で修業中に俳優・劇作家のマクシモフ・コシュキンスキーと知りあい結婚。

この時期、チェボクサリにはまだ映画館がなく、劇場で無料の映画上映会が開催されていたそうです。そこで見た映画に感動し、タニ・ユンは夫に映画製作を持ちかけます。資金もスタジオもない状態からの制作は至難を極めたもののこの企画がチュヴァシュ初の長編劇映画『ヴォルガの乱』(1926年)となり、チュヴァシ映画社の公式設立(1927年)の原点となっていきました。

『ヴォルガの風』(1928年)の一場面と思われる映像より

この後『女』(1927年)から『メメント』(1932年)までチュヴァシ映画社で製作された長編映画の全てでタニ・ユンはヒロインを務めています。芯の強さ、素朴さと柔らかさを兼ね備えたプレ・ヌーヴェルヴァーグ的な演技スタイルは国内の映画雑誌でも高く評価されていました。

1930年、中央政府はチュヴァシ映画社を含めた複数の映画公社を統合しヴォストーク映画社を設立。共和国の個性を重視した制作活動ができなくなり、精彩を欠いた同社は数年もせず自然消滅。タニ・ユンは夫と共に劇場での舞台活動に戻っています。

1937年、夫マクシモフ・コシュキンスキーが「ブルジョワ的なナショナリズム」を理由とし粛清対象となります。タニ・ユンもまたスパイの嫌疑をかけられ職を、次いで家を追われ、カザフスタンの強制収容所へ送られました。この際彼女が出演した映画のフィルムは全て破壊されたとされています。

1940年にこの案件が再度審理され最終的に無実の結論になりました。しかし演劇界や映画界への復帰の道は閉ざされていました。戦後、正式に夫婦は復権。一人娘が1960年代に事故死した後、二人の孫を育て、1972年に自伝を執筆。1977年に逝去。

2000年代後半頃からチュヴァシ国内、さらにロシア全体でタニ・ユン再評価の流れが目立つようになってきます。2013年には自伝が復刻。2017年には地元の中学校でチュヴァシ映画社設立90周年を祝う式が開かれ、翌2018年は生誕115周年記念イベントも開催されています。


[IMDb]


IMDbには彼女のエントリーがありません(英語版ウィキペディアも同様)。出演作一覧は以下となっています。

1926:ヴォルガの乱 «Атăл пăлхавçисем» (Волжские бунтари)
1927:女 «Сарпике» (Сарбиге)
1928:黒い柱 «Хура юпа» (Чёрный столб)
1928:ヴォルガの風 «Ял» (Вихрь на Волге)
1930:洗ふ女 «Апай­ка» (Прачка)
1931:聖なる森 «Киремет кати» (Священная роща)
1932:メメント «Асу­т» (Помни)

[リンク]
チュヴァシ共和国ヤードリンスキー地区公式HPでのタニ・ユン紹介ページ(ロシア語)
2017年、チュヴァシ映画社90周年記念行事を紹介する記事(ロシア語)
2018年、生誕115周年を祝いチュヴァシで開催されたイベントを紹介する記事(ロシア語)
1928年公開の『黒い柱 (Хура юпа)』を紹介しているLivejournalのブログ記事(ロシア語)